愛って呼んでいい?

 コトン。
 画面の向こうで、スマホが倒れた。

 映し出されているのは、龍之介の部屋の天井だけ。スピーカー越しに、微かな、規則正しい寝息が聞こえてくる。それだけで、あいつが深い夢の中へ落ちたのがわかった。

 「もう寝た……。早すぎんだろ」

 呆れた呟きが、静かなホテルの部屋に落ちる。
 画面を切りたいのに、指が動かない。昨日から今日にかけての出来事が、泥濘みたいに頭にこびりついて離れない。

 我ながら、とんでもなく健全なおうちデートだった。

 飯を食わせて、風呂に入らせて、俺のTシャツを着せて。
 少し大きくて、首元がゆるゆるなのが、正直言って目の毒だった。
 「おれも二年生ならよかったのに」なんて、潤んだ瞳で上目遣いに言われた時は、そのままバッグに詰めて誘拐してやろうかと本気で検討した。

 結局、同じベッドに入った。
 できるだけ距離を取って、触れないようにしていたはずなのに。

 ――なのに、あいつは。

 気づけば、腕の中に収まってきて。
 暗闇の中で「好き」なんて、体温ごと押し付けてくるみたいな熱い告白をぶちかましておきながら、自分だけ一瞬で寝落ちするんだから、あいつは無自覚なテロリストだ。
 添い寝だけで理性を繋ぎ止めた俺を、誰か盛大に表彰してほしい。

 今朝、目が覚めた時は、本気で昇天するかと思った。
 ……俺の日々の願望が作り出した夢か?

 一度目を閉じて、もう一度、ゆっくり目を開ける。

 ……いる。
 目の前に、朝日を透かして、まどろみの中にいる龍之介の寝顔。
 睫毛が長くて、髪はふわふわで、控えめに言って天使。
 あまりの尊さに、しばらく見惚れていたことだけは、死んでも龍之介には言えない。

 寂しがり屋な龍之介のために、少しでも「俺」を置いていきたくて、ネクタイを交換した。……なのに。

 バスに揺られ、山田たちがぎゃーぎゃーうるさく騒ぐ中、龍之介から届いたメッセージを見たとき、思わず吹き出しそうになった。

 『ごめん。ブレザー、愛のだ』

 ……は?
 慌てて自分の肩を触る。……そういえば、やけに肩周りが窮屈だと思っていた。
 でも、俺のブレザーを羽織って、袖から少しだけ指先を出している龍之介を想像して、スマホを握る手が震えた。

 「……つーか、マジで布団入ったのかよ、あいつ」

 スマホの画面。天井しか映っていない向こう側を、視線で透かそうとする。
 さっきまで「ネクタイ解きたくない」なんて抜かして、まだ制服を着ていた。
 パジャマには着替えていたけど。
 布団も被らずに転がってたら、あいつはすぐ風邪をひく。

 「おい、起きて布団入れ」

 返事はない。しあわせそうな寝息が、スピーカー越しに耳を撫でるだけ。
 その音を聞いていると、俺の心臓は、なんだかひどく落ち着かないリズムを刻み始める。
 魔除けだなんて言ったけど。
 俺の匂いに包まれて、俺のブレザーを抱えて。あいつは今、どんな夢を見てる。

 確信した。あいつ、可愛さで俺を殺しにかかってる。

 『早川龍之介』なんて、硬派な名前のくせに。
 中身はあんなに、ふわふわの綿あめか、産まれたてのうさぎみたいで。

 ……なのに、サイズ感だけが、おかしい。

 身長は一八三センチある俺と、たった五センチしか変わらない。
 初めて会ったとき。色白で、細っこくて、赤ん坊みたいな顔をして、少しサイズのデカい制服を着たあいつを見て。
 俺は勝手に、自分より十センチ以上低い「チビ」だと思い込んでいた。

 でも、立ち上がったあいつの目線が、俺と数センチしか変わらなくて。
 あのとき、心臓が跳ねたのを今でも覚えてる。

 「お前……身長いくつあるんだよ」

 昼休み。ハムスターみたいに飯を食うあいつに詰め寄ったとき、そのギャップにどれだけ脳を掻き乱されたか。
 名前、顔、体格。
 全部、俺の理解を越えたギャップの塊。

 全部。俺だけのものにして、誰の目にも触れない場所に隠しておきたい。
 なのに。

 画面を暗くして、俺は深い溜息をついた。
 まだ初日の夜だ。
 あと二日も、あの無防備な天使を野放しにしなきゃいけないなんて。
 魔除けになるどころか、むしろ俺の独占欲の方が悪霊になりそうだ。