ゼニスは視界の隅で笑う~裁きはリングで決する、不条理な監視社会で生き残れるか~

「ベッドも広いしふかふかそうだね~!」

((──うん。))

ソファから立ち上がり、ベッドに向かって飛び込む。
ダイブした瞬間、体がマットレスに沈んでからグッと跳ね返ってきて、トランポリンに似た感覚。

「すっごい跳ねるじゃん。」

((──うん。とても良いマットレスだね。))

うつ伏せから、仰向けになり視界の隅で浮かぶゼニスを見つめる。

((──悩んでいるのかな、遥。))

「うん......そだね。」

((──どんな選択をしても、遥の事はサポートするから安心して。))

「ありがと、ゼニス。」

ゼニスの淡い光が、いつもに増して優しく見えた。

「調停側に立つ方がメリットは大きいよね?」

((──うん。そうだね。))

「断ったら、どうなるのか......
 執行される側として調停に強制参加させられるとか?」

((──うん。可能性としてはあるね。))

「う~ん......悩むね......」

((──少し前にも伝えたけど、遥の安全を考慮するなら調停側が最適解だね。))

「それは、そうだよね。」

((──うん。))

「待遇っていいのかな?」

((──執行担当の待遇の事だよね?))

「うん、そう。」

仰向けから横向きに体制を変えて、視界の中のゼニスを見つめ直す。

((──執行担当は、一般的な求人のように広く募集される事はない。
  基本的にスカウトといった形になっているよ。つまり、待遇が公表されてはいないんだ。))

「わかんないってことだよね?」

((──そうだね。正確には不明だよ。
  ただし、執行担当という役割の大きさから、高待遇という可能性は高いと推測できる。
  最低でも、衣食住の心配は不要になるね。))

「住む場所も提供されるってことか......
 アパート解約しなきゃじゃん、あっはは」

((──管理官のスカウトを受けるなら、引っ越しする形にはなるかもしれないね。))

「もしかして、調停センターに住むとかなのかな?
 この建物内に寮みたいなのがあって......住み込みみたいな?」

((──執行担当は、各自治体の所属ではないから色々な場所に行く事になるね。
  調停センター内の宿泊施設に滞在する可能性が高い。ホテルを転々と移動するイメージが近いかもね。))

「ひより市の調停センター所属ではないってことか......」

((──情報統括省の所属になるよ。))

「へぇ~、官僚みたいじゃん。あはは」

((──執行担当は、エキスパートが選抜されるわけだから、イメージ的には近いかもしれないね。))

横向きだった姿勢を仰向けに戻し、真っ白な天井をボーっと見つめる。

「うん、悪くはないけどな......
 わたしにできるのかな......不安しかないよね。ふふっ」

((──......))

「執行担当って、わたしらしくはない気がするよね?」

((──そうだね。幸福度は上がらなそうな職業ではあるかもね。))

「それな~、楽しそうかって言われると......あんまり、そうは思えない部分があるよね。」

((──うん。そうかもね。))

「楽しくないなら、やっぱり微妙かな。」

((──うん。))

「でも、Xさんを倒しちゃったから、調停に損失が出たって言ってたでしょ管理官?
 そこの部分は気になるよね。損害賠償とか地獄じゃん、あっはは」

((──そうだね。))

「う~ん、ホントどうしようかな......」

ベッドから起き上がり、ソファに移動し膝を抱えて座る。

「執行担当って、途中で辞めれるのかな?」

((──任意退職という形だよね?データ上には存在しないから不明だよ。))

「データにないなら辞めれないって可能性高いよね。」

((──うん。))

「ホントどうしよ......」

ゼニスはいつも通り、淡い光を放ちながらぷかぷか浮いている。

「ねぇ、執行担当が負けたとして......なんか処分されるとかあるかな?
 例えば、損害賠償とか......そういうやつ。」

((──執行担当の敗北については、今回が初めてのケースだから処遇については不明だよ。))

「そっか......Xさんってどうなるのかな......」

((──......))

「執行担当になったら、辞めることはできない......データがないってことは、そういうことだろうし。」

((──......))

「きっと自由はないよね......」

((──そうかもね。))

「じゃ~、断るしかないよね。」

((──うん。))

「損害賠償とか言われても、なんとかできないわけじゃないよね。」

((──うん。))

「執行担当の話しは断ることにする。」

((──うん。遥らしい決断だね。))

「ゼニスは、断ると思ってたの?」

((──執行担当になる確率29%、断る確率68%と算出していたよ。))

「残りの3%は?」

((──遥が予想外の行動を取る確率、簡単に言えば、データで導き出せない可能性かな。))

「それって、つまり不明ってことじゃん。あはは」

((──うん。そうだね。))

「明日は、監理官に断りを入れる感じだね。」

((──うん。))

「不安はあるけど......」

((──サポートするから心配しないで、遥。))

「うん。」

ゼニスの放つ光が少し強くなり、不安をかき消してくれているようだった。
ベッドに戻り、少しの間ぼんやりしていると、瞼がゆっくりと閉じていく。

しばらく時間が経過し──

天井の照明が、まるで朝日を模倣するように、時間をかけてゆっくりと明るさを増していく。
窓はないのに、部屋の中だけは完璧な朝が演出されていた。

「ふぁ......今、何時だろ?」

((──おはよう、遥。午前8時ちょうどだよ。))

部屋の空気は、寝る前と少しも変わらない。
視界の隅で、ゼニスがいつものように淡い光を灯しながら揺れている。

「この部屋、照明が自動で変わるんだね......」

((──うん。窓がないけれど、カーテンから差し込む光を演出しているんだね。))

「すごいね。でも、もっと寝たい時には迷惑な機能だよね、あはは」

((──そうだね。でも、自動照明をOFFにすれば、明るくなることもないよ。))

