スキゾフレニアの恋人

 映画館に入る前に「ちょっと待って」とイルハくんは帽子とサングラスを装着した。映画館の入口には西塔イルハの等身大パネルがあった。僕は西塔イルハ本人と等身大パネルを交互に見比べた。現実と虚構が入り混じるような不思議な感覚があった。

「行きましょう」

 僕らは映画館の自動券売機で午後1時上映の『アクアリウムの恋人たち』のチケットをそれぞれ1枚ずつ購入した。イルハくんは劇場に食べ物や飲み物を持ち込まないタイプの人間だった。僕と同じだ。僕らは映画の上映時間になるまで映画のチラシを見ながら「この監督がどう」とか「あの俳優がどう」とかとりとめもない話にふけった。

「上映の開始をお伝えいたします」

 スタッフにチケットを見せると、スタッフは「6番のスクリーンです」と一番奥の部屋を指さした。

 6番スクリーンには、僕らの他には赤いジャケットの男の姿があるだけだった。平日の正午過ぎから映画をわざわざ観たがる人間は僕の街にはいないのだ。僕らは中段真ん中の一番いい座席に腰をおろした。

「緊張するわ」
「なにが?」
「自分の映画をあなたと一緒に見るのが」

 ほどなく、映画の予告編が始まった。基本、洋画の上映前には洋画の予告編が、邦画の上映前には邦画の予告編が入る。僕は普段まったく邦画を観ないから知らない監督や俳優の名前が目白押しだった。イルハくんはこのなかのどれだけの人間と一緒に仕事をしたことがあるのだろうと思った。

 部屋の照明が次第に暗くなる。映画泥棒の注意喚起がなされる。ビデオカメラ(最近こんな形のビデオカメラはなかなか見ない)の異形頭をした「映画泥棒」が警察から逃げ回るショートムービーが挿し込まれる。イルハくんが小声で「私、このキャラ大好き」とささやいた。僕は無言で頷き返した。

 そして、映画は始まった。

 『アクアリウムの恋人たち』は2026年に日本が制作した恋愛映画だ。原作は同名のライト文芸。西塔イルハと五反田亮一のダブル主演。難病を抱えた少女と彼女に寄り添う青年の……まあ、邦画にはよくある話だ。少女の病名は作中ではあいまいなまま明示されない。これもよくあることだ。

 イルハくんがよくもまあこんなあいまいな設定を許容できたなと僕は不思議に思った。あるいは、作中で明示されないだけで監督や脚本家はしっかりと設定を練っているのかもしれない。あるいは、イルハくんは役作りのなかで自分なりに足りない設定をひねり出したのかもしれない。

 僕はテンポの緩やかなストーリー運びにいささかの冗長さを覚えながら話の筋を追った。おおむね、次のような内容だった。

 西塔イルハ演じるヒロインはアクアリウムが趣味の孤独な少女。難病を抱え余命いくばくもない。彼女の望みは自分が何年も大事に手を入れてきた大切なアクアリウムを誰か信頼の置ける人間に譲り渡すことだ。

 一方、五反田亮一演じる主人公は予備校に通う浪人生。生き物が苦手で機械いじりが趣味。ご多分に漏れず自分の将来の道を決めかねている。

 物語は二人が出会うところから始まる。ヒロインの親友(主人公の親友でもある)から主人公に「友達の水槽のフィルタが壊れたんだけれど、直せないかな?」と連絡がくるのだ。主人公はヒロインの部屋にあがる。そして、彼女と彼女のアクアリウムのうつくしさに魅せられる。

 僕はスクリーンに映し出されたイルハくんの他を圧倒する超絶的な美貌に恐ろしさすら覚えた。単純な美貌を超越した存在感だ。イルハくんがただいるというそれだけで120分の映画が成り立つ気さえする。逆に存在感があり過ぎて脇役には向かないタイプの女優だとも思った。少なくとも今は無理だ。何をしても主演を食ってしまう。

