凍城へと文を送った日から十日が過ぎたが、いまだ一切の返答がなく、みつと磨徒は気がかりな日々を送っていた。
先日起こったあやかしの臓物狩りに関してもかたはついていないはずであるし、磨徒が突然日の本を訪れたいと申し出たことにより、各所への連絡も忙しなくなるだろう。
凍城がきちんと睡眠をとれているのか心配になる。
恐らく返事を出す暇がないのだろうと、みつは気長に待つつもりでいた。
「磨徒様、おかえりなさい!」
昨夜は磨徒が夜警兵の巡回に同行していたため、みつは一人寂しい夜を過ごしていた。
朝一番で嵬屋敷へと戻って来た磨徒を、満面の笑みで出迎える。
「ただいま、みつ。寂しい思いをさせてすまなかった。変わりはなかったか?」
磨徒は、小柄なみつをそっと全身で包み込む。
みつは幸福そうに目をとじ、磨徒の懐に顔をうずめながら大好きな夫の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「何も変わりはございませんでしたが……磨徒様が恋しくて。こうしてお側にいられる喜びを噛みしめております」
「……俺も同じ気持ちだ。お前に会いたかった」
こうして見れば毎晩体を重ねる夫婦のような雰囲気だが、実際は少し違う。
夜には必ず一つの布団に入っている。が、二人の歩みは恐ろしく鈍足だった。
精神的な部分で両者を隔てる壁は消えているが、磨徒は本当に少しずつみつを慣らしていくつもりのようで、いまだに子作りの段階には至っていない。
しかし毎晩溶け落ちそうになるほど愛の言葉を囁きながら、磨徒は優しくみつを包み込んでくれる。
ここ数日のみつは、愛されているとこれ以上ないほど実感しながら幸福な眠りについていた。
玄関にてぎゅっと抱き合ったまま動かない夫婦からやや離れた廊下の先に、お滝を始めとする女中達が静かに侍っている。
他者の目があろうとお構いなしに繰り広げられる二人のお熱い言動には慣れっこといった様子で、皆が平然と虚空を見つめている。
磨徒とみつがそろそろ朝餉をと動き出したところで、玄関の戸が音を立てて開いた。
門番に通され、姿を現したのは凍城と従者の片山である。
「磨徒ー! 遅れてすまん! 準備が整ったぞ、いつでも日の本に連れていける!」
凍城は明るく声を張るが、目の下には大きくクマができており、幾分か痩せた様子で見るからに疲れが出ている。
磨徒はそんな親友の様子を見るや、すみやかに彼の眼前まで移動して疲労困憊の肩を叩く。
「大和……すまない、突然の連絡で迷惑をかけてしまったな。幕府側は何と?」
「事前準備が大変だったが、万事うまいことまとまった。幕府は五百年ぶりの嵬族頭領の来訪を喜んでくれている。国をあげて派手にもてなすつもりだ。このことは民にも周知済みでな。今、日の本全土があやかしの王を一目見たいと沸き立ってるよ」
「そうか……本当にありがとう、苦労をかけた。朝餉を囲んでゆっくり話をしよう。さあ、上がってくれ」
「おお、腹減ってるからありがたいよ。ああそうだ、那岐くんも呼んでもらえるか? 彼にも話がある」
「分かった。呼んでこよう」
磨徒は深く頷き、そのまま草履をつっかけて那岐の住まう離れへと急いだ。
ようやく出番が来たと沸き立つ女中たちは、てきぱきと朝餉の用意にとりかかる。
今朝は賑やかな朝になりそうだ。
夫婦の居室では手狭だろうということで、今朝の食事は応接間にて賑やかに行われることとなった。
みつと磨徒、そして那岐が横並びに座り、その向かいに凍城と片山が腰を落ち着けている。
それぞれが朝餉の膳に箸をのばしながらぽつりぽ つりと言葉を交わしていると、眉間にしわをよせながら那岐が声をあげた。
「で、何で俺が呼ばれたんだ?」
とうに食事を終えている那岐は、手持ち無沙汰な様子で湯呑みを傾けた。
磨徒とみつが日の本へ旅立つことはすでに彼の耳にも入っている。
「そりゃあ、那岐くんにも日の本に来てほしいからさ」
凍城がとびきりの笑顔を見せる。
那岐は一瞬顔をしかめて、俯いた。
「べつに俺が行く必要ねぇだろ」
