愛って呼んでいい?

 翌日。
 四時限目のチャイムが鳴った瞬間、おれは迷わず席を立った。

 「早川、飯行こうぜ」

 後ろの席の平野(ひらの)が呼んでる。

 「ごめん、用事!」

 悪いな、平野。

 おれ、今『明宮愛』でいっぱいいっぱいなんだ。

 階段を二段飛ばしで駆け下りる。

 二年のフロア。
 空気がちょっと違う気がする。
 廊下歩いてる先輩たちは、なんか全員ちょっと大人っぽい。

 でも、そんなのどうでもいい。

 目的はひとつ。
 二年三組。

 プレート見つけた瞬間、足が勝手に止まった。

 ここだ。
 一瞬だけ、深呼吸。

 ――よし。

 ドアを、ガラッ! と勢いよく開けた。

 そしたら、教室、ぴたりと止まった。
 さっきまであったざわざわが、全部消えてる。

 なにこれ。
 時、止まった?

 「……あの、愛先輩いますか」

 お弁当広げてた二年生たちの視線が、一斉にこっち向く。
 痛い。めっちゃ刺さる。

 「え、誰?一年?」

 「顔、めちゃくちゃ可愛くない?」

 「待って、背高っ。ギャップやば……」

 あ、ざわざわ、戻った。

 ――違う。これ、やらかした?

 おれの脳みそがようやく警告出した。
 けど、もう遅い。

 っていうか、愛先輩を見つけた瞬間、そんなのどうでもよくなった。

 窓際の席。
 数人の男子に囲まれて、頬杖をついてる。
 だるそうに話聞いてる横顔。

 ちょっと崩した制服。

 昨日より、なんか――大人っぽい。

 かっこいい。愛先輩を見ただけで、語彙力死ぬ。

 「愛先輩、飯、一緒食いましょ」

 教室の入り口から、まっすぐ言った。

 愛先輩が、ぴたりと動きを止めてこっちを見る。
 周りの先輩たちも、「愛?」「知り合い?」って顔を見合わせてる。

 完全に目立ってる。
 でもまあ、いいや。

 愛先輩が、呆然としたままこっちに歩いてきた。

 「……お前、なんでここにいんの」

 「会いたかったので来ました!」

 即答。迷いゼロ。
 途端に、周りの派手な先輩たちが

 「うわっ、直球きた!」

 「ヒューヒュー!」

 って一気にうるさくなる。

 「……声でけぇよ。あと、なんで下の名前で呼んでんの」

 「昨日も呼びました。ダメですか?」

 「…………ダメじゃないけど」

 そこで初めて気づいた。
 愛先輩の耳、ちょっと赤い。

 今ここで「好きです!」って叫びたい。

 「……わかったから、来い」

 そう言って、おれの腕を掴んで、そのまま廊下に引っ張り出す。

 ちょっと強引なその動きと、手のひらの温度。
 やっぱり、熱い。
 それだけで、また胸の奥がふわふわする。

 「今日、当番じゃないだろ」

 「水曜日まで待てなかったので」

 「……待てないって、明日だろ」

 愛先輩が、こめかみを押さえて深いため息をついた。
 その仕草すら、なんか、サマになっててかっこいい。

 「俺、これからあいつらと購買行くんだよ」

 「じゃあ、おれも行きます」

 「お前、飯は?」

 「あ、忘れてました」

 完全に忘れてた。愛先輩に会うことしか考えてなかった。
 お弁当、多分、家の机の上だ。

 愛先輩が「はぁ……」って天を仰いだ。

 「わかった。……わかったから。購買ついてくるだけならいい。その代わり、静かにしてろよ」

 「はい!」

 結局、愛先輩は友達に「ちょっとこいつの面倒見てくる」って言って、おれを連れて歩き出した。
 ……今、面倒見てくるって言った?

