「上谷! ちょっといい?」
放課後。荷物をまとめて教室を出ようとしていた上谷を、クラスメイトが呼び止めた。振り返ると、深水を紹介してくれた友人──小野寺がいて、こちらへ歩み寄ってくる。
「今日部活休みになったから、クラスのやつ何人かでカラオケ行くんだけど、お前も来ない?」
「あー、ごめん。今日は先約あってさ」
「マジか。知ってるやつならそっち合流でもいいけど」
「あー…いや。実は、深水と約束してて」
「深水?」
小野寺の目がまるく開かれる。紹介をしたのは自分だが、ここでその名前が出てくるとは思わなかったのだろう。
「小野寺、朝も言ったけど深水のこと教えてくれてマジでありがとな。諸々たいへん助かっています」
「え? ああ、それはいいんだけど…」
「なんだよ、上谷こねえの?」
後ろから別のクラスメイトにがばりと肩を組まれて、上谷の身体がすこしよろける。姿勢を直しつつ顔を上げると、この前行われた肝試しの場にもいた友人──日沼が、にこにこと上機嫌そうに立っていた。
「上谷、今日はぜったい来た方がいいぞ。なんたってあのレアキャラ、河合さんがいるからな」
「河合さん…?」
「隣のクラスの女の子だよ。眼鏡をかけてて、大人しそうな」
聞き覚えのない名前に首を傾げていると、小野寺が補足してくれる。眼鏡…大人しそう…。与えられた特徴を頭の中で思い浮かべ、知り合いに一人ずつ当てはめてみるが、心当たりがない。そのままぐるぐる考えていたら、日沼が待ちきれない様子で口を開いた。
「マジ? わかんねーの? お前がこの間、肝試しの罰ゲーム横取りした女の子だよ」
「…ああ!」
そこでようやく顔と名前が一致して、上谷はぽんと手を打つ。
「見たことない子だなーと思ってたら、やっぱ別のクラスだったんだ」
「マジかよお前! 普通かわいい女の子の顔はクラス関係なくフルネームとセットで覚えるだろ、入学式の日に。なあ小野寺?」
「それやってんのは日沼だけだと思うけど…まあ。上谷はこう見えてあんま人に興味ないからな」
「え、…え! あるよ俺! 人に興味!」
予想以上に焦ってしまい、舌が少しもつれる。変に思われていないかな、と不安だったが、杞憂だったようだ。日沼は狼狽える上谷から離れ、手をひらひらと振る。
「河合さん、普段はこういうの誘ってもあんまり来てくれないんだけどさあ。今日はワンチャン上谷が来るかもって言ったら、じゃあ私も行く! だって! これはもうアレじゃん。そういうことじゃん。上谷、はじまってるぞお前の青春。結婚式では俺が二人の出会いは肝試しってスピーチしてやるからな」
「いやあ…ほんとごめんけど、今日だけはマジでダメなんだよね。誘ってくれてありがと」
「そうなん? じゃあ無理には言わんけど…ほんと後悔すんなよ? あと、いろいろあって俺の方が河合さんと仲良くなっちゃっても恨まないように!」
び、と上谷に向けて指をさし、日沼は心なしか上機嫌でその場から離れていく。本当は俺がいない方が都合いいんじゃないだろうか? と思ってしまうほどに浮かれた背中だ。
なんだか、体力を使った。ふう、と息を吐くと、てっきり日沼について離れていくと思っていた小野寺がまだそばにいて、「あのさ」首を傾げる上谷を見て口を開く。
「俺が紹介しておいてこんなこと聞くのちょっと、変かもしれないけど…深水って、やっぱり見えるの?」
「なにが?」
「幽霊、てきな」
ゆうれい。なんて現実味のない単語なんだろう。人の口から出てくるのを客観的に聞いていると、余計にそう思う。上谷は少しだけ考える。幽霊。見える。なんならバットで殴ってた。けど、それを勝手にバラしてもいいのだろうか。誰かに言いふらしたり、いや。小野寺はそんなやつではない、とは思うけど、もしも万が一何かの間違いで深水のクラスまで話が広がったら、彼は学校生活が送りにくくなるんじゃないだろうか。でも、見えていないとはっきり否定するのは、どちらに対しても不誠実な気がするし。悩んだまま、上谷は口を開く。
「正直、なんて言っていいかわかんないんだよね。俺には幽霊とか見えないし、深水が普段、何を見てるのかもわかんない。だから、嘘か本当かも判断できない」
「まあ…そうだよな」
「でもさ、まだ知り合ってそんな経ってないけど…あいつ、わざわざ嘘ついて人を困らせるようなやつじゃないと思うんだよ。だから、深水が見えてるって言うんなら、まあ、そういうこともあるのかもな…って。俺はそう思ってる」
少し遠回しな表現になった。つまりどういう意味だ、と追撃が来たらなんて答えよう。上谷が勝手に心配していると、小野寺はしばらく考え込み、やがてぽつぽつと話し始めた。
「…この間も言ったかもしれないけど、俺、深水とは中学が同じだったんだ。当時から背が高くて、目立ってたからさ。入学早々にバスケ部の奴らが目をつけて、嫌がる深水に毎日毎日頼み込んで、最終的にはお試しって形でバスケ部へ入部することになったんだ」
「あいつバスケやってたのか…じゃあ小野寺にとって、深水は部活の後輩でもあったんだね」
「…一ヶ月だけな。深水はすぐに辞めたよ。そしてそれを誰も止めなかった。…なんでだと思う?」
「……ボールと友達になれなかったから?」
「信じられないくらい下手だったんだよ。攻めも守りも全部だめ。誰もいないところにパス出すし、ドリブルは途中ですっぽ抜けるし」
……何の話をされているんだろう。きっと小野寺には本題があって、これはその前座なのだろうけど、上谷には未だ全容がつかめていない。首を傾げていると、小野寺が続ける。
「深水がバスケ部へいた時期、俺はちょうど怪我をしてて、部活の時はベンチで見学してることが多かったから、一緒にコートへ入ったりはしてないんだけど……深水の様子を見て、他の奴らは笑ってたよ。背が高くて顔が良くて、一見なんでもできそうなやつがバスケめちゃくちゃ下手、っていうのが意外で、おもしろかったんだろうな。深水もそれに合わせて、困ったような顔をしてた。……でも」
一度、区切る。背後の、クラスメイトが小野寺を呼ぶ声が、少しだけ遠くに聞こえる。
「……俺は。俺にはとても、ただ下手、ってだけには見えなくて。まるでコートの中に、深水にだけ見える人間がいて、そいつに向かってパスしちゃったり、あるいは、ちょっかいかけられてるのを追い払ったりしながら、プレーしてるように見えた。……想像、なんだけどさ。もしも幽霊が、生きている人間と全く同じ姿で、全く同じ振る舞いをしていたら、深水はそれを、どうやって見分ければいいんだろうな」
クラスメイトの声が大きくなる。小野寺が振り返り、手を挙げる。
「…俺もう行くわ。深水によろしくな」
そうして今度こそ、上谷に背を向け歩いて行った。
