薄幸の花嫁はあやかしの頭領に溺愛される

 一行が堕嵬の途を脱出し、嵬屋敷に戻ってきた頃には、空は赤紫に染まっていた。
 目標通り日暮れ前に帰還することができ、それぞれが安堵の表情を浮かべている。
 磨徒が一人一人の肩を叩きねぎらいの言葉をかけると、その日は解散となった。


「みつ、今夜はこれから竜(たつ)族との会談がある。帰りは明日になるが、部屋周りの警固は厳重に固めておくので心配はいらない」

 堕嵬の集落を出た後、夫婦の会話を交わせぬままだったが、ようやく向かい合って話ができる。
 磨徒の表情は柔らかだが、対するみつに笑顔はなかった。
 すぐにこの場を発ってしまう夫を引き留めるように一瞬手を伸ばし、しかしそのまま空を掴んで力なく腕を下ろした。

「帰還したばかりですのに……今夜はお休みになられてはいかがですか?」

「約束していたことだからな。たいした疲れもないので、行ってくる。寂しい思いをさせるな、すまない」

 肩を落とすみつの頭をそっと撫でると、磨徒は足早に屋敷を後にするのだった。
 ぽつりと取り残されたみつは、両手で包み込むように胸を押さえて、しばし立ち尽くしていた。
 

 

「はぁ……」

 何度目の溜め息になるだろう。
 夫婦の居室に戻り、一人夕餉を済ませたみつは、悶々としながら夜具の上で頭を抱えていた。

(どうしよう。旦那様のお顔を直視できない……)

 思い出すのは昨夜の出来事だ。
 一日中頭の中で反芻しては、転がり回りたい衝動と戦っている。
 夫として誰よりも自分を大切にしてくれる磨徒の気持ちに応えたいと思うのは、おかしなことだろうか。
 初めこそ月鬼と磨徒を重ねていたが、両者は真逆の性質を持つ生き物だ。
 それを理解した今、どちらかに優劣をつけることはできない。どちらも己の中で大きな存在であると断言できる。
 しかし、二人とも大切だと言い張りながら磨徒と接するのは、やはりよくないことなのだろうとも思う。
 なにせ、本人から拒絶されたのだ。
 このままでは今後の夫婦生活は絶望的と言っていい。

(変わりたい、変えていきたい……磨徒様のために)

 月鬼はこれまでの人生に彩りを与えてくれた。心から感謝している。
 だが、目の前で笑みを向けてくれる夫を差し置いてまで追い続けるべき存在なのだろうか。
 そのことにずっと、頭を悩ませている。
 果たして、うまく月鬼への気持ちに折り合いをつけることはできるだろうか。 
  
  

「こんばんは、流花だよ。入っていい?」

 閉めきった障子の向こうから、ふいに声がかかった。見れば、猫耳と尻尾が目立つ影がひとつ。

「流花様、どうぞお入りください」

 立ち上がって障子を開ける。
 目の前に立つ流花は、一瞬もじもじと両手の指を動かしていたが、意を決したように口を開いた。

「今夜、一人なんでしょ。あたしここに泊めてもらうことにしたからさ……一緒に寝させて」

「わぁ、もちろん大歓迎です! ささ、どうぞお入りください。夜具を出しますね」

 てきぱきと美しく寝床を整えるみつに対して、流花は素直に謝意を伝えた。
 昨日とは別人のようにしおらしい態度だった。

「ありがとね、いろいろ……あたしみたいなのにも普通に接してくれて」

「まぁそんな。私の方こそ……人間ですから、あやかしの皆様からは嫌われて当然だと思っております。こうしてお話していただけることが嬉しいです」

「……普通はさ、自分のこと嫌いなヤツなんて好きになれないじゃん。あんたはどうして、あやかしにも優しいの?」

「私があやかしの皆様を嫌ってしまったら、仲良くなることができないからです。歩み寄って、誠意を見せて、それでもダメでしたら時間を置きます」

 みつの言葉に流花は目を瞬かせ、一瞬言葉を失う。
 理解できないと思われてもいいとみつは考えているが、今の流花ならば少しは分かってくれるかもしれない。
 二人はそのまま夜具の上に腰を下ろし、向かい合って話を続ける。

「磨徒にぃはさ、人間に優しいし仲良くしたがってるよね。正義感強いから、人間を傷つけるヤツも許さない」

「そうですね。旦那様は統治者でもありますから、種として共生共栄する道を探すことに注力されております。好き嫌いで物事をはかる立場にないのでしょう」

「……でも、今までの嵬族当主は、好き嫌いで何でも決めてたよ。人間だって当たり前に見下してた。だからあたしたちあやかしも、人間は踏みにじるものなんだって学んできた。磨徒にぃは本当に異質なの」

 人間は非力で浅ましい生き物であると、あやかしの都に住まう民は疑うことなく生きている……というのは、みつをはじめとした日の本の人間にとっても常識だ。
 磨徒のように人間を尊重し、対等に語り合おうと歩み寄るあやかしは極めて稀な存在だろう。

