ツナマヨくんの怒りようは尋常なものではなかった。僕は面食らっていったい何があったのかとツナマヨくんに問いかけた。ツナマヨくんは「なにもかもあきらかだとは思うけれど」とでも言いたげな語気の強さでコメントを書き連ねた。
「Flutterで、もう少ししたら配信が始まると思う、というから待っていたのよ」
「ごめん、仕事の都合で」
「もう少し、って何?」
「つまり」と僕は言いかけたがツナマヨくんのコメントの方が早かった。
「5分後か10分後かもわからなくてずっと苛々させられたわ。結局30分待っても配信は始まらないし」
「何分かかるか正確なところがわからなかったんだ」
「なら、もう少し、なんて表現を使うべきではなかったのよ」
話していくうちに、どうやらツナマヨくんは配信開始が遅れたことそれ自体よりも「もう少し」とか「だと思う」というあいまいな表現に耐え難い苛立ちを覚えているらしいことがわかった。実際、僕も社会人の端くれだから仕事でそんなことを言われたら困ることは理解できた。しかし、これはあくまでも趣味の活動なのだ。僕がそういうと、ツナマヨくんは「あっそ」とそっけなくコメントを返した。
「今日はもう話さないから。さよなら」
そして、ツナマヨくんはいなくなってしまった。僕は小説の執筆が思うようにいかなかったことと合わせて酷く落ち込んだ気持ちになった。それ以上配信する気もなくなったのでOBS studioも落とした。
僕はシャワーを浴び、簡単な夕食を作り、猫のジェムさんのためにごはんの缶詰をあけた。ジェムさんはがつがつとおいしそうに缶詰の中身を食べた。ジェムさんを見ていると僕は日常の様々ないやなことをいっとき忘れられるような気がした。
ジェムさんとは近所のゴミ捨て場で知り合った。僕がいつも通り朝の5時頃(僕は早起きなのだ)に可燃ごみを捨てにゴミ捨て場に行くと、収集箱からあふれた生ゴミをあさっているジェムさんがいたのだ。ジェムさんは僕の目をしばらくじっと見詰めたあと、急に興味を失ったように再び可燃ごみの袋に鼻先を突っ込み始めた。僕はその頃飲んでいた薬の副作用でとにかく眠かったので「ああ、野良猫さんか」くらいの気持ちでジェムさんの前を素通りした。さっさとゴミを捨てて家に帰りたかったのだ。僕は収集箱にゴミ袋を詰めるとのそのそと来た道を戻った。アパートメントの玄関の部屋に到着する頃には眠気は限界を迎えていた。僕はベッドに倒れ込むように寝転がると傾眠をむさぼった。多分、鍵をかけるのを忘れたのだろう。ジェムさんは僕が再び目覚めた頃には既に我が家の一員になっていた。僕が望む望まずとにかかわらず。以来、僕はジェムさんとアパートメントにふたりで暮らしている。予防接種やなんやかんやはしてやるけれど飼い猫だと思ったことはなかった。僕はそもそもペットが好きではないのだ。よそへ行きたければいつでもよそへ行ってくれてかまわなかった。
「ジェムさん、今日もなにもいいことなかったよ」
僕が首の後ろを撫でると、ジェムさんは「それが人生さ」と言った。野良猫暮らしが長いと人生にもずいぶん達観するもんだな、と僕は思った。
「ジェムさんは今日はなにかいいことあった?」
「なにも。でもいい一日だったよ」
「なにもなかったのに?」
「それがいい一日の条件なんじゃないか」
「そうなのかな」と僕は首をかしげた。「でも、言われてみるとそうかもしれないね」
翌朝、僕は大量の通知音で目を覚ました。あまりにも大量だったので業者のスパムを疑ったほどだ。スマートフォンを見るとFlutterの通知バッヂの数字が数秒おきに増えていた。控えめに言って恐怖を感じた。僕は何かの原因で炎上してしまったのだろうか? それとも誰かの不評を買って粘着アンチでもされているのだろうか?
