通話にはFlutterの通話機能を使うことにした。ツナマヨくんが「いつでもどうぞ」というので僕は早速「通話開始」のボタンを押した。ワンコール後にツナマヨくんの「もしもし」という声が聞こえた。
「はじめまして、ツナマヨです」
ツナマヨくんの声は、どこか奇妙に抑揚を欠いて聞こえた。暗い、というのとは違う。何かヒトとは別のモノがヒトの真似をしているような、そんな声だ。
僕は「どの映画を観ようか」と尋ねた。ツナマヨくんは「なんでも」と答えた。
「じゃあ『フィールド・オブ・ドリームス』にしよう」
「あなたのプロフィールにあった映画?」
「僕のオールタイムベストだ」
ツナマヨくんは「じゃあそれで」と言った。ツナマヨくんの平坦な声からは僕のチョイスに肯定的か否定的かをうかがい知ることはできなかった。僕はもっとツナマヨくんの趣味に合った映画を選ぶべきだったのかもしれないなと思った。しかし、『テリファー』や『ホステル』や『SAW』が好きな女の子と一緒に観られる映画のレパートリーを僕は持ち合わせていなかった。
僕はAmazonのPrime Videoで『フィールド・オブ・ドリームス』のページを開くと、ツナマヨくんに「準備はどう?」と尋ねた。ツナマヨくんはまた「いつでもどうぞ」と答えた。僕らは「いっせーの」で映画を再生した。
『フィールド・オブ・ドリームス』は1989年にアメリカが制作したファンタジー映画だ。ファンタジー映画といっても『指輪物語』のような剣と魔法の世界ではなく、舞台は現代だ。原作はW・P・キンセラの『シューレス・ジョー』。80年代最後を飾る古き良きアメリカ映画である。
映画はケビン・コスナー演じる主人公レイ・キンセラのモノローグから始まる。僕はモノローグから始まる映画にはどちらかといえば否定的な人間だけれど、この映画と『シン・シティ』だけは別だ。ケビン・コスナーの吹き替えを務める津嘉山正種氏の演技も見ものだった。実に耳に心地いいのだ。
「あなた、映画を観ている間中ずっと喋り続けるつもり?」
僕は「いやなら黙るけれど」と言った。ツナマヨくんは「面白いからそのままで」と返した。
僕は映画を観ながらひたすら喋り続けた。主人公レイがトウモロコシ畑のど真ん中に野球場をつくると言い出したときには「奥さんの献身が泣けるよ」と言ったし、トウモロコシ畑を拓いてつくった野球場にレイ・リオッタ演じる靴なしジョー・ジャクソンが現れる場面では早くも「泣きそう」と目尻を押さえたり、その後の野球の練習のシーンでも「ここがまたいいんだ」とはしゃいだり、そんな感じだ。
「あなた、ほんっとうにうるさいわ」
ツナマヨくんは映画のセリフとセリフの合間を縫って僕にあきれたように言った。でも、ツナマヨくんとて黙ってばかりではないのだ。レイ・リオッタの登場には「『ハンニバル』で脳みそを食べられていたひとよね。知ってる?」と僕にいやがらせのように尋ねた。僕は当然『ハンニバル』を観たことがあったので当時のいやな記憶が蘇ってしまった。あのシーンはトラウマなのだ。というか、僕は何度もグロ描写が苦手だとツナマヨくんに言っているので、これはあきらかないやがらせだった。その頃には、僕もツナマヨくんがおおよそどんな人間なのかわかるようになっていた。
ツナマヨくんは、感情に乏しいのではなく、感情の「表現方法」に乏しい人間なのだ。本質的にはむしろとても愉快な人間だと言える。笑い声をあげることはほとんどないがツナマヨくんが僕との映画視聴を楽しんでいることは言葉の端々から伝わってきた。あるいは、僕が作家であることも関係しているのかもしれない。その場の「空気」ではなく「言葉」を解釈することにかけて僕は何年にも渡って特別な訓練を積み重ねてきたに等しい人間なのだ。
時折、他の映画の小ネタを話しながら、僕らは自然と意気投合していった。はじめからわかっていたことではあるが、ツナマヨくんも相当な映画好きのひとりなのだ。
「ケビン・コスナーの映画で何が好き?」
「あててみて」
