薄幸の花嫁はあやかしの頭領に溺愛される

 心地よい鳥のさえずりとやわらかな朝陽に包まれて、みつは目を覚ました。
 ふわふわとくすぐったい幸福感が全身を包んでいる。
 寝起きのぼんやりとした頭で、いい朝だな、布団が気持ちいいなと寝返りをうつと、すぐとなりに磨徒の顔があった。

「みつ、おはよう。よく眠れたみたいだな」

 磨徒は優しく目を細めて、愛おしそうにみつの髪をすく。
 視線がぶつかった瞬間、みつは昨夜のことを思い出した。

「あわぁぁ……磨徒さま、申し訳ございませんっ! 私……眠ってしまって……!」

 二人で同じ布団へと入り、抱き合って子供を作ろうと話をした。
 子は何人ほしい、男の子だったら、女の子だったらと和やかに言葉を交わしながら、いつの間にか寝入ってしまっていた。
 せっかく夫婦の心が通いあったのに。本来ならば昨晩身を重ねるべきだった。
 激しい後悔と罪悪感がみつを襲う。

「ああ、気にしないでくれ。焦るつもりはない。これからいくらでも二人の時間はあるんだ。ゆっくりいこう」

「うう……でも残念で……ごめんなさい……」

「謝らないでくれ。そんな風に思ってもらえることが嬉しいよ。さて、そろそろ起きよう」

 みつの額にそっと口づけを落とし、磨徒は身を起こした。
 正確な時刻は分からないが、普段の起床時間はとうに過ぎているのだろうなと察しながら、みつももぞもぞと起き上がる。

「きっともう、朝餉の時刻は過ぎてしまっていますよね……すみません、今度からは起こしてくださって大丈夫ですので」

「お前の寝顔が可愛いので、起こせない。ずっと見ていたいと思ってしまう」

「うっ……そ、そんな……私、着替えて参りますっ!」

 耳まで真っ赤に染まるのを感じて、みつは布団から飛び出して隣室へと駆け込む。
 磨徒は恥じらうこともなくこそばゆい言葉を投げかけてくるので、反応に困ってしまう。
 しかし、長く夫婦を悩ませていたわだかまりが解けたことにより、みつの心も軽くなった。
 磨徒を心から信頼し、ついていこうと気持ちを新たにする。
 鏡の中の自分は、どこか照れ臭そうにはにかんでいた。

 


「みつ、昨夜の話を聞いて一つ思ったのだが」

 朝餉の膳に箸をのばしながら、磨徒がつぶやく。
 今や定番となった牛料理を満面の笑みで咀嚼していたみつは、はっとして顔を上げた。

「はい……何でございましょう?」

「菊太郎殿のことだ。その後どうなったのかは不明なのだろう?」

「そう……ですね。なきがらを認めたわけではありませんが、あの晩殺されたのだと思います。屋敷が全焼したことは、後日現場を見て確認しました」 
 
 焼死体はいくつか出てきたと聞いたが、男女の区別もつかない状態だったらしい。
 屋敷の周囲を包囲され、こちらは武器も持たず、床についていた者が多かった。
 あの晩に、兄を含めた一家全員を失ったと考えるのが自然だ。

「しかし、死体が菊太郎殿のものかは不明である以上、生き延びている可能性があると思うのだ」

 箸を置きまっすぐにみつを見据える磨徒は、慎重に言葉を選んでいる様子で緊迫感のある表情を崩さない。
 しかしみつにとって、もはやそんな希望にすがりつく段階はとうに過ぎていた。

「そう信じたいのはやまやまですが、もし兄が生き延びていたならば、親戚を頼った私をすぐに訪ねてきてくれたはずです。一切音沙汰がなかったということは……諦めるべきなのだと思います」

 たかの屋での生活に耐えながら、みつは幾度となく兄を想った。
 どうにかあの地獄の晩を潜り抜けて、生きていてはくれないかと。
 みつの頼る先が他にないことも菊太郎ならば分かるはずだ。いつか迎えにきてくれたらと、何度願ったか分からない。
 しかし、七年待ってもついぞ迎えは来なかった。
 諦める他に気持ちのやり場などあろうはずもなかったのだ。

「みつがそう考えるのは当然だ。それは分かっている。しかし、気になってな……一度、日の本を訪れてみようと思う」

「えっ、日の本を!? 磨徒様お一人で行かれるのですか……?」

「みつにも同行してほしいが、無理にとは言わない。思い出したくないことも多いだろう」

 みつは俯いて目をつむる。
 二度と日の本の土を踏むことはないだろうと思っていた。
 自ら切り捨てた場所だ。
 辛い思い出ばかりで、目を背けたくなる。
 しかし──。

「もし兄が生きていたとしたら、会って話がしたいです。それと……はなちゃんの様子も気になります。磨徒様が行かれるなら、私も共に参ります」

 凛とした眼差しで、みつは磨徒の瞳を射る。
 磨徒が信じてくれるなら、己も一縷の望みに賭けてみたい。
 たとえ兄が命を落としていたとしても、どのような最期であったかを知りたいと思った。

「みつ……ありがとう。では、大和に文を出そう。早ければ明日にはこちらに出向いてくれるだろう」

「はい。少し不安もありますが……でも、磨徒様と一緒なら怖くないです」

「安心してくれ。お前のそばを離れることはないし、何があろうと俺が守ると約束する」

「……ありがとうございます」

 二人はそっと柔らかに笑みを交わす。
 
 あやかしの妻として訪れる日の本は、果たしてどのように写るだろう。
 あの頃と何か違って見えるだろうか。
 今やみつは、あやかしの都を代表する磨徒の連れ合いとして、共に日の本との友好関係を築いていく立場だ。
 そう考えると一層気持ちが引き締まり、背筋が伸びる思いだった。