放課後の校舎内は、どこもかしこも騒がしい。土曜授業の後となると、余計にそうだ。お昼前に解放されるから、生徒たちはみんな、思い思いに寄り道の予定を立てる。
そんな喧騒とは少し距離を置き、深水はオカルト研究部の部室にいた。窓の外の青空を、引きちぎられたような雲がゆっくりと流れている。今日、雨って降るんだっけ。思いながら携帯を確認する。お菓子の値上げ。新しく生まれたアシカの赤ちゃん。危険な運転を繰り返していたワゴン車の運転手を逮捕。いろいろなニュースを避けて、ようやく目当ての天気予報を確認すると、携帯をしまう。今日は大丈夫そうだけど、明日は一応折りたたみを持ってこよう。多分あの人は天気予報を見ないし、傘を待ってこないだろうから。ぼんやり考えていると、部屋の外の廊下から、バタバタと騒がしい足音が聞こえた。
「ごめん! お待たせ!」
「いいえ。全然待ってません。それじゃあ行きましょうか」
予想通りの人物が入ってきたので、あらかじめ用意していた返事をする。荷物をまとめて立ち上がる深水に合わせ、部室へやって来た人物──上谷も、入ったばかりの部屋を出た。オカルト研究部の部室は、放課後を一緒に過ごしたい二人にとって、ちょうど良い待ち合わせ場所になっている。
「本当はもっと早く来れる予定だったんだけど、鵜飼先生の追求が容赦なくて…」
「鵜飼…ああ、進路指導の」
深水には、あまり馴染みのない名前だ。上谷はそれが心底羨ましい。
「いままではっきりしたこと書いてなかった俺が悪いんだけどさ。急に大学名出して具体的な進路を書いたら、それはそれで”誰の入れ知恵だ?”って。あの人進路指導向いてないよ」
そこまで言って、ここが廊下であることを思い出し、声を顰める。本人がいたらどうしよう。あからさまに怯えながら周囲を見渡す上谷を見て、深水が笑った。なんだか以前より、表情がころころと変わるようになった気がする。
廃屋での一件から、数ヶ月が経った。
騒ぎを聞きつけてやってきた山中の車で、とりあえず学校に運ばれた二人と、ついでに日沼は、今まで生きた中でも一番の説教をいただいた。経緯と事情については、幽霊に乗っ取られていたから、とか。その辺の事情を話すことができなかったため、三人が派手な喧嘩をした結果、深水が泣きながら廃屋に閉じこもってしまい、上谷がそれを呼び戻しに行ったという、なんともチグハグな話になってしまった。
高校生二人が不法侵入、うち一人が倒れたという話は、残念ながら爆速で地域に広まった。けれど、あの家の持ち主であるおばあさんの息子夫婦は、そんなバカ高校生二人よりも、自分たちがお金を払って管理を任せていた筈の不動産会社の怠慢に怒ったらしく、深水と上谷の方には、学校が課した反省文の提出を除き、特にお咎めがなかった。いま、あの家は別の不動産会社の手によってすっかり綺麗に手直しされ、今度、別の人物が入居する予定もあるらしい。後からこの街にきた人が見ても、とても心霊スポットと呼ばれていた場所だとは思わないだろう。
上谷が託された首輪は、後日。おばあさんがいる施設へ赴いて、本人へしっかりと渡した。突然現れた見ず知らずの高校生二人に首を傾げながらも、首輪を見ると何かを察したようで、涙を浮かべながらお礼を言われてしまった。「入居してる施設までわかるなんて、インターネットってすごいよ。岩見がすごいのかな?」上谷がそういうと「岩見さんはすごいですが、こんな簡単に住所がわかってしまうのは、インターネットの悪いところでもありますよ」と、深水はすこし微妙そうな顔をしていた。
岩見にもきちんと自転車を返却した。不思議なことにあの日以来、盗難被害には合っていないらしい。「上谷氏の手が加わったことにより、陽キャの加護が加わったのでしょう。これもヒトコワ…いや、人徳か…?」とつぶやいていた。相変わらず、独特な表現方法だと思った。
