最近なんだかついていない。というのは、わざわざ言葉にするほどのことでもないはずだった。日常の小さな不運なんて、誰にでもある。忘れ物をしたり、やたらと物がなくなったり、自転車のタイヤがパンクしたり、ちょっとした段差でつまづいたり、靴紐が切れたり。そういうのは、まあ、重なることもあるだろう。けれど、それがあまりに頻発すると、さすがに少しだけ引っかかる。たまたま偶然、ついてないで済ませるには、回数が多い。
決定的だったのが、昨日の出来事だ。いつもの放課後、いつもの帰り道、いつも通りに横断歩道を渡っているとき。左折してきた車が一時停止をせず、そのまま突っ込んできた。慌てて飛び退いて尻餅をついた状態で、駆け寄ってくる周囲の人々や、車を路肩に停めて降りてくる運転手をどこか他人事のように見つめながら、危なかったと考えるより先。これはもう確定で何か憑いてるだろ、俺に。と思った。
だってさあ。考えないようにしていたけど、普通はさあ。前日に鞄へ入れて、家を出る前に確認までしたはずの持ち物が、帰ったら自室の机にポンと置かれていたりしない。文房具は二日に一度のペースで無くならないし、歩いている途中にそれほど古くもないスニーカーの靴紐は切れない。今まで考えないようにしてきたことが、一度認めてしまうと途端に線でつながり始める。
原因に心当たりがまったくないわけでもない。二週間ほど前、神谷は同級生の何名かと、学校の近くにある廃屋へ肝試しに行った。行ったと言っても、ほとんど強制的に連れて行かれたので、積極的に参加したわけではない。ついでに言えばそこで一人だけ、廃屋の敷地内へ入ることになったのも、自ら名乗り出たわけではない。ただ、神谷と同じように半ば無理やり連れてこられた女子生徒が、じゃんけんで負けて一人で行かされそうになっていたのを、代わりに引き受けただけ。だから本当に、茶化しに来たわけではないんですよ、何ならすぐ帰りますし、というのを心の中で色々言い訳しながら、神谷は敷地内へ足を踏み入れた。独りよがりの贖罪を、誰かが聴いてくれているとは思わなかったが、いわゆる心霊スポットと呼ばれる場所に遊び半分で行ってはいけない、という、いつかにインターネットで見た知識が、とにかくそういう主張をしろと神谷に命じていた。
結局、廃屋には鍵がかかっていて、中に入ることはできなかった。まあ、当たり前だ、今は荒廃しきっているとはいえ、かつては人の家だったのだから、当然誰にも住まわれなくなった後にも、建物自体を管理している人間はいるはずで、自分がその人間の立場だったら、この物騒な時代に常時無施錠なんて愚かなことはしない。鍵がかかっていて無理、入れないよと伝えると、遠く離れたところで見守っていた同級生たちは残念そうにしていた。そうして踵を返し、廃屋を離れる時。
耳元で何か、鈴の音のようなものが聞こえた。
…気がした。その場で振り返っても、廃屋には何も変化がない。聞き間違いだったのか、否か。確認する手立てはなくて、結局離れる。
だから、肝試しには行った。けれどそこで、何かこう……呪い? みたいな。とにかく、それに繋がりそうな超常的現象を体験したわけではないのだから、そのあとに起きていることの全てを結びつけるのは、少し飛躍がある気もする。
それでも、考えざるを得ない。理由は単純で、他に思い当たることがないからだ。廃屋へ行った。扉を開けようとした。そのあとから、何かがおかしい。気がする。説明としては雑だが、感覚としてはそれが一番しっくりくる。
別日。肝試しの一件を知らない友人にその話をしたら「なにそれ、憑かれてんじゃねえの」と軽い調子で言われた。気の利かない冗談だと思ったが、口調に合わず真剣な表情を見る限り、どうやらそういうわけでもないらしい。続けて、
「オカルト研究部って知ってる? そこに深水暁っていう一個下の後輩がいるんだけど、そういうの詳しいと思うぞ。俺、中学が一緒だったんだけど、当時から変わった奴って有名だったんだよ。なんか、幽霊が見えるとか見えないとかさ」
と言われれば、じゃあ…ちょっと行ってみようかな…という気になった。正直なところ、友人の話を心の底から百パーセント信用して、その深水っていう生徒なら解決できるんだろうな、という望みを持っていたわけではない。そもそも、マジに根本的な話だが、幽霊がどうこうという話は、あまり現実的だと思っていなかった。神谷は、大半に人間がそうであるように、エンターテインメントとして触れる怪談やお化け屋敷、そのほかの類は別として、幽霊だとか超自然的な何かが本当に実在するとは思っていない。思いつつ、完全に否定できる材料もない。少なくとも、自分の身に起きていることを、偶然以外の言葉で合理的に説明できていない以上、選択肢の一つとして保留しておくくらいはしてもいい気がした。
