薄幸の花嫁はあやかしの頭領に溺愛される

「やぁやぁ、これは! みつ殿ではございませぬか」

 眼前まで歩み寄ってきた男は、長い黒髪を首もとで一つに結っており、着物の上から丈の長い陣羽織を羽織っている。
 背中に立派な拵えの刀を背負い、腰のあたりから下がっているのは三つの巾着。
 人懐っこさの垣間見える柔和な顔で、にこにこと微笑みかけてくる。

「あっ……凍城(とうじょう)様! お久しゅうございます」

 みつは眼前の男を知っていた。
 遠国奉行、凍城大和(とうじょうやまと)
 幕府の役人であり、あやかしの都との政治的交渉を取り仕切る凍城家当主である。
 日の本全土から集まってきた磨徒の嫁候補の一人一人と事前に面談し、細かに世話を焼いてくれた人間だ。
 婚姻に至るまで、あやかしの都に伝わるしきたりや嵬族の成り立ち、構成などを丁寧に解説してくれたのもこの男で、婚礼衣装をまとうその時まで親身になって傍らに侍っていてくれた事を、みつはよく覚えている。

「息災なご様子で何よりです。こちらでの生活はいかがですか? 悩みごとなどありませんか?」

「な、悩みごと……いえ、ございません。旦那様をはじめ、皆さま大変よくしてくださるので」

 磨徒との夜の関係について話すべきかと一瞬頭をよぎったが、さすがに呆れられるだろうと、みつは喉まで出かかった言葉を呑みこんだ。

「奥方様、コイツ、危ナイ。近寄ラナイ方ガイイ」

 警戒姿勢を崩さぬ亞荼が、二人の間に割って入ってきた。
 すると凍城はぱっと顔を綻ばせ、勢いよく亞荼を抱擁する。

「亞荼ちゃん! 今日も可愛いね! 俺に会えなくて寂しかった? 大丈夫、今夜は二人きりの時間を作るよ」

「オマエ嫌イ。離レロ」

「一回だけ俺に抱かせて。好きになってもらえる自信あるから」

「嫌イ。一生嫌イ」

 亞荼はばたばたと手足を動かすが、きつく抱擁を続ける凍城の腕から逃れるのは困難な様子だ。
 己の知る、どこまでも礼儀正しく親切な凍城の印象からかけ離れた目の前での言動に、みつはしばし呆然と立ち尽くしていた。
 が、亞荼には想う相手がいるのだ。これは良くないと、凍城を引き剥がしにかかる。

「凍城様、お控えください。亞荼様は嫁入り前のお体です」

「……はっ!? 亞荼ちゃん、俺以外に嫁ぐの!? 嘘だと言ってよ!」

 体は離したが、名残惜しい様子で亞荼の両肩に手をかける凍城は、情けなく表情をゆがめる。感情の振れ幅が大きすぎる。

 ここは方便で乗り切りましょうとみつが無言で訴えると、亞荼はかすかに頷いてみせた。

「亞荼、嫁グ。二度ト触ラナイデ」

「嘘だ……俺の亞荼ちゃんが……」

 現実を受け止めきれないといった絶望の表情で、凍城はその場に崩れ落ちた。
「オマエノジャナイ」と亞荼が呆れたように息をつく。
 みつは世話になった凍城にどんな言葉をかけるべきか悩み抜き、ただただ右往左往していた。

 
 
 ひとまず凍城と従者を嵬屋敷へと招き入れたみつは、二人をねぎらい、食事をふるまってもてなした。
 凍城は、屋敷の中ですれ違うすべてのあやかし女に対して、顔を見るなり手を握って口説き、肩を抱いたり腰に手を添えたりと、壊れた距離感を披露した。
 亞荼だけではなく、あやかしの女であれば誰でも標的になるのかと、みつはさすがに面食らっていた。

「申し訳ございません、奥方様。大和様はあやかしの女に目がなく……仕事はできるのですが、いかんせん女関係がただれていまして……」

 と、平謝りするのは凍城の従者片山だ。落ち着いた壮年の男である。
 その言葉に機嫌を損ねた様子もなく、凍城はけろりとした笑顔を見せる。

「いやぁ、みつ殿かたじけない。私はあやかしを妻に迎えたく、相手を探しておるのです」

「まぁ、そうだったのですね。嵬族以外に、人間とあやかしの間での婚姻は認められているのでしょうか?」

「現行、婚姻を縛る法はございません。しかし、あやかしの都は閉ざされており、我ら遠国奉行以外に立ち入りはできぬ仕組みになっております。そもそも大半の民は出会うことがないわけです」

 なるほど、とみつは頷き納得した。
 あやかしの存在自体は日の本の民にも広く知られているが、彼らの棲みかについては幕府の機密事項であり、公にされることはなかった。
 輿入れの際、凍城から受けた説明では「あやかしの世と人間の世の境界には強固な結界が幾重にも張り巡らされ、そこを通る術を知るのは遠国奉行と嵬族のみ」であるということだった。
 
「凍城様でしたら、あやかしの皆様とも分かりあえると思います。よきご縁がありますように」

「旧時代的なやり方では、両者に発展はありませんからね。もはやいがみ合っている場合ではございません。ゆくゆくは結界を取り払い、自由に行き来できるよう取り計らっていく必要があります」

「共生を目指したいと、旦那様もよく仰っています。私も賛成です」

「そう、共生。共存と調和。あやかしと人間は、手を取り合って生きていくことができるはずです。かつて……七百年前はそうだったのですから」

 凍城の言葉に、みつの心が震える。
 幕府の中にも磨徒と考えを同じくする人間がいるのだと、奮い立つ思いだった。
 そういえば堕嵬の集落で旦那様が言っていたなと、みつは思い出す。
 嵬族初代頭首について記された史書を、遠国奉行の友人から譲り受けたと。
 
 もしや、このお方が──。
 みつが口を開きかけたところで、部屋の障子が開いた。
 柔らかく微笑みながら敷居をまたぐのは、磨徒である。

「大和、よく来てくれた。ちょうど相談したいことがあった」

「磨徒! 俺もだ。話したいことがあってな。これから時間はあるか?」

「ああ、話そう。みつと片山殿もこのまま居てくれて構わない」

 親しげに言葉を交わす姿は、二人の付き合いの長さを感じさせるものだった。
 磨徒はみつのとなりに腰を下ろし、凍城と向かい合う形になった。

 考えを同じくする二人は、果たしてどのように語り合うのか。
 どちらが口火を切るのだろうかと、みつは胸を高鳴らせながら、続く第一声を待つのだった。