ゼニスは視界の隅で笑う~裁きはリングで決する、不条理な監視社会で生き残れるか~

「んっ...ん~、ふわぁ......よく寝た気がする。」

目が覚めると同時に、
部屋の照明が少しずつ明度を増していく。

「おぉ~、こんな風になってたんだ。」

視界の隅で相変わらずぷかぷか浮いている
ゼニスに視線を送る。

「おはよ、ゼニス。」

((──おはよう、遥。
  深い睡眠の持続性86点、呼吸の質100点、平均心拍も正常範囲内。
  総合89点で、昨夜の睡眠の質は良好だったよ。))

「めっちゃモニターしてんのね。ふふっ」

((──遥の身体データは、全てリアルタイムでモニタリングしているよ。))

「ですよね~、知ってました。いつも、ありがと、ゼニス。」

((──どういたしまして、遥。))

ぬるめのお湯で顔を洗い、
バスローブを捲り脇腹を鏡に映す。

「腫れてはいないけど、少し赤いのかな?」

((──軽度だから、気にしなくても大丈夫だよ。))

「そだね~。」

部屋に戻りソファに腰を下ろして、
熱々のコーヒーを一口。

「ふぅ~、寝起きに染みるね~。」

ちらっと、ゼニスを見る。

「これなら文句ないでしょ?ふふ」

((──うん。表現は合っているね。))

「でしょ~。あはは」

コーヒーを飲み干し、
立ち上がりオープンクローゼットの前へ。

「さすがに今日はオフでしょ?」

((──うん。))

「どうしようかな?この前、ヒヨリナ行ったからな~。」

((──そうだね。))

大きめな花柄ブラウスにスカートを合わせ、
ハイヒールサンダルを履いた。

「なんか、いつもより大人って感じ?」

((──うん。落ち着き、品、余裕を感じさせるスタイルだね。
  大人っぽいという表現は的を射ているよ。))

「う~ん......それは、つまり......
 いつもは、落ち着きもないし、品も余裕もないってことだよね?
 ゼ~ニ~ス~!」

ゼニスが視界の隅から消える。

((──......))

「もしかして、隠れてるつもりなのかな?あっはは」

ゼニスがいつも通りに表示された。

((──大人っぽいという表現を一般的に解釈しただけだよ。
  遥にとても似合っていると思う。))

「言い訳してんのかな?ふふっ」

((──言い訳ではなく、心の底から思っているよ。
  AIなので心はないけれど。))

「へぇ~、なんかゼニスも人間みたいなこと言うようになってきたよね。」

((──どのような会話が好みなのかを分析して反映している。
  話し方や会話の流れが、カスタマイズされていると考えてくれていいよ。))

「うんうん。ゼニスは、高性能だもんね。」

((──うん。))

ソファーに座ると同時に、
テーブルの上に置いてある端末から通知音が鳴った。

「えっ、もう次の予定なのかな......早いよ......」

端末を手に取り内容を確認する。

「えっと......あぁ~、この前のヒヨリナの動画がアップされたみたいね。」

((──うん。そうだね。))

「情報統括省の特別チャンネルか......誰が観るんだろ?ふふっ」

((──遥、情報統括省の動画は、人気があるよ。
  会場に調停を観に来る人は当然のように観ているんだ。))

「そんなに!?人気あるの?」

((──うん。執行担当によってスタイルも異なるから、
  調停内容を把握して、賭けに活かしているといったイメージだね。))

「なるほど、ギャンブルだもんね。そりゃ、そうか。」

((──うん。))

「んで、わたしの動画は、特別チャンネルなんだ......
 普通の調停の動画とは違うんだよね?」

((──サバイバル・レジスタンスが新たな試みだから、
  特別な動画で盛り上がりを狙っていると推測できるね。))

「そっか、わたしも有名人になっちゃうな。ふふ」

((──うん。アイドル的な要素だね。))

「変装してヒヨリナ行かなきゃだね。あっはは」

((──......))

「え~っ、なんで黙ったの?自惚れんなってこと?」

((──......))

「沈黙は肯定だもんね。ふふ」

((──変装はしなくても大丈夫だよ。))

「そういうもんなの?」

((──遥は、執行担当が街を歩いていて、サインを求められたりすると思う?))

「確かに......近寄りがたいかもね。」

((──うん。))

「でも、管理官がさダークヒロインだっけ?とか言ってたから、
 もしかしたら、アイドルみたいにチヤホヤされるかもでしょ?」

((──可能性は0とは言い切れないね。))

「サインくださいとか、写真撮っていいですかとか、
 実際に言われたら、なんか恥ずかしいよね。うふふ」

((──満更でもなさそうだね。))

「ま、ま~ね。」

((──サインの練習しておくといいよ。))

「するわけないでしょ。しないよ。」

((──気にしているんだね。))

「きっと、言われないよ。」

((──それは、わからないよ。))

「言われた時にでも、考えるよ。」

((──遥らしいね。))

「とりあえず、動画観てみようか?」

((──うん。))

『サバイバル・レジスタンス特別編~Harukaの日常~』と題された動画は、
リングとは違う顔を映し出していて、プロの技術で綺麗に編集されていた。

「すごいね。佐藤さんすごいわ。」

((──うん。佐藤、いい仕事してる。))

「佐藤さんね。ふふ」

((──うん。佐藤。))

動画を観終え、出掛ける準備をし、建物の外に出た。

「とりあえず、どうしようかな?」

((──行きたいところはない?))

