ヒロインになれなかった私の、序章みたいな恋の話


「ご清聴、ありがとうございました」

 私はそれっぽく、ぺこりと頭を下げてみせた。

「大森先輩も、いろいろ経験してるんですねえ」

 向かいに座っている二つ下の後輩──坂口くんが空になったグラスを傾けながらため息をつくように言った。
 彼とは同じ部署で、仲良くなったきっかけは、好きなゲームが一緒だったから。たまにオンラインでパーティーを組んで、モンスターを狩りにいってる仲だ。
 
「ね。笑い話でしょ」
「笑い話にしていいやつですか、それ」
「いいんだよ。笑ってくれなきゃ本当にただの痛い女じゃん」

 私はそう答えて、残りのレモンサワーを飲み干した。

「こんなに赤裸々に語ったんだから、いい記事書いてよね」
「プレッシャー与えないでくださいよ。っていうか、なんで男の俺が恋愛コラムなんですか」
「いいじゃん、これも経験だよ、経験」
「いや、それ言うなら先輩がやったほうが絶対いいですって」
「私はもう散々書いてきたもん」

 なんて会話を交わしながら、私たちは会計の準備を済ませた。先に伝票を取ったのは、私。
 持ってレジに向かうと、坂口くんが横から覗き込む。

「いくらですか」
「いいよ、別に。先輩だし」
「いや、関係ないですよ」
「いいからいいから」

 坂口くんが財布に手をかける前に、私は支払いを済ませた。

 外に出ると、少し冷たい夜風が頬を撫でた。
 九月の下旬。昼間はまだ暑いけれど、夜はすっかり秋の気配を帯びている。さっきまでの浮わついた気持ちを静めるように、酔いがほんの少しずつ覚めていった。
 
「ごちそうさまでした」
「いいえ」
「次は俺が奢ります。いろいろ話も聞かせてもらったので」
「それ、逆じゃない? 話を聞いてもらったから私が奢るんでしょ」
「逆じゃないです」

 きっぱり言い切られて、思わず笑ってしまう。
 いつもみたいに、そのまま並んで歩き出した。
 
「先輩って、告白されたことないって言ってましたけど、今までの彼氏はどうやって?」
「あれれ、もしかして記事のネタにする感じ?」
「いえ……参考までに」

 ちょっとだけ言いにくそうに、ぼそりと呟く坂口くん。
 わずかに唇をとがらせたような表情に、私は小さく笑った。

「成り行きっていうか、気づいたらっていうか。あるじゃん、そういう雰囲気」
「ああ……まあ、ありますね」
「結局のところさ。純粋な、私の片想いから成就した恋ってないんだよね。告白もしてないし、告白もされてない。なあなあに付き合って、なあなあなに別れる。その繰り返し」

 ちょうど信号が赤に変わって、私たちは足を止めた。
 隣に立つ坂口くんとの距離が、さっきより少しだけ近い気がする。その隙間を埋めるように、夜風が通り過ぎた。
 
「ちゃんと始まる恋って、どんな感じなんだろうね」

 独り言みたいにこぼした言葉は、動き出した車の音にかき消されたように思えた。

「先輩は……さっきしてくれた話、どんな恋だったと思いますか」
「えー、それ本人に聞いちゃう? 今度、坂口くんが書くテーマでしょ。『〇〇みたいな恋だった』って」
「答え合わせがしたくて」
「あはは。坂口くんの中ではもう答えが出てるのか」

 ひとつ笑いを落として、ちょっとだけ真剣に考えてみる。

「なんだろう。『道化』はなんか違うしなあ。うーん。『空回り』は、まんますぎるな。……あ、『徒花(あだばな)』とかは? 花を咲かせても実らずに散っちゃうから、私の恋と一緒じゃん」
「悪くないと思いますけど、違います」
「えー、違うの? じゃあね……わかった、『裸の王様』。『裸の王様みたいな恋だった』とか」

 我ながら、ひどい例えで、いい例えだと思う。
 話の本質は違うかもしれないけど。自分のことばっかりで、都合のいいように解釈して、周りもそんな私に気を使ってくれてって意味では、しっくりくる。
 だけど、坂口くんは少しだけ眉をひそめて、首を横に振った。

「全然、そんなんじゃないです」
「じゃあ、どんなの?」
「『ヒロインになれなかった私の、勝ちヒロインになるまでの序章みたいな恋だった』です」
「っふふ……。なに、そのラノベのタイトルみたいな恋」