「『Mr.ブルックス 完璧なる殺人鬼』」
ツナマヨくんはふっと息を漏らした。もしかしたら笑ったのかもしれなかった。
『フィールド・オブ・ドリームス』の方はと言えば、グレアム先生の登場から終盤に向かって物語が盛り上がりを見せる場面にさしかかっていた。僕の口数は次第に少なくなっていった。ツナマヨくんもあえて何かを喋ろうとはしなかった。僕はグレアム先生の決断に涙し、テレンス・マンの退場に涙し、その後に起きる「奇跡」にもまた涙した。心の底から「なんていい映画なんだろう」と思った。何度観ても最後は本当に号泣してしまうのだ。ジェームズ・ホーナーの素晴らしい劇伴によるクライマックスから余韻を残したまま引き続きエンドクレジットが流れ始めると、僕は「どうだった?」とツナマヨくんに尋ねた。しかし、返答はなかった。僕は不安になった。僕がひとりで盛り上がりすぎたせいでツナマヨくんをしらけさせてしまったのだろうか? しかし、そんな心配は杞憂だった。
「あ、あうあう」
ツナマヨくんは、ヘッドホン越しにもわかるくらい号泣していた。喉をしゃくりながら鼻水をずびずびとすすりあげていた。僕が「大丈夫?」と尋ねても、ツナマヨくんは声にならないうめきのようなものをあげるだけだった。
「めちゃくちゃに」とツナマヨくんが鼻を噛む音がした。「よかったわ」
ツナマヨくんはティッシュを何枚も消費して涙と鼻水をせき止めながら「最高の映画ね」としみじみ語った。僕は嬉しかった。これほど感動してもらえるのは感無量と言ってよかった。
その後も、僕らは5本の映画を立て続けに観た。
『プラダを着た悪魔』
『マイ・インターン』
『マラヴィータ』
『イコライザー』
『シェフ 三つ星フードトラックはじめました』
僕らはとにかくアホほど盛り上がった。
「働く女のバイブルとはいうけれど男が観ても面白い映画だ」
「今度2がやるのが楽しみね」
とか、
「アダム・ディヴァインが出てくるだけで笑っちゃうよな」
「『ファイナル・ガール』とかね」
「またホラー映画の話してる」
「話が通じるのが悪いのよ」
とか、
「デンゼル・ワシントンの目が怖すぎる」
「でもこの映画『ジョン・ウィック』と比べると途中からちょっと退屈よね」
とか、
「ジョン・ファヴローってだけで僕はオールオーケーな気分になるよ」
「『カウボーイ & エイリアン』でも?」
「『カウボーイ&エイリアン』は除く」
とか、そんな具合だ。とにかく、5本の映画を観終わる頃には、僕らはすっかり打ち解けていた。
「ねえ、今夜これからなにか予定ある?」
ツナマヨくんに尋ねられて、僕は「何も」と答えた。ツナマヨくんは「ふうん」と言った。
「ねえ、えっちなことしましょう」
「えっちなこと?」
「やり方はわかる?」
僕は「多分」と答えた。えっちなこと?
「カメラはつけないし画像も動画も送らないけれどそれでかまわないわね?」
僕は「かまわないけれど」と言った。ツナマヨくんは「けれど?」と返した。僕は「いったい」と困惑を前面に出した。
「なぜ急にえっちなことをする流れになったんだろう?」
「そんな気分だからよ」
「でも僕らは今日はじめて話したばかりだ」
「もう知り合ってから半年も経つけれど」
「そういうのは好きな人とするものじゃないのかな」
「あなたのこと好きよ」とツナマヨくんは当たり前のように答えた。「じゃなかったら毎日配信を見に行かないわ。あなたは?」
「僕?」
「私のこと好き?」
僕は戸惑った。
「さっきも言ったけれどきみとは今日話し始めたばかりだ」
「私は好きかどうか聞いているのよ」
ツナマヨくんがいらいらし始めたのがわかった。僕の態度の「あいまいさ」が問題だ。ツナマヨくんのなかにはこの場合「好き」か「嫌い」かだけがあって中間というものがないのだ。
「好きか嫌いかで言えば、もちろん好きだ」と僕は正直に答えた。結局正直になるしかないのだ。「えっちなことがしたいかしたくないかで言えば、もちろんしたい」
ツナマヨくんは「決まりね」と言った。そして、僕らはその日えっちなことをした。ちなみに、2回した。
