薄幸の花嫁はあやかしの頭領に溺愛される

 磨徒率いるあやかし一行が案内されたのは、集落の最奥にある大きな屋敷だった。
 周囲の家屋よりも広い敷地を有しており、部屋数も多そうだ。長の住まいよりもずっと立派である。

「久しいね、磨徒」

 屋敷の玄関に姿を見せたのは、長い黒髪と一本の角を持つ堕嵬の民。
 柔和な顔つきに、心が解きほぐされるような穏やかな声色をもった男だった。

「伯父上……! お久しゅうございます!」

 磨徒は突然の再会に一瞬息をのみ、そして大きく頭を下げる。

「妻をめとったそうだね、おめでとう」

「はい。私には過ぎたる妻にございます」

「私が君に失望する前に、帰ってほしいんだけどね、本当は」

 みつの方を振り返った磨徒を牽制するように、男は言葉を被せる。
 やわらかな笑顔のまま、言葉にのみ棘が光っていた。
 みつは、言い知れぬ圧迫感に言葉を失い俯いていた。顔を上げてはならぬ、この男と目を合わせてはならぬと、心が警鐘を鳴らしている。

「恐らく那岐がここを訪れたと思います。会わせていただけませんか?」

「帰りなさい」

 歩み寄る磨徒に、近づくなと言わんばかりの拒絶姿勢で、男は言い放つ。

「しかし伯父上、私は……」

「この集落に墜ちた者たちが、どんな葛藤を抱えて生きてきたか分からないだろう。理解してもらおうとも思わない。話し合いに意味などないよ。すべてを忘れ、君は表の世界を生きなさい」

 はりついた笑顔は今にもめくれあがり、仮面の下の憤怒を暴きそうだ。
 こんなにも怒りの感情に満ちているのに声だけが穏やかで、その食い違いが底知れぬ恐ろしさを感じさせる。

「長、先ほどは話を聞いてくださると仰いました。伯父上も交えてということでよろしいでしょうか?」

 少なからず困惑している様子の磨徒は、伯父の傍らに立つ長へと視線を向ける。
 先刻の顛末を伝えてもらうことができたら、幾分か警戒も解けるはずだ。
 が、長は難しい顔をしてゆるやかにかぶりを振った。

「今、集落を実質的にまとめ上げておるのは、この朔夜(さくや)じゃ。わしは朔夜の意見に従おう」

「我ら堕嵬の民は、和を信条としているからね。和を乱すあやかしとの関わりは遮断する。特に相手が嵬の頭領ともなればね……」

 朔夜の言葉には、有無を言わさぬ力が宿っている。
 しかしここで引くわけにはいかない。
 那岐が朔夜の屋敷に身をおいているであろうことは、みつにもなんとなく察しがつくのだ。

「我が父、雷我の世は終わりました。これよりはこの磨徒が、新たな時代を作り上げて参ります。人間とあやかしが互いに尊重しあえる世を」

「甘言を弄して我らを抱き込む算段かい? 見くびらないでほしいな」

「人間とあやかしの共生を目指すにあたり、あなた方堕嵬の民の協力は必要不可欠です。いずれは話をしたいと思っておりましたが、良き機会ですので、腹を割って意見を交わしたく思います」

 朔夜はうすく目を細めて、大きく息をついた。
 これ以上話をするのも煩わしいといった雰囲気だ。

「長老」

 堕嵬の長の背を押し、朔夜は庭先まで歩を進める。そうして二人でぼそぼそと何やら相談をはじめた。
 すぐさま話がついたようで、朔夜が玄関先へと戻ってくる。

「我らがいくら口を挟んでも平行線。那岐自身に意見を聞こう。彼が面会を拒否したら、その時は大人しく帰ってもらうよ」

「承知致しました」

「ひとまず中へ」
 
 磨徒が提案を受け入れると、朔夜は一行を屋敷の中へと案内する。
 山童子だけは、建物におさまる身長ではないので外で待つことになった。


  
 屋敷はあやかしの都における一般的な建築様式とは異なり、人間の暮らす家屋に近い造りをしていた。
 柱や瓦を紅色に染めるあやかしの建築ほど華美ではない。大人しく自然な色合いだ。
 みつはそれを懐かしく感じたが、磨徒をはじめとするほとんどのあやかしの目には、なんとももの侘しく映った。