「いや、来る意味はあるよ。君の母君、初殿のご親族が面会をご所望なんだ」
「……おふくろの親族? 会えるのか?」
「おっ、少しは興味持ってくれたかい? そうそう。君のお祖母様がね、どうしても孫に会いたいってわざわざ俺を訪ねてきてくれてさ。ほんの少しでいいから、顔を見せてあげてくれないかな?」
「……」
深く考え込むような仕草を見せる那岐は、険しい表情をしている。
母方の親族に会う機会など、当然あるはずもないと思って生きてきたに違いない。相応の覚悟が必要になることは誰から見ても想像がつく。
「那岐、一緒に行こう。わざわざ会いたいと申し出てくれたのだ。こちらからも歩み寄りたいじゃないか」
磨徒が穏やかに目を細める。みつもまた、うんうんと頷きながら那岐に向かって微笑んでみせた。
「……おふくろの死について、向こうはどの程度知ってんだ?」
那岐は額に手を当てて畳を見つめる。
母の死に関して自責の念を抱いている那岐にとって、親族に顔向けできないという気持ちは少なからずあるだろう。
「初殿の死因については、すべてを伝えてあるよ。雷我による度重なる暴力の末、殺害されたと。お祖母様は娘や孫に辛い思いをさせた、自分が傍についていたかったと仰っていた」
「たぶん、あやかしが憎いと思ってんじゃねぇか?」
「那岐くんは人間でもある。お祖母様にとっては大切な孫だ」
「…………少しツラ見せるだけなら、行ってもいい」
表情はなんとも複雑なものだが、那岐は覚悟を決めたように頷いた。
凍城が手を叩いて喜び、磨徒とみつもまた、安堵しながら笑みを交わしあった。
出立は明朝ということで話がまとまり、磨徒と凍城は五家を集めて会合を開くべく屋敷を出ていった。日の本への随行を希望する者を募るためだそうだ。
夕刻になり、みつが傷病者治療から戻ると、真っ先に流花が出迎えてくれた。
「みつ、久しぶりー! あたしも一緒に日の本に行くことになったよ!」
「まぁ、流花ちゃんも来てくださるのですね! 嬉しいです。江戸のおいしいもの、たくさん食べましょうね」
「うん、食べたい! 甘味がおいしいんだって? 凍城が言ってた」
「そうですね。あやかしの都にはおもちがないようですので、食べてみてほしいです。もちもちしておいしいですよ」
「もちもちってどんな!? 楽しみー!」
二人して手を取り合い、笑顔を交わす。
女同士の友情など、遠い日々に置き去りにしてしまっていたものだ。まさかここに来てあやかしの友ができようとは、人生分からぬものである。
「……あたしさ、人間のこともっと知りたい。あやかしが勝手な想像で見下してる醜い生き物とは違うと思うから、この目で確かめたいの」
流花は照れくさそうにはにかみながら、みつを見据えた。
出会った当初の彼女は、こうではなかった。みつとの出会いや堕嵬の集落での経験が、視野を広げる足掛かりとなったのだ。
「流花ちゃん、ありがとうございます。人間もまた、言い伝えでしかあやかしの存在を知りません。本や芝居の題材にはなっているのですが、こわい役どころばかりで……可愛らしい流花ちゃんを見たら、きっと江戸の民も驚きます」
「えへへ、そうかな? あとあたしね、化け猫だけど本物の猫に会ったことないんだ。こっちには猫いないから……向こうで会えるかな?」
「すぐに会えると思います。猫は町のあちこちを歩いていますから。流花ちゃんでしたらきっと猫と仲良くなれますよ」
「わあ! うれしいな! みつも向こうで忙しいかもだから、息抜きにでもあたしに構ってね」
「そんな……できるだけ一緒にいるようにします。流花ちゃんが少しでも、人間を好きになってくれたら嬉しいです」
みつは、流花の両手をぎゅっと握りしめて心からの笑みを見せる。
みつ自身、一度は人間という存在に望みを失っている。
信じることが怖いし、何より大切な磨徒や那岐や流花が、人間に失望してしまう結果になったらと思うと身がすくむ思いだ。
けれど、ここを乗り越えなければ磨徒の目指す共生の世は実現しない。
今やみつは、あやかしの頭領を支える妻である。その立場に恥じぬ行いをと、自らを戒めながら決意を新たにするのであった。