恐る恐るFlutterを開くと、メッセージの送り主はツナマヨくんだった。僕はいったん安堵した。炎上やアンチの仕業ではなかった。つづいて疑問符が浮かんだ。しかし、ではいったいなぜツナマヨくんから早朝にこれほど多くのメッセージが到着しなければならないのだ? 僕はツナマヨくんからのメッセージを開封した。
「昨日はごめんなさい」
「怒ったわよね?」
「私、反省したの。すごく」
「で、あなたに説明しなきゃならないと思った」
「もうなんとなく察してくれているかもしれないけれど、私、あいまいな物の言い方がすごく苦手なの」
「混乱してしまうのよ」
「詳しく説明させてね」
「たとえば、あなたが『いい天気』と言ったとする」
「でも、私には『いい天気』というのが理解できないの」
「だって、何が『いい天気』なの?」
「私は日焼けするのがいやだから曇りや雨の方が好きよ」
「なのに、晴れを『いい天気』だと言われると混乱してしまう」
「たとえば、『今日は出かける用事があるから雨が降らなくてよかったね』なら理解できるのよ」
「というか、そう言うべきだと思う」
「『いい天気』なんて言葉の定義は時と場合によるんだから」
ツナマヨくんのアイコンがさらに「入力中」になったので、僕はあわてて「大丈夫だよ」とメッセージを送り返した。
「大丈夫だよ。あいまいな言い方をした僕が悪いんだ」
ツナマヨくんは「ごめんなさい」となおもメッセージを再送信してきた。僕は「参ったな」と思った。実際、ツナマヨくんに怒ってなどいないのだ。むしろ、自分のことをこれほど正直に話してくれたツナマヨくんに対して僕は好意を抱いたほどだった。僕は「ねえ、ツナマヨくん」とメッセージを送信した。
「これから一緒に映画を観ない?」
「一緒に? どうやって? お互いの住所も知らないのに?」
「そうじゃなくて」と僕は送信した。「通話を繋ぎながらパソコンやタブレットで一緒に映画を観るんだ。きっと楽しいよ」
ツナマヨくんは少し間をおいて返事をした。
「なぜそんなことをする必要があるの?」
僕は「つまり」と考えをめぐらせた。もっとツナマヨくんにもわかるような具体性を帯びた答えが必要なのだ。僕はなるべく具体的かつ簡潔な答えを送信した。
「つまり、きみが落ち込んでいるのを見るのはいやだから、一緒になにか楽しいことをして気分を盛り上げたいんだ」
ツナマヨくんからの返答は長くはかからなかった。
「いいわね」
「Flutterで、もう少ししたら配信が始まると思う、というから待っていたのよ」
「ごめん、仕事の都合で」
「もう少し、って何?」
「つまり」と僕は言いかけたがツナマヨくんのコメントの方が早かった。
「5分後か10分後かもわからなくてずっと苛々させられたわ。結局30分待っても配信は始まらないし」
「何分かかるか正確なところがわからなかったんだ」
「なら、もう少し、なんて表現を使うべきではなかったのよ」
話していくうちに、どうやらツナマヨくんは配信開始が遅れたことそれ自体よりも「もう少し」とか「だと思う」というあいまいな表現に耐え難い苛立ちを覚えているらしいことがわかった。実際、僕も社会人の端くれだから仕事でそんなことを言われたら困ることは理解できた。しかし、これはあくまでも趣味の活動なのだ。僕がそういうと、ツナマヨくんは「あっそ」とそっけなくコメントを返した。
「今日はもう話さないから。さよなら」
そして、ツナマヨくんはいなくなってしまった。僕は小説の執筆が思うようにいかなかったことと合わせて酷く落ち込んだ気持ちになった。それ以上配信する気もなくなったのでOBS studioも落とした。
僕はシャワーを浴び、簡単な夕食を作り、猫のジェムさんのためにごはんの缶詰をあけた。ジェムさんはがつがつとおいしそうに缶詰の中身を食べた。ジェムさんを見ていると僕は日常の様々ないやなことをいっとき忘れられるような気がした。