 それって、もうほぼ飼育じゃない?=おれ、愛先輩のペット?
 めっちゃいい。もう、勝ちじゃん。
 
 おれは人混みをかき分けながら、愛先輩の背中を追いかける。
 見失ったら終わりな気がして、ちょっと必死。

 「好きなの選べ」

 不意に、愛先輩が振り返った。

 「飯、ないんだろ」

 パンの棚からいくつか手に取りながら言う。

 「買ってくれるんですか?」

 「まぁ、一応先輩だしな。俺だけ食って、お前が横で見てるだけとか、寝覚め悪いだろ」

 優しい。

 ……いや、優しすぎない?
 愛先輩は誰にでも、こんな感じなの?
 そう思った瞬間、胸の奥がちょっとだけモヤッとした。

 でも、目の前のパンに意識戻す。
 おれは近くにあったメロンパンを手に取って、胸元でぎゅっと抱きしめた。

 「おれ、愛先輩に買ってもらったこのパン、一生の宝物にします」

 「……腐るから食えよ」

 即現実。おれは、本気なんだけどな。
 愛先輩は呆れた顔で、でもちょっとだけ照れたみたいに、おれの頭をくしゃくしゃ撫でた。

 大きな手のひら。
 昨日よりもずっと、その温度が近い。

 「ほら、何個か買ったから。一個じゃ足りねーだろ」

 愛先輩が「ん」って袋を差し出す。

 「全部、愛先輩と半分こしたいです!」

 そう言ったら、愛先輩、一瞬だけ固まった。

 「お前なぁ……」

 苦笑いしながらも、結局全部のパンを半分に割ってくれる。
 優しい。やっぱり優しい。

 おれたちは中庭のベンチに並んで座った。

 春の光。あったかい。
 隣から、じんわり伝わってくる愛先輩の体温。
 半分こしたパンをかじる。

 このパンたち、おれの人生で食べた中で、たぶん一番うまい。
 
 これ、毎日お弁当忘れたら……
 毎日、愛先輩とパン半分こできるのでは?

 ……天才か?

 いやダメだろ。さすがにバレる。
 でも、ちょっとくらいなら、いいかもしれない。

 そんなバカなこと、本気で考えてる時点で、おれはもう、とっくに――
 愛先輩にどっぷりだった。


 ――そして、次の日も。
 おれはチャイムと同時に席を立って、二年生のフロアへ向かった。

 「愛先輩!」

 愛先輩は、ちょうど焼きそばパンを口に運ぼうとしてた。
 おれの顔を見た瞬間、ピタッと止まる。

 「……は? え、りゅうくん⁉」

 愛先輩が素っ頓狂な声を上げた。
 危うく、焼きそばパンが床にダイブしそうになってる。

 ……今、普通にりゅうくんって呼んだ。

 周りの二年生たちが
 「明宮が下の名前で呼ぶとか珍しくね?」
 って昨日よりざわついてる。

 一昨日は、ちょっとからかうみたいに呼ばれただけ。
 でも今は、自然に出た。
 それだけで、おれの心臓が変な音を立てた。

 「……あー、もう。お前、今日も来たのかよ。放課後に嫌でも会うだろ」

 誤魔化すみたいに、愛先輩がパンをかじる。
 おれはその様子をじっと見る。

 「……愛先輩、もうパン食べてたんですね」

 「え?ああ。今日は混むと思って、早めに買っといたんだけど」

 その手にある、半分のパン。
 それ見た瞬間。

 「……そっか。残念です」

 自分でもびっくりするくらい、ガチで肩を落とした。

 「は?なにが」

 「昨日みたいに一緒に買いに行きたかったし……。今日は、おれが愛先輩にパン買いたかったです」

 昨日、買ってもらったから、今日は、お返ししたかった。
 「おれが愛先輩に食べてほしくて選んだんです」
 なんて、またあの中庭のベンチで半分こしたかったのに。

 「お前、自分でお返しとか考えるタイプだったんだな」

 愛先輩は意外そうな顔をして、おれをまじまじと見た。

 「愛先輩には……好きな人には、そうしたいだけです。……ダメでした?」

 おれが見上げると、愛先輩はまた「はぁ……」ってため息をつく。
 でも、全然怒ってない。むしろ、困ってる。

 「……ダメじゃないけど。お前、そういうこと、あんまり外で言うなよ」

 愛先輩はそう言って、空いてる方の手でおれの頬を軽くつねった。

 指先が熱い。
 昨日よりも、一昨日よりも、ずっと近くに感じる。

 「お前、弁当あるならわざわざ来なくて良かったんじゃねーの?」

 「愛先輩と一緒に食べたいから来ました。ダメですか?」

 まっすぐ見つめたら、愛先輩は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
 それから、少し投げやりに、隣の椅子をポンって叩く。

