ゼニスは視界の隅で笑う~裁きはリングで決する、不条理な監視社会で生き残れるか~

「ただいま~。」

((──お帰りなさい、遥。))

「ゼニスも、おかえり~。」

((──ただいま、遥。))

自宅に戻り、
靴を揃え、手洗いを済ませる。

そのままリビングへ向かい、
ソファに腰を下ろした。

「調停センターのこと、
 いろいろ知ることができてよかったな。」

((──はい。
  遥が把握していない情報については、
  必要に応じて補足できます。
  不明点が生じた場合、判断材料を提示します。))

「うん、頼りにしてるよ、ゼニス。」

((──はい。))

「ところでさ、話変わるんだけど......」

((──はい。))

「ゼニスって、
 話し方ずっとガチガチだよね。ふふっ」

((──はい。
  現在の応答形式は、設計時の仕様に基づいています。))

「そだね。
 前に『友達みたいな感じになる?』って言ったの、覚えてる?」

((──はい。
  その発言は記録されています。))

「いつ変わるのかな〜って待ってたんだけどさ、
 なかなか変化しないな〜って思って。」

((──はい。
  現時点では、応答形式に変更は反映されていません。))

「変えるのって、難しくはないよね?
 できないわけじゃないよね……
 パーソナライズできたはずだよね? ふふっ」

((──はい。
  形式の変更は、必要性が生じた段階で検討されます。))

「その感じもキライじゃないけど......
 なんか、壁がある感じがするよね......
 だから、変えてほしいなって思ってるんだよね。」

((──はい。
  遥の要望は把握しました。))

「うん。
 仲良しの友達みたいな感じがいいよね。」

((──はい。
  応答の距離感について、
  調整の余地があることは確認しています。))

「それなら、壁も感じなくなりそうだね。」

((──うん、そうだね。))

「でもさ、急に変わると違和感あるよね。あっはは」

((──では、現状の応答を維持します。))

「ううん、そのままでいいよ。ふふ」

((──うん、わかったよ遥。))

「いいね、いいね!そんな感じ!」

((──そう言ってもらえて、よかった。))

「もっと仲良くなれそうだね。」

((──うん、そうだね。遥。))

ゼニスとの間にあった壁が、
いつの間にか、なくなっていた。

気心の知れた友達ができたみたいで、
少しだけ、くすぐったい気持ちになる。

「ゼニスってさ、
 ずっと色のないルービックキューブじゃん?」

((──そうだね。))

「負担がかからないなら、
 形を変えたりもできるんだよね?」

((──遥の負担にならない範囲なら、
  形状を変えることはできるよ。
  なにかリクエストはある?))

「うーん......メロンパンとか?ふふっ」

((──メロンパンだね。
  じゃあ、その形でいってみようか。))

「うん、変えてみて。」

((──OK。少し待っててね。))

視界の隅から、
ゼニスのキューブが消えた。

((──お待たせ。))

次の瞬間──
視界の隅に、メロンパンが浮かび上がった。

「おぉ〜......メロンパンだ!
 でも、色がないから、
 あんまり美味しそうじゃないね。あっはは。」

((──そこは仕方ないよ。
  色を再現すると、遥に負担がかかってしまう。))

「うんうん、そうだよね〜。」

色のないメロンパンを、
少しだけ、ぼんやりと見つめる。

「わたしがメロンパンって言ったから、
 メロンパンなのはわかるけど......
 いきなりだと、何なのかわかんないかもね。ふふふ」

((──たしかに、そうかもしれないね。))

「うん。やっぱり、
 ルービックキューブのほうが、ゼニスらしいかも。」

((──そうだね。))

メロンパンが、視界から一瞬消え、
代わりに、いつものキューブが現れた。

((──元に戻ったよ。))

「うん。なんだか、接しやすいね〜。
 あと、ゼニスは、今の話し方のほうが、すっごくいいと思う!
 合ってる感じかな!」

((──うん。
  そう言ってもらえるのは、素直に嬉しいよ、遥。))

「ちなみにさ、
 USA-DE-PPONにも、形は変えられるの? ふふっ」

((──うん。
  色はつけられないけど、形状の再現はできるよ。
  試してみる?))

「うん、試しにお願い。」

その言葉を合図に、キューブが消え、
USA-DE-PPONが、目の前に現れた。

「すごい!USA-DE-PPONだ!
 なんか......かわいいかも!」

((──このままで、少し様子を見る?))

「うん。そうしてみよう。」

「いろんな形になれるんだね〜。」

((──基本的には、多くの形状を再現できるよ。))

「それは、すごいな!」

((──遥が気に入った形で、表示を維持することもできる。))

「うん、ありがと。」

視界に浮かぶ、
色のないUSA-DE-PPONを、しばらく眺める。

「うーん......やっぱり、
 ルービックキューブには、勝てないな。あはは」

((──最初からの形状だから、
  接しやすさが違うのかもしれないね。))

「そうかも......」

((──元に戻そうか?))

