自分の気分が落ち込んでいる時、空も同じように悲しんでくれたら、少しは立ち直るのが早くなるかもしれないのに。
授業の合間、騒がしい教室。自分の席で窓越しに太陽を睨みつけながら、上谷は少し憂鬱だった。
深水の家で除霊を行ってから、数日が経つ。二人の仲は、特段、気まずくなったりはしていない。……はずだ。連絡を取れば普通に返事が返ってくるし、あちらからも同じ。ただ、以前のようにオカルト研究部の部室で待ち合わせたりは、残念ながらしていない。意図的に避けているわけではなくて、たまたま上谷の方にバイトやら何やらで用事があったり、深水の方にもいろいろ都合があって、そうなってしまっている。
……これは一応、喧嘩…というものになるのだろうか。
分からない。上谷は今まで、意見の違いで人と衝突することなんてなかった。大抵そうなる前に自分が折れるか、そういった状況を避けてきたからだ。だから、これが喧嘩なのか、仲直りをするべき状態なのか。それすらも、分からない。
…悩み事はもう一つある。
視線を感じ、顔を上げる。クラスメイトと談笑をしている日沼が一瞬上谷を見て、それからすぐに、背を向けた。
……やっぱりなんか、変だよな。
そう思うが、こちらに関しては全く、心当たりがない。態度の変化に気がついたのは最近だが、思い起こせば、カラオケで遭遇した後からずっとこんな感じだった。やはり深水が言っていた、幽霊が見えるかもしれない、という可能性に関連しているのだろうか。
日沼と深水。ここで何か行動を起こさなければ、親しいと思っていた二人との関係が同時に変化してしまいそうで、上谷は頭を抱える。けれど、具体的に何をすればいいのかが、さっぱり思いつかない。
「…わっ!」
「うわっ」
思考の海にずぶずぶと沈んでいきそうだった自意識が、現実の声に呼び戻される。全く気が付かなかったが、いつの間にか目の前に小野寺が立っていた。上谷が後ろへ仰け反るほど驚いたので、声をかけた小野寺の方が目を丸くしている。
「ごめん、そんなに驚くとは思ってなくて」
「いや、別に…大丈夫」
そこまで話して、この聡い友人は、上谷の様子がおかしいことに気がついたらしい。前の席に逆向きで腰を下ろすと、自分の胸を軽く叩く。
「開設、小野寺くんお悩み相談教室」
「…何?」
「最近、頻発してた忘れ物とか無くし物が解決して嬉しそうにしてるのかと思ったら、そんな状態なんだもん。ほら、はなしてみ。お前が悩み事なんて珍しいし、解決できるかはわからないけど、一緒に頑張って悩むことはできると思うから」
確かに、幽霊に取り憑かれてから悩まされていた、物の紛失は収まった。けれど、そんなことはもうどうでもいいくらいの悩みで、日常生活が上書きされている。
少しだけ、悩む。自分なんかの悩みを、他人へ聞かせてもいいのだろうか。そんな言葉を思い浮かべて──きっと、こういうところがよくないんだろうな、と思い直す。
「…じゃあ、一つ目」
「ナンバリングするくらいあるんだ。いいよ、こい」
「日沼の様子がなんか、おかしい」
小野寺は目を丸くしたが、実際、あまり驚いてはいないようだった。おそらく日沼の変化には、上谷よりも先に気がついていたのだろう。あー、と短く返事をしてから、頭の中で言葉を選び、組み立てる。
「あいつ、ああ見えて結構、友情に熱いやつだからな。わかりやすくいうと、俺は”自分から話してくれるまで待とう派”なんだけど、日沼は”友達なんだからなんでも話してくれよ派”なんだよ。その気持ちがちょっと、上谷に対してすれ違ってるみたい」
「なるほど…?」
「まあ、あいつも自分で自分の気持ちわかってるだろうし、そのうち整理つけて、元通りになるよ。拗れそうだったら、間に俺が入るし」
わかるようで、わからない。結局解決していないような気もしたが、自分の中にしか存在していなかった違和感を小野寺と共有できたことで、いくらかは気持ちが楽になった。
「で、二つ目は?」
「………これは本当に、しょうもない話なんですが」
切り替えた小野寺を前に、また、口ごもる。話すべきか未だ迷っている本題を隠し、上谷が選んだのは、こんな状況では実に能天気に聞こえる話題だった。
「…告白されてから相手を意識して好きになるって、普通?」
「…別に、普通じゃない?」
