薄幸の花嫁はあやかしの頭領に溺愛される

 日の本来訪から二日目。凍城に率いられ、みつと磨徒、そして那岐は江戸の町人地に居を構える屋敷の前に立っていた。
 武家地との境にあるため、凍城家からそう遠くはない。
 
 町人の住まいとしてはなかなかに立派な造りで、敷地内には井戸もあるし、白壁の蔵まで立っている。

「ほら、那岐くん行くぞぉ。ご親族がお待ちかねだ」

 凍城は、生垣に隠れるようにして難しい顔で黙り込む那岐に声をかける。
 そう。本日の目的は、那岐が実母の親族に挨拶に行くこと。
 すでに親族側には話を通してあるそうで、昼時には到着する手はずになっている。
 が、屋敷に着いた瞬間、那岐が足を止めて動かなくなった。緊張しているのだろう。
 凍城と磨徒がなだめるように説得を続けるが、那岐は頑としてその場を離れようとしない。

 
 どうすべきかと随伴者である三名が頭を悩ませていると、玄関戸がガラガラと開き、中から人の良さそうな中年の女が姿を現した。
 彼女はぱっと表情をほころばせながら、一行に歩み寄る。

「まぁまぁ! ご到着されているとは知らず、失礼致しました。どうぞお入りください」

 にこにこと笑みを浮かべながら、女は玄関へと腕を広げる。
 凍城らの背後で那岐が走り去ろうとするも、磨徒はその首根っこをつかんで、女と向き合うよう促した。
 那岐は女の正面に立ち、ばつが悪そうに目をそらしている。
 対する女はじわりと目を潤ませて、那岐の手を両手で握りしめた。

「あなたが那岐くん? 私はあなたのお母さんの妹で、名は幸(さち)。よく来てくれたねぇ。会えて嬉しいよ!」

 ぽろぽろと涙をこぼす幸の姿に面食らった様子で、那岐は戸惑いがちに言葉を発した。

「……初の息子の那岐です。俺なんかが来ても迷惑でしょう。このまま帰りますのでご心配なく」

 那岐は敬語が使えたのかと、みつは目を丸くして磨徒に視線を送る。すると彼も同じく驚いている様子で、視線がかち合った。
 ──いや、しかし今はそんなことに気をとられている場合ではない。
 見かねた磨徒が一歩歩み寄り、那岐の肩を優しく叩いた。そうして、幸と視線を合わせながら言葉を紡ぐ。

「幸殿、お初にお目にかかります。那岐の兄、磨徒と申します。弟は緊張しているようですが、あなた方に会うことを避けているわけではありません。どうかこのまま向き合って話をしてあげてください」

 幸に向かって磨徒が深々と頭を下げる。なかなか普段はお目にかかることができない姿だ。
 その言葉に応えるように、幸は二度、三度と頷いてみせる。
 
「もちろんです。私達一家は、ずっと那岐くんに会いたかったのです。ね、那岐くん、中でゆっくり話をしましょう」

 幸が那岐の手を引いて、玄関へと導いていく。
 みつと磨徒は微笑みながら顔を見合わせ、その後ろに続いた。

「それじゃ、俺は護衛たちと外で待つよ。ごゆっくり」

 背後から凍城の声が上がった。
 彼は重要な局面ほど、一歩引いて見守りの姿勢に徹する傾向がある。将軍との会談の時もそうだった。
 話の中心となる者たちが腹を割って話せるよう、常に気遣っているのだ。みつはそんな彼の心遣いに感謝しつつ、屋敷の敷居をまたぐのだった。

 

 三和土(たたき)に立ち、みつがお邪魔しますと頭を下げると、すぐさま使用人達が出迎えてくれた。

「皆様を案内するから、食事とお茶を用意してちょうだい」

 幸は女中に一声かけて、那岐の手を引きながら奥の部屋を目指す。
 はずむような声色で、上機嫌なのだろう。しきりに那岐に語りかけている。
 やがて一行は、突き当たりの一室に通された。
 障子を開けて室内を見渡せば、老女が一人と中年の男が一人、そして幼い子供が一人座していた。

