「……ねえ、明宮くん。このあと、もし時間あったら――」
「無い」
「あ、あの! 写真、一枚だけでいいから一緒に――」
「無理」
他クラスの女子まで入れ替わり立ち替わりやってくるが、全部まとめてシャットアウトする。通常運転だ。
修学旅行二日目。
観光地を巡る自由行動の間も、俺の頭の中は八割がた「龍之介」で占められていた。
残りの二割は、龍之介へのお土産を何にするか、という思考。
「……うわ、出た。明宮の、氷の微笑すら見せない塩対応」
「マジで女子泣かせだよなぁ」
後ろで山田と里中がヒソヒソ言っているが、そんなの知ったことか。
それより、お土産屋の棚に並んだ、うさぎのキーホルダーの方がよっぽど重要だ。
「これ……りゅうくん、絶対好きだろ」
「明宮、お前さっきから『これ、りゅうくんに似合いそう』しか言ってねーぞ。九官鳥にでもなったか?」
「お前、龍之介くんにだけ甘くね? 女子にもその百分の一くらい興味持ってやれよ、もったいねえ」
山田と里中が呆れたようにツッコミを入れてくる。
基本的には人間関係なんて面倒なだけ。俺が龍之介にだけ甘いのは、あいつが特別だからだ。
「あいつ、今頃一人で寂しがってんだから」
「いや、寂しがってんのはお前の方だろ。もはや重度の龍之介くん中毒じゃねーか。禁断症状出てるぞ」
「あ、また女子がこっち見てる。……ほら、三組の橋本さん。お前に声かけようとしてんぞ」
山田が横で何か指さして騒いでるが、一瞥もしてやる気になれない。
誰がどこで俺を見ていようが、そんなのどうでもいい。
それより、目の前のこの景色。
「あー……。ここ、りゅうくんと来たかったな」
ため息と一緒に漏れた本音。
隣に龍之介がいないだけで、風景から鮮やかな色が欠けていく。
あいつの「愛、見て!」っていう、あの弾んだ声。
それが聞こえないだけで、食ってるもんの味まで半分くらいしかしない。
「つーかさ、明宮。こんだけ告白されまくって秒で断ってんの、ついに本命の彼女でもできたわけ?」
近くのベンチに座って、龍之介に風景の写真を送っていたら、里中がニヤニヤしながら、俺の顔を覗き込んできた。
「他校の女子?」
山田まで便乗して、面白そうに首を突っ込んでくる。
「彼女じゃねぇよ」
嘘はついていない。
「じゃあ、まだフリーなんだ? ならあの橋本さんにもワンチャン――」
「彼氏だけど」
「「…………は?」」
山田と里中が、揃って漫画みたいに固まった。
「……マジで? 付き合ってんの? 龍之介くんと?」
「まぁ、そんな感じ」
そっけなく返すと、二人は顔を見合わせて「マジかよ……」と数秒ほど唖然としていた。
が、すぐにニヤニヤした顔に戻って、俺にスマホを向けてパシャパシャと連射し始める。
「おい、やめろ」
「いやー、あまりに明宮が龍之介くん不足でおかしくなってるからさ。俺らの撮った『修学旅行を微塵も満喫してない死んだ魚の目の明宮』を、龍之介くんに実況してあげようと思って」
「……は?」
聞けば、昨夜の『龍之介お着替え騒動』の際、あいつの連絡先を勝手に追加していたらしい。
「ぶち殺すぞ。今すぐブロックしろ」
「怖い怖い! でも龍之介くん、喜んでるぞ。ほら……」
里中が見せてきた画面には、死んだ目の俺と、いつ撮られたか分からない隠し撮りの数々。
それから――『愛の写真、嬉しいです。元気出ました』。
龍之介からの、健気すぎるメッセージ。
……喜んでるなら、まぁ、いい。
あいつに元気を与えたという一点においてのみ、こいつらの命は首の皮一枚で繋がった。
「このタオル。あいつの髪みたいにふわふわしてて、ずっと触ってたくなる」
その後、本格的にお土産を選ぶ時間になっても、俺の「龍之介基準」は止まらない。
「……明宮、お前甘いの嫌いだろ。あとタオルの例え、ガチでキモい」
「俺が食うんじゃねぇよ」
キモくて結構。俺は、あいつが喜ぶ顔が見たいだけだ。
「じゃあこれとかどうだ? この『勇者の木刀』とか。男っぽくて……」
「いらねぇよ。硬派なのは名前だけで充分なんだよ。……っていうか、里中。お前、さっきから何りゅうくんのこと分かったような口聞いてんだよ」
「えっ、手伝ってやろうと思って……」
「あいつの好みは俺が一番分かってるから。俺が選んだやつ以外、あいつにはやらない」
独占欲全開の物言いに、二人は「明宮キャラ変しすぎ!」「無理だこれ」と両手を上げて降参のポーズを取った。
「ダメだ、龍之介くん不足で明宮が完全に狂犬になってる……」
「早くビデオ通話させてやってくれ、死人が出る……」
勝手に言ってろ。
お土産を渡したときの龍之介を想像して、緩みそうになる頬を必死に引き締めた。
あいつの笑顔を独占できる瞬間だけが、今の俺に残された唯一の希望だった。
二日目の夜。
山田たちの騒がしいトランプ大会が一段落して、ようやくスマホを手に取る。
