薄幸の花嫁はあやかしの頭領に溺愛される

「ふつつか者ですが、何卒よろしくお願いいたします」

 晩秋の夕刻。空気の張りつめた大広間の中央で、みつは三つ指をつき頭を垂れた。
 本日はめでたき祝いの席。
 人間であるみつが、あやかしの頭領へと嫁ぐ婚礼の儀が執り行われている。
 山の奥地に構えられた豪奢な邸宅の一室には多くの来賓が詰めかけているが、新婦であるみつに集中するのは、べとりと全身をなめ回し品定めするような無数の視線だった。

「頭が高いぞ」

 嫁入りの挨拶を終え、面を上げようとしたみつの頭頂を足蹴にして、上座に立つ男が獰猛な唸り声をあげた。
 畳に突っ伏したみつからはその表情は見えないが、頭上から獣のような息づかいが聞こえてくる。
 高圧的な言動で己を見下ろすこの男に、みつはこれから嫁ごうというところだ。

  
「磨徒(まと)様、以上で婚礼の儀は仕舞いにございます」

「ああ」

 磨徒と呼ばれたあやかしの長は半年ほど前に家督を継いだばかりで、年の頃は二十六と聞いている。
 二本の角、尖った耳に白髪。額にはあやかしの頭領たる嵬(かい)族の紋様が浮かんでいる。
 束帯に似た和装に身を包み、涼やかな目元の端正な顔立ちだ。
 磨徒が足を下ろし、ふたたび上座に座ってもなお、みつは体勢をくずさない。
 質の細い黒髪を編み込んだみつの晴れやかな結い髪は、無様に乱れていた。
 

「お滝、この者を俺の部屋に案内しろ。俺は先に部屋で待つ」

 そう伝えると、磨徒はみつに一瞥もくれることなく部屋を出ていった。
 お滝と呼ばれたのは、白蛇のあやかしだ。
 上半身だけは人の形に近いが、着物の裾からうねうねと伸びる下半身は、蛇そのものだった。

「私の後を」

 そう声をかけてお滝が部屋を出ると、みつもそれに続く。
 歩きながら、みつはそっと乱れた髪を整えた。

「奥方様は、我らが怖くはありませぬか?」

 にこにこと廊下を渡るみつの顔を覗き込みながら、お滝が尋ねた。
 みつはその笑顔を崩すことなく、穏やかな声色で言葉を返す。

「怖くはありません。仲良くしたいです」

「変わったお方でございますねぇ。けれど、そのようなご気性を磨徒様は買われたのだと思います」

「そうなのでしょうか。お嫁さん候補がたくさんいた中で、私を選んでいただけたことが光栄で」

 みつは両手を胸の前で合わせながら、ふわりと笑みを見せる。
 みつが齢二十三を迎えた今年の秋口、お上から日の本全土にお触れが出た。
 曰く「日の本のあやかしを統べる嵬族の嫡男がこの度家督を継がれた。七百年続く種族間の取り決めにより、人間の女を妻として迎えることとなる。よってその志願者を募る」とのことだった。
 みつもその募集に志願した女の一人で、二百人の候補者の中から見事選出され、今日に至る。

(顔合わせの時は穏やかな印象だったけれど……今日はご機嫌ななめなのかしら?)

 先刻の磨徒の鬼気迫る形相は、初顔合わせの時に感じた印象とは正反対だった。
 みつは小首を傾げながらも、あやかしとは本来人間を嫌うものだと己を納得させた。
 
 

「あやかしの皆さまは、普段はいずこにおられるのですか?」

 お滝について長い廊下を歩きながら、みつは庭先に目をやる。
 池の中には美しい蒼をまとった、尾ひれの長い魚が泳いでいる。
 庭木も美しく手入れされており、細部に至るまで庭師の心配りが感じられる。
 広大な敷地に立つ屋敷は、みつが江戸にいた頃に見た天守つきの城のように高さはないが、横に広く造られている。
 人間の世の建物との違いは、柱から障子の桟まで、至るところに鮮やかな紅が使われていることだ。