日沼、小野寺はいつも通りだ。幽霊騒動が起きる前と同じく上谷と付き合いを続けているが、強いていえば、以前よりもいろいろ、遠慮がなくなったような気がする。「そういえば恋人の話聞いてないんだけど、いつ話してくれんの?」上谷が聞くと、張本人であるはずの小野寺は曖昧に笑うし、なぜか日沼が気まずそうにするしで、上谷は首を傾げるばかりだった。
◆
夕暮れの風が、頬を心地よく撫でる。遠くを飛ぶ鳥の鳴き声が、住宅街に反響していた。二人揃っての下校はもう何度目だろう。カラオケに行ったことがない。映画館もない。動物園もない。無い無い尽くしの深水をいろいろなところへ連れ歩くのは、結構楽しかった。今度は土曜日授業がない日に、少し遠くの遊園地にでも誘ってみようかな。今日見た映画の半券を制服のポケットにしまいながら、上谷は考える。ふと、隣を歩く深水が、上谷を見た。
「先輩、どこの大学目指してるんですか?」
「…内緒」
「なんで」
「だって教えたらお前、絶対同じところ受験してくるじゃん」
「……そうとは限らないですよ」
「図星の間でしたけど? それにお前、高校っていう前科あるし」
「……」
深水が露骨に目を逸らす。けれど、流石に逃げきれないと察したのか、諦めたように大きなため息をついた。
「先輩がいない生活なんて…」
「進路が違っても、一生会えなくなるわけじゃないんだし、いいじゃん。今とそんな変わんないよ」
「変わりますよ。主に俺の心のゆとりが…」
そんな、大袈裟な。思ったが、どうやら本人は、本気でショックを受けているらしい。がくりと肩を落とすので、大きな体が少し、小さく見える。
「…だめなんですか? 同じ大学行ったら」
「だってお前、俺より抜群に頭良いのにもったいないだろ」
「……本当にだめ?」
深水の目が、じっと上谷を見る。そちらに集中していると、細い指がするりと伸びてきて、上谷の手を捕まえる。
「恋人なのに?」
声には、気を許した相手にだけ見せる甘やかさがあった。最近、深水は──年下の恋人は。上谷が散々甘やかしたせいで、こういうふうに強請ればたいていの要求は通る、という、悪いことを学んでしまったらしい。やっぱり、甘やかすだけが優しさじゃないんだな…。思いながら、何もかもを許してやりたくなるのを、上谷はぐっと堪える。
「……それとこれとは話が別」
「真面目ですね、朝陽さん」
「暁くんが不真面目なだけ」
ふざけている時に繰り出される名前呼びも、慣れたものである。頭上から、くすくすと小さい子供のような笑い声が聞こえてきた。大きな体で大人びた口調で、メロンソーダが好きだったり、イタズラが好きだったり、意外とガキっぽい一面がある。言ったら拗ねるから、言葉にはしないけど。
「…そうだ。朝陽さん」
「なに?」
「今度改めて告白してもいいですか?」
また、からかっているんだ。そう思ったのに、深水の顔は真剣だった。上谷は首を傾げる。
「…されたよ? カラオケでもそうだし…その、俺の部屋でいろいろ」
「そうですね。部屋でいろいろしました」
「そういうことを言ってるんじゃねえんですけど」
やっぱり、からかわれているのかもしれない。先日の色々なことを思い出しそうになって、上谷は慌てて頭を振る。
◆
全ての除霊が終わって、反省文の提出などの後処理も落ち着いた頃。上谷は約束通り、深水を部屋へ招いた。そこで……告白の返事を含め、いろいろな話をした。二人が昔、初めて会話した時のこととか、深水が部屋に隠し持っていた手紙の事とか。
深水が上谷のいる高校へ入学したのは、半ば偶然だったらしい。初めて会った時に教えてもらった名前を大切に、お守りみたいに抱えて…けれど、通っている学校はもちろん、この辺りに住んでいるかもわからない人間を探すのは、今のようにインターネットが普及する前、中学生の深水には困難だった。だから半ば諦めてはいて、それでも直接会った時にお礼が言えるように手紙を持ち歩き、数年。受験の季節を迎え、見学に訪れたそれほど志望度が高くない学校で、偶然上谷を見かけた。あの頃より背が伸びていたが、太陽のような雰囲気は、全く変わらない。深水は一撃で入学を決意し、無事に合格。晴れて同じ学校の生徒になれた、ところまでは良かったが…。