「そんな機能あるんだ。」

((──うん。))

部屋に備え付けられたコーヒーマシンのボタンを押すと、豆を挽く音すらせずに熱いコーヒーが出てきた。
『完璧なコーヒー』を思わせる香りが立ち、いつもの缶コーヒーが愛おしく感じる。
カップから立ち上る湯気を眺めながら、最後の一口を飲み干す。

「......うん。味は最高だけど......やっぱり、わたしは缶コーヒー派かな。あはは」

((──いつもの日常に戻るためには、管理官に不利にならないように交渉しないとね、遥。))

「うん、そだね。頼りにしてるよ、ゼニス。」

((──うん。))

ソファから立ち上がり、バスローブから着替える。
着替え終わったタイミングで、部屋のチャイムが無機質な音で鳴り響いた。

「迎えかな?」

((──うん。そうだね。))

ドアを開けると、案内してくれた女性職員が立っていた。

「七瀬様、ご準備は整っておりますか?」

「はい、大丈夫です。」

「では、管理官室へとお願いします。私の後についてきてください。」

「わかりました。」

女性職員は通路に向きを変え歩き始める。

((いこっか、ゼニス。))

((──うん。))

昨日と同じ、階数表示のないエレベーターで管理官室のあるフロアへ。

「七瀬様、到着いたしました。管理官がお待ちです。」

「はい。」

彼女に軽く会釈をして、エレベーターを降りる。
監理官室の前まで行き、黒い扉をノックすると音もなく開く。
管理官は、ソファに脚を組んだまま、こちらを見ることもなく言葉を発した。

「オハヨウゴザイマス、七瀬サン。サテ、良い夢ハ見レマシタカ?」

「いえ、夢は見てないと思います......」

「ソウデスカ、グッスリ眠れたナラ幸いデス。」

「はい、お陰さまで、よく眠れました。」

「グッド。昨日ノ提案ニツイテ考えてイタダケマシタカ?」

「はい、じっくり考えました。」

管理官は脚を組み換え、体をこちらに向ける。

「ソレデハ、早速デスガ答えヲオ聞きシマショウカ。」

「はい、よく考えてみたのですが......」

管理官は話を遮るように、言葉をぶつけてきた。

「七瀬サン、答えヲ誤るコトノナイヨウニシテクダサイネ。」

((えっ、断るのバレてる?))

((──可能性は高いね。))

((断って大丈夫だよね?))

((──うん。断ってから、管理官の出方を見て対応を考えよう。))

((OK。))

「考えた結果ですが、執行担当はお断りしようと思います。」

「ウ~ン、予想通りノ答えデスネ。」

管理官の表情は、眉の一つも動かない。

「ソウナルト、損失ノ話ヲシナケレバナリマセンネ。」

「損害賠償的なことでしょうか?」

「簡単ニ言えバ、ソウナリマスネ。」

「どのくらいでしょうか?」

「ウ~ン、七瀬サンデハ支払えナイクライデスカネ。」

「では、どうすればいいですか?」

「私共ハ、損失サエ補填デキレバイイノデ、執行担当デハナクテモ、調停ニ貢献シテイタダケルナラ不問とシマショウカ。」

「調停に貢献ですか?」

管理官は、モニターを指さし続ける。

「調停ハ、一方的ナ粛清ガ目的デスネ。」

「はい......」

「ソレデハ、見テイテ面白くハナイデスネ。」

「......はい。」

「モット盛り上がりガアレバ、熱ヲ帯びて掛け金モ増えるデショウ。」

「そうなんですか......」

「ハイ、熱ガアレバモットモット収益ガ増えマス。七瀬サンガ、Xヲ倒した時ハ空気感ガ変わりマシタネ。
 あり得ないコトガ起きるト、面白いト思いマセンカ。」

「そうかもしれないですけど......わたしにできることなんて、ないと思いますけど。」

管理官は、顔の前で指を左右に動かしながら続けた。

「七瀬サンハ、ココデリングニ立ちサエスレバイイノデス。
 ソウ、昨日ノ損失以上ノ働きヲ見セテ欲しい。アナタヲ見テ、閃いたノデス。」

「わたしを見て思いついた?」

「ソウデス。従来、執行スルコトガ目的ナノデ、執行サレル側ハNOチャンスデスネ。
 デハ、執行サレル側同志ナラドウデショウカ。チャンスガ生まれマスネ。無慈悲ナ執行担当ヨリ、チャンスガアルデショウ。」

「チャンスがある......それって......
 わたしと戦う相手が、勝てば無罪になるとかってことですか?」

管理官は、満足げに口角をわずかに上げた。

「サスガ、理解ガ早イ。ソウデス、勝者ニハ特赦ヲ、敗者ニハ従来通りノ罰ヲ。  
 ソレヲ、私ハ『サバイバル・レジスタンス』ト名付けマシタ。  七瀬サン、アナタハソノ主役、ダークヒロインニナルノデス。」

「えっ......『サバイバル・レジスタンス』ですか......」

「ソウデス。生き延びるタメノ抵抗。生存ヲカケテ調停ニ抵抗スル。
 生ヲ燃やすコトデ生まれる美しさト言ったトコロデショウカ。」

「それって、執行担当と変わらなくないですか?」

「イエイエ、決定的ナ違いガアリマス。執行担当ハ、アクマデ仕事デスガ、
 コレハ生存競争ナノデス。選ぶ権利ハ、今ノアナタニハナイノデスヨ。」

((ねぇ、ゼニス......どうすればいいの?))

((──......))

((ねぇ、ゼニス......))

ゼニスは沈黙したまま、いつも以上に光が淡く見える。
考えこんでいるような、答えに窮して黙り込んでいるような、そんな雰囲気。