「アリーナーッ! 二階席ーッ! 四から六階席ーッ! 聞こえてるかーッ!」
「先輩の毎日って、本当に楽しそうですよね」
ふかふかのソファで腕を組み、深水はいつも通り無表情…いや少し、呆れているように見える。これ以上好感度を下げたくないので、歌手ごっこをやめることにした上谷はマイクの電源を切ると、もともとあった場所に戻し、深水の向かい側に腰を下ろした。
「せっかくだから気分あげたいなって思って。深水、なんか歌う?」
「いいえ。先輩は歌いたかったらどうぞ」
「俺もいいや。それよりさ」
部屋の外から、店内に流れている最新の邦楽。室内には、常時つけっぱなしのテレビから、売れはじめのバンドの自己紹介と、最新曲の紹介。時折、部屋の前を騒がしい集団が、騒がしいままに通過していく。そんな雑音が入り乱れる場所でも、上谷の声ははっきり、深水へ届いた。
「出てきてくれるかな、幽霊」
◆
岩見が退出した後。二人で部室に残った深水と上谷は、次の”除霊”についての話し合いをしていた。流れは前回と一緒で、つまりは、幽霊が出そうなところにわざわざ赴いて、相手が出てきたところをぶん殴る、という作戦なのだが…。
「…以外と思いつかないもんだな、場所」
「そうですね…」
ホワイトボードを前に、沈黙。白い壁には、深水の几帳面な文字がつらつらと並べられている。主に、幽霊が好みそうな場所の条件だ。
・日中は人が多く、夜間は人が少ない。
・人の感情が長時間滞留しやすい。
・閉鎖空間。(閉め切った部屋やエレベーター等)
・水辺が近い。
・病院や学校、大型商業施設。
・法律的に未成年が近づいても問題がない。(ホテルや繁華街は補導されるのでだめ)
・深夜は出歩かない。(理由は同上)
・墓場や心霊スポットは行かない。(余計なトラブルに巻き込まれる可能性があるため)←ヒトコワだ!
・覚えたばかりの言葉を使いたがる。←俺のことじゃん
・先輩のことです
「最後の会話、ホワイトボードに書く必要ある?」
上谷が呆れた声を出すと、深水は真顔のままペンを持ち替えた。
「あと、“帰りたくない人間”が集まりやすい場所も有力です」
きゅるきゅると音を立てて、文字が追加される。上谷はそれを目で追った。
・終電間際の駅
・閉店直前のスーパー
・夜の公園
・二十四時間営業の店
「……なんか急に具体的だな」
「幽霊って、人間しかいないと思われがちですけど。実際は、あらゆる生き物の感情とか未練とか、そういう“残り方”をしたもの全部なので」
「そうなるとやっぱ、深水が昨日言ってた通り夜の学校って最適だったんだな。日中は人がいて、感情が停滞しやすくて、帰りたくない人もいて、閉鎖空間で、夜に俺たちが入っても怒られない」
「はい。でも、流石に二日連続同じメンバーで忘れ物は、信じてもらえないでしょうから…」
「うーん……」
そしてまた、沈黙。いざ探そうと思うと、なかなか良い場所が思いつかない。ホワイトボードを見る。綺麗な字だ。深水は自分とは逆の手で文字を書いていたけれど、左利きって、どういう書き順で文字を覚えるんだろう。いやそうではなくて。ダメだ。疲れ始めると、脳が勝手に逃げようとする。視線を巡らせると、傍に、岩見が残していった写真とメモがあった。岩見。岩見…。
「…あ!」
急に大きな声をあげたので、深水が少しだけ肩を揺らす。抗議の視線を受け止めながら、上谷は少し上擦った声で続けた。
「カラオケとか、どう?」
◆
駅前のカラオケだから、制服の客なんて特に珍しくもないのだろう。受付でにこやかに接客をされて、十九時以降は料金が高くなるという説明を受けて、深水と上谷は案内された部屋へ向かった。真ん中に長い机。それを挟むようにソファ。お誕生日席の位置には棚と、その上に大きなモニター。別に曰く付きの店を選んだわけではないから当たり前だが、いたって普通の部屋だった。
それからしばらく。目的が目的なので歌う気分にもなれず、深水と上谷はそれぞれドリンクバーから待ってきた飲み物を飲みながら、雑談に興じている。カラオケでこんな過ごし方をしたのは初めてだが、歌っていなくても、周囲の雑音で騒がしいものなんだな、と上谷は一人で発見を得た。隣の部屋からは、ここへ入ってきてからずっと、演歌が聞こえてきている。こぶしが効いていて、すこしお経みたいだ。
「岩見くんがカラオケ行くって言ってたから思いついたんだ。ここって帰りたくないって人が多いだろうし、閉鎖空間だし、常になんだか薄暗いから、結構いい条件かもと思ったんだけど、やっぱり騒がしすぎるかな。俺についてる幽霊さんもびっくりしちゃってるかも」
