スキゾフレニアの恋人

 ツナマヨくんと知り合って一年が経つ。ということは、僕がSolioで配信を始めてから一年が経った、ということでもある。

 Solioは、YouTube Live、Twitch、TikTok LIVEなどと並ぶライブストリーミングプラットフォームサービスだ。運営は日本企業のオラ株式会社。匿名性を尊ぶ国民性を反映してか配信の多くはイラストを背景にしたラジオ配信で、僕も仕事の伝手でイラストレータに頼んだ似顔絵を配信のサムネイルに指定していた。

 配信のほとんどはスマートフォンを使ったアプリケーション配信だが、僕の配信は最初からパソコンとOBS studioを使ったツール配信だ。甲斐さんが「これを使いなさい」と僕にAudio-TechnicaのAT4040(マイク)とAT-UMX3(インターフェース)をくれたのだ。僕は配信を始めるにあたりいくつかのプラグインを導入して音質の向上に努めた。中には有料のプラグインもあった。たとえばノイズ除去プラグインのBrusfri。マイクが良くも悪くも繊細な音を拾うのでノイズ除去の強化は必須と言えた。

 他には配信のBGMにする著作権フリーの音源もいくつか購入した。正直、値は張った。他の配信者も使っている定番の無料BGMもあるにはあった。しかし、配信におけるBGMの役割は空気だ。普段は誰も気にしないがやはりそこには良い空気と悪い空気とでもいうべきものが確かにある。僕はなるべく良い空気を吸いながら配信がしたかった。

 配信の準備がすべて終わったとき、僕は「おれはいったいなにをしているんだろう?」と思った。甲斐さんからマイクやインターフェースをゆずってもらったとはいえそれから少なくない金と時間を配信の準備に費やした。それほどの労力をかけてまでなぜ配信をする必要があるのか?

 甲斐さんは「今のあなたには外の世界と繋がりを持つ場所が必要なのよ」と僕に言った。僕は甲斐さんの言葉を鵜呑みにしたわけではなかった。しかし、実際今のままでは僕はだめになってしまうと思った。いいや、もう十分だめになっているのだ。自分自身をくらやみの淵から引きずりあげなければならない。これはそのために必要な儀式なのだ。

 ある日の夜、僕はコーヒーをたっぷり入れたマグをかたわらにOBS studioを立ち上げた。OBS studioは準備万端だった。配信画面は出来上がっているしマイクとBGMの設定も完璧だ。パソコンから「任せてくれ」という声が聞こえる気がした。

 僕は「配信開始」のボタンをクリックすると、Solioの配信一覧から自分のサムネイルを探した。

 Solioの配信サムネイルの多くは、自動生成のAIイラストだ。手描きのイラストが主流だった時期もあったが、AIの流行とともにそうした昔ながらの風習はすたれた。イラストレータの手描きの似顔絵をサムネイルに指定している僕はそういう意味ではクラシカルな配信者と呼べるのかもしれない。

 赤いジャケットの男の隣に僕の配信サムネイルがあった。僕は配信画面を開き、アカウントと連携しているFlutterに通知を飛ばした。フォロワーは0人だから誰が見ているわけでもないが、配信を開始したら通知を飛ばす、という一連の作業は今のうちから習慣づけておく方がよいと思ったのだ。

 僕は配信をスマートフォンでも開き、ノイズや遅延などの問題がないことを確認すると、マグからコーヒーを飲みながらコメントが来るのを待った。

 Solioは他と比べれば初心者にも優しい配信媒体と言える。配信カテゴリが細部化されているから配信者を見つけやすいし独自のアルゴリズムが自分に合ったおすすめの配信者を探し出してくれる。初配信をピックアップする機能もあった。僕がSolioをホームグラウンドに選んだのもそうした利便性が多分に影響していた。

 配信画面の閲覧数が0から1になるたび、僕は「こんばんは」とか「いらっしゃい」とか挨拶を繰り返した。なかなかコメントはこなかった。僕は暇を持て余してアカウントのプロフィール情報や配信のハッシュタグを追加するなどした。映画鑑賞が趣味だったのでプロフィールには好きな作品の名前を載せようと思った。僕のオールタイムベスト『フィールド・オブ・ドリームス』だ。いい映画だった。何度観ても泣いてしまう。

 僕が名作の思い出にふける間も閲覧数は0と1をいったりきたりした。時々2や3に増えることもあった。コメントはこなかった。Solioのアルゴリズムからいって登録者数の少ない配信者は一覧の最底辺に表示される。だから初配信をピックアップする機能があるわけだけれど、視聴者のどれほどがそのピックアップに興味を示しているのかは正直疑問だった。おおむね、視聴者は人気の大手かアルゴリズムがえらんだおすすめから配信を選ぶものだからだ。

 45分が経った。僕は次第に自分が場違いな人間なんじゃないかという不安に駆られてきた。視聴者はきっと僕の挨拶を聞くなり「声が悪い」という判断をくだして去っていくのだ。僕の声は配信には向いていないのかもしれない。そもそも、僕は自分の声が嫌いなのだ。

 誰もおまえを愛さない。

 僕は机に両手を突くと勢いよく椅子から立ち上がった。発作の兆候が出ていた。僕は部屋の戸棚からピルケースを取ると安定剤を1錠飲んだ。何度か深呼吸もした。初配信に人がこないだけで発作を起こしかけるなんて自分はなんてみじめな人間なんだろうと思った。

「こんばんは」
「いる?」
「いないの?」

 コメントに気づいたのは、気分が落ち着いてしばらく経ってからだった。僕は貴重な初見を逃したかと思いあせって「いらっしゃい」と席に戻った。僕は「ごめん、席を外していたんだ」と弁解した。

「席を外すって何? 椅子でも解体していたの?」

 それが、ツナマヨくんとの出会いだった。