先日起こったあやかしの臓物狩りに関してもかたはついていないはずであるし、磨徒が突然日の本を訪れたいと申し出たことにより、各所への連絡も忙しなくなるだろう。
凍城がきちんと睡眠をとれているのか心配になる。
恐らく返事を出す暇がないのだろうと、みつは気長に待つつもりでいた。
「磨徒様、おかえりなさい!」
昨夜は磨徒が夜警兵の巡回に同行していたため、みつは一人寂しい夜を過ごしていた。
朝一番で嵬屋敷へと戻って来た磨徒を、満面の笑みで出迎える。
「ただいま、みつ。寂しい思いをさせてすまなかった。変わりはなかったか?」
磨徒は、小柄なみつをそっと全身で包み込む。
みつは幸福そうに目をとじ、磨徒の懐に顔をうずめながら大好きな夫の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「何も変わりはございませんでしたが……磨徒様が恋しくて。こうしてお側にいられる喜びを噛みしめております」
「……俺も同じ気持ちだ。お前に会いたかった」
こうして見れば毎晩体を重ねる夫婦のような雰囲気だが、実際は少し違う。
夜には必ず一つの布団に入っている。が、二人の歩みは恐ろしく鈍足だった。
精神的な部分で両者を隔てる壁は消えているが、磨徒は本当に少しずつみつを慣らしていくつもりのようで、いまだに子作りの段階には至っていない。
しかし毎晩溶け落ちそうになるほど愛の言葉を囁きながら、磨徒は優しくみつを包み込んでくれる。
ここ数日のみつは、愛されているとこれ以上ないほど実感しながら幸福な眠りについていた。
玄関にてぎゅっと抱き合ったまま動かない夫婦からやや離れた廊下の先に、お滝を始めとする女中達が静かに侍っている。
他者の目があろうとお構いなしに繰り広げられる二人のお熱い言動には慣れっこといった様子で、皆が平然と虚空を見つめている。
磨徒とみつがそろそろ朝餉をと動き出したところで、玄関の戸が音を立てて開いた。
門番に通され、姿を現したのは凍城と従者の片山である。
「磨徒ー! 遅れてすまん! 準備が整ったぞ、いつでも日の本に連れていける!」
凍城は明るく声を張るが、目の下には大きくクマができており、幾分か痩せた様子で見るからに疲れが出ている。
磨徒はそんな親友の様子を見るや、すみやかに彼の眼前まで移動して疲労困憊の肩を叩く。
「大和……すまない、突然の連絡で迷惑をかけてしまったな。幕府側は何と?」
「事前準備が大変だったが、万事うまいことまとまった。幕府は五百年ぶりの嵬族頭領の来訪を喜んでくれている。国をあげて派手にもてなすつもりだ。このことは民にも周知済みでな。今、日の本全土があやかしの王を一目見たいと沸き立ってるよ」
「そうか……本当にありがとう、苦労をかけた。朝餉を囲んでゆっくり話をしよう。さあ、上がってくれ」
「おお、腹減ってるからありがたいよ。ああそうだ、那岐くんも呼んでもらえるか? 彼にも話がある」
「分かった。呼んでこよう」
磨徒は深く頷き、そのまま草履をつっかけて那岐の住まう離れへと急いだ。
ようやく出番が来たと沸き立つ女中たちは、てきぱきと朝餉の用意にとりかかる。
今朝は賑やかな朝になりそうだ。
夫婦の居室では手狭だろうということで、今朝の食事は応接間にて賑やかに行われることとなった。
みつと磨徒、そして那岐が横並びに座り、その向かいに凍城と片山が腰を落ち着けている。
それぞれが朝餉の膳に箸をのばしながらぽつりぽ つりと言葉を交わしていると、眉間にしわをよせながら那岐が声をあげた。
「で、何で俺が呼ばれたんだ?」
とうに食事を終えている那岐は、手持ち無沙汰な様子で湯呑みを傾けた。
磨徒とみつが日の本へ旅立つことはすでに彼の耳にも入っている。
「そりゃあ、那岐くんにも日の本に来てほしいからさ」
凍城がとびきりの笑顔を見せる。
那岐は一瞬顔をしかめて、俯いた。
「べつに俺が行く必要ねぇだろ」
「いや、来る意味はあるよ。君の母君、初殿のご親族が面会をご所望なんだ」
