ゼニスは視界の隅で笑う~裁きはリングで決する、不条理な監視社会で生き残れるか~

「おはよ、ゼニス。」

((──おはようございます、遥。
  睡眠状態は安定していました。))

「うん、今日もよく眠れた感じがする。」

((──はい。健康状態も良好です。))

カーテンの隙間から
やわらかな光が差し込んでいる。

それが、
いつもより心地よく感じられた。

「じゃあ、準備して出かけよう!」

((──はい。))

顔を洗い、髪を整えて、
着替えを済ませる。

USA-DE-PPONのバッグに、
財布と鍵を入れて準備を済ます。

「よし、準備完了だね!」

((──遥。借りた本をお忘れなく。))

「あっ......忘れるところだったよ、ふふっ。
 ナイスアシストだね、ゼニス。」

((──はい。))

靴を履き、
玄関に鍵をかけて外へ出る。

「う〜ん、今日も天気いいね〜。」

((──はい。降水確率は低く、
  安定した天候で過ごしやすいです。))

「お出かけ日和だね〜。」

((──はい。))

ひより北地区公民館へ向かって歩き始める。

「とりあえず、本を先に返して、
 調停センターを見学して、
 また図書室に戻って本借りようかな。」

((──はい。))

「調停センターって、
 そこまで見どころないよね?」

((──調停中の室内は公開されていません。
  見学可能なのは、共用スペースや案内掲示などに限られます。))

「だよね......見学も、すぐ終わっちゃいそうだね。」

((──はい。))

「でも、楽しみなのは変わらないからいっか!」

((──はい。))

道路の右側に、
ひより北地区公民館が見えてきた。

「けっこう近いよね。」

((──はい。))

公民館へ入り、
奥の図書室へと向かう。

「本の返却、お願いします。」

受付の司書さんへ、
借りていた本を手渡す。

「はい。少々お待ちください。」

司書さんはPCへ向かい、
何かを入力している。

「はい。返却ありがとうございます。」

軽く会釈をして、
図書室を後にした。

「わくわく見学ツアー行ってみよ~!」

((──はい。))

公民館の入口まで戻り、
調停センターへ向かう。

「このまま入ってもいいのかな?」

((──はい。
  受付で、見学したい旨を伝えてください。))

「OK。」

調停センターのドアを開け、中へ入る。

「すみません。見学したいんですけど、大丈夫ですか?」

調停センターの受付にいる女性に声をかける。

「はい。見学ですね。本人確認をお願いします。」

受付の女性は表情を変えず、
端末を差し出してきた。

左手を端末に近づけ、
本人確認を済ませる。

「はい。本人確認は終了です。」

軽く会釈をして、
その場を離れた。

「なんの説明もなかったね。」

((──はい。
  調停中の部屋はロックされています。
  入室できるのは、当事者と調停人に限られます。))

「なるほど......誰も入れないってことね。」

((──はい。出入りは制限されています。))

「ふ〜ん、そうなんだね。
 とりあえず、案内図でも見てみようかな。」

((──はい。))

壁に掲示された案内図に、視線を向ける。

「思ったより広いね......調停室が30もあるよ。」

((──はい。軽微な紛争を扱う施設のため、
  地区公民館に併設された調停センターでは、
  調停室が多めに設置されています。))

「そっか。それだけ利用数が多いってことだね。」

((──はい。))

調停センターの廊下は静かで、
誰も居ないような雰囲気がある。

「なんか、静かすぎない?」

((──はい。調停室は完全防音です。
  そのため、施設内は静かになっています。))

((あっ......声、出してたわ。ふふっ))

((──廊下での会話は制限されていません。))

((そうなんだ......
  でも、独り言が多い人だと思われるのもね。ふふふっ))

((──はい。特に問題はありません。
  これまでの行動傾向と一致しています。))

((もう、失礼だな〜。うふふ))

((──周囲の利用者は、他人の行動に注意を向けていません。
  遥は気にせず会話を続けて問題ないと思われます。))

廊下を歩いて、少し奥へ進む。
壁沿いに、案内表示が設置されていた。

矢印の先には、
『調停室』と書かれている。

その先は、低い仕切りで区切られていて、
こちら側とは、空気が少し違うように感じた。

((調停室の方、行ったらダメそうだね......))

((──はい。ここから先は、
  関係者のみが立ち入る区域です。))

((やっぱり、そうなんだね......))

((──はい。))

((ドアには番号がついているんだ......))

((──はい。調停は、指定された番号の部屋で行われます。))

((小窓もないし、外からは何も見えそうにないね......))

((──はい。外部から内容が確認できない構造になっています。))

((初めてだよね......?
  きっと初めて見たはず......なんか、新鮮で面白かったかも。))

((──はい。))

((帰ろっか?))

