愛って呼んでいい?

 ついに水曜日が来てしまった。
 空はムカつくくらいの快晴。
 なのに、おれの心だけは分厚い雲に覆われたまま。

 教室で平野たちと食べるのもなんか落ち着かなくて、気づけばお弁当を持って一人で中庭に出ていた。

 ……あ。ここ、愛先輩と初めてお昼食べた場所じゃん。
 完全に無意識。おれの体、愛先輩のこと覚えすぎ。

 ベンチに座ると、半分こしたパンの味とか、おれの髪をくしゃくしゃにした手のひらの温度が蘇ってきて、余計に胸が苦しくなる。

 「……はぁ」

 ため息が出る。
 それを誤魔化そうと、箸を持ち上げた、そのとき。

 「あれっ、龍之介くんじゃん! どしたの、こんなところで一人?」

 頭上から降ってきた明るい声に肩がびくん、と跳ねた。

 顔を上げると、そこには愛先輩の隣にいつもいる、陽のオーラを纏った先輩二人。

 髪の明るい山田(やまだ)先輩と、ツンツンヘアの里中(さとなか)先輩。
 二人は、ニヤニヤしながらおれを見ていた。

 「あ……こんにちは」

 「こんにちは~。ね、最近、明宮のとこ来てないじゃん。喧嘩でもした?」

 「アイツ、マジで最近機嫌悪いんだよね」

 「そう、なんですか?」

 「そうそう。龍之介くんが来なくなってから、あいつの塩対応、増量キャンペーン中」

 「冷気出してるレベル。ガチ冬なんだけど」

 里中先輩が笑いながら、おれの隣の狭いスペースに強引に座ってきた。
 反対側には山田先輩。

 「なあ、そんな寂しそうな顔すんなよ」

 ひょい、と里中先輩の手がおれの肩に回された。

 「明宮が冷たいならさ、おにーさんたちが遊んであげよっか?」

 「え……大丈夫です」

 「遠慮すんなって」

 今度は、反対側の山田先輩がぐいっと顔を近づけてくる。

 「龍之介くんって本当にお肌もちもち赤ちゃんだよね。ちょっと触らせて?」

 面白がるように、おれの頬を指先でつつこうとしてくる。

 愛先輩に触られたときの、あの落ち着く感じじゃない。
 無意識に体を縮めていた。

 そのときだった。

 「何してんの、お前ら」

 低くて、底冷えするような声。
 顔を上げた瞬間、そこにいたのは愛先輩だった。

 いつも余裕たっぷりなはずの顔が、今は信じられないくらい険しい。
 目が、笑ってない。

 「あ、明宮! いや~、龍之介くんがあんまり可愛いからさ──」
 「そうそう! 別にいじめてるわけじゃ──」

 「触んな。汚い」

 「汚いってひどくね⁉」

 愛先輩は里中先輩の腕を乱暴に振り払う。
 そのまま、おれのことを隠すみたいに、前に立った。
 いつもより背中が大きく、怒ってるみたいに見える。怖いくらいだ。

 「次触ったら、殺すぞ」

 冗談に聞こえない、ガチの殺気。
 さっきまでニヤニヤしてた二人が、「あ、……悪い」って真っ青になって後退りする。

 愛先輩は二人を無視して、おれの方だけを見てる。
 そして、腕を掴まれた。

 「龍之介、来い」

 「え、愛、先ぱ……っ」

 熱くて、少しだけ震えてる大きな手。
 お弁当を片付ける暇もくれない。
 おれはそのまま引きずられるように、校舎裏の人気のない場所まで連れて行かれた。

 「……お前、さ」

 声がさっきより低い。

 「なんで教室来ねーんだよ」

 「……」

 「なんであいつらにヘラヘラして触らせてんだよ」

 愛先輩が壁に両手をついた。ドサッ、て鈍い音がして、逃げ場が消える。

 「……ヘラヘラなんてしてないです」

 反論するけど、愛先輩との距離が近すぎて心臓がうるさい。
 
 「お前の……『好き』を安売りすんな」

 「……迷惑だと思ったから」

 「誰がそんなこと言った」

 即答だった。

 「俺がどれだけ──」

 さらに距離を詰められる。
 愛先輩の熱。圧力。
 目が、怖い。でも、それ以上に熱い。
 吸い込まれそうで、息の仕方を忘れそうになる。

 「どれだけ、振り回されてるか分かってんのか」

 「……愛先輩」

 「お前が来なくなってから、全部おかしいんだよ。飯の味もしねーし、うさぎ見たら、お前のことばっか浮かぶし」

 おれと同じだ。

 「……俺さ、……もうお前がいないとダメなんだよ」

 一瞬、世界が止まる。

 愛先輩が。あの愛先輩が。

 こんな顔、するんだ。
 
 余裕なんて、どこにもない。
 ただ必死で、言葉を繋いでる。
 これ、おれのせい? おれが愛先輩をこんな風にしたの?

 「龍之介」

 名前を、呼ばれた。
 委員会のときとも、中庭のときとも違う。
 熱を孕んで、おれの存在を確かめるみたいな、深く、重い響き。
 呼ばれるだけで、心臓が体の中から突き破ってきそうだ。

 「お前さ、誰にでもああなの?」

 「?」

 「誰にでも『好き』とか言って、懐いて、他の奴に触られても平気なのかよ」

 「愛先輩にしか、しないです」

 真っ直ぐに、瞳を見つめ返す。

 「愛先輩が好きだから、会いに行ったんです。愛先輩がいいって言ったのも、嘘じゃないです」

 「……分かって言ってる?」

 「分かんないです」

 一度、深呼吸をする。

 「でも、愛先輩がいいです!」

 沈黙。
 次の瞬間、愛先輩の力が、ふっと抜けた。
 そのまま、おれの肩に額を預けてくる。

 「……ほんと、バカ」

 心臓の音が、驚くほど速い。

 「……じゃあ、俺のにするけど。もう、後悔しても遅いからな」

 「はい!」

 即答した。
 愛先輩は呆れたように、でも最高に甘い顔で笑った。

 「お前……本当に、分かってんのかよ」

 そのまま、おれの頬を両手で包み込む。
 手当てしてくれたときの、あの熱くて大きな手のひら。

 その温度が、あまりに優しくて。
 いつもの『愛先輩』よりも、ずっとずっと、甘かった。