「なかなかやるわね」
とツナマヨくんは感心したように言った。
「はじめまして、ツナマヨです」
ツナマヨくんの声は、どこか奇妙に抑揚を欠いて聞こえた。暗い、というのとは違う。何かヒトとは別のモノがヒトの真似をしているような、そんな声だ。
僕は「どの映画を観ようか」と尋ねた。ツナマヨくんは「なんでも」と答えた。
「じゃあ『フィールド・オブ・ドリームス』にしよう」
「あなたのプロフィールにあった映画?」
「僕のオールタイムベストだ」
ツナマヨくんは「じゃあそれで」と言った。ツナマヨくんの平坦な声からは僕のチョイスに肯定的か否定的かをうかがい知ることはできなかった。僕はもっとツナマヨくんの趣味に合った映画を選ぶべきだったのかもしれないなと思った。しかし、『テリファー』や『ホステル』や『SAW』が好きな女の子と一緒に観られる映画のレパートリーを僕は持ち合わせていなかった。
僕はAmazonのPrime Videoで『フィールド・オブ・ドリームス』のページを開くと、ツナマヨくんに「準備はどう?」と尋ねた。ツナマヨくんはまた「いつでもどうぞ」と答えた。僕らは「いっせーの」で映画を再生した。
『フィールド・オブ・ドリームス』は1989年にアメリカが制作したファンタジー映画だ。ファンタジー映画といっても『指輪物語』のような剣と魔法の世界ではなく、舞台は現代だ。原作はW・P・キンセラの『シューレス・ジョー』。80年代最後を飾る古き良きアメリカ映画である。
映画はケビン・コスナー演じる主人公レイ・キンセラのモノローグから始まる。僕はモノローグから始まる映画にはどちらかといえば否定的な人間だけれど、この映画と『シン・シティ』だけは別だ。ケビン・コスナーの吹き替えを務める津嘉山正種氏の演技も見ものだった。実に耳に心地いいのだ。
「あなた、映画を観ている間中ずっと喋り続けるつもり?」
僕は「いやなら黙るけれど」と言った。ツナマヨくんは「面白いからそのままで」と返した。
僕は映画を観ながらひたすら喋り続けた。主人公レイがトウモロコシ畑のど真ん中に野球場をつくると言い出したときには「奥さんの献身が泣けるよ」と言ったし、トウモロコシ畑を拓いてつくった野球場にレイ・リオッタ演じる靴なしジョー・ジャクソンが現れる場面では早くも「泣きそう」と目尻を押さえたり、その後の野球の練習のシーンでも「ここがまたいいんだ」とはしゃいだり、そんな感じだ。
「あなた、ほんっとうにうるさいわ」
ツナマヨくんは映画のセリフとセリフの合間を縫って僕にあきれたように言った。でも、ツナマヨくんとて黙ってばかりではないのだ。レイ・リオッタの登場には「『ハンニバル』で脳みそを食べられていたひとよね。知ってる?」と僕にいやがらせのように尋ねた。僕は当然『ハンニバル』を観たことがあったので当時のいやな記憶が蘇ってしまった。あのシーンはトラウマなのだ。というか、僕は何度もグロ描写が苦手だとツナマヨくんに言っているので、これはあきらかないやがらせだった。その頃には、僕もツナマヨくんがおおよそどんな人間なのかわかるようになっていた。
ツナマヨくんは、感情に乏しいのではなく、感情の「表現方法」に乏しい人間なのだ。本質的にはむしろとても愉快な人間だと言える。笑い声をあげることはほとんどないがツナマヨくんが僕との映画視聴を楽しんでいることは言葉の端々から伝わってきた。あるいは、僕が作家であることも関係しているのかもしれない。その場の「空気」ではなく「言葉」を解釈することにかけて僕は何年にも渡って特別な訓練を積み重ねてきたに等しい人間なのだ。
時折、他の映画の小ネタを話しながら、僕らは自然と意気投合していった。はじめからわかっていたことではあるが、ツナマヨくんも相当な映画好きのひとりなのだ。
「ケビン・コスナーの映画で何が好き?」
「あててみて」
「『Mr.ブルックス 完璧なる殺人鬼』」
ツナマヨくんはふっと息を漏らした。もしかしたら笑ったのかもしれなかった。
