愛って呼んでいい?

 愛が少し寂しそうに笑った、あのときから、おれの頭の中には消えない「?」がぷかぷか浮かんでた。

 付き合ってから、昇降口で待ち合わせして一緒に帰るのがおれたちの日課。
 寄り道したり、公園のベンチで喋ったり。ただ手を繋いで歩くだけでも、おれは愛と過ごせるその時間が、宇宙で一番大好きだ。
 もう、それだけで胸がいっぱいになるのに。
 この感覚を言葉にしようとすると、やっぱり霧みたいに掴めなくなる。

 そんな、ことをぼんやり考えながら昇降口へ向かう。
 階段を降りてるとき、後ろから呼び止められた。

 「あ、早川! ちょっ、待って!」

 同じクラスの女子数人と、隣のクラスの男子。
 名前は……たしか、佐藤(さとう)、だったかな。
 高橋(たかはし)だったような気もするけど。……どっちどもいいか。

 「今度のLHR(ロングホームルーム)、何やりたい?」

 佐藤(仮)が笑いながら、おれの肩にぽんと手を置いた。

 「 早川の意見も聞きたくて。っていうか、お前いつもすぐどっか行くから、捕まえるの大変なんだよ」

 「んー……」

 そういえば平野たちが「二組と合同!彼女乱獲〜!」とか意味不明なことで騒いでた気がするけど。
 あいにく、おれの脳みそは、愛のこと以外秒速で消去される仕様になっている。

 「なんでもいいよ」

 愛が一緒じゃないなら、何やったって同じ。
 そのまま階段を降りようとした。

 でも、女子の一人がおれの顔を覗き込んでくる。

 「出た、早川くんの『なんでもいい』」

 距離が近い。

 「……ね、これから私たちカラオケ行くんだけど、早川くんも一緒に行こうよ」

 「おれ、歌うのあんまり得意じゃない」

 「いいじゃん! 早川来たら絶対盛り上がるって! な、行こうぜ」

 「早川くんって本当にかわいいよね。私、もっと話してみたかったんだ~」

 佐藤も女子たちもノリノリで、一瞬で囲まれる。
 これ、放置してたら本当に連行されるやつだ。

 「おれ、これから用事が……」

 みんな、別に悪い人じゃないのはわかってる。
 でも、愛以外の人とこの距離で喋るのが、なんだか落ち着かない。
 ……っていうか、早く愛に会いたい。一秒でも早く。

 そのときだった。

 「――りゅうくん。何してんの」

 いつもより低くて、少しだけ冷えた愛の声。
 女子たちの頭越しに見ると、愛がポケットに手を突っ込んだまま、眉を寄せて立ってた。
 その視線は、おれの肩に乗ってる佐藤の手に向いている。

 愛が一歩近づくだけで、その場の空気が変わった。なんだかびりびりする。

 佐藤の手がおれの肩からパッと離れる。
 女子たちは女子たちで、「え、やば……」「かっこよ……」って、もう悲鳴みたいな声を漏らしてる。

 「あ、すいません! クラス行事の相談で。早川、人気者だから……」

 「相談、終わったなら、こいつ借りるわ」

 愛はそう言うと、さっきまで佐藤が手を乗せてた場所を、わざとらしく、掴んだ。

 「『早川』は、これから『俺と』約束あるから」

 今、絶対わざと早川って言ったな。早川呼びも……悪くないかも。

 「愛!」

 思わず裾を引くと、愛はため息混じりにおれの髪をクシャッと乱した。
 そのまま、佐藤たちを一度も振り返らないで、おれの腕を掴んで歩き出す。

 後ろから「あの二人、距離感バグってない?」「絶対ただの先輩後輩じゃないよね……」なんてヒソヒソ声が聞こえてくる。
 でも、愛はそれを完全に無視して、どんどん進んでいく。

 「愛?」

 学校を出て、人通りの少ない道まで来たところで、愛が急に立ち止まった。

 「りゅうくんさ……あんな風に誘われて、なんでニコニコしてんの」

 「してないよ?」

 「してたの」

 即答だ。
 これ、ちょっとじゃなくて、結構怒ってるやつだ。

 「お前ほんと、タチ悪い。あいつら、お前が『いいよ』って言うの待ってたぞ」

 「愛との約束があるから、行かないよ?」

 そう言った瞬間、愛はため息をついて、顔を近づけてきた。

 「あいつら、お前のこと『かわいい』とか言って……。肩に手まで乗せて……」

 「愛、やきもち?」

 首を傾げると、愛は「ほんと、ガード緩すぎ」っておれを強引に抱き寄せた。

 「……そうだよ。悪いか。俺、お前が思ってるより、お前が他の奴と喋ってんの、嫌」

 耳元で囁く愛の顔は、いつもの愛じゃない。
 ちょっと拗ねてて、困ってて、どうしようもなく本音が出てる顔。

 それが、なんか、すごく――

 「かわいい」

 「……は?」

 「愛、かわいい」

 「……お前、それ……年上の彼氏に言う言葉じゃないだろ」

 愛は耳を赤くして顔を背けたけど、抱きしめる力は緩まない。
 その腕の強さに、胸の奥から熱い何かが溢れて、喉の奥がツンとした。
 いっぱいいっぱいになったその熱を逃がしたくなくて、空いた手で愛のさらさらした髪を撫でてみる。

 「……やめろ」

 「愛がいつもやってくれるから。いや?」

 下から覗き込むと、「いやじゃないけど、恥ずい」って。
 腕で顔を隠しながら、消え入りそうな声で言う。

 ……ああ、もう。本当に、どうしようもないくらい好きだ。