そんな悩みを相談されるとは思っていなかった小野寺の返事が、一拍遅れる。
「ほんと? 都合良い奴って思われない?」
「少なくとも、おかしいことじゃないよ。意識するきっかけが、告白だったってだけでしょ」
「お前はほんと、俺を全肯定してくれるな…」
「そういうわけでもないけど…何。もしかして河合さん?」
「あー……いや。それはこの間、ごめんなさいって」
「えっ!? マジで告白されてたんだ!」
「声大きいって…! 内緒な、内緒」
「もちろん。大丈夫、俺ちゃんと口硬いから」
こそこそ内緒で話し合った後、二人して頷く。それで解放してくれればこの回は終わりだったのだが、残念ながら相手が悪かった。
「で、三つ目は?」
小野寺の声には、確信が宿っている。どきり、と胸を刺されたような衝撃があって、上谷は目を逸らす。
「…えっと…三つ目、とは?」
「あるんだろ、本題」
話題に出すことはもちろん、匂わせることすらしなかった事が見透かされていて、上谷は不思議で仕方がなかった。──この人は、読心術でも使えるのだろうか? あるいは超能力者だ。きっとスプーンを曲げたり、水晶玉を一瞬で消すことができたりする。
「…俺は別に、超能力を使ったわけじゃないからな」
「ま、また心を読まれた…!」
「いや、上谷の顔がわかりやすすぎるだけ。全部出てるから、まだ他に悩んでることありますよーっていう、心の中が」
自覚はないが、他人から指摘をされるくらいだから、そうなのだろう。
……白状するしかない。いや、最初から話すつもりだった。ただ、言葉にする勇気がなくて、それをかき集めるのに時間がかかってしまっただけ。言う。言うぞ。そう決めてからも、何度か躊躇って、口を閉じたり、開いたりする。
しばらく間を開けて、ようやく発された上谷の声は、自信なさげに萎んでいた。
「なんか…自分を蔑ろにして…? それで、俺を助けてくれようとした人を、どうしてそんなことするんだと、怒らせてしまいました…」
「…あー」
「でも、あの時は俺がそうしないと、相手の方が危なかったっていうか…」
うまく説明ができない。幽霊に襲われかけて、とか、そもそも俺のための除霊で、とか。ただでさえ複雑な悩みなのに、詳細を話すことができないから、余計にこんがらがっている気がする。それでも小野寺は、全容が掴めないなりに何か、諭すべき結論を見つけてくれたようだった。柔らかな表情には茶化したり、おどけたりする様子なんてなく、ただ静かに口を開く。
「上谷はさ、優しいよね」
「そうかな」
「そうだよ。でもそれが、ぜんぜん自分に向いてない」
小野寺が、いつになく真剣な眼差しで上谷を見つめる。
「自己犠牲って、やる方は案外、簡単なのかもしれないけどさ。やられた方は結構、しんどいよ。自分が大切に思っている人が、何より無事でいてほしい人が、”自分なんかどうだっていい”って態度なんだもん」
深水が言ったのと、同じような言葉だと思った。小野寺が続ける。
「上谷が犠牲になった結果、自分だけが助かったとして、その人は嬉しいと思う?」
上谷は答えられなかった。逆の立場で考えたら、とても納得ができないからだ。けれど…自分がやったのはそういうことなのだろう。深水のことを考えて、深水のためにやったつもりで、その結果、彼を深く傷つけていた。何も言えなくなった上谷を前に、小野寺が表情を和らげる。
「……とは言っても、いきなり考え方変えるのって難しいと思うからさ。とりあえず、“俺なんか”を“俺も!”にシフトチェンジするところから始めたら?」
「俺も……?」
「そう。“俺なんかどうだっていい”じゃなくて、“俺も大事にされたい!”って。そっちの方が、なんか生きやすそうじゃん」
さらっと言ってから、小野寺が笑う。明るい調子で言われると、なんだか今すぐにでもできてしまいそうな気がして、不思議だった。
「……俺」
口からこぼれたのは、今までとは違い、考え尽くした言葉ではなかった。
「あいつに、謝んないと」
「うん。俺も、それがいいと思うよ」
独り言のような呟きを、小野寺がにこりと微笑んで肯定する。
「ありがとう、小野寺。だいぶ気持ち軽くなった。ほんと、どんなお礼をすればいいか…」
「いいよ、全然。今度俺が恋人とのことで悩んだ時に相談乗ってもらうから、それでチャラな」
