バレンタインデーに適当にチョコを渡したら、いつの間にか彼氏ができてた話

 それから俺たちはカフェを出た後、広い芝生があるという近くの噴水公園へ向かった。
 美甘はさっき見た顔が嘘なんじゃないかと思うほどいつも通りのテンションで、いつも通り楽しそうに笑っていた。
 無理をしてるようにも、取り繕ってる風にも見えなかった。
 普段の俺だったら、なんだったのあれって普通に聞いてたと思うけど、なんとなく触れづらくて話題には挙げられなかった。俺の知ってる美甘がああいう表情をするとは思わなくて、意外と戸惑ってたのかもしれない。
 口数もカフェに向かうときよりは少なく、若干の気まずさを残しながら、俺たちは噴水公園の入り口まで辿りついた。空にかかる薄暗い雲が、だんだんと青空を侵食しつつあった。


 公園に入ると、立派な噴水の周りに新緑色の芝生が広がっていた。家族連れやカップルが多く、周りを囲む青々と生い茂った木々が、葉擦れの音を立てながら揺れている。

「柳くん、なにか飲む?」

 美甘はドリンクを出店しているキッチンカーを指さした。遠目からだけど、買ったお客さんが手に持ってるのはフルーツジュースっぽい。

「美甘は?」
「えっ、オレ?」
「うん。お前はどうする?」
「あ、オレは柳くんが飲むなら飲もうかなって……」
「分かった。じゃあ俺買ってくるから、美甘はどっか座って待ってて。何味あるかだけあとで連絡するから、返信よろしく」
「……えっ。え、待って、待って柳くん」

 俺は小走りでキッチンカーまで行こうとしたのに、美甘が前に立って通せんぼしてきた。

「なに?」
「やっ、い、一緒に行こうよ。なんで柳くんだけ……」
「だって店の前若い女の子いるじゃん。お前バレたくないんだろ」

 しかもさっき話しかけてきた子たちと雰囲気が似てる。別人だろうけど来てる服とか髪型が近いってことは、なんとなく美甘のことも知ってそう。

「で、でも」
「いいから待っとけよ。あ、ほらあそこのベンチは? 周りも人いなさそうだし良くね?」

 またしょぼくれた目で美甘が口をつぐむので、俺は背中側に回って両手で押した。

「ちょ、ちょっ! 柳くっ!」
「すぐ買ってくるから! スマホだけ見といて!」

 美甘に付き合ってたら埒が明かない。
 ちょっと時間取られたくらいであんなに落ち込むんだから、おとなしく静かなとこで待っとけばいいんだよ。


***
 
 
 俺の右手にあるのはマンゴージュース。そして左手にはミックスジュース。
 美甘は戻ってきた俺に気が付くと、ベンチからわざわざ立ち上がってこっちまで走ってきた。

「柳くん! オレ持つよ!」
「じゃあこれ、はい」

 俺は美甘のリクエスト通りに買ってきたミックスジュースを手渡した。

「あ、ありがとう……っ。あの、お金いくらだった?」
「いらねえ。さっき奢ってもらったし」
「えっ、あんなの全然大したことじゃないのに……!?」

 俺からすれば十分大金なんだよ。普通に俺も出すつもりだったのに、レジ前でスマートに払いやがって。

「これは俺の気持ち。受け取ってくんねえの?」
「き、きも……ち? ……はっ、も、もらう! それはオレが全部もらう!」
「いやマンゴージュースは俺のだけど」

 血色が一気によくなった美甘を横目に見ながら、俺はベンチに腰を下ろした。頭上で木の葉がカサカサと音を鳴らして、ひんやりと冷たい風に身がすくむ。
 ジュースは飲みたいから買ったけど、ちょっと後悔するくらいには寒さが増してきたな。

「や……柳くん寒くない?」
「寒い」
「あ、じゃ、じゃあっ」

 左隣に座った美甘がキョロキョロと辺りを見回す。
 寒いけど、ストローから吸い上げたマンゴージュースはちゃんとうまい。

「あの、ちっ近くに人いないから」

 美甘は右手に持ったミックスジュースを反対の手に持ち変えると、俺の左手を撫でるように取って指を絡ませてきた。スマートな繋ぎ方の割に、いつまで経っても握ってくる力は強いまま。俺なんか、最近この強さに慣れてきたぞ。

「……あったかい?」
「うん」
「……っ天気、悪くなってきちゃったね」
「そうだな。今日は早めに帰るか」

 僅かにあった晴れ間はほとんど分厚い雲に覆われて、今は空が灰一色になっている。雨は降らないと聞いたけど、これじゃいつ降り出してもおかしくなさそうだ。
 
 俺たちはしばらくの間、お互いに黙ったままジュースを飲んでいた。話したいことがないわけじゃなくて、風の音とか、鳥のさえずりとか、遠くにいる人たちの喧騒とか――そういう自然と耳に入ってくる音が心地よかった。

「……さっき、ごめんね」
「なにが」
「オ、オレ……変な顔見せちゃったから」
「お前まだそんなこと言ってんの」

 もう過ぎたことなんだから、気にしなくていいのに。

「ち、違う。違うんだ、オレ」
 
 俺の左手を包む美甘の右手が、震えを押さえるようにギュッと力が入った。

「……苦手、なんだ。……頼まれ事とか、好意とか……そういうの、断るのが」

 美甘の表情は深めに被った帽子のせいで見えなかった。でも怖がるように強めに握られた左手とか、張り詰めたような硬い声から、勇気を持って言ってくれてることだけは分かった。

