愛って呼んでいい?

 校舎裏で「俺のにする」宣告を受けてから、おれの脳内は完全にオーバーヒート中。
 午後の授業なんて、先生の声が遠くのBGMにしか聞こえない。

 『俺のにするけど』
 『後悔しても遅いからな』

 あの声。あの顔。
 リピート再生が止まらない。

 あれ、現実だったっけ。
 もしかして、全部夢?
 ていうかあれ、どういう意味?
 愛先輩もおれのこと、好きってこと?
 それとも、ついに「監視下に置くわ」っていう飼育宣言?

 考えれば考えるほど、昼休みが白昼夢だった気がしてくる。
 愛先輩を好きすぎるおれが見た、都合のいい幻覚だったんじゃないか。
 ……いや、あり得る。おれの脳内、愛先輩でいっぱいだし。


 放課後、うさぎ小屋に向かう足取りが、いつになく重い。
 もし、愛先輩がいなかったら……。

 校舎の角を曲がって、おそるおそる覗く。

 「遅い」

 いた。
 制服の袖を捲った愛先輩が、いつもの場所に立ってる。
 おれの顔を見た瞬間、瞳がふっと柔らかくなった。
 昼休みのトゲトゲが消えてる。

 「愛、先輩……」

 「なんだよ、そんな幽霊でも見たみたいな顔して」

 「来ないかと思ってました。嫌われて、当番、代わってもらってたりしたらどうしようって、ずっと……」

 正直に打ち明けたら、愛先輩は一瞬だけ呆れた顔をした。
 それから、今日一番の優しい手つきでおれの頭をぽん、と叩く。

 「バカなこと考えてんじゃねーよ。代わるわけないだろ」

 「……でも、さっきの」

 中庭で言われた言葉が、ずっと喉の奥に引っかかってる。
 おれは愛先輩のシャツの裾を、ぎゅっと掴んだ。

 「『俺のにする』って……それ、どういう意味ですか。愛先輩も、おれのこと、……っ」

 言いかけた言葉は、唇に触れた柔らかな感触に遮られた。

 今、何が起きた?
 目の前に、愛先輩の綺麗な顔。
 ふわりと、愛先輩のいい匂い。

 ちゅっ、と小さな音がして離れたそれは、おれの脳を沸騰させるのに十分すぎる衝撃だった。

 「……こういうことだけど、まだ分かんない?」

 悪戯っぽいのに、必死な瞳でおれを見てる。
 今度こそ完全に、熱暴走。
 たぶん今の顔、ゆでだこを通り越してマグマになってると思う。

 「……これ、おれの夢じゃないですよね」

 「夢でこんなことするわけないだろ。お前、やっぱり分かってなかったじゃねーか」

 ピンと指で額を弾かれる。
 痛い。あ、夢じゃない。

 「よかった……。うさぎ、寂しいと死ぬって言うじゃないですか」

 「それ、迷信だろ」

 「おれ、昨日まで本当に寂しくて干からびそうでした」

 「は?」

 「昼休みのおれ、干物になってませんでした?」

 大真面目に聞いたら、愛先輩は一瞬だけ絶句した。
 そのまま、耐えきれないって感じで手で顔を覆う。

 「……っ、お前……本当に、……可愛すぎるだろ……」

 「干物、可愛いですか?」

 「……黙って掃除しろ」

 愛先輩は、少しだけ視線を逸らしたあと、誤魔化すみたいに、小屋の鍵を開けた。

 箒を受け取った瞬間、嬉しさが爆発した。
 嬉しすぎて鼻歌が出そう。
 というか、このまま箒をブンブン振り回して、全力で喜びを表現したい。

 今のおれなら、この箒に乗って空だって飛べる。
 魔法少女になれる。今なら絶対になれる。

 そんな無敵の魔法にかかった気分で、柵の中へ。

 いつもの、うさぎたちの楽園。
 おれの足元に、ふわふわが次々と集まってくる。

 「あ、また……。みんな、お腹空いてた?」

 しゃがみ込むと、うさぎたちが膝の上も腕の中も占領しにくる。
 おれ、人気者かも。もふもふパラダイス。癒やされる……。

 「愛先輩、見てください」

 おれがデレデレしてたら、愛先輩が不意に黙り込んだ。
 じーっと、うさぎを見て、おれを見る。……目が、全然笑ってない。

 「お前、それなんとかなんねーの」

 「え?」

 「うさぎ相手にデレデレすんな。早くやれ」

 また声が低くなった。
 そのまま、乱暴に地面を掃き始める。
 ……うわ。おれ、またやらかした?

 「……すみません。ちゃんとやります」

 本気で落ち込んで、うさぎを膝から降ろした。
 おれが眉を下げて見上げると、愛先輩は持っていた箒をいきなり放り出した。

 「……違う、ごめん。今のは俺が悪かった」

 おれの目の前にしゃがみ込んで、目線を合わせてくる。

 「そんな顔すんな。俺がただ、うさぎに嫉妬してるだけだって気づけよ」

 耳を疑った。え、今、なんて?

 「うさぎに……?」

 「そうだよ。お前の視線が俺以外に向いてるのが気に入らねーんだよ。うさぎに嫉妬って、ほんと終わってるよな」

 自嘲気味に笑う愛先輩。
 今まで見たどんなクールな顔より、今の方がおれの心臓を射抜いてくる。

 「そこ、どけ」

 愛先輩は、おれの足元にいた一匹をひょいと持ち上げて、隅っこへ移動させた。

 「うさぎに言ったんですか?」

 「俺の場所だし」

 強引すぎる。
 うさぎを追い出しておれの隣に、ぐいっと腰を下ろした。
 狭いうさぎ小屋の隅っこ。肩と肩が密着する。

 「龍之介」

 おれの肩を抱き寄せて、耳元で、熱い吐息が囁く。

 「俺以外に、そんな顔見せんの禁止。うさぎ相手でも、ダメ」

 「わがままですね」

 「お前のせいだろ。責任取れよ」

 鼓膜が熱い。
 足元でうさぎたちが不思議そうに鼻をヒクヒクさせてるけど、今の愛先輩にはそれすら見えてないみたいだ。

 おれを抱きしめる愛先輩の腕に、そっと手を添える。
 干からびてた心が、愛先輩の熱で、ゆっくり、幸せに満たされていく。

 「おれ、うさぎより愛先輩のほうが、百万倍好きです」

 おれが微笑んだら、愛先輩は「……お前、ほんと……」って、溶けそうな声で呟いた。
 それから、また優しくおれの頬をつねる。

 夕暮れの飼育小屋。
 このまま世界が、愛先輩とおれだけになればいいのに。
 本気でそう願った。