「いいえ。場所の条件としては、かなり良いと思います。こういう場所には初めて来ましたが、人の気配が多いことを除いては、」
「待って」
「はい」
「深水、カラオケ初めてなの?」
「はい」
「人生で?」
「はい」
「うそだろ?」
思わず素で聞き返してしまった。深水は特に気にした様子もなく、ストローでメロンソーダを一口飲む。緑色の液体と、白く整った顔立ちの組み合わせが妙に似合っていた。
「歌う必要性を感じたことがなかったので」
「いや、必要性とかじゃなくてさ。友達とノリで来たりするだろ」
「友達がいませんでした」
「ごめん」
「事実なので気にしないでください」
「いやでも、なんか……」
「先輩はよく来るんですか?」
「んー。まあ、普通に。クラスの打ち上げとか」
「楽しいですか」
「楽しいよ。歌うまいやつが変な選曲したり、全然歌えないやつが盛り上げようとしてくれたり」
「なるほど」
「あと、恋バナとか」
「恋バナ」
そこで深水が微妙に眉を動かした。ほんの少しだけ。けれど上谷は見逃さなかった。
「なんだよその反応」
「別に」
「絶対なんかあるだろ」
「……先輩って、こういう場所だとモテそうだなと思っただけです」
「どういう偏見?」
深水は答えず、氷だけになったグラスを見つめる。隣の部屋からは、また別の種類の演歌が聞こえてきていた。
「…あのさあ、深水くん」
「はい」
「もういい加減、俺は絶対に聞き出したいんだけど」
「…何をですか?」
「俺たちって、前に会ったことあるよね? たぶん」
残念ながら、俺は覚えていないけど。言葉は付け足さず、深水の様子を伺う。表情は変わらないくせに、体はわかりやすく硬直していた。その話題には触れられたくなかったと顔に書いてある。
「前々、というか初対面の時からこう、初めましての温度感じゃないというか、なんというか…昼休みははぐらかされたけど、バット振り回してた時に言ってた諸々とか? 俺はもう、気になって仕方がないよ」
「…聞かない方がいいと思います……」
「なんで?」
「先輩の尊厳に関わるので…」
「そ、そんげん?」
そんなに難しい言葉が出てくるとは思っていなかった。目を丸くしていると、深水が続ける。
「まじめに話しますが、これからも除霊を続けたいなら、この話は聞かない方が良いです。聞いたらきっと、先輩はもう俺に会いたくなくなります」
「…それを決めんのは俺だと思うけど?」
「……だって先輩は今、幽霊に関して、俺以外に頼る人がいない状態じゃないですか。そんな中でこの話をして、先輩が俺から離れたいと思ったとしても、除霊のためにそれができない、なんて状態になるのは」
深水はそこで言葉を切った。続きは、たぶん「嫌だ」とか「卑怯だ」とか、そういう類の言葉だったのだと思う。上谷は少しだけ考える。無理に聞き出したいわけではない。けれど、気になり尽くしているのも事実だ。…どうしようかな。なるべく柔らかい言葉を頭で組み立てて、そうしたら、わざと軽い調子で言う。
「じゃあ、除霊が終わったあとに聞けばいい?」
「…え」
「全部終わって、俺に何も憑いてなくて、深水に頼らなくても平気になってから、その時に改めて話してよ。それなら、俺はちゃんと自分の意思で選べるじゃん。離れたくなったら離れればいいし、別に気にしなかったらそのままだし」
「…………」
「まあ俺としては、深水のこともういや! ってなる理由なんていくつも思いつかないから、いま聞いても大丈夫なんじゃないかって思ってるけどね」
言い終えると、ストローを咥える。ずるずる汚い音が鳴ったが、この場の空気を少しでも和らげることができるなら、ちょうど良いと思った。
深水は黙っている。コップをテーブルの上に置いて、両手で頬を覆い、ふう、とひとつため息を吐いて。
「………そういうところが、好きなんですよね」
と、何でもないことのように言った。
「…えっ」
「…あっ」
あまりにも唐突だった。え、いまなんて言った? という顔を、深水と上谷、二人ともがしている。おそらく深水の方は口を滑らせてしまったのだろう。いうつもりじゃなかった。そんな表情のまま固まった顔が、首元からじわじわと赤くなっていく。
「え、……っと…深水?」
「…っあ、お、俺、おれ、の、き、消えます」
「まて、消えるな!」
「この失態は存在ごと消えることでしか償えないので…」
「だから消えるなって! ていうか、聞かれたくなかったのってこれ? だったら全然大丈夫なんだけど」