画面に龍之介の顔が映し出された瞬間。一日中、鉄板でも入ってるみたいに凝り固まっていた肩の力が、一気に抜けるのがわかった。
『……愛。おつかれさま』
「おう。今日も一日、長かったな」
本当は「死ぬほど長かった」し「今すぐそっちに行きたい」と言いたかったけど、なんとか喉の奥に押し込む。
画面越しの龍之介は、昨日より少しだけ元気がない。眉尻を下げて、画面のこちら側を不安そうに覗き込んでくる。
『愛、あのね……。おれ、やっぱり……寂しい』
昨日まであんなに健気に耐えてたくせに。ポツリと溢れた、あまりにも純度の高い本音。
その破壊力に、俺の理性が悲鳴を上げる。正直、俺の方がよっぽど余裕がない。
今すぐ画面を突き破って、その頼りない体を抱きしめてやりたい。
だけど、ここで俺まで取り乱したら負けだ。
「お前さ、名前は龍のくせに、中身はうさぎだよな。寂しいと死んじゃうやつ」
必死なのを悟られないよう、わざと意地悪く口角を上げた。
少しからかうように言うと、龍之介がムッと頬を膨らませて、画面に顔を近づけてきた。
『うさぎが寂しくて死ぬのは、迷信だよ! 本に書いてあった!!』
「…………」
そこかよ。
うさぎ扱いされたことじゃなくて、迷信の方に抗議してくるのか。
真面目な顔で「おれ、死なないもん」と言い張る龍之介に、悶絶するのを必死に堪えた。
あー、もう。
ずるいだろ。そんなの。
「おいおい、明宮! また甘い空気作ってんじゃねーよ!」
「彼氏公表しちゃったんだから、もっとオープンにいこうぜ!」
案の定、山田と里中が画面に割り込んできた。
『あ、山田先輩。里中先輩。さっきは写真、ありがとうございました。愛、かっこよかったです』
「どういたしまして~。明日も『最高にかっこいい愛クン』リアタイ実況するね!」
早くどこかへ消えろと目で殺しにかかってるのに、里中がケラケラ笑っている。
絶対碌な事じゃない。
「ねえ龍之介くん、聞いたよ! 付き合ってるんだって? どっちから告ったの?」
「そりゃ、猛アタックの龍之介くんだろ」
「いや、こんなに溺愛してんだぜ?明宮の方からに決まってるだろ」
「そんなの、お前らに教える義理ねーよ」
どっちから、どんな言葉で、どんな空気の中で。
そんな、世界で一番価値のある記憶を、こいつらの暇つぶしのネタにされてたまるか。
あれは、俺と龍之介だけのものだ。一文字だって、誰にも分けてやるつもりはない。
二人を追い払おうとすると、龍之介は一瞬きょとんとして、それから少し照れくさそうに笑った。
『……言ったの?』
「あぁ。勝手に言ってごめんな」
『ううん。おれ……すごくうれしい』
真っ直ぐすぎる。
この前の喧嘩で思い知った。龍之介は言葉が足りないし、感情を形にするのが下手だ。
でも、「好き」や「うれしい」っていう、俺が一番欲しい言葉を、一番欲しいタイミングで投げてくる。
それは、俺の心臓を止めるのに十分すぎる熱を持っていて。
「きゃーー!! 甘すぎて溶けそう! なに!? ここは常夏ですか!?」
山田が野太い悲鳴を上げる。
「野郎の悲鳴なんて聞きたくねぇんだよ。耳が腐る」
「龍之介くんだって野郎だろ! 声低いじゃん!」
「りゅうくんの声は世界一かわいいわ」
俺の即答に「重症患者一名、収容お願いしまーす!」と大声を上げて、二人はようやく別の部屋へ消えていった。
『ね、愛。今日は、愛が寝るまで起きてるね。昨日、すぐ寝ちゃったから……』
「無理すんな。お前、寝るの早いんだから」
『起きてる。おれ、今日は絶っ対、先寝ない』
やっと静かになった部屋で放たれた、健気な宣言。
……が、現実は無情だった。
「……りゅうくん?」
それから十分もしないうちに、画面の中の龍之介が、こっくりこっくりと船を漕ぎ始めた。
『……ん。……おきて、る……』
完全に夢の入り口に立っている顔。
結局、俺の声が子守唄になってしまったのか。龍之介はそのまま、スースーと規則正しい寝息を立て始めた。
「……ったく。……寝落ちされんの、これで何回目だよ」
呆れた声が、自分でも驚くほど甘く響く。
お泊まりの夜も、昨日の通話も。
「寂しい」って言ったのはあいつなのに。結局、いつも一人取り残されて「龍之介不足」に悶えているのは俺の方だ。
『愛……だいすき……』
寝言のように溢れたその言葉が、俺の耳を熱くする。
夢の中でさえ、俺を想ってくれているんだろうか。
今日もまた、画面を切りたいのに、指が動かない。
「……はぁ。卑怯だろ、お前」
無防備な寝顔を眺めていると、胸の奥が焼きつくように熱くなる。
龍之介の体温も、髪の匂いも、この腕の中にないことが、耐えがたいほどにもどかしい。
「……早く、会いてぇ」
帰った瞬間に、この無防備な天使をどう分からせてやろうか。
画面越しの寝顔に「おやすみ」と小さく呟いて、残りの一日を乗り切るための、最悪に重たい覚悟を決めた。

