それから、俺の日常は少し変わった。
毎朝登校すると、美甘が挨拶と同時にイチゴミルクキャンディーを3つくれるので、俺はそのお返しにポケットの中から適当な菓子をあげるようになった。お昼は山越というモンスターがついてくるけど、矢崎は穏やかだし、美甘が宣言通りデザートを譲ってくれるので、その騒がしさにはある程度目を瞑りながら食べている。
放課後は美甘のモデルの仕事がない日に合わせて一緒に下校するようになり、ベンチで1時間ほど他愛もない話をしてから、俺は自宅に着くことが多い。
手も、毎回美甘が繋いでもいいかと聞いてくるので、最近は勝手にしろと言ってある。最初は恐る恐るだったけど、数日経てば我先にと握られる手のひらはやっぱりあったかかった。そして俺は、緩みきった笑顔を見せてくるアイツを見るたびに、何故か胸の中がむずむずとした。
でも全然嫌な感じがしないのは、たぶんずっと美甘が楽しそうだから。時々変な挙動はするし、顔はよく赤くなるけど、見ていて飽きない面白さが俺は気に入っていた。
俺は人付き合いを積極的にするタイプじゃないから、友達と呼べる友達も八ツ屋くらいだ。だから高二の冬にしてできた新しい友達に、俺は脳がふわふわと浮くような、甘い物を摂取した時の高揚感に近いような嬉しさを、柄でもなく覚えていた。
『――柳くん。今週末、よかったらここ一緒に行かない?』
そうメッセージで送られてきたのは、美甘と話すようになってから一週間とちょっと経った後のこと。学校以外で、時々美甘からなんでもない些細なメッセージをもらうときはあったけど、休日に遊ぼうと誘われたのは初めてだった。しかも添付されたカフェのURLには、うまそうなイチゴのパンケーキの写真が。美甘がよく行く店らしく、俺にもぜひおすすめしたいとのことだった。
休日の俺はほとんどの時間を睡眠かゲームに充てているので、八ツ屋と遊びに行く時以外はほとんど用事がない。
だから断る理由はどこにもなく、俺は二つ返事で美甘に行きたいと答えた。すると、すぐさま既読がついた後に送られてきたものを見て、ふっと笑いがこぼれる。
「なんだこれ。こんなのあるんだ」
『大好き』という言葉の下に、かわいい犬のキャラクターがパンケーキの中で満面の笑みを浮かべながら、生クリームを口いっぱいに頬張っているスタンプだった。
***
「柳くん……っ、休日の私服姿の柳くん……!」
なんかやたらと目をキラキラさせている美甘は、随分とお洒落な出で立ちをして待ち合わせの駅で立っていた。ただの厚手のパーカーに、黒いジーパンを履いてる俺とは全然違う。
それにさすがモデルというべきか、やっぱスタイルが段違いにいい。俺はコーデに詳しくないから分かんねえけど、もしおんなじ恰好したら長いベージュのコートが合羽みたいになりそう。中に着てるシンプルな白のタートルネックも幅の広い黒のズボンも、コイツだからこんなに似合ってるんだろうな。俺は靴すらスニーカー以外持ってねえし。
「しゃ、写真撮ってもいい!?」
「え、なにを?」
「柳くんを!」
そう尋ねてくる美甘は、既にスマホを携えてカメラのレンズを俺に向けていた。
「……一応聞くけど、なんで」
「だってもったいないよ! 俺の頭の中に焼き付けるだけじゃもったいない! 後で見返せるようにたくさん撮っとかないと!!」
つまり、思い出に残したいってことか?
