おばけなんてうそさ

 初めて来た時はなんだか古い雰囲気で落ち着かないと思っていたけれど、オカルト研究部の部室は、慣れれば結構快適だった。上谷は一つしかない窓の外をぼんやり見つめ、小さく息を吐く。今日は、ここで深水と待ち合わせだ。

「…おや、上谷氏。お一人とは珍しい」

 がら、と引き戸が開けられて、岩見が顔をだす。彼ももう当初のように、部室にいる上谷に驚いたりしない。むしろ最近では入部を勧めてくるほどだ。

「深水氏と待ち合わせですかな」
「うん。あいつ今日掃除当番で…あ、そういえば俺、岩見くんが言ってた魔王英雄列伝見たよ」
「なにっ」

 おそらく、忘れ物をとりに立ち寄ったのだろう。荷物を持ったまま机の近くにある棚をごそごそと漁っていた岩見が、上谷の言葉に背筋を伸ばし、くるりと上谷に向き直る。

「最初は専門用語ばっかりで何言ってるかわかんなかったけど、それ乗り越えるとめっちゃ面白いね。一週間で全部見ちゃった」
「全五十八話を!? おお…! 上谷氏! あなたという人は!」
「あ、でもさ。俺はサブスクで見たんだけど、サブスクだとなんか…規制? が入っててダメなんだよね? DVDを借りて見直した方がいいって聞いたよ」
「……それは、誰に?」
「隣のクラスの風間くん。カバンにキーホルダーつけてたから、俺も見たよーって話しかけたら」
「あの野郎!」

 話の途中で岩見が突然机を叩いたので、上谷はびくりと肩を跳ねさせた。ここまで感情を露わにする岩見は初めて見たかも知れない。

「あの…岩見くん? なにか嫌なことでも…」
「ぐ! 愚かと書いて愚です! 我々のような腐れオタクではない、いわゆる一般ピーポーである上谷氏が! 魔王英雄列伝に興味を持ち! 自発的に鑑賞してくれた、というだけで特大感謝、三日三晩祭を開いてお祝いするべきことだと言うのに、よりにもよってダメ出しとは! レンタルビデオ屋も次々潰れる昨今、とっくの昔に廃盤になった円盤なんて手に入るわけねえだろ! 自分だって小学生の時にインターネットの違法アップロードで見たくせにあいつ!」
「い、岩見くん?」
「我々古参が作品を後世へ残すためにやるべきことは! 新規を玄人面で冷笑するのではなく! 柔らかい毛布で抱いて離さないようにすることだと言うのに! 風間は上谷氏を抱くところか! 崖下に突き落として這い上がってくるのを待つような真似を…!」
「…でもさ。岩見くんがいつもカラオケで映画鑑賞会してる相手って、風間くんなんでしょ? 話しかけた時に聞いたよ」
「ええ。お互いにお互いしか友達がいないので、好みも解釈も何もかも正反対なのですが、仕方がなく」

 そこまで話して、急に自分を取り戻したらしい。岩見は、語るうちにほとんどゼロまで迫っていた上谷との距離を離し、当初の目的であろうファイルを棚から取り出して、自分のカバンへしまう。

「とにかく、風間の言うことは信じないでくだされ。ええ、サブスクで十分です。なんならサブスクの方が見やすいまであるので、ええ」
「あ、そうなんだ…」
「それでもどうしても気になる場合は、わたしが円盤をお貸しします故、お気軽に声をかけてくだされば!」

 多分、貸したいし、見てほしいんだろうな、と思った。そわそわと落ち着かない様子の岩見に「それじゃあ今度」と伝えると、見たことがないくらい明るい顔色で、熱烈な握手をされる。本当に、好きなことに対しては感情が豊かになる人だ。少し羨ましい、と上谷は思う。

「それではわたしはこの後、風間の野郎とカラオケで”赤鬼の森V2”鑑賞会の予定がありますので失礼いたします。また今度ぜひ! 魔王英雄列伝について語り合いましょうぞ!」
「うん、おつかれ岩見くん」

