薄幸の花嫁はあやかしの頭領に溺愛される

 明け方。磨徒と凍城はヒトガタ狩りの首謀者とその取り巻き三名を捕縛し、嵬屋敷へと戻ってきた。
 不安を抱えながら二人の帰りを待ち、ほとんど一睡もできなかったみつは、玄関でわらじを脱ぐ彼らの元へと駆け寄った。

「お二人とも、お怪我はございませんか?」

 懐から肌身離さず持ち歩いている秘薬をとりだしながら、みつは彼らの身を案じて眉尻を下げた。

「ああ、大事ない。俺も大和も無傷だ」

 磨徒は立ち上がり、そっとみつの頭に大きな掌を添えてくれた。そのあたたかな体温が、張りつめた心を優しく包み込んでくれる。
 凍城は夫婦の顔を交互に見やると、何か言いたげにくすりと笑みを見せた。
 涙を見せ、いらぬ心配をかけてしまったばかりだ。夫婦関係について、凍城は磨徒と何か言葉を交わしたのだろうかと、みつは一人気恥ずかしさに身を縮めるのだった。

 その後、磨徒と凍城は罪人たちを牢へと押し込めて、幾重にも結界を張り厳重に監視体制を固めた。朝には日の本へとしょっぴいて行くらしい。
 人間である罪人は皆、日の本にて裁かれるとのこと。重い沙汰が下ることは間違いないだろう。
 部下から手痛い裏切りを受けた凍城は、忸怩たる思いに違いない。普段は陽気な彼が珍しく険しい顔をしている。
 
 一息つくと磨徒と凍城は、数名の従者を連れてふたたびあやかしの都へと下りていった。
 どうやら罪人たちによって集められたヒトガタの臓物が、たっぷり長持三つぶんも隠されていたらしい。
 本当に痛ましく、やるせない事件である。
 人間とあやかしの共生を心から願う磨徒と凍城にとって、身を裂かれるような苦痛を伴う一件となったに違いない。
 みつもまた、種族間の溝を深めるであろう此度の出来事に、深く心を痛めるのだった──。
  


「凍城様、どうかお気をつけて。またお会いできる日を心待ちにしております」

 あやかしの都と日の本を繋ぐ結界の前で、みつは深々と頭を下げる。
 これから凍城は、罪人を連れて日の本へと戻るところだ。
 磨徒と共に見送りに出ているのである。

「みつ殿、またすぐに顔を見せますので、その際はゆるりと話を致しましょう」

「はい。お待ちしておりますね」

「ああ、それと……何かご所望の品はございませんか? 好物など、何でもお持ちしますよ」

「ええと、それでしたら……私、あやかしの皆さまの為に役立つことをしたいと思っております。あやかしと人間の歴史についても学びたく。凍城様の蔵書より、何冊かお貸しいただけないでしょうか」

 凍城は、みつの知る限り誰よりもあやかしに関する知識に通じている。
 婚礼の儀に至るまで数日行動を供にしたが、質問をすれば、すぐさま分かりやすく答えてくれた。
 同じ人間として教えを請いたいと、みつは思った。

「殊勝なお心がけだ。もちろん、いくらでもお貸ししましょう。何冊か見繕って参ります」

「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

 みつが深々と頭を下げると、凍城は励ますように肩を叩いてくれた。
 すると、みつの隣で静かに会話を見守っていた磨徒が、神妙な面持ちで口を開いた。

「大和、俺は人間に歩み寄ることをやめない。必ず共生の世を作る。お前も、へこたれるなよ」

「…………ああ。此度の一件は俺の手落ちだからな、深く心に刻んでおく。人間の醜さに嫌気が差すが、これから共に種族間の意識を変えていこう。へこたれている場合じゃないな」

 空元気にも見えるが、凍城はわずかに口角を上げて笑ってくれた。
 みつが二人を知るずっと前から、彼らは一つの目標に向かって歩んできたのだ。それを支えられるようになりたいと、心から思うのだった。



 凍城を見送り、そのまま都の中心街にある嵬屋敷別邸にて傷病者の治療を行ったみつは、帰宅して更に秘薬の精製にも携わり、大忙しの一日を送った。
 めまぐるしく過ぎ行く日々。
 動いている時間は余計なことを考えずに済むため、みつは隙間なく夜まで予定を詰め込んだ。