 想像の斜め上の例えに、軽く吹き出してまう。

「それに、いつ私が勝ちヒロインになったのよ」
「これからじゃないですか」

 さらりと言う坂口くん。

「あはは。私は嫌いじゃないけど、絶対ボツにされるやつだよ」

 信号が青に変わっている。
 一歩踏み出そうとしたとき、腕を掴まれた。

「どうしたの? なんか忘れ物でもした?」

 振り返ると、坂口くんが私の腕を掴んだまま、少しだけうつむいていた。

「忘れ物じゃないです。さっきの、答え合わせの続きです」
「続き?」
「俺は、先輩がヒロインになるところ……見たいです」

 腕を掴んでいる彼の手に、少しだけ力がこもった。
 冗談みたいな言い方なのに、どうしてか全然笑えない。だって、顔を上げた坂口くんは、すごく真剣な目で私を見つめたんだから。

「……それ、記事のネタ?」

 なんとか軽口を返す。でも、坂口くんは首を振った。

「違います」

 一歩、距離が近づく。

「俺が、そうしたいだけです」

 ほんの少しだけ視線を逸らして、すぐにこちらに戻した。

「だから……俺と、ちゃんと始めませんか」
「……なにを」
「恋」

 その一言が耳に触れた瞬間、世界の音が遠くなった。
 賑やかな人の話し声も、車の走る音も、全部が別世界に弾けてしまったみたいに。

「俺、先輩が好きです」

 まっすぐに、迷いなく告げられた。
 坂口くんの声は少し震えてて、街灯がわずかに赤らんだ頬を照らしている。
 胸の奥がぎゅっと掴まれたみたいだった。

「……え」

 信号が、また赤に変わった。

「そんな、私なんて……。あ、もしかして同情してくれた? さっきの話、ちょっと重かったもんね」

 信じられなかった。だって、こんなのドラマとか漫画でよくある王道ヒロインみたいな展開じゃないか。
   
「本気です。だから、今はぐらかさないでください」
「その、私……」

 どうしたらいいんだろう。こんなふうに、まっすぐに気持ちをぶつけられたのなんて初めてだ。
 坂口くんを、そういう目で見たことなんてなかったのに。断ろうと思えば、断れるはずなのに。
 なのに、どうしてか言葉が出てこない。
 
 断ったら、坂口くんは傷ついてしまう。
 だけど、それとは別に、断りきれない自分もいる。初めて告白されて、心の片隅では舞い上がっているのかもしれない。
 身勝手な感情に気づいてしまって、余計に戸惑う。
 
「先輩が俺のこと恋愛対象として見てないのはわかってます。でも……」

 坂口くんは、一度だけ息を整えるみたいに間を置いた。
 
「諦めるつもりは、ありません。先輩、これで俺のこと意識してくれますよね。後輩じゃなくて、ひとりの男として見てくれますよね」
「それは……、まあ……」
「俺、絶対に先輩のこと振り向かせてみせますから」

 彼の頬が、真っ赤に染まっていた。赤いランプのせいじゃないと思う。
 そしてたぶん、私の頬も坂口くんと同じだった。

「坂口くん、なんか漫画に出てくるヒーローみたい」
「先輩がヒロインになるなら……その隣にいるヒーローは俺しかいないでしょ」

 照れ隠しのように、彼は笑った。つられて私も、くすりと笑う。

 ──ああ、そっか。

 こうやって始まるのかもしれない。
 ごまかしも、なあなあもなくて。
 ちゃんとした“恋”は。こうやって動き出すんだ。

「……ずるいよ、そういうの」

 小さく呟いて、でも──掴まれている手を、振りほどくことはしなかった。

「先輩……俺のことフッてもいいですけど『弟にしか見えない』だけは言わないでくださいね」
「それはさすがに言わないよ。トラウマになるでしょ」

 あはは、と笑い合う。

 信号が、青に変わった。
 今度はふたり並んだまま、同じ歩幅で一緒に踏み出した。

 隣にいるのは、年下なのに私よりゲームが上手くて、私より少しだけ背が高くて、私より大きくて骨ばった手をしてる男の子。
 そんな彼を弟として見るには、ちょっと無理があるかもしれない。

「沙織さん、大好きです」
「なっ……!?」
「あ、照れました?」
「そんな不意打ちされたらリアクションに困るよ!」
「あはは。沙織さんを振り向かせるって言ったからには、俺、頑張りますから」
「ええ……心臓もたなそう」
「じゃあ早く、俺のヒロインになってくださいね」
「……ずるいなあ、もう」

 そう呟きながら、私は前を向く。
 坂口くんは、どこか満足したように笑っていた。



 今までの恋は、きっと──そう、ちょうどラノベのタイトルみたいな。
 ヒロインになれなかった私が、いつか本物のヒロインになるための序章みたいな恋。だったんだ。