それに、話を聞くだけなら損はない。幽霊だUMAだああだこうだはともかく、オカルト全般に詳しいのなら、運気が上がる方法とかも知っているかもしれない。これまでのことすべては本当にただの不運が重なっただけで、気の持ちようで改善しますよ、とかなら、それでもいい。とにかく何か前向きなアドバイスをもらえれば。そう考えると、わざわざ会いに行く理由としては十分だった。
というわけで放課後、神谷はさっそくオカルト研究部の部室があるという棟に向かった。普段の学校生活ではあまり訪れない場所で、廊下は異様なほど静かだった。校庭や校舎の至る所で行われているはずの部活動の音も、このあたりまでは届いてこない。そうしているうち、友人に聞いた場所へ辿り着く。理科準備室。そう書かれたプレートの上、オカルト研究部、と書かれた紙が雑に貼られている。なるほど。活気ある部活というわけではないらしい。
扉の向こうには、確かに人の気配がある。自分がやろうとしていることにあまり自信が持てなくて、扉へ伸ばした手が一瞬止まった。どうしよ。幽霊? そんなのいるわけないじゃないですか、アハハ。運気? あー。壺とか買えばいいんじゃないですか? 知らんけど。とか流されたら。不安に思いつつ、それでも、ここまで来て引き返すのも妙な話だ。意を決して、まずはノックをする。抱えた気持ちに反して、音は思ったよりも軽く響いた。
「…はい」
扉越しというのを差し引いても小さくて、それでもわかるくらい、怪訝そうな声だった。普段は来客などいないのだろう。何となくそう思う。
「どちらさまで、何の用事ですか」
「オカルト研究部さん、こんにちは。俺、二年B組の神谷って言います。突然すみませんが、そちらに深水暁くんはいらっしゃいます」
か、と言い切る前。教室の扉が勢いよく開いた。かと思えば、目の前に高くて黒い壁がある。壁。いや。人だ。黒いのは制服のベストだ。そうやって一つ一つ、情報を処理しながら顔を上げる。
「……ほんものだ」
聞き間違いでなければ、そう言った。まだ名乗られていないけれど、おそらくこの生徒が、友人の言っていた深水なのだろうな、と思った。言葉の意味を聞き返すより先に、驚いたように開かれていた瞳が、神谷の背後を見て徐々に色を変える。一歩。深水が踏み出した。一歩。詰められた神谷が後退した。それを何度か繰り返し、神谷の背中が壁にぶつかったときには、目の前に深水の顔があった。
そうしてようやく、話は冒頭にもどる。
決定的だったのが、昨日の出来事だ。いつもの放課後、いつもの帰り道、いつも通りに横断歩道を渡っているとき。左折してきた車が一時停止をせず、そのまま突っ込んできた。慌てて飛び退いて尻餅をついた状態で、駆け寄ってくる周囲の人々や、車を路肩に停めて降りてくる運転手をどこか他人事のように見つめながら、危なかったと考えるより先。これはもう確定で何か憑いてるだろ、俺に。と思った。
だってさあ。考えないようにしていたけど、普通はさあ。前日に鞄へ入れて、家を出る前に確認までしたはずの持ち物が、帰ったら自室の机にポンと置かれていたりしない。文房具は二日に一度のペースで無くならないし、歩いている途中にそれほど古くもないスニーカーの靴紐は切れない。今まで考えないようにしてきたことが、一度認めてしまうと途端に線でつながり始める。
原因に心当たりがまったくないわけでもない。二週間ほど前、神谷は同級生の何名かと、学校の近くにある廃屋へ肝試しに行った。行ったと言っても、ほとんど強制的に連れて行かれたので、積極的に参加したわけではない。ついでに言えばそこで一人だけ、廃屋の敷地内へ入ることになったのも、自ら名乗り出たわけではない。ただ、神谷と同じように半ば無理やり連れてこられた女子生徒が、じゃんけんで負けて一人で行かされそうになっていたのを、代わりに引き受けただけ。だから本当に、茶化しに来たわけではないんですよ、何ならすぐ帰りますし、というのを心の中で色々言い訳しながら、神谷は敷地内へ足を踏み入れた。独りよがりの贖罪を、誰かが聴いてくれているとは思わなかったが、いわゆる心霊スポットと呼ばれる場所に遊び半分で行ってはいけない、という、いつかにインターネットで見た知識が、とにかくそういう主張をしろと神谷に命じていた。
結局、廃屋には鍵がかかっていて、中に入ることはできなかった。まあ、当たり前だ、今は荒廃しきっているとはいえ、かつては人の家だったのだから、当然誰にも住まわれなくなった後にも、建物自体を管理している人間はいるはずで、自分がその人間の立場だったら、この物騒な時代に常時無施錠なんて愚かなことはしない。鍵がかかっていて無理、入れないよと伝えると、遠く離れたところで見守っていた同級生たちは残念そうにしていた。そうして踵を返し、廃屋を離れる時。