「まあ、SNSとかに投稿しないんだったらいいよ」
「っ! するわけない! 誰にも見せないし今日はオレだけの柳くんだから!!」
何言ってんだコイツ。遊びに行くだけで俺はお前のものになるのか? ……てか何枚撮ってる? すげえ連写してる音聞こえるんだけど。
「もういい?」
「まだ! あと斜めからと下からと後ろからも撮らないと!」
「……すげえな。モデルやってるとこんなこだわり強いんだ」
「あっ、柳くん顔だけこっち向いて!」
頭をすっぽりと覆う縁の広い黒ハットの下で、美甘の目がキラキラと輝いている。これじゃなんだか、俺がモデルにでもなった気分だ。
――それからしばらくして、ようやく満足したらしい美甘が、カシャカシャと音を鳴らしてばかりだったスマホを斜め掛けのバッグにしまった。落ち着きのない視線が俺を見る。
「えっと、あ、改めて今日は来てくれてありがとう」
「ほんとに今更すぎるな」
「ちょ、ちょっと興奮しすぎて恥ずかしいところ見せちゃったけど、今日はデッ、デッ……ふ、二人で出掛ける初めての日だから、オレに全部任せて、ついてきてほしい」
「うん、分かった」
さっきまでの勢いはどこにいったのか、来てる服が変わっただけで美甘はいつも通りだった。「じゃ、じゃあ……っ」と言いながら、硬い動きの美甘の横に並んで、俺たちは人がまばらにいる広い歩道へと出る。
「カフェってこっから近い?」
「っうん、普通に歩けば、10分もかからないんじゃないかな」
「じゃあ天気も気にしなくてよさそうだな」
「あ、一応ニュースでは雨降らないって言ってたよ。傘も心配なら折り畳みがあれば十分だって」
「ふーん。なら雨に打たれることはなさそうか」
灰を被ったような雲から覗く晴れ間に、俺は目を細めて眺める。風も少しある今日は、雲の流れるスピードも目に見えて分かるほど速い。
「あっ、柳くん……!」
その時、俺は前から来た人とぶつかりそうになって、美甘に腰を引き寄せられた。ふわっと微かな甘い香りが俺の鼻腔をくすぐる。
「ご、ごめんね急に引っ張っちゃって!」
「いや、俺の方こそよそ見してた。ありがとう美甘」
「ううんっ。柳くんのことはオレがずっと見とくから、もっといろんなところ見てていいよ」
「え? 俺を注意力散漫な奴にしたいってこと?」
「っ、でも、オレが助けるし……」
「そういう問題じゃねえよ」
第一それだと俺を見ないといけないお前の負担が大きすぎるだろ。
たびたび突拍子もないことを言う美甘だけど、今日はなんか一段と変な感じがする。
「あーそういや……美甘っていま香水かなんかつけてる?」
「あっ、うん。へ、変かな?」
「いや、すげえいい匂い。どこにつけてんの?」
「……く、首に少し」
「ああ、だからさっき香ったのか」
俺はもう一度美甘の首に顔を近づけてみる。
……やっぱり。みずみずしいフルーツみたいな甘さで、爽やかなイメージの美甘にピッタリの匂いだ。これなら俺もちょっとつけてみたいかも。
「なあ、これってどこの――」
メーカーのやつ?、と聞きたくて顔を上げてみれば、美甘がプルプルと震えながら息を止めていた。
「え、どうした?」
「うっ、うああッ!!」
そして被っていたハットをズボッと前に下げて顔を覆い隠した。後ろ髪だけはみ出て、ハットが仮面みたいになってるのがかなりシュールだった。
「す、少しこれで落ち着かせて……っ」
ハットマンから美甘のくぐもった声が聞こえる。俺は思わず噴き出した。
「ふっ、い、意味わかんな……っ」
美甘には悪いけど、ちょっと腹がよじれそうかも。
「わっ、わらっ……て?」
「ご、ごめ……っ、ちょ、おかしすぎて……、ふはは……っ」
普段めったに爆笑なんてしないんだけど、これは俺の理解を超えすぎて堪えられなかった。しかも脈絡なさすぎだし。なんで急に顔に帽子嵌めるんだよ。
「えっ、笑顔かわ……ッ」
「ははははっ……! やばっ、顔いたい……!」
「写真撮っていい!?」
「ははっ……ちょっ、撮んなって……っ」
無数にシャッター音が鳴り響く。それでも俺は笑いが止まらなかった。途中でもう何が面白いのかすら分からない笑いがこみあげてくるときがあって、無限に笑っていた。腹が千切れるかと思った。
「ああー、やばい、久しぶりにこんな爆笑した」
結局道の端に寄って息を整えた俺は、隣でずっと凝視しながらカメラを撮る美甘の肩を小突いた。