「……おふくろの親族? 会えるのか?」
「おっ、少しは興味持ってくれたかい? そうそう。君のお祖母様がね、どうしても孫に会いたいってわざわざ俺を訪ねてきてくれてさ。ほんの少しでいいから、顔を見せてあげてくれないかな?」
「……」
深く考え込むような仕草を見せる那岐は、険しい表情をしている。
母方の親族に会う機会など、当然あるはずもないと思って生きてきたに違いない。相応の覚悟が必要になることは誰から見ても想像がつく。
「那岐、一緒に行こう。わざわざ会いたいと申し出てくれたのだ。こちらからも歩み寄りたいじゃないか」
磨徒が穏やかに目を細める。みつもまた、うんうんと頷きながら那岐に向かって微笑んでみせた。
「……おふくろの死について、向こうはどの程度知ってんだ?」
那岐は額に手を当てて畳を見つめる。
母の死に関して自責の念を抱いている那岐にとって、親族に顔向けできないという気持ちは少なからずあるだろう。
「初殿の死因については、すべてを伝えてあるよ。雷我による度重なる暴力の末、殺害されたと。お祖母様は娘や孫に辛い思いをさせた、自分が傍についていたかったと仰っていた」
「たぶん、あやかしが憎いと思ってんじゃねぇか?」
「那岐くんは人間でもある。お祖母様にとっては大切な孫だ」
「…………少しツラ見せるだけなら、行ってもいい」
表情はなんとも複雑なものだが、那岐は覚悟を決めたように頷いた。
凍城が手を叩いて喜び、磨徒とみつもまた、安堵しながら笑みを交わしあった。
出立は明朝ということで話がまとまり、磨徒と凍城は五家を集めて会合を開くべく屋敷を出ていった。日の本への随行を希望する者を募るためだそうだ。
夕刻になり、みつが傷病者治療から戻ると、真っ先に流花が出迎えてくれた。
「みつ、久しぶりー! あたしも一緒に日の本に行くことになったよ!」
「まぁ、流花ちゃんも来てくださるのですね! 嬉しいです。江戸のおいしいもの、たくさん食べましょうね」
「うん、食べたい! 甘味がおいしいんだって? 凍城が言ってた」
「そうですね。あやかしの都にはおもちがないようですので、食べてみてほしいです。もちもちしておいしいですよ」
「もちもちってどんな!? 楽しみー!」
二人して手を取り合い、笑顔を交わす。
女同士の友情など、遠い日々に置き去りにしてしまっていたものだ。まさかここに来てあやかしの友ができようとは、人生分からぬものである。
「……あたしさ、人間のこともっと知りたい。あやかしが勝手な想像で見下してる醜い生き物とは違うと思うから、この目で確かめたいの」
流花は照れくさそうにはにかみながら、みつを見据えた。
出会った当初の彼女は、こうではなかった。みつとの出会いや堕嵬の集落での経験が、視野を広げる足掛かりとなったのだ。
「流花ちゃん、ありがとうございます。人間もまた、言い伝えでしかあやかしの存在を知りません。本や芝居の題材にはなっているのですが、こわい役どころばかりで……可愛らしい流花ちゃんを見たら、きっと江戸の民も驚きます」
「えへへ、そうかな? あとあたしね、化け猫だけど本物の猫に会ったことないんだ。こっちには猫いないから……向こうで会えるかな?」
「すぐに会えると思います。猫は町のあちこちを歩いていますから。流花ちゃんでしたらきっと猫と仲良くなれますよ」
「わあ! うれしいな! みつも向こうで忙しいかもだから、息抜きにでもあたしに構ってね」
「そんな……できるだけ一緒にいるようにします。流花ちゃんが少しでも、人間を好きになってくれたら嬉しいです」
みつは、流花の両手をぎゅっと握りしめて心からの笑みを見せる。
みつ自身、一度は人間という存在に望みを失っている。
信じることが怖いし、何より大切な磨徒や那岐や流花が、人間に失望してしまう結果になったらと思うと身がすくむ思いだ。
けれど、ここを乗り越えなければ磨徒の目指す共生の世は実現しない。
今やみつは、あやかしの頭領を支える妻である。その立場に恥じぬ行いをと、自らを戒めながら決意を新たにするのであった。