いざ実物を目の前にすると、臆して話しかけられなかった、というのが深水の主張である。
「だって、中学生の時とは性格変わっているかもしれないし…俺は上谷先輩のおかげで幽霊との付き合い方を覚えたし、これまで挫けずに生きてこられたのに、その根本である人がもう、途中でどうしようもないグレ方してたら、俺は生きていけないなって…遠巻きに見ているうち、そんなことはないって思い直しましたけど」
「じゃあ声かければ良かったじゃん」
「…理想のシチュエーションを模索していて」
「は?」
「どうやったら先輩の意識に残る初対面ができるかな、とかいろいろ。そうしているうちに本人から会いにきて、心臓なくなるかと思いました」
上谷の部屋で、深水は気まずそうに言った。
「告白も、するつもりじゃなかった。本当です。だって、先輩には俺よりふさわしい人が、たくさんいるから。でも先輩と過ごすうち、この人を誰にも渡したくない、という気持ちに、見て見ぬふりができなくなった。…先輩」
深水が、上谷の目を真っ直ぐに見つめる。
「除霊が終わって、先輩の人生にはもう、俺は必要じゃないかもしれないけど、俺には先輩が必要です。欲しいものをなんでもあげたいし、お願いは全部叶えてあげたいし、ありとあらゆるものから守ってあげたい。だから」
膝の上に置いていた手を、ぎゅ、と握られる。…困った。だって今日は、俺から告白をするつもりだったのに。上谷は、自分の顔が爆発しそうなくらいに熱を帯びているのを自覚する。
聞く前から、返事はもうなんとなく、わかっているのだろう。それまで必死そうだった深水の顔に、少しだけ余裕が生まれる。
「大好きです、先輩。もし、先輩も同じ気持ちなら、俺の恋人になってください」
◆
「…今更、必要ある?」
結局、ほとんど全部を思い返してしまった。赤くなった顔に、手でぱたぱたと風を送りながら、上谷は聞き返す。深水は平然としていた。
「あります。毎日言ったって伝え足りない。俺があなたのことをどれだけ好きか、どこがどんなふうに好きか、きちんと知っていてほしい」
…なんと。あれでもまだ、十分じゃないのか。上谷の方はもう、何度あの告白を一人で思い返して、ベットの上を転がり回ったか知れないというのに。曲がり角、上谷が住んでいるマンションが近づいてくる。
「…お前の気持ちは、もう結構、わかるようになってきたと思うけどね」
オートロックを解除して、エントランスへ深水を招き入れる。エレベーターへ向かう、中庭に面した廊下。ここには、防犯カメラがない。
「たとえば?」
「今、めちゃくちゃチューしたいだろ」
言いながら、隣を歩く男を見上げる。平素なら少しは人の通りがあるこの廊下も、時間帯が微妙だからか、今日に限っては、人の気配がなかった。深水は一度、大きく目を開いた後、柔らかく微笑む。そのままとろとろと溶けていきそうな表情だった。
「…すごい。先輩って、俺のことなんでもわかってる」
言いながら、深水が身を寄せる。上谷もそれに応えて、顔を上げた。
唇同士が触れ合う寸前、深水がぴたりと動きを止める。その視線は上谷ではなく、上谷の向こう。芝生や植木の整備で、人間は立ち入れなくなっている中庭に向けられている。
「…なんかいた?」
「野次馬が、すこし」
「……どっか行ってもらう?」
「いいえ」
深水は、自身の視線を追って振り返ろうとした上谷の頬に手を添え、それを制すると、今度こそ顔を近づける。触れ合ったのは、一瞬だった。柔らかな感触が、唇に名残を残して離れていく。呼吸も飲まれそうなほどの至近距離で、深水がにこりと微笑んだ。
「おばけなんてうそ、なので」
「…見なかったことにするってことね」
「そうとも言いますね」
くすり。今度は上谷が笑う。こんなのはもう、部外者にとってはたまらない。人ではないものも、そう判断したのだろう。中庭から微かな物音がして、そのあとは静寂に包まれる。しかし、二人の意識からはもう、そんなことはとっくに消え失せていた。