「おい、もういいだろ」
「はっ、こっち向いて――」
「はいはい終わり。こっからは金取るぞ」
スマホのレンズを右手で塞ぐ。
「いくら!? いくら出せばいいの!?」
「いや冗談だって」
「オレ仕事してるから柳くんの欲しい金額くらい出せるよ……!」
「いや、だから――」
このままだと本当に金出しそうだなコイツ。
「もういい。置いてく」
「えっ、ま、待って!」
とはいっても俺はカフェの場所を知らないから待つしかないんだけど。
「ごめん、ごめんね。嫌だった?」
眉をこれでもかと下げた美甘が慌てて走ってくる。ちょっと突き放したのが可哀そうだと思うくらい、コイツが犬だったら絶対に耳がしょげてる。
「別に怒ってないから。そんな顔すんなよ」
「ほっ、本当に?」
「うん。それよりカフェってまだ? もうけっこう歩いた気がするんだけど」
「あっ、それならあと少しだよ。たぶんもうすぐ、お店見えてくると思う」
「じゃあ早くいこ」
笑いすぎてお腹がペコペコだ。まさかこんなにあの姿がツボに入るとは思わなかったな。
毎朝登校すると、美甘が挨拶と同時にイチゴミルクキャンディーを3つくれるので、俺はそのお返しにポケットの中から適当な菓子をあげるようになった。お昼は山越というモンスターがついてくるけど、矢崎は穏やかだし、美甘が宣言通りデザートを譲ってくれるので、その騒がしさにはある程度目を瞑りながら食べている。
放課後は美甘のモデルの仕事がない日に合わせて一緒に下校するようになり、ベンチで1時間ほど他愛もない話をしてから、俺は自宅に着くことが多い。
手も、毎回美甘が繋いでもいいかと聞いてくるので、最近は勝手にしろと言ってある。最初は恐る恐るだったけど、数日経てば我先にと握られる手のひらはやっぱりあったかかった。そして俺は、緩みきった笑顔を見せてくるアイツを見るたびに、何故か胸の中がむずむずとした。
でも全然嫌な感じがしないのは、たぶんずっと美甘が楽しそうだから。時々変な挙動はするし、顔はよく赤くなるけど、見ていて飽きない面白さが俺は気に入っていた。
俺は人付き合いを積極的にするタイプじゃないから、友達と呼べる友達も八ツ屋くらいだ。だから高二の冬にしてできた新しい友達に、俺は脳がふわふわと浮くような、甘い物を摂取した時の高揚感に近いような嬉しさを、柄でもなく覚えていた。
『――柳くん。今週末、よかったらここ一緒に行かない?』
そうメッセージで送られてきたのは、美甘と話すようになってから一週間とちょっと経った後のこと。学校以外で、時々美甘からなんでもない些細なメッセージをもらうときはあったけど、休日に遊ぼうと誘われたのは初めてだった。しかも添付されたカフェのURLには、うまそうなイチゴのパンケーキの写真が。美甘がよく行く店らしく、俺にもぜひおすすめしたいとのことだった。
休日の俺はほとんどの時間を睡眠かゲームに充てているので、八ツ屋と遊びに行く時以外はほとんど用事がない。
だから断る理由はどこにもなく、俺は二つ返事で美甘に行きたいと答えた。すると、すぐさま既読がついた後に送られてきたものを見て、ふっと笑いがこぼれる。
「なんだこれ。こんなのあるんだ」
『大好き』という言葉の下に、かわいい犬のキャラクターがパンケーキの中で満面の笑みを浮かべながら、生クリームを口いっぱいに頬張っているスタンプだった。
***
「柳くん……っ、休日の私服姿の柳くん……!」
なんかやたらと目をキラキラさせている美甘は、随分とお洒落な出で立ちをして待ち合わせの駅で立っていた。ただの厚手のパーカーに、黒いジーパンを履いてる俺とは全然違う。
それにさすがモデルというべきか、やっぱスタイルが段違いにいい。俺はコーデに詳しくないから分かんねえけど、もしおんなじ恰好したら長いベージュのコートが合羽みたいになりそう。中に着てるシンプルな白のタートルネックも幅の広い黒のズボンも、コイツだからこんなに似合ってるんだろうな。俺は靴すらスニーカー以外持ってねえし。
「しゃ、写真撮ってもいい!?」
「え、なにを?」
「柳くんを!」
そう尋ねてくる美甘は、既にスマホを携えてカメラのレンズを俺に向けていた。
「……一応聞くけど、なんで」
「だってもったいないよ! 俺の頭の中に焼き付けるだけじゃもったいない! 後で見返せるようにたくさん撮っとかないと!!」
つまり、思い出に残したいってことか?
