ゼニスは視界の隅で笑う~裁きはリングで決する、不条理な監視社会で生き残れるか~

見慣れた風景を車窓から眺めていると、
あっという間に調停センターに到着した。

タクシー内で支払いを済ませ、
運転手さんにお礼を伝えて降りる。

「帰ってきちゃったね、ふふっ」

((──うん。))

正面入り口から奥へと進み、
職員やVIP専用のエリアからエレベータに乗る。
宿泊フロアに到着し、101号室のドアを開けた。

「ただいま~。」

((──お帰り、遥。))

「ゼニスもお帰り。」

((──ただいま、遥。))

両手いっぱいの荷物をテーブルに置く。

「ケーキは冷蔵庫に入れておかなきゃだね。」

((──うん。))

テーブルからケーキの箱を手に取り、冷蔵庫の中へ。
ふと、ベッドの脇に視線を送ると、見慣れない段ボール箱が置いてあった。

「なんだろ、見覚えがない箱があるね。」

((──そうだね。))

段ボールを開けてみると、
洋服などアパートで使用していたものが入っていた。

「ヒヨリナ行ってる間に、アパートから運んでくれたんだね。」

((──うん。そうみたいだね。))

「仕事早いな、情報統括省。あっはは」

((──うん。))

「でも、しもむらで買ったお布団セットはないね。
 まぁ、持ってこられても困るけどさ、ふふっ」

((──そうだね。布団セットは処分されたのかもね。))

「うん、全く問題ないね。」

((──うん。))

ポーン──
相変わらず無機質なチャイムが、部屋に響く。

「誰だろ?栞ちゃんかな?」

ドアを開けると、栞が紙袋を片手に持って立っていた。

「遥さん、お疲れ様です。」

「おつかれ~、栞ちゃん。どしたの?」

「まず、アパートの解約処理のご報告です。」

「うん、荷物あったから、そうだと思ってた。」

「はい。処理が完了し、荷物を運びましたが、
 布団は不要との判断で処分させていただきました。
 処分後の報告になり、申し訳ございません。
 大丈夫でしたでしょうか?」

「うん、大丈夫。教えてくれて、ありがと。」

栞は、少しホッとした表情を浮かべた。

「あと、こちらをどうぞ。」

手に持っていた紙袋を手渡してきた。

紙袋を開き中を確認すると、
見覚えのある衣装が入っている。

「あぁ~、調停用の衣装だよね?」

「はい、遥さんの衣装になります。」

「うん、ありがと。」

そう伝えると、栞は、さらに笑顔になった。

「それでは、失礼します。遥さん。」

「うん。またね、栞ちゃん。」

栞は、軽く会釈をして通路の奥へと歩いて行った。
ドアを閉め、部屋に戻りソファに腰を下ろす。

「衣装はハンガーにでも掛けておこうかな。」

((──うん。))

紙袋から衣装を取り出し、
ハンガーに掛けながら小さな変化に気が付いた。

「衣装の色は赤で同じだけど、
 なんか幾何学模様が、白に変わってるよね?」

((──うん。前回の衣装は黒い模様だったね。))

「微妙に模様も違う感じするけど......気のせいかな?」

((──前回の衣装の模様は回路図のようだったけれど、
  今回の模様は、稲妻のように変化しているね。))

「うん、稲妻と言えば、そう見えるかも。ふふっ」

((──前回より、スタイリッシュな印象があるね。))

「確かに。こっちの方がカッコいいかも。」

新しい衣装を、オープンクローゼットに掛ける。

「買ってきた服と、
 持ってきてもらった服も掛けておこうかな。」

((──うん。皺になると困るからね。))

服を全て掛け終え、再びソファに腰を下ろす。

「調停......バトル?どっちでもいいか、ふふ」

((──うん。))

「急に連絡くるのかな?」

((──予めスケジュールが組まれるはずだから、
  前回のように急に調停が始まる事はないよ。))

「それなら、よかったよ~。
 この後、1時間後に調停です、とか言われてもね。あっはは」


((──遥は調停の執行担当と同じような立場だからこそ、
  スケジュール調整はしっかり管理されるはずだよ。))

「うん、普通に考えたらそうだけどね~......
 管理官も何を考えているかわかんないからな~、ふふ」

((──調停を盛り上げたいといった考え方だから、
  遥に無理をさせる事はしないと予測しているよ。))

「なるほどね、ゼニスがそう言うなら納得。」

((──うん。))

「ここって、トレーニングルームとかあるんだよね?」

((──うん。執行担当が使用するトレーニングルームがあるよ。))

「明日は汗でも流しに行こうかな。」

((──うん。))

「体も動かしておかないとね、
 バトルに対応できないと困るからさ。」

((──そうだね。))

「対戦相手は、どんな感じなんだろうね?
 気になるけど......予定決まるまでわかんないだろうし......」

((──うん。対戦相手として選ばれるのは、
  執行担当のような戦闘のプロではない。
  だから、そこまで警戒を強める必要はないという判断ができるよ。))

「ホントかな~?
 元ボクサーとか、そんな腕自慢ばっかだったりしてね。あはは」

((──可能性は0ではないね。
  それでも、格闘エキスパートの執行担当と比較すれば、
  勝率は相当に高くなると予測しているよ。))

「うんうん、それなら20連勝も夢ではないね。」

((──うん。現実的に起こりえる確率だよ。))

「きっと、なんとかなるよ。楽観的だけどさ、あっはは」

((──うん。))