「那岐くんとそのお兄様夫婦をお連れしたよ」

 幸が客人である三名を招き入れると、老女が立ち上がり、那岐と磨徒の傍らまで歩んできた。
 そうして二人の顔を見比べたあと、那岐の頭を優しく撫でながらあたたかな笑みを向ける。

「あなたが那岐だね。遠国奉行様から話は聞いているよ、黒髪に一本の角が特徴だと。よく来てくれたね。さぁさ、みなさん座ってくつろいでください」

 促されるまま、あらかじめ敷かれていた座布団に三名は腰を落ち着ける。
 老女と幸もまた、一行に向かい合うようにして正座した。そうして自己紹介が始まる。

「私は初の母、そのだよ。那岐も立派に育ったんだねぇ、婆ちゃんは嬉しいよ」

 そのは感慨深げに微笑み、目尻にしわをつくった。声色や柔和な物腰から、情にあつい人物だと伝わってくる。
 続いて男と子供が挨拶をする。

「幸の夫、勘助(かんすけ)です。那岐くんも、お兄さん夫婦もようこそお越しくださいました」

「ぼくは初おばちゃんの甥で、太郎っていいます。兄ちゃんたちかっこいいね、つのが生えてる!」

 初めてあやかしを見る少年は、興奮した様子で身を乗り出した。磨徒は静かに微笑みを返し、那岐は居心地が悪そうに目を逸らしている。

 黙り込む那岐を見かねてか、磨徒が丁寧な所作で頭を垂れながら口を開いた。

「私は那岐の兄、磨徒と申します。このたびは貴重な場をもうけてくださり、心より感謝致します」

 磨徒に促され、みつもまた畳に両手をついて頭を下げた。

「磨徒様の妻、みつにございます。初様についてのお話は伺っております……芯の強い、あたたかなお人柄であったと」

 みつの言葉を受けて、幸は着物の袖で涙をぬぐっている。
 遠き地にて非業の死をとげた姉を思い、心を痛めているのだろう。
 

「磨徒さんにみつさんも、顔を見せてくれてありがとうございます。那岐と磨徒さんは、嵬という位の高い家柄なのでしょう。あやかしをまとめ上げ、頂に立つ方々なのですよね」

 そのは嵬兄弟を見渡しながら、優しく包み込むような笑顔をくずさない。
 磨徒は嵬の家名を一身に背負う者。恐縮した様子だが、否定することもなく首肯する。
 
 その脇に座す那岐は、眉間にしわを寄せながらようやく言葉を発した。

「……磨徒は確かにそうだが、俺は違う。出来損ないで一族の鼻つまみ者だ。礼儀だってなっちゃいねぇ。なんとか取り繕おうと思ったが、無駄な気遣いはやめる。あんた達はあやかしを憎んでるだろ?」

 そのと幸はゆるやかに首を振る。

「あやかし全体を憎むようなことはしないよ。善も悪も混ざりあって生きるのが世の常だものね。ただ、雷我に対しては怒りが残ってる。姉さんと那岐くんを痛めつけ、ずっと苦しめてきたんでしょう?」

「……俺がもっと強ければ、母を守れた。不甲斐ない自分に反吐が出る。こんな役立たずがあんた達に顔向けなんてできるわけがねぇと、ずっと思ってた」

「それでも、あなた一人がずっと姉さんの味方だったと聞いたよ。体を張って守ろうとしてくれていたんでしょう? そんな優しい子を誰が責められるって言うの。私達は、那岐くんにお礼が言いたかったのよ」

 幸が涙ながらに語る。
 みつは、幸やそのの胸中にうずまく悲しみと怒りを察して涙を浮かべた。
 自分だったらと考えれば、到底飲み込むことのできない痛みだと理解できるのだ。

