愛って呼んでいい?

 「なぁ。それ、いつまでやってんの」

 降ってきたのは、低くて、少しだけ不機嫌を混ぜた愛の声。

 仲直りしてから、おれの周りの空気はなんだかずっと甘い。
 吸い込むたびに胸の奥がふわふわして、呼吸の仕方を忘れそうになる。
 バカになってる自覚はある。

 相変わらず愛は、おれが推しうさぎ『だいずくん』にキャベツをあげてると、すぐ後ろからジトッとした視線を送ってくるけど。
 そんなに睨まなくても、キャベツは逃げない。

 「 だいずくん、もっと食べたいって言ってるから……」

 「毛玉の名前呼ぶな。俺は? 俺のことは見ねーのかよ」

 じり、と距離を詰められる。
 だいずくんをなでなでしてるおれを、これ見よがしに邪魔してくる。

 「またやきもち?」

 「うるせぇ……。誰が、こんな毛玉に。……ほら、俺の髪の方がそいつより柔らかいだろ。触れ」

 強引に割り込んできた愛の頭が、視界をジャックする。おれの手の中に収まる、さらさらな髪。
 本当、この人はうさぎ相手に何を競ってるんだろう。
 でも、指先に伝わる感触が心地よくて、つい、くしゃくしゃにかき混ぜてしまう。

 「あ、こら。だいずくん、愛の靴紐噛んじゃだめだよ」

 「チッ。喧嘩売ってんのか、この毛玉」

 「愛、舌打ちしないよ。……はい、たくさん食べてえらいね。また来週」

 「毛玉に『また来週』なんて約束すんな。……おい、りゅうくんは俺のだからな。調子乗んなよ」

 勝利宣言。うさぎ相手に。
 だいずくんを離すと、愛は「ようやく敵が去ったか」とでも言うように、大きくため息をついた。

 「ね、おれ、うさぎより愛のほうが大好きだよ」

 「……っ。…………知ってる」

 愛は、一瞬だけ目を見開いて、耳を真っ赤にする。
 かっこいい愛が、おれの一言で簡単にバグる。
 これを見るのが好きだなんて、絶対に言えない。

 誇らしい気持ちに浸ろうとした瞬間、抱き寄せられて、気づけば愛の腕の中にすっぽり収まってた。

 「でも……俺の方がお前のこと何万倍も好きだから」

 ぎゅう、と込められた力。
 ……っ、またそうやって、すぐに反撃する。
 今度はおれのほうが、顔を真っ赤にする番だ。
 重なり合う心臓の音がうるさくて、だいずくんたちにバレてないか心配になる。

 「……っ、愛。……ちょっと、ちかい」

 「……ごめん。痛かったか」

 弾かれたように腕を離した愛の顔が、一瞬で真っ青になる。
 ちょっとびっくりしただけなんだけどな。
 おれ、そんなに嫌な拒み方した?
 不安になって見たら、愛の視線はおれの腕をじーっと見たまま動かない。
 なんだか検品されてるみたいだ。おれ、不良品じゃないよ。

 「昨日、俺が掴んだとこ……」

 悲しそうな顔で、制服の袖が捲られる。
 あ、そっか。昨日のこと、まだ引きずってるんだ。

 「……やっぱり、残ってる」

 うっすらと赤い痕。
 言われるまで、自分でも気づかなかった。
 普段から正体不明の怪我が絶えないおれの身体だ。これくらい、怪我のうちにも入らないのに。

 「ごめんな。痛かったよな」

 「全然痛くないよ。愛が触ってくれたから、もう治った」

 壊れ物に触れるみたいになぞる指先。
 それが少し震えているのを見て、おれの胸の奥が、ちくりと痛んだ。
 昨日おれを傷つけたことを、ずっと一人で、おれの知らないところで抱えてたんだ。
 おれのことになると、愛はたまに、すごく臆病だ。

 「お前、本当に自覚ねーんだな。……俺がいないと、マジでいつかどこかに消えてなくなりそうなんだよ」

 今にも泣き出しそうな声。
 おれは、その大きな手に自分の手を重ねた。

 「おれ、消えないよ。愛がこんなに、しっかり捕まえててくれるもん」

 おれが笑うと、愛は少しだけ目を見開いた。
 それから、いつもみたいにちょっとだけ意地悪く笑う。

 「……だったら、一生俺のそばにいろ」

 繋ぎ直された指先から、愛の熱が流れ込んでくる。
 強引な言葉のわりに、おれを引っ張る手つきは、どこまでも過保護で、驚くほど優しかった。
 おれの顔、たぶんまた沸騰してる。

 「毛玉の守りも終わったし、早く行くぞ。お菓子パーティー、昨日までの分もたっぷり可愛がってやるから」

 「……ん」

 おれは顔の熱が冷めきらないまま、頷くのが精一杯だった。
 愛の言う「可愛がる」が、どんなに甘くて、どんなに苦しいものか。
 今のおれにはまだ半分もわかっていないんだろうけど。
 それでも、この繋いだ手の熱が、今は一番心地いい。