「とりあえず、シャワーでも浴びてこようかな。」

((──うん。))

ぬるめのお湯でシャワーを浴び、
ふかふかのバスタオルで髪や身体を拭き、
着心地の良いバスローブに着替える。

そのまま、ベッドに寝転がると、
徐々に意識は深く沈み込んでいった。

翌朝──

部屋に朝日を模した光が満ちていく。

手の込んだ照明システムのお陰で、
ゆっくり意識が覚醒する。

「ふぁ~......よく寝た~。でも、もう少し寝よう......」

布団を頭からかぶり、
照明を遮るように覆った。

((──おはよう、遥。))

覆いかぶさった布団の中で、
ゼニスの淡い光がゆらゆらしている。

「あっ......布団の中でもゼニスが光ってるね。あっはは」

((──うん。))

「布団かぶった意味......ふふっ」

((──遥の視界の中に常に表示されているから、
  物理的に防ぐ事はできないよ。))

「ですよね~......」

布団をめくり、
軽く伸びをしてから起き上がる。

「改めて、おはよう、ゼニス。」

((──うん。おはよう、遥。))

ベットから移動し、
コーヒーを淹れソファに座る。

「今日は体動かさないとね~。」

((──うん。))

「でもさ、よくよく考えたらスポーツウェア持ってないね。」

((──うん。デニム地のパンツが1枚、黒色のスキニーパンツが1枚、
  白と黒のボーダー柄のカットソーが1枚、
  USA-DE-PPONがついたパーカーが1枚、ワンピースが1枚
  花柄のブラウスが1枚、スカートが1枚、クロップドパンツが1枚、
  調停用の衣装が1枚、スニーカーが2足、サンダルが2足。))

「全部言うんだ、なんか恥ずかしいな、ふっふふ」

((──遥の事は、全て把握しているからね。))

「うんうん、さすがですよ、ゼニスさん。」

オープンクローゼットに視線を向け、
ハンガーに掛けた服を眺める。

「パーカーとデニムでいっか。
 ストレッチ効いてるから動きやすいしね。」

((──うん。))

コーヒーを飲み干し、
サッと着替えを済ませた。

「トレーニングできる場所って、どこにあるんだろ?」

((──トレーニングルームは、1階にあるよ。))

「そうなんだ。」

((──うん。))

「じゃ~、1階まで降りようか。」

部屋を出て、
エレベーターに乗る。

「1階って、リングとか観客席じゃないの?」

((──リングに向かう通路の途中にあるよ。))

「そんなのあった?」

((──うん。))

「気が付かなかったな~。」

((──遥、ここだよ。))

通路を歩いていると、
『トレーニングルーム』と書かれたドアがある。

「ホントだ~、リングに向かう通路の途中にあったんだね。」

((──うん。))

ガチャリ、とドアを開けると、
パッと照明が点いた。

「誰も使ってないんだね。」

((──執行担当は、自治体の専属ではないから、
  調停がなければ基本的には滞在していないよ。))

「そんなこと言ってたね。じゃ~使い放題じゃん。」

((──うん。))

真新しく見えるトレーニング器具が、
整然と並んでいる。

「誰も使ってないんじゃないの?新品みたいじゃん。」

((──執行担当は、
  自治体のトレーニングルームで調整しないからね。))

「そうなんだ?」

((──うん。))

「誰が使うんだろうね?ふふっ」

((──そうだね。))

「わたしのために設置されたんだったりしてね。あっはは」

((──そうかもね。))

「いやいや、そんなわけないでしょ。怖いわ~。」

((──そうだね。職員の福利厚生のためじゃないかな。))

「なるほどね~、いい職場なのかもね。」

((──うん。))

トレーニング器具の間を進み、
奥に設置されたサンドバッグの前に立つ。

「なんか新品みたいに見えるから、
 蹴ってもいいのか考えちゃうね。」

((──気にしなくても良いと思うよ。))

「うん、そだね。」

サンドバッグを軽く蹴ってみると、
バシッ、と乾いた音が部屋に響く。

「うん、感触はいいね。」

((──うん。体の動きも良いね。
  強度を上げても問題はないよ。))

「OK。軽くウォーミングアップしてからだね。」

ストレッチを済ませ、
本格的にサンドバッグに向かい打ち込む。

バスン、ドシッ、という音と共に
サンドバッグが軋む。

((──遥、威力や速度も問題ないよ。))

「うん。」

小一時間ほどサンドバッグを打ち込んだところで、
額や首筋に汗が流れていた。

「ふぅ、思ったより疲れてないね。」

((──データ的にも、疲労度は蓄積されていないよ。))

「うん、体も軽いしね。いい感じ。」

((──とても良い傾向だね。))

「これなら、相手にもよるけど大丈夫かもね。」

((──うん。遥が力を発揮できるようにサポートは任せてね。))

「頼りにしてる。」

パーカーの袖で汗を拭い、
さらに10分ほどサンドバッグを打ち込む。

「痩せそう、あっはは」

((──今回の運動量を分析すると、
  約350キロカロリー消費していると推測できるよ。))

「思ったほどじゃないね、これくらいじゃ痩せないか。ふふっ」

((──うん。そうだね。))

「今日は終わりにしようかな。汗も流したいしね。」

((──うん。じっくり調整していこう。))

「だねっ。」

トレーニングルームを後にし、
部屋へと戻る。

シャワーで汗を流し、
バスローブに着替えソファに腰を下ろした。