 びし、と敬礼をして部屋を出ていく岩見に、ひらひらと手を振る。遠ざかる姿を見守っていると、入れ違いで深水が入ってきた。スキップでもしそうな岩見の後ろ姿を見て、目を丸くしている。

「…お疲れ様です、上谷先輩」
「お、深水おつかれ。タイミングいいね」
「…なんのお話をしていたんですか? 岩見さん、いつもよりだいぶテンションが高く見えましたが…」
「俺が岩見くんが好きなアニメを見たって言ったらすごい喜んでくれてさ」
「ああ…なるほど」
「そうそう。なんか、三日三晩祭を開くとか、レンタルビデオ屋が潰れるとか、抱いて離さないとかさ。岩見くんの言葉遣いとか比喩って、バリエーション豊かで聞いてて面白いよな」

 上谷としては、先ほどの何気ない出来事を共有したかっただけなのだが、残念ながら、後半の言葉は深水の耳には届かなかったらしい。形の良い唇が開いて、ぽつり、と言葉を落とす。

「…抱く? 先輩を?」

 後ろ手で扉を閉める音が、やけに大きく聞こえた。加えて、室内の気温が数度、下がった気がする。思わず理科準備室の名残で壁にかかっている気温計を見たが、先ほどとあまり変わりがない。…もしかして、おばけかな。とも思ったが、どうやら違う。

「…困ったな」

 それよりももっと、現実的な恐怖だ。ほの暗いオーラ。そうとしか言いようがない。思わず圧倒されるような覇気を放ち、深水はため息をつくと、目元にかかる髪を苛立たしげにかき上げる。

「人の祓い方なんて、知らないのに」

 そういえば、こいつ…。
 何が深水の機嫌を損ねたんだろう。考えて今更、カラオケでの一件を思い出す。上谷はどうすればいいかわからなかったし、深水自身も触れてほしくなさそうだったから、今日に至るまで二人とも話題へ出さずにいたけど、そういえば深水って…。
 いくらか平静を取り戻したらしい深水が、取り乱してすみません、と謝罪をしながら、上谷の向かい側の椅子へ腰を下ろす。伏し目がちの頬に、まつ毛の影が伸びていた。中学の時に一瞬バスケをやっていただけで、果たしてこんなに大きく成長するものなのだろうか。絶対他に何かやってたな。スポーツに外見はもちろん関係ないけど、こんなかっこいいやつ、何やっても似合いそうだし、どこにいても、女の子が大騒ぎしそうで…、……。
 ………こんなかっこいいやつが、俺のこと好きなのか。

「……深水」
「なんですか」
「お前って……その、彼女、とか。恋人、いたことある?」

 驚きのあまり、深水が椅子から落ちかける。慌てて支えようとしたら、片手で静止された。
 
「………どうしたんですか、突然」
「や、気になって……だってお前、かっこいいじゃん」
「……」
「あ、無神経だったかも…ごめんね…?」
「いいえ。むしろ、いい気分です」
「………なんで……?」
「だって、俺に自身に興味が出てきたってことですよね。幽霊が見えるとか、見えないとか関係なしに」

 いい気分、と言う言葉通り、深水は楽しそうだった。赤らんだ頬のせいだろうか。こちらを見つめる顔は、少し幼く見える。
 ………。
 ………………。

「…ああ! だめだ、わかんない!」
「何がですか」

 悩んだことや、考えたことがすぐに口から出ていくのは、上谷の悪いくせだ。普段ならなんでもない、で済ませるのに、今回に限っては相手が悪い。
 絶対に逃がさん。言葉より目で訴えかけてくる深水が、上谷の言葉をじっと待つ。

「先輩は、何がわからないの?」
「だ、だって俺、そういう経験あんまりないし…」
「あんまり?」
「…………ほぼ」
「ほぼ?」
「一回だけ! でも、その時だって手しか繋いだことないし……わかんないよ。俺ってお前とキスとかしたいのかな…?」

