薄幸の花嫁はあやかしの頭領に溺愛される

「嫌になっちまった。あやかしにも人間にも馴染めねぇ自分が」

 苦々しげに那岐が吐き出した。
 あやかし側からは迫害され、人間側にはすがる相手もいない。
 逃げ場のない状況に彼は苛立ち、それが破壊衝動につながっているのではないかと、みつは思った。かつての自分にどこか似ている。
 やがて、傍らの磨徒が沈痛な面持ちで頭を下げた。
 
「お前がみつを襲った日のことは、すまなかった。罰することをしなければ、あちこちで同じことが続くと思っていた。他の者に任せるより、俺自身が処断を下したかったのだが……お前にとって父の暴力を想起させるものだったかもしれない」

「はぁ? 謝るとこじゃねぇだろう。そこはべつに気にしてねぇし、受けるべくして受けた罰だ。しかもてめぇは、俺が弟だからって加減したじゃねぇか。本来なら死罪なのによ」

「あやかしの本能に抗えず、本意ではない行動だったのだろう? だとしたら俺は、お前を責めることはできない」

 良心の呵責に苛まれているのだろう、磨徒は膝の上で強く拳を握った。
 あやかしの本能について言葉を交わす時、磨徒がいつも苦しげに顔を歪めることに、みつは心を痛めていた。

「品行方正で人間びいきなてめぇが、何かしたのか?」

 那岐は婚礼の儀に参列していない。事情は知らないはずだ。
 人間とあやかしの混血は、基本的に祝いの席に顔を出す権利がないと聞いている。数百年、そうやって当たり前に冷遇されてきたのだろう。

「婚礼の儀の直前に、母上からリンカ酒をすすめられてな。一気に飲み干したが、わずかに人間の血の匂いがした。すぐに体が熱を持ちはじめ、頭のなかは煮えたぎるように熱かった。そのまま婚礼の儀に出た俺は、みつに対して取り返しのつかない事を……」

「リンカの実は真っ赤だからな。血を混ぜるにはもってこいだろうよ。そんで、何したんだよ?」

「みつの頭を踏みつけてしまった」

「おう、そんで?」

「……それだけだ」

「何だよ。てめぇにとっちゃ一大事だろうが、たいしたことねぇじゃねぇか。嵬族は人間の血に敏感だからな、普通なら食い殺すところまで行くぜ」

「加虐の衝動を抑え込むのに必死だった。傷だけはつけないようにと」

 磨徒の自白に驚いた表情を見せたのは那岐もだが、誰よりもそのとなりに座す朔夜だった。
 眉間に皺を寄せ、口もとに張りついた笑みが消える。

「ばかな。嵬族は人間の血の香を嗅ぐだけで正気を失い、肉を裂く衝動に抗えない。混血である私ですらそうだ。純血であり、人の血を飲み下した磨徒がそこまで本能を抑え込むことなど、できるわけがない」

「……いえ、抑え込めていないからこその失態でした」

「確かに頭を踏みつける行為自体は非難されるべきものだよ。しかしね、その話が本当なら君は本能に打ち勝ったといって差し支えないと思うよ」

 朔夜の言葉に、那岐は黙って頷いている。
 嵬族の純血種が、いかに人間に対して本能を隠しきれない生き物か、二人はよく知っている様子だ。
 人間を見るだけで正気を失い暴れまわったという雷我。彼は那岐の父であり、朔夜にとっては弟ということになる。
 身内の変貌を身近で見てきたからこそ、二人は信じられないのだろう。

「旦那様、私は本当に何も気にしておりません。本能に抗い、私を傷つけまいと一人戦ってらっしゃった旦那様を、どうして責められましょう」

 みつが柔らかく表情をほころばせて磨徒の背を撫でる。
 磨徒にはあやかしらしくないところがあると日頃から思ってはいたが、あやかしらしさを感じさせないということは、本能を理性で抑え込んでいるということだ。
 それがいかに難しく苦痛であるか、みつには想像も及ばない。しかしだからこそ感じるのだ、大切にされていると。

「みつ……ありがとう。いや、しかし、すまない。俺だけが罰を与えられていない」

「嵬の頭領を罰せられる奴なんぞいねぇよ。だから先代があんだけ好き放題やってきたんだ」

「……そうかもしれないな、ならば……」

 那岐の言葉に何かを刺激されたのか、磨徒は静かに目をつむり、両手の指を複雑に絡ませながら、短く詠唱をはじめた。
 すると彼を囲む三人が声をかけるより先に、磨徒の腹部を内側から突き破り、黒光りする鋭利な石柱が生えてきた。皮膚は勢いよく剥ぎ取られ、あたりに血が飛び散った。

「何だこれは、見たこともない術法だ……」 

 朔夜が石柱に手を掛け引き抜こうとするが、びくともしない。
 注視してみればそれはゆるやかに渦を巻き、ぐちゅぐちゅと音を立てて、磨徒の体をえぐり続けている。耐え難い苦痛が伴うだろう。