 ひととおり仕事を片付け、風呂からあがったみつは、ようやく夫婦の居室へとたどり着いた。
 一日を戦い抜いた達成感と安堵感が、心地よく全身を包む。

「みつ、今日もよく働いてくれたな。ご苦労だった」

 二組敷いてある夜具の一方に正座し、書物に目を通していた磨徒が、柔らかく微笑みを見せる。
 みつの胸中が、ちくりと痛んだ。
 あの晩から、夜に二人きりで磨徒と顔を合わせるのが辛い。
 間が持たなくて、いたたまれなくて、逃げ出してしまいたい衝動に駆られる。

「旦那様も、今日一日お疲れ様でございました。ゆっくりお休みくださいね」

 懸命に作ってみせた笑顔の奥で、ばくばくと心臓が叫んでいる。
 向かい合って腰をおろすようにと、磨徒が軽く夜具を撫でてみせた。
 みつの心臓は、緊張と不安で擦りきれそうだった。

 
「少し話をしないか?」

 正座して向かい合うと、磨徒は穏やかに優しく、みつに語りかけた。
 低く、柔らかな声色だ。耳にするたび気持ちがあたたかくなる。
 しかし、先日情けなく涙を見せてしまったことで、言葉にできぬ気まずさが胸中に渦巻いている。返答に迷い、みつは俯く。

「……すまない。堕嵬の集落では、お前の気持ちを踏みにじるような真似をしてしまった」 

 磨徒が頭を下げると、みつはあわてて首を振った。

「いえ、とんでもございません! 私の方こそ、ずっと旦那様を傷つけてしまっていたと思います。申し訳ございません」

「俺は、みつに傷つけられたことなどない。月鬼のことを言っているのであれば、気に病まないでほしい。俺は、月鬼を愛するお前が好きなのだ」

「ですが……私は……」

 磨徒から子作りを拒絶されたことは確かなのだ。
 月鬼への想いに区切りをつけない限り、磨徒との進展が望めない。
 それは、今のみつにとって身を裂かれるような苦しみだった。

「俺は、世継ぎを欲していないわけではない。いずれはお前に俺の子を生んでほしい。しかし、その前にもっと理解したいのだ。月鬼という存在についてや、お前の過去について」

「私の過去など、取るに足らない粗末なものでございます。旦那様のお耳に入れる価値など……」

「月鬼に懸想するまでに何かがあったのだろう。俺は、ここに来る前のお前のことを何も知らない。だからこそ知りたい、理解したいのだ」

 己の過去など思い出したくもない。
 すべてを江戸に置いてきた。二度と振り返らぬよう蓋をした地獄の日々だ。
 みつの脳内に、みるみる吐き気をもよおす光景が広がっていく。
 磨徒に向けて語りたくないという思いと、ここで隠し遠そうとすればますます関係がこじれるという思いの狭間で激しく心が揺れ動く。 
 
「過去を語れば、旦那様は私を受け入れてくださるのでございますか?」

 みつの瞳に涙がにじむ。
 磨徒からふたたび拒絶の姿勢をとられることが、恐ろしくて仕方がない。
 どうすれば妻としてもっと歩み寄ることができるのか。
 考えても答えは出ず、折れそうな心を抱えて煩悶を続けていた。
 
 怯えた目を瞬かせて、向かい合う磨徒を見上げる。
 磨徒は優しく、慈しむような表情でみつを見つめながら、そっと彼女の頭を撫でた。

「そう固くならないでくれ。あの晩は子を成すことに迷いが生じてしまったが、俺は、今までもこれからも、お前自身を拒むことはない。すべてを受け入れたいからこそ、心の内を聞かせてほしいのだ」

 優しく穏やかな声色と、頭を撫でるあたたかな掌に、みつの胸奥がきゅっと切なく疼く。
 ぽろぽろと、涙がこぼれ落ちた。

(旦那様は、私のことを拒絶しているわけじゃない……受け入れるために、知ろうとしてくださっている)

 磨徒の姿勢が突き放すものではなく、歩み寄るものだと気づいたみつは、安堵からふっと力が抜ける。
 
 ──だとしたら、歩み寄らなければならない。自分自身も。
 
 目尻に浮かんでいた涙をぬぐい、顔を上げたみつはまっすぐに磨徒の瞳を見つめる。
 凛とした、意志の宿る眼差しだった。 
  
「お話します、すべて。私のことも、月鬼様のことも、知ってほしいです」