 混乱のあまり、そんなのは本人に聞くことじゃない、というようなことまで口走った。上谷の方は、今すぐにでも脳内で本日の振り返りと大反省会を開催したい気分だったが、対する深水は、緩やかに口角を持ち上げて、静かに笑っている。もう結構な付き合いになるけど、そんな表情は初めて見た。心臓から変な音が聞こえる。おそらく何か、重大な疾患があるのだろう。今日は病院に行くから、続きは今度にしてもらおうかな。

「俺とのこと、真剣に考えてくれてありがとうございます。でも、話が飛躍しすぎですよ」
「ひやく……?」
「はい。先輩は多分、理屈で考えてもわかんないでしょう。だから、男同士とかキスしたいとか、そういうのじゃなくて、もっと感覚的で、近いところから考えてみましょうよ」
「近いとこ…」
 
 脳の処理が追いつかず、上谷はまたいつかのように、深水の言葉を繰り返すだけの機械になる。そしてそのまま、立ち上がり、こちらへやってくる深水を見つめた。大きな体が椅子に座る上谷の前にしゃがむと、膝の上に置かれていた手に、指先が伸びる。びく、と跳ねた緊張は、一瞬で無かったことにされて、深水の長い指が、上谷の手の甲を辿る。いつかと、同じだ。ただ、その時と違うのは。大きな手のひらが、上谷の手を攫う。指と指が絡み合って、簡単には解けそうにない。触れ合った肌は、思いのほか熱かった。

「手は、繋いだことあるんですよね」

 ぎゅ、と手を握り込んだまま、深水が上谷の手の甲を自身の胸元へ導いて、制服越しにとん、と当てる。どくどくと、伝わってくるのは深水の鼓動だろう。昔飼っていた小鳥みたいに忙しなく跳ねていた。それをからかえるほどの余裕が、今の上谷にはない。だってきっと、自分の心臓の方が。

「…どうですか?」
「……どきどきしてる」
「誰が?」
「ふ、深水、が」
「俺だけ?」

 こいつ、わかっていて聞いている。信じられないような、もう勘弁して欲しいような気持ちで見つめ返すと、深水がふ、と小さく笑った。

「触られてどきどきするの、俺だけですか?」

 今度は深水の手の甲が、上谷の胸元へ当てられる。それで答えはわかったはずだが、深水は何も言わなかった。降参だ。こんなのはもう、完全敗北に近い。いつの間にか立場が逆転している。だって少なくとも、カラオケで告白をされた時は、上谷の方が慰めてやる立場だったのに。

「…………お前、なんでそんな積極的なの……」
「勢いとはいえ告白してしまったので、もう何も無かったことにはできませんし。それに」

 ようやく開放された手は、それなのにまだ、熱かった。おそらく深水の熱が移ったのだろう。上谷が自分の身に起こっているさまざまに理由を見つけていると、立ち上がった深水が上谷の頬をそっと撫で、上を向かせる。

「少しでも脈があるなら、諦めたくない」

 言い残して、深水は上谷を通り過ぎると、そのまま給湯スペースへ向かう。ほとんど同じタイミングで、扉がガラリと開いた。

「いやー! わたしったら忘れ物を取りに来たくせに、その過程でさらに忘れ物をしてしまうだなんて随分なうっかり者…おや、我が盟友の上谷氏! なんだかとっても顔が赤いですぞ!」

 現れたのは、数分前と同じように上機嫌な岩見だった。ほとんど瀕死の上谷を横目に、深水が二人分のお茶を準備しながらなんでもなさそうに言う。

「上谷先輩は少し、頑張りすぎちゃったみたいです」
「なんと…! わたし、こんなこともあろうかと塩飴を持ち歩いております故、一つ贈呈いたしましょう! 疲労回復にはこれが一番。何をしたかは知りませんが、慣れないことをするものではありませんぞ」
「……ありがとう、岩見くん」

 元凶は今、素知らぬ顔で作業をしているのだが、それを岩見の前で言及するわけにはいかない。何が、頑張りすぎちゃった、だよ。恨めしい気持ちで見つめていると、それに気がついた深水が、上谷にだけ見えるように笑って、また心臓がおかしな音を立てた。その様子を見ていた岩見は「あらあら…」と心配そうに、塩飴を二個くれた。