『フィールド・オブ・ドリームス』の方はと言えば、グレアム先生の登場から終盤に向かって物語が盛り上がりを見せる場面にさしかかっていた。僕の口数は次第に少なくなっていった。ツナマヨくんもあえて何かを喋ろうとはしなかった。僕はグレアム先生の決断に涙し、テレンス・マンの退場に涙し、その後に起きる「奇跡」にもまた涙した。心の底から「なんていい映画なんだろう」と思った。何度観ても最後は本当に号泣してしまうのだ。ジェームズ・ホーナーの素晴らしい劇伴によるクライマックスから余韻を残したまま引き続きエンドクレジットが流れ始めると、僕は「どうだった?」とツナマヨくんに尋ねた。しかし、返答はなかった。僕は不安になった。僕がひとりで盛り上がりすぎたせいでツナマヨくんをしらけさせてしまったのだろうか? しかし、そんな心配は杞憂だった。
「あ、あうあう」
ツナマヨくんは、ヘッドホン越しにもわかるくらい号泣していた。喉をしゃくりながら鼻水をずびずびとすすりあげていた。僕が「大丈夫?」と尋ねても、ツナマヨくんは声にならないうめきのようなものをあげるだけだった。
「めちゃくちゃに」とツナマヨくんが鼻を噛む音がした。「よかったわ」
ツナマヨくんはティッシュを何枚も消費して涙と鼻水をせき止めながら「最高の映画ね」としみじみ語った。僕は嬉しかった。これほど感動してもらえるのは感無量と言ってよかった。
その後も、僕らは5本の映画を立て続けに観た。
『プラダを着た悪魔』
『マイ・インターン』
『マラヴィータ』
『イコライザー』
『シェフ 三つ星フードトラックはじめました』
僕らはとにかくアホほど盛り上がった。
「働く女のバイブルとはいうけれど男が観ても面白い映画だ」
「今度2がやるのが楽しみね」
とか、
「アダム・ディヴァインが出てくるだけで笑っちゃうよな」
「『ファイナル・ガール』とかね」
「またホラー映画の話してる」
「話が通じるのが悪いのよ」
とか、
「デンゼル・ワシントンの目が怖すぎる」
「でもこの映画『ジョン・ウィック』と比べると途中からちょっと退屈よね」
とか、
「ジョン・ファヴローってだけで僕はオールオーケーな気分になるよ」
「『カウボーイ & エイリアン』でも?」
「『カウボーイ&エイリアン』は除く」
とか、そんな具合だ。とにかく、5本の映画を観終わる頃には、僕らはすっかり打ち解けていた。
「ねえ、今夜これからなにか予定ある?」
ツナマヨくんに尋ねられて、僕は「何も」と答えた。ツナマヨくんは「ふうん」と言った。
「ねえ、えっちなことしましょう」
「えっちなこと?」
「やり方はわかる?」
僕は「多分」と答えた。えっちなこと?
「カメラはつけないし画像も動画も送らないけれどそれでかまわないわね?」
僕は「かまわないけれど」と言った。ツナマヨくんは「けれど?」と返した。僕は「いったい」と困惑を前面に出した。
「なぜ急にえっちなことをする流れになったんだろう?」
「そんな気分だからよ」
「でも僕らは今日はじめて話したばかりだ」
「もう知り合ってから半年も経つけれど」
「そういうのは好きな人とするものじゃないのかな」
「あなたのこと好きよ」とツナマヨくんは当たり前のように答えた。「じゃなかったら毎日配信を見に行かないわ。あなたは?」
「僕?」
「私のこと好き?」
僕は戸惑った。
「さっきも言ったけれどきみとは今日話し始めたばかりだ」
「私は好きかどうか聞いているのよ」
ツナマヨくんがいらいらし始めたのがわかった。僕の態度の「あいまいさ」が問題だ。ツナマヨくんのなかにはこの場合「好き」か「嫌い」かだけがあって中間というものがないのだ。
「好きか嫌いかで言えば、もちろん好きだ」と僕は正直に答えた。結局正直になるしかないのだ。「えっちなことがしたいかしたくないかで言えば、もちろんしたい」
ツナマヨくんは「決まりね」と言った。そして、僕らはその日えっちなことをした。ちなみに、2回した。
「なかなかやるわね」
とツナマヨくんは感心したように言った。