((──はい。 図書室には立ち寄らなくて大丈夫ですか。))

((うん。 今日は調停センターを見学できたし、
  図書室は、また今度にしよう。))

((──はい。))

受付の女性に、
お礼を伝えて調停センターを後にした。

「調停センターは、 わたしが関わること......きっとないよね?」

((──はい。 トラブルに巻き込まれないことが前提になります。))

「トラブルに巻き込まれたら、
 調停センターに来なきゃいけなくなるもんなの?」

((──はい。 軽微な内容であっても、
  調停センターで取り扱われる場合があります。))

「ふ〜ん......
 例えばさ、歩いていてぶつかったとするじゃん?
 『ごめんなさい』って言えば、 済む話じゃないのかな?」

((──はい。認識は間違っていません。
  その場で謝罪が行われ、相手がそれを受け入れた場合、
  調停の対象にはなりません。))

「つまり、 謝ったけど許してもらえない場合ってことだね?」

((──はい。 謝罪が受け入れられず、
  相手の感情が収まらないケースなどです。
  そういった際は、調停が執り行われます。))

「なるほど......それだと、
 意外に調停センター案件って多そうだね......」

((──はい。取扱件数は年々減少傾向にあります。
  しかし、データベース上では、現在も多くの案件が記録されています。))

「そうなんだね......」

そんな話をしながら歩いていると、
いつの間にか、ひより駅北口が見えるところまで戻ってきていた。

そのまま、北口広場のベンチに腰を下ろす。

「自販機で、コーヒー買ってこようかな。」

((──はい。))

自動販売機で缶コーヒーを購入し、
再びベンチに座る。

「データベースで、
 軽微なトラブルの詳細はわかるのかな?」

((──はい。当事者に関する記載は、
  個人情報のためデータベース上にはありません。
  ですが、トラブルの内容については、閲覧できるようになっています。))

「なるほど......ざっくりでいいんだけど、
 どんなトラブルが多いか、まとめられる?」

((──はい。少々お待ちください。))

缶コーヒーを開け、一口飲んで喉を潤す。

((──遥。データのまとめが完了しました。))

「さすがゼニス、仕事が早いね。どんな感じだったの?」

((──はい。
  隣人同士のトラブルでは、騒音やゴミ出しに関するもの。
  仕事上のトラブルでは、
  ミスをきっかけとしたハラスメントに関するものが多く確認されています。
  日常生活では、列への割り込みや、些細な言い争いなども記録されています。))

「そうなんだ......
 でも、トラブルが起きたときにさ、
 その場で喧嘩に発展しないって、あり得るの?
 なんか、そのまま揉めて、警察が来るみたいなイメージだったよ......」

((──はい。
  路上を含め、あらゆる場面での暴力的な解決は想定されていません。
  そのような行為が発生した場合、軽微な調停の対象ではなく、
  警察による対応が行われます。))

缶コーヒーを、もう一口飲み小さく息を吐いた。

「つまり、制度がしっかりしているから、
 日常生活では、争いが起きることはないってことだよね?」

((──はい。遥の認識で相違ありません。))

「もし、争った......暴力的な行為かな?
 しちゃったら......どうなるの?」

((──はい。
  暴力的な行為が確認された時点で、
  取り扱いの区分が変更されます。
  争いの経緯や理由は、その段階では考慮されません。))

「区分変更......」

((──はい。))

「争いの経緯とか、理由も考慮なしなんだ......」

((──はい。))

「暴力的なことは、絶対に許さないって感じなんだね。」

((──はい。))


「もし、暴力行為が路上で起きたら、どうなるの?」

((──はい。 警察が出動します。
  警察の介入が確認された時点で、取り扱いの区分は変更され、
  争いの経緯や理由に関わらず、犯罪として処理されます。))

「警察が来たら......もう、犯罪ってことなんだ......」

((──はい。))

「でも、そんなに警察って早く来ないよね?」

((──いいえ。
  この社会では、暴力的な行為は即座に検知されます。
  対応までに時間がかかることは想定されていません。))

「そうなんだ......」

((──はい。))

「なんか......すごいね、警察......」

缶コーヒーを飲み干し、
近くのゴミ箱に空き缶を捨てる。

もう一度、ベンチに座り直した。

「なんか知らないことばっかり......
 忘れてるだけだよね、ふふっ」

((──はい。
  遥が把握していない情報についても、
  必要な範囲でサポートします。))

「うん、ありがと。」

((──はい。))

「生きてきた社会のルールも覚えてないなんてな......
 忘れるにもほどがあるよね。あっはは」

((──遥の置かれている状況を踏まえると、
  致し方ない部分もあります。))

「だよね......でも、気にしてないよ。」

((──はい。非常に良い傾向です。))

「お家に帰ろっか。」

((──はい。))

ベンチから立ち上がり、
自宅へと向かって歩き始めた。