スキゾフレニアの恋人

 僕はインターネットで西塔イルハに関連するゴシップ記事を集めた。西塔イルハには驚くほど大量のゴシップがあった。そのほとんどは男絡みのゴシップだ。僕は甲斐さんに頼んで西塔イルハに関連するゴシップの真偽を確かめてもらった。甲斐さんは「あなたもアイドルの恋愛事情に興味を示すことがあるのね」と電話口で笑った。

「結論から言えば、西塔イルハに関連するゴシップのほとんどは事実よ」

 数日後、僕のアパートメントの部屋を訪れた甲斐さんは、過去の週刊誌の記事の写しを僕に見せてくれた。佐伯さんがスクラップしていたのと同じ記事だ。僕は「確かなんですか?」と尋ねた。

「彼女、誰とでも寝る女なんですって。業界では有名な話らしいわね。私も驚いたけれど」
「詳しく聞かせてください」
「そりゃかまわないけれど」と甲斐さんは赤い唇に舌先をのぞかせた。「あなたのためにがんばったんだから、あとでちゃんとご褒美もくれるのよね?」

 僕は「もちろん」と首肯した。甲斐さんは「やった」と小さくガッツポーズした。

「西塔イルハがなぜデビュー直後からあんなに事務所の猛プッシュを受けていたかということなんだけれど、どうやら彼女、プロデューサと寝ていたみたいね。プロデューサの家に泊まりに行く姿を何度も週刊誌に撮られている。プロデューサも女癖の悪さで有名だからべつに驚くことでもないのかもしれないけれど、とにかく、彼女の成功の裏に男の影がちらついているのは間違いのないところよ」
「他にはどんな?」
「プロデューサ、映画監督、作曲家、カメラマン、俳優、誰とでも寝ているけれど、他には地下アイドルに入れあげていた時期もあったようね」
「地下アイドル?」
「下積みの仕事で知り合った男の子と半同棲のような形で生活をともにしてずいぶん貢いでいたらしい。で、その男の子の子どもを妊娠した」
「妊娠?」
「もちろん、すぐに堕胎したようだけれどね。そのときはまだ西塔イルハに対する世間の目が今ほどはきびしくなかったから週刊誌もスルーしていた。デビュー直後の新人アイドルのちょっとしたスキャンダルという程度の話だったのよ。今でも蒸し返す輩はいるけれどね」

 頭蓋骨の内側で「妊娠」という言葉が反響した。僕の脳裏に僕の知らないイルハくんの淫らな姿が浮かんでは消えた。僕は妄想を振り払うようにかぶりを振ると甲斐さんに話の続きをうながした。

「妊娠の話も一回ではないのよ。彼女、相手が変わるたびに似たようなことをくりかえしていたみたい」
「その頃の西塔イルハは未成年ですよね。家族は何をしていたんですか?」
「西塔イルハは、家族とはほとんど絶縁状態にあるみたいね。そもそも、彼女の西塔という苗字は離婚した父親の苗字なの。彼女は義理の父親を父親とは認められなかった。再婚した母親や妹のことも家族とは思っていないように外からは見える」
「じゃあ彼女の面倒は誰が見ていたんですか?」
「今の話がその答えなんじゃないかしら」と甲斐さんは言った。「その時々の男たちが西塔イルハの面倒を見ていたのよ。セックスと引き換えにね」

 僕は生まれ故郷から見知らぬ土地に移住してきた15歳の子どもがなんの伝手もなくたったひとりで生き抜かなければならなかったところを想像してひどくいやな気持ちになった。

「でも、あの子はあんたをだましたんだぜ」

 狼がチッチッチとソファで指を振った。

「あんたと寝ながら他の男とも寝てやがったんだ。狡猾な女だよ。自分の利益のことしか考えちゃいない」
「僕だって甲斐さんと寝ている」
「もちろん」と狼は笑った。「もちろん、あんたも最低だ。そんなことはいまさら言わなくてもわかっているもんだとばかり思っていたがね」

 甲斐さんが「狼と話しているの?」と僕の顔を自分の側に引き寄せた。僕は「うん」と頷いた。甲斐さんは「いいわね」と頷き返した。

「狼と一緒にいるときのあなたって素敵よ」
「僕は女を殴りながらセックスする男ですよ」
「殴って」

 僕が怪我をしていない方の手で軽く甲斐さんの頬を叩くと、甲斐さんは「もっと」と熱っぽい視線を僕に投げかけた。僕はさらに強い力で甲斐さんの頬を張った。甲斐さんは僕のベッドに倒れ込んだ。

「10年前を思い出すわ」
「そうかもしれない」
「1日中小説の話とセックスしかしてなかったものね」
「若かかったんだ」
「まだ老け込むような年じゃないわ」と甲斐さんは乱れた服を直しもせず僕を上目遣いに見つめた。「お互いにね」

 それから、僕と甲斐さんはセックスをした。僕は甲斐さんを思いっきり殴り、甲斐さんはそのたび媚びるような嬌声をあげた。

 甲斐さんを抱きながら僕は『アクアリウムの恋人たち』を思い出していた。西塔イルハと五反田亮一のダブル主演。その二人はごく最近もセックスしていたのだ。僕の影に隠れながら。そう思うと甲斐さんの首を絞める僕の手には自然と力がこもった。甲斐さんが僕の手を必死にタップしているのはわかっていた。僕はあえてそれを無視した。甲斐さんは真っ赤な顔で唇の端から白い泡をこぼしながら全身を何度も激しく痙攣させた。

「女なんかみんなクソさ。生かしておく価値なんざない」

 狼がソファから僕らの情事を冷めた眼差しで見下ろしていた。狼は煙草にマッチを擦ると「殺せよ」とつまらなさそうに呟いた。僕は甲斐さんの首を絞める手にさらなる力を込めた。甲斐さんはじたばたと手足を必死にばたつかせた。白目を剥き始めていた。

 スマートフォンの通知が鳴った。

 僕ははっとして甲斐さんの首から手を離した。甲斐さんは何度も咳き込むと次の瞬間にはまた全身を強く痙攣させた。僕は甲斐さんを抱きながらスマートフォンを手に取った。イルハくんからメッセージがとどいていた。

「今夜また映画を観られる?」

 僕は「観られると思う」と返した。すぐ次のメッセージがきた。でも僕はそれには返事をせず「今夜映画を観たあとに話したいことがあるんだ」とメッセージを送った。

「ねえ、誰とやりとりしてるの?」

 僕は「なんでもない」と言った。そして、スマートフォンをサイドテーブルに置いた。甲斐さんは死ぬ寸前まで首を絞められたことについて何も感じていないように見えた。細く白い首にしっかりとついた指の形のあざをいったいどう誤魔化すつもりなのだろうと僕はすこし気になった。

「死ねばよかったのに」

 狼がかわいた声で言った。