 実際、ダブル主演のはずの五反田亮一の存在感は、西塔イルハと一緒の画面に映ると酷くかすんで見えた。演技の自力にも差があり過ぎた。ひとりでいるときにはそれなりに見えるが、イルハくんと一緒になるとどうしても物足りなく見えてしまうのだ。イルハくんと五分の演技ができるのはヒロインの父親役を演じる大御所俳優だけだった。彼はイルハくんの演技をしっかり受け止めてしかもそれをしのいでいた。

 それにしても、と僕は思った。

 それにしても、こんなにシリアスな話なのになぜ映画のプロモーション活動にアイドルユニットなんか組んだんだろう? 僕は駅の待合室で見た歌って踊るイルハくんを思い出した。ぜんぜん映画の内容と合っていない。
 
 僕がそんなことを思ううちに映画は佳境に向かっていた。

 ヒロインと主人公はアクアリウムを通して仲を深める。徐々に近づく二人の距離。しかし、刻一刻と余命が近づくヒロインは主人公にこれ以上迷惑をかけられないと大切なアクアリウムをみずから壊してしまう。ヒロインは「もう私に会う理由はなくなったわね」と主人公を遠ざける。しかし、主人公はヒロインのアクアリウムを手入れするときに間引きした水草を普段からこっそり自分の部屋に持ち帰って小さなアクアリウムで育てていたのだ。主人公は「きみとの思い出をずっと大切にするよ」とヒロインに自分のアクアリウムを見せる。ヒロインのアクアリウムに込められていた「私を忘れないで」という願いはたしかに主人公に届いたのだ。

 映画のラストを飾るキスシーンで僕はなんとなく居心地の悪い思いをした。知り合いのキスシーンをしかもスクリーンで見るなんてなかなかないことだ。僕は自分の気持ちをごまかすために小さく咳払いをした。

 上映後に照明がもとに戻ると、イルハくんは隣の座席で長いため息を漏らした。

「緊張したわ」
「そんなに?」
「120分がすごく長く感じた」

 僕らは映画館のロビーに戻ると売店でコーヒーと紅茶を注文した。館内はなおも閑散としていた。僕らは飲み物を手にソファに並んで腰を下ろした。

「どうだった?」とイルハくんが尋ねた。
「面白かったよ」
「どのへんが?」
「つまり」と僕はコーヒーを手に考えをめぐらせた。「まずは、イルハくんの際立った存在感だね。本当にすごい。イルハくんを見ているだけで120分なんかあっという間に過ぎてしまう。映画自体のストーリーも思ったよりよかった。話の筋はありがちで途中ちょっと退屈だったけれど実家の味噌汁みたいな味がした」
「実家の味噌汁?」
「低予算な映画だったけれどこの国に生まれ育った僕の感性に訴えかけるものがあったな、ってこと」
「変な比喩を使うのはやめて」

 映画館を出る頃には雪はすっかりやんで空には晴れ間が覗いていた。映画館の駐車場にはさらさらしたパウダースノーがくるぶしの高さまで積もっていた。僕らは本革のゴツいブーツの靴底で雪を踏みしめながら車まで歩いた。

 僕は「どこか行きたいところはある?」と尋ねた。イルハくんは「公園」と答えた。

「なら城址公園があるよ」
「城址公園?」
「昔、お城があった場所が今は公園なんだ。あと一ヶ月かそこらすれば桜が見頃なんだけれど」
「雪を見るだけでも十分楽しいわ」
「雪ねえ」と僕は渋い顔をした。今朝の雪かきのことを思い出した。
「ということは、きみは雪国育ちじゃないんだな」
「ニューヨークにも雪は降るけれど」
「でも僕の街ほどじゃない」と僕は首を振った。「雪を見るだけで楽しい、なんてよそものの言葉だ。雪国生まれ雪国育ちの僕にとって雪はおおいなる自然の脅威だ。戦うべき敵なんだ」

 僕は「きみはなにもわかってない」と首を振った。イルハくんは僕の顔を不思議そうにみあげた。

「雪が降らないで欲しい?」
「そうだね」と僕は頷く。

 でも、と僕は空を見上げた。

「でも、本当に一切雪が降らなくなってしまったらきっと僕は寂しくてたまらなくなってしまうだろうな」