ジェムさんとは近所のゴミ捨て場で知り合った。僕がいつも通り朝の5時頃(僕は早起きなのだ)に可燃ごみを捨てにゴミ捨て場に行くと、収集箱からあふれた生ゴミをあさっているジェムさんがいたのだ。ジェムさんは僕の目をしばらくじっと見詰めたあと、急に興味を失ったように再び可燃ごみの袋に鼻先を突っ込み始めた。僕はその頃飲んでいた薬の副作用でとにかく眠かったので「ああ、野良猫さんか」くらいの気持ちでジェムさんの前を素通りした。さっさとゴミを捨てて家に帰りたかったのだ。僕は収集箱にゴミ袋を詰めるとのそのそと来た道を戻った。アパートメントの玄関の部屋に到着する頃には眠気は限界を迎えていた。僕はベッドに倒れ込むように寝転がると傾眠をむさぼった。多分、鍵をかけるのを忘れたのだろう。ジェムさんは僕が再び目覚めた頃には既に我が家の一員になっていた。僕が望む望まずとにかかわらず。以来、僕はジェムさんとアパートメントにふたりで暮らしている。予防接種やなんやかんやはしてやるけれど飼い猫だと思ったことはなかった。僕はそもそもペットが好きではないのだ。よそへ行きたければいつでもよそへ行ってくれてかまわなかった。
「ジェムさん、今日もなにもいいことなかったよ」
僕が首の後ろを撫でると、ジェムさんは「それが人生さ」と言った。野良猫暮らしが長いと人生にもずいぶん達観するもんだな、と僕は思った。
「ジェムさんは今日はなにかいいことあった?」
「なにも。でもいい一日だったよ」
「なにもなかったのに?」
「それがいい一日の条件なんじゃないか」
「そうなのかな」と僕は首をかしげた。「でも、言われてみるとそうかもしれないね」
翌朝、僕は大量の通知音で目を覚ました。あまりにも大量だったので業者のスパムを疑ったほどだ。スマートフォンを見るとFlutterの通知バッヂの数字が数秒おきに増えていた。控えめに言って恐怖を感じた。僕は何かの原因で炎上してしまったのだろうか? それとも誰かの不評を買って粘着アンチでもされているのだろうか?
恐る恐るFlutterを開くと、メッセージの送り主はツナマヨくんだった。僕はいったん安堵した。炎上やアンチの仕業ではなかった。つづいて疑問符が浮かんだ。しかし、ではいったいなぜツナマヨくんから早朝にこれほど多くのメッセージが到着しなければならないのだ? 僕はツナマヨくんからのメッセージを開封した。
「昨日はごめんなさい」
「怒ったわよね?」
「私、反省したの。すごく」
「で、あなたに説明しなきゃならないと思った」
「もうなんとなく察してくれているかもしれないけれど、私、あいまいな物の言い方がすごく苦手なの」
「混乱してしまうのよ」
「詳しく説明させてね」
「たとえば、あなたが『いい天気』と言ったとする」
「でも、私には『いい天気』というのが理解できないの」
「だって、何が『いい天気』なの?」
「私は日焼けするのがいやだから曇りや雨の方が好きよ」
「なのに、晴れを『いい天気』だと言われると混乱してしまう」
「たとえば、『今日は出かける用事があるから雨が降らなくてよかったね』なら理解できるのよ」
「というか、そう言うべきだと思う」
「『いい天気』なんて言葉の定義は時と場合によるんだから」
ツナマヨくんのアイコンがさらに「入力中」になったので、僕はあわてて「大丈夫だよ」とメッセージを送り返した。
「大丈夫だよ。あいまいな言い方をした僕が悪いんだ」
ツナマヨくんは「ごめんなさい」となおもメッセージを再送信してきた。僕は「参ったな」と思った。実際、ツナマヨくんに怒ってなどいないのだ。むしろ、自分のことをこれほど正直に話してくれたツナマヨくんに対して僕は好意を抱いたほどだった。僕は「ねえ、ツナマヨくん」とメッセージを送信した。
「これから一緒に映画を観ない?」
「一緒に? どうやって? お互いの住所も知らないのに?」
「そうじゃなくて」と僕は送信した。「通話を繋ぎながらパソコンやタブレットで一緒に映画を観るんだ。きっと楽しいよ」
ツナマヨくんは少し間をおいて返事をした。
「なぜそんなことをする必要があるの?」
僕は「つまり」と考えをめぐらせた。もっとツナマヨくんにもわかるような具体性を帯びた答えが必要なのだ。僕はなるべく具体的かつ簡潔な答えを送信した。
「つまり、きみが落ち込んでいるのを見るのはいやだから、一緒になにか楽しいことをして気分を盛り上げたいんだ」
ツナマヨくんからの返答は長くはかからなかった。
「いいわね」