「皆、都の中に住まいを構えておりますね。あやかしの都は、人里から離れた山裾を入り口として、結界の中に広がっております」

「さぞ賑やかなのでしょうね」

「それはそうなのですが……基本的に嵬族に嫁がれた人間の奥方は、屋敷の外へお出でになることはありません。ご実家への道のりも、二度とは歩めぬものとお覚悟ください」

「そうですか……構いません。私は人間の世を捨てて参りましたので」

 どこか達観したところのあるみつの佇まいに、お滝は面食らったようにまばたきをする。
 対するみつはすっきりとした面持ちで悠々と歩みを進めていく。

 
「さて、こちらが磨徒様の居室にございます。これよりは、お二人で」

 深々と頭を下げ、するすると身をくねらせながら、お滝は廊下の向こうへと姿を消した。
 みつは締め切られた障子に向き合い、深呼吸する。
 そして着物の裾を折り正座すると、障子ごしに頭を下げた。

「旦那様、みつに御座います。ふつつか者ですが、何とぞよろしくお願いいたします」

「入ってくれ」

 氷柱のごとく鋭い声色が室内から漏れる。一言返事をして、みつは敷居をまたいだ。
 床の間を背にして、磨徒が座している。
 先ほどは立て膝だったが、今は正座で両膝に掌を乗せている。
 随分雰囲気が違うもので、みつは一瞬目を見開いた。

「俺の前に座ってくれ」

「はい。失礼いたします」

 対峙した磨徒は、憑き物が落ちたように穏やかだ。声を荒げることもなく、静かにみつを見据えている。 
 しばしの沈黙のあと、両者同時に口を開いた。

「謝りたいことがございます」
「謝りたい事がある」

 かち合った視線は、双方わずかにおよいでいた。驚きと戸惑いの色を含んでいる。

「何だ、謝りたい事とは」

「いえ、旦那様からどうぞ」

「俺は後で構わん。話してくれ」

 みつは再度譲ろうとするが、磨徒の射るような視線に捉えられ、口をつぐむ。
 そうして一息つくと、意を決して磨徒を見据え、言葉を吐き出した。

「私は天明春待月(てんめいはるまちづき)という読本に夢中でございまして、家業の手伝いがない時間はいつもそれらを読み、過ごしておりました」

「ふむ……?」

 磨徒は怪訝な顔で眉根を寄せる。しかし、みつの話は止まらない。

「天明春待月には、あやかしの皆様を模した物の怪が登場致します。その物の怪の頭領が、月鬼(げき)様でございます。気高く、自信に満ち溢れ、時に傲慢に、時に猟奇的に振る舞うそのお姿は、私の理想そのものなのです」

「おいちょっと待」

「私は月鬼様が好きです! 心から愛しております! 四六時中月鬼様のことを考え、実在しない存在だと知りながらも恋い焦がれておりました!!」

「一旦止ま」

「月鬼様以外に嫁ぐつもりはございませんでしたが、この度、あやかしの頭領である旦那様が奥方を募っているとの話を聞き、私の望む婚礼にたどり着く機会はここしかないと、すがりついた次第にございます!」

 矢継ぎ早に語り終えたみつは、息を整えて頭を下げた。

「旦那様に、月鬼様を重ねておりました。大変なご無礼、心よりお詫び致します。ご処断はお任せ致します」

 場に沈黙が走る。長時間におよぶ静寂。
 それを破る口火を切ったのは、磨徒だった。

「つまり、こういうことか? お前には想う相手がおり、その者は存在せぬと……?」

 口に出しながら、やはり何を言っているのか分からなくなったのだろう。磨徒は顎に手を当てて首をひねった。
 存外愛らしい仕草をなさると、みつはしばし呆気にとられる。
 しかしながら、相手は人間に対する嗜虐心に満ちたあやかしである。
 己の働いた無礼が死に直結するものであることは覚悟の上。
 みつはただただその処断を待ち、表情を固くする。

「本の中に、彼は生きております」

 生きる全てであった読本を捨て、人間としての生活までも捨て、みつはあやかしの都に嫁いできた。
 されど、心の奥底に熱く沸き立つ月鬼への気持ちは止められない。

「話をすることも、触れることもできぬ相手を好いているのか」

「構わないんです。お会いしたこともない、お話したこともないお方ですが、私は月鬼様を想うだけで幸せです」

 みつがうっすらと笑みを見せると、磨徒は額をおさえて大きく息を吐いた。
 みつははなから理解を得ようとは考えていない。呆れられ、怒りをぶつけられて当然だと覚悟している。
 しかし、ここで打ち明けておきたかったのだ。
 深々と頭を垂れたまま神妙な面持ちで磨徒の言葉を待つみつは、秒読みの死を待つ罪人のようだった。