「能力の差や外見の違いはありますが、内なる部分は、人間とあやかしに差はないと思います。皆さまと接していく中で感じました。同じように悩み、喜ぶ生き物です。手を取り合って生きていくことは可能なはずです」

「うん……あたしさ、昔から当たり前にナギの顔見たらバカにしてた。人間とあやかしの混血には力がなくて性格も卑しいって聞いてたから。でも違う。堕嵬の集落に行ってはじめて分かった」

「堕嵬の集落の皆さまは、一様に深くお心を痛めていらっしゃいました。混血というだけで、悪意と蔑みの目を向けられてきたからだと思います。そうやって追い詰められたら、誰だって内にこもってしまうものです」

「そうだね。嫌われたら嫌い返すのは当たり前なんだよ。堕嵬の民の気持ちが分かっちゃって、それから自己嫌悪が止まらない」

 涙ぐむ流花の背を、みつはそっと優しく撫でる。

「お相手の気持ちに気づけたことは、ご立派だと思います。流花様はお優しい方です」

「ありがと……でもね、磨徒にぃにとって何より大切な相手のこと否定しながら、自分を好きになってもらおうなんて都合のいい話だったなって……反省してる。あたしって最低」

 肩を震わせ、やがて声を上げて流花は泣きはじめた。
 己の行いが相手を傷つけていたことに、みつも昨夜気づいたばかりだ。
 取り返しのつかないこれまでの言動を悔やみ、やり直したいと嘆く気持ちは痛いほど理解できる。

「これからは那岐様に真心をもって接していけばいい。それだけだと思います」

「ナギだけじゃないよ、あんたにもだよ……これから償っていけるかなぁ?」

 流花はぐすぐすと鼻をすすりながら、とめどなく流れ落ちる涙を両手でぬぐう。
 みつはやわらかく目を細め、うんうんとあやすように頷いてみせた。

「私はなんにも気にしておりませんし、流花様を嫌ってもおりませんよ。仲良くなれたら嬉しいです」

「……ほんと? 許してくれる?」

「許すもなにも、私は歩み寄りたいのですから」

 みつが流花の手を握る。涙と鼻水にまみれているが、気にもとめずに両手で優しく包み込む。
 流花は泣きながら笑みをみせて、震える声を絞り出した。
 
「ありがと……そして今までごめん。あんたと仲良くなりたい。友達になりたい」

「嬉しいです。私も、流花様とお友達になりたいです」

 互いに微笑み合えば、満たされない心の内にぽっと灯りがともるように感じた。
 みつにとって初めてできたあやかしの友人である。
 
「ねぇ、これからはみつって呼んでいい? あたしのことも呼び捨てでいいよ」
 
「わ、嬉しいです。どうぞお好きにお呼びください。ですが私、呼び捨てというのがどうしてもできない性分でして……あの、流花ちゃんと呼ばせていただいても?」

「あはは、いいよ! 改めてよろしくね、みつ」

「はい! よろしくお願いいたします、流花ちゃん」



 それからの二人は、それぞれ横になって夜具に包まれながら、さまざまな話をした。
 好きなものの話、磨徒の話、那岐の話──。
 話題は尽きず、夜は更けていく。

「いろいろ反省したからさ、磨徒にぃの側室になりたいって騒ぐのはやめる。もっと磨徒にぃにふさわしい生き方ができるように自分を変えていきたいの」

「そうでございますか……私は応援しますよ。大好きな方に受け入れてもらえる自分になりたいって気持ち、よく分かるので」

「ありがと。みつみたいに、磨徒にぃに大切にされたら幸せだろうな」

「う、あ、ありがとうございます」

 肯定も否定もできず、みつは硬直する。
 大切にされている自覚はあるが、自分のせいで夫婦として不完全な形におさまってしまっている。
 そんな罪悪感がつきまとって、気持ちが晴れないままだ。
 話題を変えようと、みつが言葉を続ける。

「明日、二人で那岐様の元を訪ねてみませんか? 私も那岐様と仲良くなりたいので、どんどん歩み寄りましょう」

「……嫌がらないかな?」

「最初は拒絶されるかもしれませんが、仲良くしたいと意思を伝えることは大切だと思うのです」

「そっか……そうだよね。じゃあ行ってみよっか」

「はい!」

 そうして頷き合うと、三人で何をしようかどこへ行こうかと話が弾む。
 会話を重ねるごとに、流花は本来素直で純粋な娘なのだということが分かる。
 聞けば年の頃も十六と、まだ若い。これからたくさんの物事に触れて成長していくのだろうと、みつは彼女の将来が楽しみになった。
 
 そしてそんな瑞々しい感性に触れて、みつは自らも磨徒との関係を見直してみようと決意した。
 そのためにまず向き合わなければならないのは、月鬼への想いである。
 何かを変えなければならないと、強く感じている。

(きちんと旦那様に向き合おう。私の気持ちが伝わるまで諦めない、これから挽回していくんだ)

 後悔を塗りつぶして、真心だけを抱えて走ろう。
 旦那様の笑顔が好きだから、二度と曇らせたくない。
 みつはぐっと、布団の中で拳を握りしめた。