「嘘だ! 役立たずの俺に失望して当然だろ! 怒りの矛先は俺でいい! 俺自身が自分を許せないからだ!!」

 感情をむき出しにして畳を乱暴に踏みつけながら、那岐が声を張り上げる。
 筆舌に尽くしがたい哀惜が、那岐の心を支配しているのだろう。
 忌まわしい過去は彼の自尊心を奪い、決して消えることのない無力感を植えつけた。
 母の親族に向き合うことが、那岐にとってどれほど心苦しい状況であるか、みつにも痛いほど理解できる。

 和やかな雰囲気から一転し、淀んだ空気が部屋を支配する。
 那岐の心の傷は深くぼろぼろで、悲鳴をあげている。
 それは誰の目にも明らかで、皆が苦しげに口をつぐんだ。

 しかしただ一人、那岐の懐に優しく踏み込む者があった。そのである。

「……辛かっただろう、苦しかっただろう。そばにいてあげられなくてごめんね。那岐は大切な私の孫だよ。今こうして、目の前であなたと話せることが嬉しい。生きていてくれてありがとう。婆ちゃんは、ずっと一人で頑張っていた那岐のことが大好きだよ」

 そのは那岐の目の前まで歩を進め、両腕でそっと彼を包み込んだ。
 小柄な彼女が長身で体格の良い孫を抱擁する姿を見れば、不思議と那岐が幼子のようにもろい存在にうつる。

 那岐は一瞬戸惑うように肩を震わせ、祖母を振り払うこともせずに俯いた。

「……俺のことなんて、皆が嫌ってる。力がなくて何もできない負け犬だ」 
 
「誰があなたを嫌おうと、私にとっては大切な孫だよ。那岐自身が自分を嫌っても、婆ちゃんは絶対にあなたの存在を否定しない。死ぬまで味方でいる。心の傷を癒す手伝いをさせておくれ」

 そのはそっと幼子をあやすように、那岐の背を優しくさする。
 近しい者とのこうした触れ合いは、那岐にとって長く味わったことがなかったものだろう。
 親族からの無償の愛。存在の肯定。
 これまでの歩みを、もがき苦しんだ過去を。すべて包み込み赦しを与えてくれるその抱擁は、彼の凍てついた心を溶かすのに充分な力があった。

「…………婆ちゃん……母さんを救えなくてごめん。婆ちゃんや、みんなを悲しませてごめん。力がなくてごめん」

 那岐の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
 長く抑え込んでいた感情が決壊し、こらえきれなくなったのだろう。
 彼は声もなく、ただただぼろぼろと泣いた。
 もはや、強がって意地を張っていた先程までの彼ではない。
 ただただ力なく子供のように、優しい祖母の腕に身を預けている。
 そんな様子を見て磨徒はぐっと膝の上で拳を握り、肩を震わせながら弟を見守っている。
 みつや幸はとめどなく涙を流し、着物の袖でそれをぬぐう。もらい泣きだ。

「よしよし、大丈夫だよ。婆ちゃんがついてるからね。気の済むまでここにいておくれ。私も今度、あやかしの都まで会いにいくよ。二度と一人ぼっちにはさせない」

 そのは、ぎゅっと強く那岐を抱きしめる。
 飾らない心からの言葉。その一言一言に惜しみ無く詰め込まれているのは、深い愛情だ。
 まっすぐに胸奥に届く無条件の慈しみは、きっと那岐を救う何よりの薬になる。

 みつは、血のつながりがもたらす強固な絆に心打たれ、胸がいっぱいなった。
 那岐が救われることは、磨徒の煩悶を和らげることにも繋がる。
 この兄弟が報われてほしい、幸せを手してほしいと心から祈る。

 そして、みつ自身も家族が恋しくなった。
 そもそも日の本を訪れた目的は、兄を探すことだ。生きているのかすら怪しいが、会いたい。
 大好きな兄と、また話がしたい。

 わずかな希望とかすかな不安を胸に抱きながら、みつは前向きに明日に向かう決意を固めるのだった。