空は、目が眩むほどの茜色に染まっている。
そんな喧騒とは少し距離を置き、深水はオカルト研究部の部室にいた。窓の外の青空を、引きちぎられたような雲がゆっくりと流れている。今日、雨って降るんだっけ。思いながら携帯を確認する。お菓子の値上げ。新しく生まれたアシカの赤ちゃん。危険な運転を繰り返していたワゴン車の運転手を逮捕。いろいろなニュースを避けて、ようやく目当ての天気予報を確認すると、携帯をしまう。今日は大丈夫そうだけど、明日は一応折りたたみを持ってこよう。多分あの人は天気予報を見ないし、傘を待ってこないだろうから。ぼんやり考えていると、部屋の外の廊下から、バタバタと騒がしい足音が聞こえた。
「ごめん! お待たせ!」
「いいえ。全然待ってません。それじゃあ行きましょうか」
予想通りの人物が入ってきたので、あらかじめ用意していた返事をする。荷物をまとめて立ち上がる深水に合わせ、部室へやって来た人物──上谷も、入ったばかりの部屋を出た。オカルト研究部の部室は、放課後を一緒に過ごしたい二人にとって、ちょうど良い待ち合わせ場所になっている。
「本当はもっと早く来れる予定だったんだけど、鵜飼先生の追求が容赦なくて…」
「鵜飼…ああ、進路指導の」
深水には、あまり馴染みのない名前だ。上谷はそれが心底羨ましい。
「いままではっきりしたこと書いてなかった俺が悪いんだけどさ。急に大学名出して具体的な進路を書いたら、それはそれで”誰の入れ知恵だ?”って。あの人進路指導向いてないよ」
そこまで言って、ここが廊下であることを思い出し、声を顰める。本人がいたらどうしよう。あからさまに怯えながら周囲を見渡す上谷を見て、深水が笑った。なんだか以前より、表情がころころと変わるようになった気がする。
廃屋での一件から、数ヶ月が経った。
騒ぎを聞きつけてやってきた山中の車で、とりあえず学校に運ばれた二人と、ついでに日沼は、今まで生きた中でも一番の説教をいただいた。経緯と事情については、幽霊に乗っ取られていたから、とか。その辺の事情を話すことができなかったため、三人が派手な喧嘩をした結果、深水が泣きながら廃屋に閉じこもってしまい、上谷がそれを呼び戻しに行ったという、なんともチグハグな話になってしまった。
高校生二人が不法侵入、うち一人が倒れたという話は、残念ながら爆速で地域に広まった。けれど、あの家の持ち主であるおばあさんの息子夫婦は、そんなバカ高校生二人よりも、自分たちがお金を払って管理を任せていた筈の不動産会社の怠慢に怒ったらしく、深水と上谷の方には、学校が課した反省文の提出を除き、特にお咎めがなかった。いま、あの家は別の不動産会社の手によってすっかり綺麗に手直しされ、今度、別の人物が入居する予定もあるらしい。後からこの街にきた人が見ても、とても心霊スポットと呼ばれていた場所だとは思わないだろう。
上谷が託された首輪は、後日。おばあさんがいる施設へ赴いて、本人へしっかりと渡した。突然現れた見ず知らずの高校生二人に首を傾げながらも、首輪を見ると何かを察したようで、涙を浮かべながらお礼を言われてしまった。「入居してる施設までわかるなんて、インターネットってすごいよ。岩見がすごいのかな?」上谷がそういうと「岩見さんはすごいですが、こんな簡単に住所がわかってしまうのは、インターネットの悪いところでもありますよ」と、深水はすこし微妙そうな顔をしていた。
岩見にもきちんと自転車を返却した。不思議なことにあの日以来、盗難被害には合っていないらしい。「上谷氏の手が加わったことにより、陽キャの加護が加わったのでしょう。これもヒトコワ…いや、人徳か…?」とつぶやいていた。相変わらず、独特な表現方法だと思った。
日沼、小野寺はいつも通りだ。幽霊騒動が起きる前と同じく上谷と付き合いを続けているが、強いていえば、以前よりもいろいろ、遠慮がなくなったような気がする。「そういえば恋人の話聞いてないんだけど、いつ話してくれんの?」上谷が聞くと、張本人であるはずの小野寺は曖昧に笑うし、なぜか日沼が気まずそうにするしで、上谷は首を傾げるばかりだった。