「それはもちろ…えっ、お前恋人いるの!?」
「ちょ、声が大きい…!」
授業の合間、騒がしい教室。自分の席で窓越しに太陽を睨みつけながら、上谷は少し憂鬱だった。
深水の家で除霊を行ってから、数日が経つ。二人の仲は、特段、気まずくなったりはしていない。……はずだ。連絡を取れば普通に返事が返ってくるし、あちらからも同じ。ただ、以前のようにオカルト研究部の部室で待ち合わせたりは、残念ながらしていない。意図的に避けているわけではなくて、たまたま上谷の方にバイトやら何やらで用事があったり、深水の方にもいろいろ都合があって、そうなってしまっている。
……これは一応、喧嘩…というものになるのだろうか。
分からない。上谷は今まで、意見の違いで人と衝突することなんてなかった。大抵そうなる前に自分が折れるか、そういった状況を避けてきたからだ。だから、これが喧嘩なのか、仲直りをするべき状態なのか。それすらも、分からない。
…悩み事はもう一つある。
視線を感じ、顔を上げる。クラスメイトと談笑をしている日沼が一瞬上谷を見て、それからすぐに、背を向けた。
……やっぱりなんか、変だよな。
そう思うが、こちらに関しては全く、心当たりがない。態度の変化に気がついたのは最近だが、思い起こせば、カラオケで遭遇した後からずっとこんな感じだった。やはり深水が言っていた、幽霊が見えるかもしれない、という可能性に関連しているのだろうか。
日沼と深水。ここで何か行動を起こさなければ、親しいと思っていた二人との関係が同時に変化してしまいそうで、上谷は頭を抱える。けれど、具体的に何をすればいいのかが、さっぱり思いつかない。
「…わっ!」
「うわっ」
思考の海にずぶずぶと沈んでいきそうだった自意識が、現実の声に呼び戻される。全く気が付かなかったが、いつの間にか目の前に小野寺が立っていた。上谷が後ろへ仰け反るほど驚いたので、声をかけた小野寺の方が目を丸くしている。
「ごめん、そんなに驚くとは思ってなくて」
「いや、別に…大丈夫」
そこまで話して、この聡い友人は、上谷の様子がおかしいことに気がついたらしい。前の席に逆向きで腰を下ろすと、自分の胸を軽く叩く。
「開設、小野寺くんお悩み相談教室」
「…何?」
「最近、頻発してた忘れ物とか無くし物が解決して嬉しそうにしてるのかと思ったら、そんな状態なんだもん。ほら、はなしてみ。お前が悩み事なんて珍しいし、解決できるかはわからないけど、一緒に頑張って悩むことはできると思うから」
確かに、幽霊に取り憑かれてから悩まされていた、物の紛失は収まった。けれど、そんなことはもうどうでもいいくらいの悩みで、日常生活が上書きされている。
少しだけ、悩む。自分なんかの悩みを、他人へ聞かせてもいいのだろうか。そんな言葉を思い浮かべて──きっと、こういうところがよくないんだろうな、と思い直す。
「…じゃあ、一つ目」
「ナンバリングするくらいあるんだ。いいよ、こい」
「日沼の様子がなんか、おかしい」
小野寺は目を丸くしたが、実際、あまり驚いてはいないようだった。おそらく日沼の変化には、上谷よりも先に気がついていたのだろう。あー、と短く返事をしてから、頭の中で言葉を選び、組み立てる。
「あいつ、ああ見えて結構、友情に熱いやつだからな。わかりやすくいうと、俺は”自分から話してくれるまで待とう派”なんだけど、日沼は”友達なんだからなんでも話してくれよ派”なんだよ。その気持ちがちょっと、上谷に対してすれ違ってるみたい」
「なるほど…?」
「まあ、あいつも自分で自分の気持ちわかってるだろうし、そのうち整理つけて、元通りになるよ。拗れそうだったら、間に俺が入るし」
わかるようで、わからない。結局解決していないような気もしたが、自分の中にしか存在していなかった違和感を小野寺と共有できたことで、いくらかは気持ちが楽になった。
「で、二つ目は?」
「………これは本当に、しょうもない話なんですが」
切り替えた小野寺を前に、また、口ごもる。話すべきか未だ迷っている本題を隠し、上谷が選んだのは、こんな状況では実に能天気に聞こえる話題だった。
「…告白されてから相手を意識して好きになるって、普通?」
「…別に、普通じゃない?」
そんな悩みを相談されるとは思っていなかった小野寺の返事が、一拍遅れる。
