おばけなんてうそさ

 カラオケの一件から、しばらく経った。
 あれから上谷と深水は、放課後に予定を合わせては、色々な場所へ足を運んでいる。毎日、というわけではないが、結構な頻度だと思う。目的はもちろん、幽霊が出そうな場所へ行って、上谷に取り憑いている二体の幽霊をなんとかするためだった。
 だが、成果は芳しくない。カラオケで学んだ通り、条件が揃いすぎると関係のない幽霊が寄ってくるし、逆に条件が揃わないと、びっくりするくらい何も起こらない。上谷は携帯を開くと、深水と連絡先を交換したチャットアプリを開く。二人のトーク画面の上部にはメモが固定されていて、そこには二人で一生懸命考えた”条件の良い場所”がつらつらと記されている。実際行ってみた場所には斜線が引かれているのだが、今では未訪問の場所より、そちらの方が多い。
 ……困った。
 いや、正確には。今、上谷の頭を占めているのは、それだけではない。

 ◆

「…それって、どういうこと?」

 あの日、カラオケの廊下。賑やかな雰囲気の中で、二人だけが取り残されていた。深水の言葉の真意を探りかねて、上谷が聞き返す。

「そのままの意味です。この部屋にいたはずの幽霊を、日沼先輩が祓った。しかも、この一瞬で」

 深水にしては珍しく、言葉を選んでいるようだった。まだ自分自身で自分の言葉を信じきれていない、という印象だ。

「…日沼にも深水みたいな力があるかも、ってこと…?」
「…おそらくは」
「ってことは…じゃあ、日沼にも事情を話して協力してもらえれば、もしかしたら──」
「いいえ」

 即答して、深水が首を振る。

「…日沼先輩はきっと、肝試しのとき、上谷先輩と一緒にいましたよね」
「え? うん、いたけど…」
「それなら」

 そこで一度、言葉を区切る。言い淀んでいるのは、上谷に気を遣っているからだろう。やがて決心したように、再び口を開く。

「あの人は、上谷先輩に何かが憑いた瞬間も、そのあと不運が続いていたところも、ずっと近くで見ていたはずなのに、何も言わなかった。…つまり」

 あ、と上谷の口から声が漏れる。…そういえば、そうだ。日沼は、ずっと上谷のそばにいた。それでも今、今日に至るまで、日沼は何も言ってこない。

「もし本当に“見える側”の人間なら、今日までずっと、意図的に見て見ぬふりをしていたことになります」

 ◆

「お、問題児」

 聞き覚えのある声に、神谷は顔を上げる。見ると、目の前に山中が立っていた。そういえばここは、職員室前の廊下だ。オカルト研究部へ頻繁に出入りするうち、自然とこの教師とも接する機会が多くなっていったから、当初よりはだいぶ砕けた口調になった気がする。上谷の手にある紙を見て、山中がふう、とため息をついた。

「進路希望でふざけるなんて、お前もなかなか豪胆というか…進路担当の鵜飼先生、怖いだろ」
「ふざけたわけじゃないんですけど…まあ、この学校って大学か専門かはさておき、進学する人しかいないから、目立っちゃったのかなって」

 そう、ふざけたつもりはない。けれど、多分就職。という文字は確かに少し、投げやりな書き方だったかもしれない。先ほどまで面談をしていた、進路指導を担当する鵜飼の、困ったような顔が頭に浮かぶ。

「お前、成績がめちゃくちゃ良い…ってわけでも、まあ、ないけど。悪くはないんだから、今から進学を諦めるのは早いんじゃないか? まだ二年生の半ばだぞ」
「いやあ…でも俺、特に進学してやりたいこととか、ないですし」

 口ぶり的に、山中も上谷が進路希望の紙に書いた言葉を知っているのだろう。口から出たのは、先ほど進路指導室で答えたのと、全く同じ言葉だった。

「大学って、やりたいことが具体的に決まっている人が行くイメージ…っていうか。俺みたいに“なんとなく”で行くの、勿体なくないですか」
「そんな立派な理由持って進学してる高校生、半分もいないだろ」

 山中が呆れたように言う。…そうなんだろうか。上谷にはわからない。だって、部活をやっていないから先輩には特に仲の良い知り合いがいないし、バイト先には年上もいるけれど、みんな何かに向かって一生懸命で、とても日々を無意味に浪費しているようには見えない。上谷が黙っていると、山中が続ける。