◆
夕暮れの風が、頬を心地よく撫でる。遠くを飛ぶ鳥の鳴き声が、住宅街に反響していた。二人揃っての下校はもう何度目だろう。カラオケに行ったことがない。映画館もない。動物園もない。無い無い尽くしの深水をいろいろなところへ連れ歩くのは、結構楽しかった。今度は土曜日授業がない日に、少し遠くの遊園地にでも誘ってみようかな。今日見た映画の半券を制服のポケットにしまいながら、上谷は考える。ふと、隣を歩く深水が、上谷を見た。
「先輩、どこの大学目指してるんですか?」
「…内緒」
「なんで」
「だって教えたらお前、絶対同じところ受験してくるじゃん」
「……そうとは限らないですよ」
「図星の間でしたけど? それにお前、高校っていう前科あるし」
「……」
深水が露骨に目を逸らす。けれど、流石に逃げきれないと察したのか、諦めたように大きなため息をついた。
「先輩がいない生活なんて…」
「進路が違っても、一生会えなくなるわけじゃないんだし、いいじゃん。今とそんな変わんないよ」
「変わりますよ。主に俺の心のゆとりが…」
そんな、大袈裟な。思ったが、どうやら本人は、本気でショックを受けているらしい。がくりと肩を落とすので、大きな体が少し、小さく見える。
「…だめなんですか? 同じ大学行ったら」
「だってお前、俺より抜群に頭良いのにもったいないだろ」
「……本当にだめ?」
深水の目が、じっと上谷を見る。そちらに集中していると、細い指がするりと伸びてきて、上谷の手を捕まえる。
「恋人なのに?」
声には、気を許した相手にだけ見せる甘やかさがあった。最近、深水は──年下の恋人は。上谷が散々甘やかしたせいで、こういうふうに強請ればたいていの要求は通る、という、悪いことを学んでしまったらしい。やっぱり、甘やかすだけが優しさじゃないんだな…。思いながら、何もかもを許してやりたくなるのを、上谷はぐっと堪える。
「……それとこれとは話が別」
「真面目ですね、朝陽さん」
「暁くんが不真面目なだけ」
ふざけている時に繰り出される名前呼びも、慣れたものである。頭上から、くすくすと小さい子供のような笑い声が聞こえてきた。大きな体で大人びた口調で、メロンソーダが好きだったり、イタズラが好きだったり、意外とガキっぽい一面がある。言ったら拗ねるから、言葉にはしないけど。
「…そうだ。朝陽さん」
「なに?」
「今度改めて告白してもいいですか?」
また、からかっているんだ。そう思ったのに、深水の顔は真剣だった。上谷は首を傾げる。
「…されたよ? カラオケでもそうだし…その、俺の部屋でいろいろ」
「そうですね。部屋でいろいろしました」
「そういうことを言ってるんじゃねえんですけど」
やっぱり、からかわれているのかもしれない。先日の色々なことを思い出しそうになって、上谷は慌てて頭を振る。
◆
全ての除霊が終わって、反省文の提出などの後処理も落ち着いた頃。上谷は約束通り、深水を部屋へ招いた。そこで……告白の返事を含め、いろいろな話をした。二人が昔、初めて会話した時のこととか、深水が部屋に隠し持っていた手紙の事とか。
深水が上谷のいる高校へ入学したのは、半ば偶然だったらしい。初めて会った時に教えてもらった名前を大切に、お守りみたいに抱えて…けれど、通っている学校はもちろん、この辺りに住んでいるかもわからない人間を探すのは、今のようにインターネットが普及する前、中学生の深水には困難だった。だから半ば諦めてはいて、それでも直接会った時にお礼が言えるように手紙を持ち歩き、数年。受験の季節を迎え、見学に訪れたそれほど志望度が高くない学校で、偶然上谷を見かけた。あの頃より背が伸びていたが、太陽のような雰囲気は、全く変わらない。深水は一撃で入学を決意し、無事に合格。晴れて同じ学校の生徒になれた、ところまでは良かったが…。