「まあ、SNSとかに投稿しないんだったらいいよ」
「っ! するわけない! 誰にも見せないし今日はオレだけの柳くんだから!!」
何言ってんだコイツ。遊びに行くだけで俺はお前のものになるのか? ……てか何枚撮ってる? すげえ連写してる音聞こえるんだけど。
「もういい?」
「まだ! あと斜めからと下からと後ろからも撮らないと!」
「……すげえな。モデルやってるとこんなこだわり強いんだ」
「あっ、柳くん顔だけこっち向いて!」
頭をすっぽりと覆う縁の広い黒ハットの下で、美甘の目がキラキラと輝いている。これじゃなんだか、俺がモデルにでもなった気分だ。
――それからしばらくして、ようやく満足したらしい美甘が、カシャカシャと音を鳴らしてばかりだったスマホを斜め掛けのバッグにしまった。落ち着きのない視線が俺を見る。
「えっと、あ、改めて今日は来てくれてありがとう」
「ほんとに今更すぎるな」
「ちょ、ちょっと興奮しすぎて恥ずかしいところ見せちゃったけど、今日はデッ、デッ……ふ、二人で出掛ける初めての日だから、オレに全部任せて、ついてきてほしい」
「うん、分かった」
さっきまでの勢いはどこにいったのか、来てる服が変わっただけで美甘はいつも通りだった。「じゃ、じゃあ……っ」と言いながら、硬い動きの美甘の横に並んで、俺たちは人がまばらにいる広い歩道へと出る。
「カフェってこっから近い?」
「っうん、普通に歩けば、10分もかからないんじゃないかな」
「じゃあ天気も気にしなくてよさそうだな」
「あ、一応ニュースでは雨降らないって言ってたよ。傘も心配なら折り畳みがあれば十分だって」
「ふーん。なら雨に打たれることはなさそうか」
灰を被ったような雲から覗く晴れ間に、俺は目を細めて眺める。風も少しある今日は、雲の流れるスピードも目に見えて分かるほど速い。
「あっ、柳くん……!」
その時、俺は前から来た人とぶつかりそうになって、美甘に腰を引き寄せられた。ふわっと微かな甘い香りが俺の鼻腔をくすぐる。
「ご、ごめんね急に引っ張っちゃって!」
「いや、俺の方こそよそ見してた。ありがとう美甘」
「ううんっ。柳くんのことはオレがずっと見とくから、もっといろんなところ見てていいよ」
「え? 俺を注意力散漫な奴にしたいってこと?」
「っ、でも、オレが助けるし……」
「そういう問題じゃねえよ」
第一それだと俺を見ないといけないお前の負担が大きすぎるだろ。
たびたび突拍子もないことを言う美甘だけど、今日はなんか一段と変な感じがする。
「あーそういや……美甘っていま香水かなんかつけてる?」
「あっ、うん。へ、変かな?」
「いや、すげえいい匂い。どこにつけてんの?」
「……く、首に少し」
「ああ、だからさっき香ったのか」
俺はもう一度美甘の首に顔を近づけてみる。
……やっぱり。みずみずしいフルーツみたいな甘さで、爽やかなイメージの美甘にピッタリの匂いだ。これなら俺もちょっとつけてみたいかも。
「なあ、これってどこの――」
メーカーのやつ?、と聞きたくて顔を上げてみれば、美甘がプルプルと震えながら息を止めていた。
「え、どうした?」
「うっ、うああッ!!」
そして被っていたハットをズボッと前に下げて顔を覆い隠した。後ろ髪だけはみ出て、ハットが仮面みたいになってるのがかなりシュールだった。
「す、少しこれで落ち着かせて……っ」
ハットマンから美甘のくぐもった声が聞こえる。俺は思わず噴き出した。
「ふっ、い、意味わかんな……っ」
美甘には悪いけど、ちょっと腹がよじれそうかも。
「わっ、わらっ……て?」
「ご、ごめ……っ、ちょ、おかしすぎて……、ふはは……っ」
普段めったに爆笑なんてしないんだけど、これは俺の理解を超えすぎて堪えられなかった。しかも脈絡なさすぎだし。なんで急に顔に帽子嵌めるんだよ。
「えっ、笑顔かわ……ッ」
「ははははっ……! やばっ、顔いたい……!」
「写真撮っていい!?」
「ははっ……ちょっ、撮んなって……っ」
無数にシャッター音が鳴り響く。それでも俺は笑いが止まらなかった。途中でもう何が面白いのかすら分からない笑いがこみあげてくるときがあって、無限に笑っていた。腹が千切れるかと思った。
「ああー、やばい、久しぶりにこんな爆笑した」
結局道の端に寄って息を整えた俺は、隣でずっと凝視しながらカメラを撮る美甘の肩を小突いた。
「おい、もういいだろ」
「はっ、こっち向いて――」
「はいはい終わり。こっからは金取るぞ」
スマホのレンズを右手で塞ぐ。
「いくら!? いくら出せばいいの!?」
「いや冗談だって」
「オレ仕事してるから柳くんの欲しい金額くらい出せるよ……!」
「いや、だから――」
このままだと本当に金出しそうだなコイツ。
「もういい。置いてく」
「えっ、ま、待って!」
とはいっても俺はカフェの場所を知らないから待つしかないんだけど。
「ごめん、ごめんね。嫌だった?」
眉をこれでもかと下げた美甘が慌てて走ってくる。ちょっと突き放したのが可哀そうだと思うくらい、コイツが犬だったら絶対に耳がしょげてる。
「別に怒ってないから。そんな顔すんなよ」
「ほっ、本当に?」
「うん。それよりカフェってまだ? もうけっこう歩いた気がするんだけど」
「あっ、それならあと少しだよ。たぶんもうすぐ、お店見えてくると思う」
「じゃあ早くいこ」
笑いすぎてお腹がペコペコだ。まさかこんなにあの姿がツボに入るとは思わなかったな。