耳元で何か、鈴の音のようなものが聞こえた。
…気がした。その場で振り返っても、廃屋には何も変化がない。聞き間違いだったのか、否か。確認する手立てはなくて、結局離れる。
だから、肝試しには行った。けれどそこで、何かこう……呪い? みたいな。とにかく、それに繋がりそうな超常的現象を体験したわけではないのだから、そのあとに起きていることの全てを結びつけるのは、少し飛躍がある気もする。
それでも、考えざるを得ない。理由は単純で、他に思い当たることがないからだ。廃屋へ行った。扉を開けようとした。そのあとから、何かがおかしい。気がする。説明としては雑だが、感覚としてはそれが一番しっくりくる。
別日。肝試しの一件を知らない友人にその話をしたら「なにそれ、憑かれてんじゃねえの」と軽い調子で言われた。気の利かない冗談だと思ったが、口調に合わず真剣な表情を見る限り、どうやらそういうわけでもないらしい。続けて、
「オカルト研究部って知ってる? そこに深水暁っていう一個下の後輩がいるんだけど、そういうの詳しいと思うぞ。俺、中学が一緒だったんだけど、当時から変わった奴って有名だったんだよ。なんか、幽霊が見えるとか見えないとかさ」
と言われれば、じゃあ…ちょっと行ってみようかな…という気になった。正直なところ、友人の話を心の底から百パーセント信用して、その深水っていう生徒なら解決できるんだろうな、という望みを持っていたわけではない。そもそも、マジに根本的な話だが、幽霊がどうこうという話は、あまり現実的だと思っていなかった。神谷は、大半に人間がそうであるように、エンターテインメントとして触れる怪談やお化け屋敷、そのほかの類は別として、幽霊だとか超自然的な何かが本当に実在するとは思っていない。思いつつ、完全に否定できる材料もない。少なくとも、自分の身に起きていることを、偶然以外の言葉で合理的に説明できていない以上、選択肢の一つとして保留しておくくらいはしてもいい気がした。
それに、話を聞くだけなら損はない。幽霊だUMAだああだこうだはともかく、オカルト全般に詳しいのなら、運気が上がる方法とかも知っているかもしれない。これまでのことすべては本当にただの不運が重なっただけで、気の持ちようで改善しますよ、とかなら、それでもいい。とにかく何か前向きなアドバイスをもらえれば。そう考えると、わざわざ会いに行く理由としては十分だった。
というわけで放課後、神谷はさっそくオカルト研究部の部室があるという棟に向かった。普段の学校生活ではあまり訪れない場所で、廊下は異様なほど静かだった。校庭や校舎の至る所で行われているはずの部活動の音も、このあたりまでは届いてこない。そうしているうち、友人に聞いた場所へ辿り着く。理科準備室。そう書かれたプレートの上、オカルト研究部、と書かれた紙が雑に貼られている。なるほど。活気ある部活というわけではないらしい。
扉の向こうには、確かに人の気配がある。自分がやろうとしていることにあまり自信が持てなくて、扉へ伸ばした手が一瞬止まった。どうしよ。幽霊? そんなのいるわけないじゃないですか、アハハ。運気? あー。壺とか買えばいいんじゃないですか? 知らんけど。とか流されたら。不安に思いつつ、それでも、ここまで来て引き返すのも妙な話だ。意を決して、まずはノックをする。抱えた気持ちに反して、音は思ったよりも軽く響いた。
「…はい」
扉越しというのを差し引いても小さくて、それでもわかるくらい、怪訝そうな声だった。普段は来客などいないのだろう。何となくそう思う。
「どちらさまで、何の用事ですか」
「オカルト研究部さん、こんにちは。俺、二年B組の神谷って言います。突然すみませんが、そちらに深水暁くんはいらっしゃいます」
か、と言い切る前。教室の扉が勢いよく開いた。かと思えば、目の前に高くて黒い壁がある。壁。いや。人だ。黒いのは制服のベストだ。そうやって一つ一つ、情報を処理しながら顔を上げる。
「……ほんものだ」
聞き間違いでなければ、そう言った。まだ名乗られていないけれど、おそらくこの生徒が、友人の言っていた深水なのだろうな、と思った。言葉の意味を聞き返すより先に、驚いたように開かれていた瞳が、神谷の背後を見て徐々に色を変える。一歩。深水が踏み出した。一歩。詰められた神谷が後退した。それを何度か繰り返し、神谷の背中が壁にぶつかったときには、目の前に深水の顔があった。
そうしてようやく、話は冒頭にもどる。
