ずっと繋いでいて


朝、目が覚めたとき、
昨日より少しだけ、胸の奥がざわついていた。
「……おはよう」
自分に言い聞かせるように呟いて、布団から手を出す。
右手を持ち上げて、光に透かす。
昨日よりほんの少しだけ、指先の輪郭が曖昧に見えた。
「……気のせい、だよね」
血の気がないわけじゃない。
白くなっているわけでもない。
ただ、色が薄い。
まるで、透けているような。
洗面所に向かい、顔を洗う。
引っ掻かないように、いつもよりゆっくり顔を拭った。
今日は引っ掻かなかった。
それなのに、胸のざわつきは消えなかった。

学校に向かう道は、いつもより少しだけ眩しかった。
春の光は優しいはずなのに、今日はやけに刺さる。
教室に入ると、真央が手を振ってきた。
「涼子ー!おはよ!」
「おはよう、真央」
席に着いて、ノートとペンを取り出す。
一時間目は英語。
スピーキングが少し苦手。
今日は新単語と文法練習だから、たぶんスピークはない。
ペンを握る。
……やっぱり、しっくりこない。
「……?」
昨日より、指先に何かが挟まっている感覚が強い。
見た目は普通の指なのに、ペンを握り込もうとすると、透明な何かが邪魔をしているような。
書き始めると、字が少しだけふらついた。
「今日も違和感ある?」
真央が小声で言ってきた。
「うん...なんだろうこれ...」
「大丈夫?」
「...大丈夫だよ、全然、大丈夫。ちょっと寝不足で」
笑ってごまかす。
でも、真央の目は心配そうだった。

三時間目は体育だった。
今日は持久走。
クラス全員で校庭を走る。
「はぁ、はぁ……」
走るのは嫌いじゃない。
むしろ好きな方だ。
風を切る感じが気持ちいい。
……はずだった。
「っ……!」
つま先が、引っかかった。
ほんの一瞬。
転ぶほどではない。
でも、心臓が跳ねた。
「危なっ……」
靴紐が緩んでいたわけでもない。
地面に段差があったわけでもない。
ただ、つま先がもつれた。
「……なに?」
走りながら、右足の感覚を確かめる。
痛みはない。
違和感もない。
でも、 何かが引っかかった感覚だけが残っていた。

放課後、家に帰って制服を脱ぐ。
靴下を脱ごうとしたとき、ふと体育のことを思い出した。
「…なんだったんだろう」
靴下を脱ぐ。
足の爪は、短い。
いつも通り。
でも、指先を触るとそこに何かある。
透明な爪が伸びているなんて、この時の私は思いもしなかった。
ただ、触れているのに触れていないような、妙な感覚だけが残った。
「……やっぱり、変だよね」
足の指先の色も、手と同じように少しだけ薄い気がした。
光に透かすと、輪郭がほんの少しだけ曖昧になる。
「……」
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。

夜、机に向かって宿題をしているときだった。
ペンを握る右手に、またあの違和感が走る。
「……もうやだ、今日」
何度持ち直しても、親指と人差し指の間に何かが挟まる。
見た目は普通なのに。
爪も短いのに。
「……なんなの、ほんと」
ため息をついて、スマホを手に取る。
「爪 短い 勝手に」
「指先 色 薄い」
「物 持ちにくい」
「つま先 引っかかる」
検索しても出てくるのは栄養不足とか、貧血とか、ストレスとか、そんなものばかり。
「違うよ……そんな感じじゃないんだよ……」
スマホを置いて、ベッドに潜り込む。
眠れない。
わけが分からない異変に不安だけが積もって、心を蝕んで重たくしていく。
天井を見つめていると、スマホが光った。
なんとなく手を伸ばして、ニュースアプリを開く。
その時だった。
~透明病の新たな症例か?~
指が止まる。
スクロールしようとしたのに、動かなかった。
震える指で、記事を開く。

“爪先から透明化が始まる”
“痛みはない”
“気付きにくい”
“症例は極めて少ない”
“原因不明”
“全治不詳”

胸がぎゅっと締め付けられた。
「……違う、よね」
声が震えた。
「これ……ちがうよね……」
スマホを胸に抱きしめる。
「ただの偶然……だよね……」
そう言い聞かせても、胸の奥の不安は消えなかった。
寝れない頭の中でニュース記事の内容が巡る。

“致死率100%”