おばけなんてうそさ

「──深水、深水!」

 どこか遠くから自分を呼ぶ声がして、深水はゆっくりと目を開く。ぼやける視界。一番最初に姿を現したのは、こちらを見つめて泣きそうに顔を歪ませる上谷だった。

「よ…よかったー!」
「う、」

 上半身を抱き起こされて、深水の口から悲鳴みたいな声が漏れた。ただでさえ悪い顔色がもっと白くなったが、目の前の歓喜に震える上谷にはお構いなしだった。

「せ、先輩、苦しい…」
「だってお前、全然目を覚まさないし顔色悪いし、体大きいのに腕とか細いから、俺もうほんと心配で…! 元気になったら野菜とか肉とかもっと食えよ! 成長期なんだからな!」
「……俺っていま、何を心配されてますか?」

 本題が掴めない。深水はまだ、ぼんやりとしていた。とりあえず、ここはもう夢の中ではないんだ、ということを自覚して、上谷の顔──正確にはその少し上を見ると、目を大きく開いた。

「…いなくなってる」
「あー……そう。最後の一体ね。交換条件で、一時的に離れてもらった」
「交換条件?」
「絶対に守れって念押しされちゃったから、これから頑張らないと…」

 言いながら、上谷が手のひらを開く。そこには、ボロボロの赤い首輪が握られていた。金色の鈴が、薄暗闇できらりとひかる。
 知らない話が知らないところで進行している。けれどいまは、それどころじゃない。

「…そのお話はあとで聞くとして…先輩」
「何?」
「除霊、終わりましたよね」
「うん、一応…?」
「それなら」

 先ほどまでの弱々しさはどこへ行ってしまったのだろうか。数分前まで意識を失っていたとはとても思えない力強さで。深水ががしり、と上谷の腕を掴む。

「告白の返事、聞かせてもらえますか」

 それまで惜しみなく披露されていた笑顔がぴしりと固まって、上谷の視線が気まずそうに宙を泳いだ。そういえばそうだったな、みたいな顔だ。

「…えーっと。いま、ここで?」
「はい。今すぐ。一分一秒でも早く」
「…いやあ、でもここでは」
「先輩」

 言い淀んでいる上谷に、深水は容赦がなかった。もう片方の手も掴むと、上半身を固定された上谷はもう、どこへも逃げられない。

「俺はもう、待てないです。自分勝手なのはわかってるけど、無理なら無理で早くトドメを刺されたいし、もし、そうでないなら」

 黒い瞳の中に、ぐるぐると巨大な感情が渦巻いている。上谷はごくり、と息を飲んだ。果たしてこんなものを受け入れて、自分は今まで通り生きていけるだろうか。深水が顔を寄せ、至近距離で呟く。

「この場で今すぐ、先輩を抱きしめたい」



「……あー。生徒の恋愛事情に口を出すつもりはないんだが…」

 前方から、気まずそうな声がする。そこで深水はようやく、この場にいる自分たち以外の存在に気がついたらしい。それから周囲を見渡し、自分が寝かされているのが、乗用車の後部座席だと知る。

「………とりあえず場所を変えて、いろいろ事情を聞かせてもらってもいいかな?」

 言いながら、運転席の山中が頬をかいた。上谷がぎこちなかった理由はこれか。深水はようやく思い至り、視野の狭さに少し、反省をする。

「ごめん。俺ってプロだから、きちんと変な幽霊が来ないようにはしてたんだけど…人間は専門外だからさ」

 助手席にいる日沼が、場違いな程に明るい声を上げる。平常を取り戻しつつある車内で、上谷だけが、赤く染まった顔を隠せないでいた。