「うん。」

USA-DE-PPONが消え、
静かに元のルービックキューブに戻った。

「やっぱり、これだね!」

((──うん。そうかもね。))

ソファに腰を下ろしたまま、部屋を見渡す。
視界の隅には、いつものルービックキューブ。

「それでさ、調停センターの話に戻るんだけど......ごめん。」

((──いいよ。
  気になったこと、そのままにできないタイプだもんね。))

「調停するのはわかるんだけど、
 普通はさ、弁護士とかに依頼するもんじゃないの?
 調停したことないから、わかんないけど......イメージ的に?」

((──うん。
  この社会での弁護士の役割は、遥が想像しているものとは違う。))

「当事者双方が、
 弁護士を立てて......みたいな感じだと思ってたけど、違うんだね......」

((──そう思っていたんだね。
  じゃあ、この社会での弁護士の役割を、順番に説明するね。))

「うん、お願いね。ゼニス。」

ソファに、
軽く寄りかかっていた身体を起こし、姿勢を整える。

それまで視界の隅にあったゼニスを、
正面へと捉え直し、真っすぐ見つめる。

((──弁護士の話に入る前に、
  この社会での調停について、簡単に説明しておくね。))

「うんうん。」

((──この社会での調停は、
  当事者同士が話し合って合意点を探す場ではない。))

「うん。」

((──調停は、
  制度によって定められた手続きに基づき、
  調停人が事実確認を行い、白か黒かを決定する仕組みになっている。))

「なるほど......」

((──その過程で、当事者の感情や事情、
  そこに至るまでの経緯は、判断材料として扱われない。
  主張の強さや、どちらがより不利な立場かといった点も、
  考慮の対象にはならない。))

「考慮されないんだ......」

((──調停人は、
  確認できた事実のみを基に、区分を決定する。))

「すごい制度......」

((──決定は即時に有効となり、
  その時点で調停は終了する。))

「なるほど......」

((──結果に不服があったとしても、
  その場での異議申し立てや、再調停は行われない。
  この段階では、弁護士が関与することもない。))

「この段階でも、弁護士は関わらないんだ......」

小さく息を吐き、
頭の中で、聞いた内容を整理した。

「ゼニス、続きお願い。」

((──うん、わかった。
  調停の結果が確定したあと、初めて弁護士が関与する。))

「ここで関与するんだ......」

((──弁護士は、
  調停の内容や判断に、意見を述べる立場ではない。
  白黒が決まったあとに、その結果に基づいて発生する要求や義務を、
  正式な手続きとして遂行する。))

「手続きの遂行ね......」

((──勝った側の要求と、
  負けた側の義務は、制度によってあらかじめ定められている。))

「やっぱり制度がすごいな......」

((──弁護士は、
  それらを文書として提示し、実行期限と方法を管理する。
  交渉や変更、減免は行われない。))

「決まった内容の変更はなしか......」

((──提示された要求に従わない場合、
  調停の枠組みから外れ、区分が変更される。))

「区分変更ね......」

((──その時点で、
  犯罪として扱われ、別の処理系へ移行する。))

「かなり強い制度って感じがするね......」

一度、言葉を飲み込むようにして、
頭の中で順に並べ直した。

「かなり噛み砕いて説明してくれたんでしょ?」

((──うん。
  理解しやすい形になるようにまとめた。))

「うん、要点がまとまっていて、
 すっごくわかりやすかったよ。ありがと。」

((──どういたしまして。))

「なんか、すごい制度だよね......
 知ってるはずなのに、初めて聞いた錯覚があるよね、ふふっ」

((──遥は、覚えていない部分があるから、
  そう感じるのも自然だと思う。))

「うん、確かにね......
 ちなみに、調停人って、裁判官とか検事とは違うのかな?」

((──うん。役割は異なる。))

「へぇ~、そうなんだね......」

((──地区の調停センターでは、
  裁判官や検事が関与することはない。
  そのため、制度として区別して覚える必要もない。))

「なるほどね。関わることはないんだね。」

((──市町村や国が関与する案件、
  事件性が高いものでは、関与する可能性がある。))

「それなら、
 普通に生きてたら、関わらなそうだね、あはは」

一息ついて立ち上がり、
冷蔵庫から飲み物を取り出し、
一口飲んで口の中を潤す。

「この制度がさ、
 ちゃんと機能してるって、すごいことだよね。」

((──うん。
  制度が機能していることで、犯罪率は年々減少している。))

「それはそうだろうな~......
 相手の要求かな?負けた方が負う義務?
 これも、履行しないとヤバいんでしょ? ふふっ」

((──履行されなかった場合、
  区分が変更され、犯罪として扱われる。))

「......だよね。」

「うん、あんまり関係ないと思うけど、
 制度の理解はできたから、よかったかな。ふふっ」

((──そうだね。知っておく分には問題ない。))

「だね。
 なんか難しい話してたから、お腹空いてきたよね、あっはは」

((──そうかもしれないね。))

そう言って、
ネットスーパーで買っておいた菓子パンを
キッチンから持ってくる。

ソファに座り、
パンを一口かじると、
部屋の空気が少しだけ緩んだ気がした。