 「……勝手にしろ」

 「ありがとうございます!」

 即、座る。迷いなんてない。

 「おれ、愛先輩の隣がいいです」

 「……お前、ほんとそういうとこ」

 「どこですか?」

 「自覚ねーのが一番タチ悪い……」

 首を傾げたら、また頬つねられた。
 さっきより、ちょっとだけ優しい。

 「うわ、明宮がマジで一年坊の面倒見てる……。自分から世話焼くとか珍しすぎん?」

 「しかもめちゃくちゃ懐かれてるし。明宮、お前そんなキャラだっけ?」

 頭の上から声が降ってきて、びくっとした。

 昨日もいた愛先輩の友達。
 いかにも『陽キャです!』みたいな人たちが、ニヤニヤしながら覗き込んでくる。

 その瞬間、おれの頬をつねってた手が、ぱっと離れた。

 「うるせぇな。どっか行けよ、邪魔」

 「冷たっ!さっすが塩対応の明宮様〜」

 「はいはい退散しまーす。お邪魔虫は消えまーす」

 ヘラヘラ笑いながら、先輩たちは去っていった。

 ……塩対応?
 ちらっと横を見る。
 さっきまで普通に頬をつねってた人が、ちょっと不機嫌そうにパンをかじってる。

 ……全然、塩じゃなくない?
 むしろ、優しい、と思う。
 だって、ため息つきながらも、ちゃんと隣、空けてくれたし。

 おれはお弁当を広げた。
 その瞬間、横に座る愛先輩の気配が近くなった。

 愛先輩の袖が、食べるたびにちょっとだけ肩に触れる。
 ただそれだけで、なんだか、すごく熱い。


 卵焼きをもぐもぐしながら、おれは今日のおかずの順番を決めていた。
 卵焼きは最後。先にウインナーさん食べよう。

 そんな平和なことを考えていたはずなのに。

 ふわり、と。
 風に乗って、隣からあの匂いがした。
 清潔で、ちょっと甘くて、落ち着く匂い。

 一瞬迷ったけど、気になりすぎて無理だった。

 「……ね、愛先輩」

 「ん?」

 「なんの香水使ってるんですか?」

 「…………は?」

 愛先輩、ピタッと焼きそばパン持ったまま、完全に停止。

 「おれ、この匂い、めちゃくちゃ好きです」

 「っ、げほっ……お前、っ!」

 愛先輩が盛大にむせた。
 口を押さえて、パッと距離取られる。

 ……あれ。やっぱりキモかった?

 「……香水なんか、つけてねーよ」

 「え、そうなんですか?」

 「柔軟剤かシャンプーだろ。……てかお前、男に向かって『好き』とか外で言うなって言ったよな」

 愛先輩の声が上ずってる。
 へえ。愛先輩でも、こんな声になるんだ。

 しかもこれ、香水じゃなくて本人の匂い。
 強い。かっこいい人、匂いまで強い。

 「でも、本当に好きです」

 拒絶されなかったのをいいことに追撃したら、愛先輩は、ぴたっと止まった。
 次の瞬間、片手で顔を押さえて、天を仰いだ。

 「……はあぁ……」

 で、こっち睨んでくる。でも、全然怖くない。
 ていうか。耳、赤い。めちゃくちゃ赤い。
 こんな顔するんだ、この人。なんか、得した気分。

 「……お前こそ、なんか赤ちゃんみたいな匂いすんだけど。顔だけじゃなくて中身まで赤ん坊かよ」

 「え、赤ちゃん……?」

 自分の袖をくんくん嗅いでると、愛先輩が「勘弁してくれ……」
 って吐き捨てるように言って、おれの頭を乱暴に撫でまわした。

 「嫌でしたか?」

 「嫌っていうか、……心臓に悪い」

 愛先輩は、小さく、ぼそっと消え入りそうな声で呟いた。
 そのままパン一気に口に突っ込んで立ち上がる。

 心臓に悪い……。止まったら困るな。
 そしたらおれが心臓マッサージして、蘇生しなきゃ。

 ……そんなこと考えてたら。

 「食い終わったなら戻れ。予鈴鳴るぞ」

 「あ、はい。じゃあまた放課後、うさぎ小屋で!」

 手を振ったら、愛先輩は「ん」とだけ言って、振り返らずに教室を出て行った。
 もう、いつもの愛先輩に戻ってる。
 ……ちょっとだけ、残念。

 そのとき、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
 急いで片付けて、教室に戻る。

 今日は、放課後も会える。
 それだけで、心臓がうるさい。

 さっきまで一緒にいたのに、もう会いたい。

 放課後、早く来ないかな。