いざ実物を目の前にすると、臆して話しかけられなかった、というのが深水の主張である。
「だって、中学生の時とは性格変わっているかもしれないし…俺は上谷先輩のおかげで幽霊との付き合い方を覚えたし、これまで挫けずに生きてこられたのに、その根本である人がもう、途中でどうしようもないグレ方してたら、俺は生きていけないなって…遠巻きに見ているうち、そんなことはないって思い直しましたけど」
「じゃあ声かければ良かったじゃん」
「…理想のシチュエーションを模索していて」
「は?」
「どうやったら先輩の意識に残る初対面ができるかな、とかいろいろ。そうしているうちに本人から会いにきて、心臓なくなるかと思いました」
上谷の部屋で、深水は気まずそうに言った。
「告白も、するつもりじゃなかった。本当です。だって、先輩には俺よりふさわしい人が、たくさんいるから。でも先輩と過ごすうち、この人を誰にも渡したくない、という気持ちに、見て見ぬふりができなくなった。…先輩」
深水が、上谷の目を真っ直ぐに見つめる。
「除霊が終わって、先輩の人生にはもう、俺は必要じゃないかもしれないけど、俺には先輩が必要です。欲しいものをなんでもあげたいし、お願いは全部叶えてあげたいし、ありとあらゆるものから守ってあげたい。だから」
膝の上に置いていた手を、ぎゅ、と握られる。…困った。だって今日は、俺から告白をするつもりだったのに。上谷は、自分の顔が爆発しそうなくらいに熱を帯びているのを自覚する。
聞く前から、返事はもうなんとなく、わかっているのだろう。それまで必死そうだった深水の顔に、少しだけ余裕が生まれる。
「大好きです、先輩。もし、先輩も同じ気持ちなら、俺の恋人になってください」
◆
「…今更、必要ある?」
結局、ほとんど全部を思い返してしまった。赤くなった顔に、手でぱたぱたと風を送りながら、上谷は聞き返す。深水は平然としていた。
「あります。毎日言ったって伝え足りない。俺があなたのことをどれだけ好きか、どこがどんなふうに好きか、きちんと知っていてほしい」
…なんと。あれでもまだ、十分じゃないのか。上谷の方はもう、何度あの告白を一人で思い返して、ベットの上を転がり回ったか知れないというのに。曲がり角、上谷が住んでいるマンションが近づいてくる。
「…お前の気持ちは、もう結構、わかるようになってきたと思うけどね」
オートロックを解除して、エントランスへ深水を招き入れる。エレベーターへ向かう、中庭に面した廊下。ここには、防犯カメラがない。
「たとえば?」
「今、めちゃくちゃチューしたいだろ」
言いながら、隣を歩く男を見上げる。平素なら少しは人の通りがあるこの廊下も、時間帯が微妙だからか、今日に限っては、人の気配がなかった。深水は一度、大きく目を開いた後、柔らかく微笑む。そのままとろとろと溶けていきそうな表情だった。
「…すごい。先輩って、俺のことなんでもわかってる」
言いながら、深水が身を寄せる。上谷もそれに応えて、顔を上げた。
唇同士が触れ合う寸前、深水がぴたりと動きを止める。その視線は上谷ではなく、上谷の向こう。芝生や植木の整備で、人間は立ち入れなくなっている中庭に向けられている。
「…なんかいた?」
「野次馬が、すこし」
「……どっか行ってもらう?」
「いいえ」
深水は、自身の視線を追って振り返ろうとした上谷の頬に手を添え、それを制すると、今度こそ顔を近づける。触れ合ったのは、一瞬だった。柔らかな感触が、唇に名残を残して離れていく。呼吸も飲まれそうなほどの至近距離で、深水がにこりと微笑んだ。
「おばけなんてうそ、なので」
「…見なかったことにするってことね」
「そうとも言いますね」
くすり。今度は上谷が笑う。こんなのはもう、部外者にとってはたまらない。人ではないものも、そう判断したのだろう。中庭から微かな物音がして、そのあとは静寂に包まれる。しかし、二人の意識からはもう、そんなことはとっくに消え失せていた。
空は、目が眩むほどの茜色に染まっている。