「だから今日も、なるべくそういう状況を作らないようにしたかったんだけど」

 ズズッ――と、ジュースの底が尽きたことを知らせる音が俺の前で鳴る。

「それの何が悪いんだ?」
「え?」
「頼みを断らないのは、お前の優しさだろ。だからみんな美甘のことが好きになるし、人が寄ってくるんじゃねえか」

 俺は嫌なことは嫌ってはっきり言うせいで、八ツ屋みたいな変人しか友だちいねえし。あ、でも今は美甘もいるか。

「オレは……優しくないよ。全然、優しい人間なんかじゃないんだ」
「は? なんで」
「相手のことなんか、全く考えたことない。オレはいつも、自分のことばっかりだから」

 顔を上げた美甘がゆっくりとこっちを向く。さらさらと揺れる前髪の隙間から、薄暗い鈍色の空みたいな瞳と目が合った。自嘲気味に唇を釣り上げて、濃い影を宿した美甘の表情に、俺は思わず視線が奪われる。

「美甘――」

 ポツ、と頭に冷たい水滴のようなものが落ちた。じわじわと頭皮に染みこんでいくそれは、なにも一滴どころじゃなかった。

「あ、雨」

 しかもけっこう大粒で、地面を叩きつけるほど強い雨。

「っ、柳くん! 屋根あるとこ行こう!」
「……うん」

 手を繋いだまま俺を引っ張り上げる美甘の表情に、さっきの影は見当たらない。
 俺たちは急に降り出した大雨に打たれながら、公園の屋根がある休憩スペースまで走った。




「傘買ってきたよ!」
「……ありがとう」

 あれからしばらくして。
 スマホで天気予報を見ても雨がまだ止みそうになく、寒がる俺を心配した美甘が、近くのコンビニまで走って傘を買ってきてくれた。さすがに申し訳なくて俺も行くって言ったんだけど、どうしても濡らせたくないと言い張った美甘は、いま一人でずぶ濡れだ。

「あっ、あとタオルも! カイロも買ってきたけどいる!?」
「いや、お前が使えよ」
「オレは大丈夫! 全然寒くないし、柳くんが風邪引いちゃう方が嫌だから!」
 
 え、体温高いと寒さも感じにくいのか?

「ほらこれで頭拭いて……っ」
「あ、おい、ちょっ」
「カイロもポケットに入れておくから、すぐあったかくなると思うよ!」
「つ、次から次へと……って待て、お前それ何個入れるつもりだ?」
「えっ? ご、5個くらいあれば足りるよね?」
「そんないらねえよ! ポケット二つしかねえだろ!?」
「っ、でも、これなら足とか首もあっためられるし……」

 そう言う美甘の方は、どう見たって俺よりも濡れている。でも自分のことは棚に上げて、コイツは人のことばっか気に掛けてる。自分は優しくないだとかぬかしておいて、俺のことすげえ考えてくれてるじゃん。

「じゃあ三つもらうから、あと二つは美甘のとこ入れとけ。そんで寒くなったら貸して」
「わ、分かった……」

 受け取ったカイロを二つ手に持って、俺は美甘のコートのポケットに入れる。帽子をしてるから、かろうじて顔とかはそんな濡れてないけど、少し触った美甘のコートはぐっしょりと湿っていて冷たかった。

「傘あるし、とっとと帰ろう。美甘も電車で来たよな?」
「あ、オレは……えっと」
「なに? あ、もしかして車で送ってもらったとか?」

 やけに歯切れの悪い美甘に、傘を開こうとする俺の手がとまった。
 ここは俺の住んでる町から電車で20分くらい掛かる隣の市だ。美甘の家が俺の家の先に行ったところなら、同じ電車かもしくは車じゃないと来れないはずなのに。

「や、柳くん、オレの家に来ない?」
「は? なんで急に」
「っだって、そんな濡れた格好で、帰らせたくない……から」

 ハットの先から雫が垂れ落ちる。目元を薄く色づかせた美甘の、緊張気味な強い視線が俺を刺していた。

「でもお前の家に行くのと、俺が自分家に帰るのって、そんな変わんなくね」
「……実は少し、柳くんに嘘ついてた」
「噓?」
「オレ、本当は電車通学してる。家もこの近くにあるけど、放課後は柳くんと一緒に帰りたくて、隣の市から来てるってこと言えなかった」

 ごめん、と美甘は軽く頭を下げた。天井を打つ雨音が、ザーザーと滝のように俺たちの頭上で鳴り響いていた。

「……じゃあお前は、俺の家まで来た後、わざわざ駅まで戻って電車で帰ってたってことか」
「……うん。あ、でもっ、オレの負担には全然なってないから、そこは気にしないでほしいっていうか、オレが勝手にやってることだから、柳くんのせいだって風には絶対思わないでほしいっていうか」
 
 コートの裾を握りしめながら力説する美甘に、俺は呆れ半分、落胆半分って感じで、胸の中にグルグルとモヤみたいなものが渦巻いていた。
 だって俺、コイツとけっこういろんなこと話した気になってたけど、まだ美甘のこと何も知らなかったんだ。いつも明るく笑って、時々変な言動を取る愉快な姿が、俺にとっての美甘海寧っていう存在だったのに。暗い表情だって、今日初めて見た。

「あの、騙すみたいなことしちゃってほんとごめ――」
「他にはもうないよな?」
「えっ?」
「俺に嘘ついてること。良かれと思ってしてることでも、そういうのはちゃんと言ってほしい」

 俺はまっすぐ美甘の目を見つめた。なんとなく、コイツのことはちゃんと知っておきたいと思ったから。
 淡いグレーの瞳は、ほの暗い屋根の下でも、光を持ったように輝いていて綺麗だった。

「うん……も、もうない。柳くんに嘘ついてること、オレもうないよ……!」
「ならいい。じゃあ早く帰ろうぜ」
「あっ、え、えっ、どこに」
「お前の家。――雨宿り、させてくれるんだろ」