 
 通された一室で、一行はようやく腰をおろすことができた。歩きっぱなしだった一日の奮闘を互いにねぎらう。

「みつ、長との対話の時はありがとう」

 疲れからふにゃりと床に溶けてしまいそうなみつの背中をぽんと優しくたたき、磨徒が微笑む。
 みつの背筋が瞬時にのびた。

「いえっ、そんな! 私は旦那様のお考えを少しは理解しているつもりですので……」

「それが嬉しいのだ。お前がいてくれて本当に助かったし、おかげで奮い立った」

「……那岐様とも、お話ができるといいですね」

「ああ。話したいことがたくさんある」

 ぽつぽつと言葉をかわす二人の間に、割って入る者はいない。
 流花も今は静かに俯いている。震えながら涙をこらえている様子から見るに、本能のまま人間を見下し罵倒してきた自覚があるのだろう。
 堕嵬の民たちに根付いたあやかしへの憤りと失望は、みつの心にも深く刻み込まれた。
 凄惨な歴史から学び道を正していくのは、今を生きる者としての責務であると感じている。
 嵬族頭領の妻として、その自覚がようやく芽生えつつあった。
 

  
 
 朔夜が再び顔を見せたのは、四半刻ほど過ぎた頃だった。
 障子を大きく開け、廊下へ向けて掌を差し出しながら口を開く。

「磨徒だけ残って。他は退室していただくよ。さあ、廊下へ」

 促されるがまま、あやかしの一行はぞろぞろと部屋を出ていく。
 流花が廊下へと出た瞬間、はっとして顔を上げる。

「ナギ!」

 流花の視線の先に目をやると、朔夜の背後の柱に体を預けて那岐が立っている。
 逆光で表情は見えないが、流花は続けて声を張り上げた。

「ナギ、ごめん! ひどいこと言ってごめん! あたし本当にいやな奴で」

「薄っぺらな言葉はいらないよ。黙って去りなさい」

 朔夜はバッサリと流花の言葉を遮り、静かに目を細めた。不機嫌なのだろう、冷たく刺すような声色からは殺意すら感じる。
 流花が何か言いたげにわずかに口を開くが、彼女を見下ろす朔夜の凄みに圧倒された様子で、廊下の向こうへと去っていった。
 最後に、みつが部屋を出る。
 深々と朔夜に一礼し、きびすを返そうとしたその時、那岐が彼女の手首を掴んだ。

「お前はいてもいい──いや、いてもらいたい」

「……あの、かまわないのですか?」

「いいっつってんだから居ろよ。ホラ、中入れ」

 目を丸くしながら磨徒のとなりに腰をおろすみつを眺めながら、朔夜はため息混じりに肩をすくめる。

「いいのかい? 人間がいても」

「人間だから居ていいんじゃねぇの、今は」

「そうかい。君がそう言うなら良しとしようか」

 くすりと笑みをもらして、朔夜は障子を閉めた。
 部屋の中央に座すのは四人。
 朔夜と那岐が横並びに座り、その向かいに磨徒とみつが正座している。
 ゆらゆらと薄暗い行灯の明かりは、やさしく心を落ち着かせてくれる。

「那岐、顔を見せてくれてありがとう。今の気持ちを聞かせてほしい」
 
 話を切り出したのは、磨徒からだった。
 やや前のめりになって語りかける彼の瞳には、強く揺るがない意志が宿っている。
 短く息をついた那岐が、やがて視線をそらしながらゆっくりと口をひらいた。