「ほんと? 都合良い奴って思われない?」
「少なくとも、おかしいことじゃないよ。意識するきっかけが、告白だったってだけでしょ」
「お前はほんと、俺を全肯定してくれるな…」
「そういうわけでもないけど…何。もしかして河合さん?」
「あー……いや。それはこの間、ごめんなさいって」
「えっ!? マジで告白されてたんだ!」
「声大きいって…! 内緒な、内緒」
「もちろん。大丈夫、俺ちゃんと口硬いから」
こそこそ内緒で話し合った後、二人して頷く。それで解放してくれればこの回は終わりだったのだが、残念ながら相手が悪かった。
「で、三つ目は?」
小野寺の声には、確信が宿っている。どきり、と胸を刺されたような衝撃があって、上谷は目を逸らす。
「…えっと…三つ目、とは?」
「あるんだろ、本題」
話題に出すことはもちろん、匂わせることすらしなかった事が見透かされていて、上谷は不思議で仕方がなかった。──この人は、読心術でも使えるのだろうか? あるいは超能力者だ。きっとスプーンを曲げたり、水晶玉を一瞬で消すことができたりする。
「…俺は別に、超能力を使ったわけじゃないからな」
「ま、また心を読まれた…!」
「いや、上谷の顔がわかりやすすぎるだけ。全部出てるから、まだ他に悩んでることありますよーっていう、心の中が」
自覚はないが、他人から指摘をされるくらいだから、そうなのだろう。
……白状するしかない。いや、最初から話すつもりだった。ただ、言葉にする勇気がなくて、それをかき集めるのに時間がかかってしまっただけ。言う。言うぞ。そう決めてからも、何度か躊躇って、口を閉じたり、開いたりする。
しばらく間を開けて、ようやく発された上谷の声は、自信なさげに萎んでいた。
「なんか…自分を蔑ろにして…? それで、俺を助けてくれようとした人を、どうしてそんなことするんだと、怒らせてしまいました…」
「…あー」
「でも、あの時は俺がそうしないと、相手の方が危なかったっていうか…」
うまく説明ができない。幽霊に襲われかけて、とか、そもそも俺のための除霊で、とか。ただでさえ複雑な悩みなのに、詳細を話すことができないから、余計にこんがらがっている気がする。それでも小野寺は、全容が掴めないなりに何か、諭すべき結論を見つけてくれたようだった。柔らかな表情には茶化したり、おどけたりする様子なんてなく、ただ静かに口を開く。
「上谷はさ、優しいよね」
「そうかな」
「そうだよ。でもそれが、ぜんぜん自分に向いてない」
小野寺が、いつになく真剣な眼差しで上谷を見つめる。
「自己犠牲って、やる方は案外、簡単なのかもしれないけどさ。やられた方は結構、しんどいよ。自分が大切に思っている人が、何より無事でいてほしい人が、”自分なんかどうだっていい”って態度なんだもん」
深水が言ったのと、同じような言葉だと思った。小野寺が続ける。
「上谷が犠牲になった結果、自分だけが助かったとして、その人は嬉しいと思う?」
上谷は答えられなかった。逆の立場で考えたら、とても納得ができないからだ。けれど…自分がやったのはそういうことなのだろう。深水のことを考えて、深水のためにやったつもりで、その結果、彼を深く傷つけていた。何も言えなくなった上谷を前に、小野寺が表情を和らげる。
「……とは言っても、いきなり考え方変えるのって難しいと思うからさ。とりあえず、“俺なんか”を“俺も!”にシフトチェンジするところから始めたら?」
「俺も……?」
「そう。“俺なんかどうだっていい”じゃなくて、“俺も大事にされたい!”って。そっちの方が、なんか生きやすそうじゃん」
さらっと言ってから、小野寺が笑う。明るい調子で言われると、なんだか今すぐにでもできてしまいそうな気がして、不思議だった。
「……俺」
口からこぼれたのは、今までとは違い、考え尽くした言葉ではなかった。
「あいつに、謝んないと」
「うん。俺も、それがいいと思うよ」
独り言のような呟きを、小野寺がにこりと微笑んで肯定する。
「ありがとう、小野寺。だいぶ気持ち軽くなった。ほんと、どんなお礼をすればいいか…」
「いいよ、全然。今度俺が恋人とのことで悩んだ時に相談乗ってもらうから、それでチャラな」
「それはもちろ…えっ、お前恋人いるの!?」
「ちょ、声が大きい…!」