「俺を罰する者がいないのなら、自ら処断を下すまでです」

 青ざめた顔で、磨徒はわずかに口もとを歪めた。
 肉をえぐる石柱が一本、二本と増えていく。まるで生き物のようにぐりぐりと動きながら、血をしぼりとっていく。

「旦那様、もうやめてください! お気持ちは十分分かりました! お願いですから……!」

 磨徒にすがりつき、みつが悲痛な声をあげる。
 ぐっと体が密着したことにより、動き回る石柱がみつの柔肌にわずかに食い込んだ。
 我に返った様子の磨徒は、すぐさま両手で結んでいた印をほどく。
 すると、みるみるうちにすべての石柱が消えていく。
 残るのはぐちゃぐちゃに裂かれた傷跡だけだが、嵬の純血種の自然治癒力はさすがなもので、瞬時に傷が塞がっていく。

 
「……気は済んだかよ?」

 那岐の問いかけに対して、磨徒は静かに頷いてみせた。
 抱え込んでいた気持ちを吐き出す行為は、精神的な負担を軽くするはずだ。
 磨徒があの日の罪悪感から解き放たれることを、誰よりもみつが望んでいる。

「すまない、俺の話になってしまったな。あらためて、那岐の気持ちを聞かせてほしい」

「おう」

 と、返答はあったものの、那岐はしばし思案するように黙り込んだ。
 長い静寂を挟み、やがて考えがまとまったのか、彼は畳の上に視線を落とす。

「俺は、嵬族の頭領に人間が嫁ぐ慣習を良く思ってねぇ。うまくいくわけがねぇと思うからだ」

 隣で深く相槌をうつのは朔夜だ。
 みつも、続きを促すべくぎこちなく頷いてみせる。

「力を振りかざして傲慢に振る舞うあやかしも嫌いだが、無力に飼い慣らされるだけの人間にも反吐が出る。共存なんてできるかよ、嵬族はあやかしの本能のままに七百年も人間の嫁を虐げてきたんだぜ」

 那岐は表情を変えずに淡々と言葉を紡いでいるが、強く握りしめた手のひらには深く爪が食い込んで、じわりと血が滲んでいた。

「俺は、あやかしの中で磨徒のことだけは認めてる。人間への接し方が他とは違うからだ。それでも嵬族の血をひいている以上、どこかで本能を振りかざして嫁を傷つけると思う。そんな姿を見たくねぇんだよ。失望したくねぇ」

「俺が本能に負けるようなことがあれば、那岐の手で殺してくれ」

 磨徒の目はどこまでもまっすぐに、那岐の双眸を射る。心からの訴えだということが伝わり、みつの胸奥がぎゅっと締め付けられた。
 那岐は呆れたように肩をすくめながら、口を開く。

「俺じゃてめぇにかなわねぇからな、面倒な役回りは御免だぜ。嫁のこと本気で考えてんなら、離縁してやれ。あやかしになんぞ関わらねぇほうが、人間は幸せだろ」

「離縁するつもりはない。俺がみつをめとったのは、慣例だからではない。みつとならば古い慣習や種族間のわだかまりを壊すことができると考えたからだ」

「嵬屋敷には人間を歓迎してねぇ奴もいる。必ずまた何か起こるぜ」

「周囲ごと変えていく。いや、もっと大きな枠組みで考えるべきだな。あやかしの世の習わしと常識を変えていくのだ」

 二人の話は平行線で、交わる様子がない。
 兄弟として互いを想う気持ちは確かなものだと、言葉の端々から伝わってくる。
 けれど両者の考えには大きな解離があると、みつは感じていた。それを繋ぎ合わせるのは至難のわざだろう。

「なんでいじめるんだって、なんで仲良くできねぇんだって、ガキの頃の俺は、先代の顔を見るたびに噛みついてた。先代一人が敵だと思ってた──けど違った。周囲は誰も助けてくれねぇし、見て見ぬふりだ。人間は虐げられて当然だとふんぞり返ってる。そんなモンだぜ、あやかしなんぞ。そうそう変わるわけがねぇ」

 那岐の母が受けてきた差別と暴力は、みつの想像も及ばない、目を背けたくなるような地獄の現実だ。
 二度と同じ悲劇が起こらないよう、世の仕組みと民の意識を変えていかなければと、みつは思う。
 しかし世界は、追い詰められ希望を失った者に手を差しのべるほど優しくはできていないとも思うのだ。
 かつてすべてを諦め、死人のように生きていた己の姿を忘れることはできない。那岐の心情だって痛いほど胸に突き刺さってくる。

 みつは煩悶し、うまく言葉を発することができなくなった。
 不安を張り付けた表情で、脇に座す磨徒を見上げる。
 どうか胸の中に立ち込めた暗雲を払ってほしい。それができるのは磨徒しかいないと、祈るような気持ちだった。
  
 
「……那岐、化本には書かれていない、嵬族初代当主の話を知っているか。あやかしと人間の婚姻を定めたのは、初代だ」

「化本の中で果敢に戦う姿は好きだが、悪習を広めた張本人なのかよ。虫酸が走るぜ」

「初代は、自らの意志で人間から嫁をめとった。仲睦まじい夫婦だったという。幕府との関係も良好で、あやかしの都には人間が出入りしていたし、あやかしもまた、人の世で働き口を得ることが珍しくなかった。七百年前、間違いなく人間とあやかしは共存していたのだ」

 那岐が眉をひそめながら、傍らの朔夜に視線を送る。
 朔夜もまた難しい顔をして黙り込んでいたが、やがておもむろに口を開く。

「それは初耳だな。詳しく話を聞かせてくれるかい?」

 磨徒は深く頷いてみせる。
 虫の声ひとつ響かぬ密室の中、じりじりと行灯の明かりだけがその存在を主張していた。