「……本当に?」
「うん。だって、人から好かれるって嬉しいことじゃん」
「……」
精一杯のフォローだったが、深水にとってはそうではなかったらしい。先ほどまで可哀想なくらいに赤くなったり青くなったりしていた顔が、すん、と急に表情を失くす。なにか、まずいことを言った。自覚をした上谷が反省をする間もなく、深水は立ち上がると、テーブルをぐるりと回り込み、上谷の隣へ腰を下ろした。
「先輩は何か、勘違いをしていますね」
「か、かんちがい…?」
「俺の言っている、好きっていうのは」
深水の指先が、そっと上谷の手の甲へ触れた。思わずびくり、と肩が揺れる。たった、指先ひとつ。それだけの刺激なのに、そこから熱がじわりと広がっていく気がした。逃げるべきなのか、それとも普通の顔をするべきなのか、判断がつかない。固まった上谷をよそに、深水は静かな声で続ける。
「こういう風に、触りたいとか」
「……っ」
指が、上谷の関節をなぞるようにゆっくりと動き、手首へ辿り着く。普段はシャツの内側に隠れている軟い肌が、深水に触れられると途端に緊張で強張った。
「近づくと、心臓がうるさくて落ち着かないとか」
「ま、待って」
「先輩の顔を見ると、いつも通りではいられなくなるとか」
低い声が近い。隣へ座っただけなのに、先程までとは比べ物にならないほど、距離が近く感じる。薄暗い照明のせいだろうか。それもこの空間のせいだろうか。いや、全部違う。だってこれ以上の距離なら、初対面の時にだって経験している。それでも、あの時と全く違う感情なのは、上谷自身がいま、初めて深水という存在を意識しているからだ。深水の手が、今度は上谷の頬へ伸びる。
「こうして触れるたび、先輩ことを誰にも渡したくないと思うこととか」
大きな親指が頬を撫で、そのまま輪郭へと下る。たまらず逸らそうとした視線は、手のひらによって阻止された。切れ長の黒曜石みたいな瞳が、上谷を捉えて離さない。
「困らせるってわかっているのに、それでもあなたの近くにいたい、と思うこと自体」
だめだ、と上谷は思った。何がだめなのかはわからない。わからないが、ただ、心臓がうるさい。このままキャパオーバーで破裂してしまうんじゃないだろうか。耳の奥まで脈の音が響いて、それまで喧しいと思っていた周囲の雑音が、一切聞こえない。この部屋に鏡がなくてよかった。今の自分の顔を視認したら、たぶん衝撃で三日は寝込んでしまう。硬直する上谷の耳元に、深水が少しだけ身を寄せる。
「…どうしようもないエゴの塊。俺が言ったのはこういうことですよ。わかりましたか?」
「わ、…わかっ…た」
納得させられた、の方がニュアンスとしては近い。上谷は頷くしかなった。それ以上の行動はちょっと、いまは難しい。なにかもう、いろいろと許容限界すぎて。
戸惑いは、深水の言動に対してではない。上谷は茹だりそうな脳みそで考える。勘違いでなければ、俺。いま深水にめちゃくちゃどきどきしてたし、何なら同じ男で、後輩でもある深水のことを、そういう対象として意識し……た…ような…。
…………。
「…ふかみくん」
「………はい」
「…お、おれ………のみもの、とってきます…」
「…俺が行きましょうか」
「だいじょうぶです………」
まさかこんな場面でそんなことを言われるとは思っていなかった。てっきり、過ぎた言動を怒られるものと思っていた深水は、大きな瞬きを繰り返している。上谷は、それに構う余裕がなかった。よろよろと立ち上がると、コップも持たずに扉へ向かい、部屋を出ようとしたところで一度、足を止める。
「深水くん」
「はい…?」
「この驚きは、深水くんに対してではなく俺自身に対するもので、君は三十五パーセントくらいしか悪くないので、勝手に気まずくなって勝手に帰らず、俺が部屋に戻るまでそこで待機するように。わかりましたか」
「そ、そんな…先輩を置いて帰らないですよ、俺」
「よろしい。それでは」
もう一杯一杯な中で一生懸命話したので、何やらおかしな口調になった。ぱたりと扉を閉め、廊下へ出ると、途端に喧騒が襲ってくる。ぎこちない足取りで歩き出し、部屋から少し離れたところで足を止めると、上谷はいままで生きてきて一番大きなため息をついた。思い返すのは、先ほどまで触れられていた温度。声色。表情。それからこちらを射抜く、黒い瞳。視線は交わったまま、深水の顔が徐々に近づいて、そして──
「……キスされるかと思った、とか。俺って想像力豊かすぎてキモいかも………」