「じゃあ聞くけど、上谷。お前は就職して何したいんだ?」
「…え」
「その、“多分就職”の先。何の仕事するつもりなんだよ」

 言われて、言葉に詰まってしまう。正直、考えたことがなかった。先ほどの進路指導は、現状の上谷になんとか進学を意識させようとする感じだったから、就職をしたその先、なんて。上谷の中には、答えがない。

「……まだ、特には」
「だろうな。お前、働きたいんじゃなくて、早く自立したいんだろ」

 それに無理やり、就職という進路を当てはめようとしているだけ。この人はどうして、こんなにズバズバと言い当てることができるんだろう。上谷は何も言えなかった。それでも沈黙が痛いから、いつものように曖昧に笑って誤魔化そうとして、口を開く。

「……妹の方が、これからもいろいろ、お金かかるし」

 途切れ途切れになった言葉は、妙な幼さを孕んでいた。まるで、拗ねた子供が、いたずらの理由を白状させられている時みたいだ。そんな調子じゃない。ただ、自分の中ではとっくに納得していたことを、改めて人へ聞かせるために口にしたら、急に情けなく聞こえてしまった。上谷は笑いたい。ふざけて笑って、冗談だということにしたい。しかし、なぜだかそれができない。山中が少しだけ眉を寄せる。

「…新体操だっけ」
「やっぱ、知ってるんですね」
「まあ、有名だからな」

 別に、知っているのは悪いことではないのに、山中は何故か気まずそうだった。
 上谷が自分で言わなくたって、この辺に住んでいる人間なら誰もが知っているだろう。通学路の途中にある、妹たちが通う中学校には今でも「関東大会出場おめでとう」という横断幕が、実名入りで垂れ下がっている。双子の妹たちは、その瓜二つな容姿を除いても、昔から特に目立っていた。二人とも新体操で優秀な成績を収めていて、大会のたびにしょっちゅう遠征へ行っている。地方紙に載ったことだって、一度や二度じゃない。

「うちには父さんがいないから、母さんが一人で全部やってくれてるんです。遠征とか送迎とか、食事の管理とか、その他にも色々。いま、ただでさえ忙しくて、来年は妹たちにとって大切な年になるだろうって言われてるのに、俺まで大学行きたいとか言い出したら」

 その続きを言いかけて、口を閉じる。そんなつもりはないのに、妹たちを責めているようなニュアンスになりそうで嫌だった。話を聞いていた山中が数秒、間を開けた後、静かに口を開く。

「それ、お母さんに言われたのか?」
「え?」
「妹たちで手一杯だから、朝陽は我慢しなさいって」

 そんなことを言われるとは思っておらず、上谷は瞬きをする。

「え…い、いや。そんなこと、言われてないです」
「じゃあ、勝手にそう思ってるだけだな」
「…まあ」

 軽く頷く。だって実際、そうだ。妹たちは毎日、頑張っている。辛い練習をこなして、食べたいものも我慢して、友達と遊びたいのも堪えて、結果を出している。母親がそちらを優先するのは当然だ。上谷は長男だし、自分で起きられるし、弁当がなくても学食へ行けばいいし、夕飯がなくてもコンビニへ行ける。暗い夜道に送迎は必要ないし、常に家で一人でも寂しくて泣いたりしないし、熱を出しても、一人で病院へ行ける。
 だから別に、俺なんか。

「上谷」

 山中の声が、少しだけ低くなる。

「家のこと考えられるのは偉いよ。実際、それぞれの事情があるだろうし、今日や明日に答えが出るような、簡単な話じゃない」

 そこで一度区切って、続けた。

「でも高校生が、自分なんかどうだっていいって顔して、この先いくらでもある選択肢を手放していくのは、教師として肯定したくない」
「……」
「お前、そうやって何でも”俺なんか”で済ませてると、そのうち本当に、自分が何したいのかわかんなくなるぞ」

 心臓が、少しだけ変な音を立てた。上谷は反射的に笑う。

「山中先生、進路指導とか向いてるんじゃないですか?」
「絶対無理。自分の悩みで精一杯なのに、生徒の相談なんか聞けないよ」

 上谷がふざけるから、山中も同じテンションで返した。

「まあ、まだ二年だ。今すぐ決めなくてもいい。悩めるうちに悩んどけ。それも青春ってやつだろ」

 どうしてもしんどかったら、話くらいは聞いてやるから。言い残して、山中は職員室へ歩いていく。……なんでこんなこと、話しちゃったんだろう。不思議に思いつつも、嫌な気分ではなかった。