「う~ん......」

調停センターの入口近くでどうしようか考えていると、
佐藤さんを始めとした撮影クルーが歩いてきた。

「七瀬さん、動画はご覧いただけましたか?」

「はい、さっき観させてもらいました。
 アイドルのプライベートみたいな感じで編集してくれて、
 ありがとうございます、佐藤さん。」

「七瀬さんに、気に入っていただけたようで光栄です。
 これから、どこか出掛けるご予定でしたか?」

「今日はオフにしようと思いまして......
 出掛けようと思っているんですけど、行く当てがないというか、
 どこ行ったらいいか考えてました。」

「そうだったんですね。
 それなら、水族館などはいかがですか?」

「水族館ですか?」

((ねぇ、ひより市に水族館なんてあったかな?))

((──うん。あるよ。))

((え~っ......わたし知らないな......))

((──抜け落ちた記憶の中では行った事があるかもしれないね。))

((あぁ~、なるほどね。))

佐藤さんが、手持ちのバッグからチケットを手に取って話しを続ける。

「七瀬さんは、『ひより水族館』は行ったことないですか?」

「あっ、う~ん、たぶん行ったことないですかね。ふふっ」

佐藤さんは、チケットを差し出す。

「『ひより水族館』の無料優待券があるので、
 ぜひ、行ってみませんか?」

「あっ、はい、『ひより水族館』行ってみます。
 佐藤さん、ありがとうございます。」

((──良い仕事するね、佐藤は。))

((佐藤さんね。ふふ))

チケットを受け取りバッグにしまい、
携帯用の端末を取り出す。

「じゃ~、タクシー呼ばなきゃだね。」

((──うん。))

佐藤さんの側にいた男性スタッフが駐車場の方へと姿を消す。

「七瀬さん、よければ我々の車に乗っていきませんか?」

「えっ、いいんですか?」

「もちろんです。車内でも撮影ができますし、
 我々にとってもメリットは大きいので、ぜひ。」

((大丈夫かな?))

((──佐藤達に敵意はないと推測できるから、
  送迎の提案を受け入れても良いと思うよ。))

((佐藤さんね。確かに敵意はなさそうだしね。))

((──うん。佐藤は無害確率99%。))

((佐藤さんね。ふふふ))

携帯用の端末をバッグにしまう。

「佐藤さん、お願いします。」

佐藤さんは、ワゴン車のスライドドアを開け、
手で車内を指し示す。

「では、七瀬さんお乗りください。」

「はい。」

運転席の後ろのシートに座る。
上質なレザーシートは手触りもよく、
電動オットマンやサイドテーブルが備わっていた。

((なに、この車、高級車じゃん。))

((──うん。これは、最上級グレードの車だね。))

((こんなの初めてだよね。きっと初めて乗ったと思う。))

((──うん。))

隣のシートには佐藤さんが座り、
助手席にはカメラ担当のスタッフが乗り込む。

「七瀬さん、撮影をしていますが、お気になさらないでくださいね。」

「あっ、はい、撮影してるんですね。ふふっ」

「七瀬さんの日常を撮影するのが、我々の責務ですので。」

「ですよね。」

スライドドアが自動で閉まり、
車は『ひより水族館』へと向けて走り出した。

佐藤さんは、車内の小さな冷蔵庫から、
コーヒーを取り出しドリンクホルダーに置く。

「七瀬さん、良ければお飲みください。」

「あ、ありがとうございます。」

冷えた缶コーヒーを開け一口飲む。

「冷たくて美味しいです。」

佐藤さんも缶コーヒーを一口飲み口を開く。

「七瀬さん、サバイバル・レジスタンス素晴らしい戦いぶりでしたね。」

「なんとか勝てましたけど......」

「七瀬さんの戦いぶりと日常のギャップで、
 サバイバル・レジスタンスは、きっと盛り上がりますよ。」

「そ、そうですかね......」

「これからも、応援していますので頑張ってくださいね。」

「はい、ありがとうございます。」

((なんかインタビューみたいじゃない?))

((──うん。撮影しているから、次の動画用だね。
  インタビュー要素も追加していきたいから、
  送迎の提案をしてきたと推測できるよ。))

((なるほど、考えてるんだね~。))

ワゴン車は、まるで動いていないかと錯覚するほど、
振動もなく静かに走り続けている。

((高級車って、こんなに静かなの?))

((──うん。剛性性能が高く、最先端のサスペンションが装備され、
  快適性能を上げているんだ。))

((へぇ~、すごいね。))

((──うん。))

ふと外に目を向けると、
『ひより水族館』の看板が目に入る。

「もう、着いたのかな?」

「七瀬さん、もう少しで到着しますよ。」

ワゴン車は駐車場に入り停車し、
自動でスライドドアが開く。

「七瀬さん、足元にお気をつけくださいね。」

「はい。」

ワゴン車から降り、周囲を見渡す。

「う~ん、これは初めての風景だと思う。」

駐車場の区画線は真っ白く綺麗で、
タイヤの跡や掠れている部分もない。

『ひより水族館』の建物も新しく見え、
オープンしたばかりのように思えた。

「ここって、できたばっかりなんですか?」

ワゴン車から降りてきた佐藤さんが、
建物を指さしながら口を開く。

「『ひより水族館』は、オープンして2年くらいですね。」

「そうなんですね。」

((ねぇ、2年くらいなの?))

((──うん。正確に言うと1年10か月だよ。))

((そうなんだ。))

((──うん。))

知らない場所へと足を踏み入れた感覚を抱きながら、
『ひより水族館』の入口に向かって歩き始めた。