バレンタインデーに適当にチョコを渡したら、いつの間にか彼氏ができてた話

 終業のチャイムが鳴って谷センが教室から出ていく。周りは喧騒を思い出したかのように、他愛のない雑談と笑い声で溢れ返った。
 バイトだったり部活がある奴はさっさと出てって、暇な奴らだけが思い思いの放課後を過ごす。
 そんな俺もバイトはおろか部活にも入ってないので、たいして急ぐ理由は見当たらなかった。課題を出された教科書とノートだけ持って帰ろうと、リュックにゆっくり詰め込む。

「……なあ、真琴」

 あ、明日英語ないっけ。ラッキー。じゃあこれ全部置いてこ。

「真琴って、誰かと付き合ってたりする?」
「――は? ついに頭沸いたか?」

 昼休み以降、ずっと心ここにあらずだった八ツ屋はとうとうおかしくなったらしい。椅子に横向いて座りながら腕を組み、神妙な顔つきをしている。

「そうだよな。付き合ってる訳ないよな……」
「お前ほんとなに? なんかあった?」
「うーん、ならオレが気にしすぎてるだけ? いやでもどう考えてもあの時のオレ、美甘くんに牽制されたし、あの表情はどう見ても真琴のこと……。ああじゃあ恋人ってなんだよ。美甘くんの勘違い? 美甘くんの一人芝居?」

 ぶつぶつと顎に手を当て自分の世界に入る八ツ屋。
 俺ももうどうでもよくなった。コイツの相手するくらいならとっとと家帰った方がマシ。

「じゃあ八ツ屋。また明日」
「てかなんで真琴のこと――って、えっ!? 帰んの!? オレ置いて!?」

 やっと正気に戻ったか。
 八ツ屋が慌てて教科書をスクバに詰めだす。でも俺はコイツを待つ気は微塵もなかったので、席を立ってリュックを肩に掛けながら後ろの扉に向かう。

「待って待って! オレまだ真琴に聞きたいことが――」
「や、柳くん……!」
「あれ、美甘?」

 俺が扉を開けて教室を出ると、すぐ横に美甘が立っていた。後ろから追ってきた八ツ屋が「ひえッ!」と情けない声を上げて俺のリュックを掴む。

「あ……八ツ屋くん」

 ――と思ったら八ツ屋はバッと手を離して俺を突き飛ばした。

「ッおい!」
「柳く……ッ」

 体のバランスを思い切り崩す俺。残念ながら運動神経はよくないので、激突する床に目を瞑りかけたところ、力強い誰かの腕に肩を引き寄せられる。焦る美甘の表情と視線がかち合った。

「大丈夫!?」
「ああ……ありがとう――」
「ごめんごめん真琴!! 怪我っ、怪我してない!?」

 美甘の腕に抱かれたまま、近寄ってきた八ツ屋が俺の顔をベタベタと触ってきた。――おいやめろ。そんなとこぶつけてねえだろ。

「……あの、八ツ屋くん」

 俺の肩に置かれた美甘の力がグッと強まる。

「あんまり、触らないでほしいんだけど」
「……あ、ああっ、そうだよね! そうだよね!」

 そして物凄いスピードで八ツ屋は後ずさっていった。後ろ向きで走る大会でもあれば、アイツが断トツで優勝だな。
 
「じゃあっ、オレ先帰るから! また明日、真琴!」

 そんで帰るのかよ。グダグダなんか言ってたのは関係ねえのかよ。
 スッキリしない俺をそのままに、階段のあるところで足を止めた八ツ屋は、片手をこっちに振ると慌ただしく消えていった。本当に人騒がせな野郎だった。

「――柳くん。足、ひねったりとかしてない?」

 眉間に少し皺を寄せながら、長い睫毛を伏せて影をつくる美甘が顔を覗きこんでくる。あ、近くで見ると、青みがかったグレーがやっぱ綺麗。

「柳くん?」
「あー、俺は大丈夫。助けてくれてありがとう、美甘」
「っ、ううん。柳くんが転ばなくてよかった。柳君の大事な体に、傷がつかなくてよかった……」
「大げさだな」

 俺の肩を抱く手とは反対の、美甘の左手がそろそろと持ち上がる。震える指先が八ツ屋に触られた頬を撫でてきて、ちょっとくすぐったい。
 でもなんか、だんだん顔が近づいてきてる感じがするけど、いつまで美甘はこのままでいる気なんだ?
 
「なあ、もう支えてくれなくても大丈夫だけど」
「…………ああッ!?」

 コイツは今頃距離の近さに気づいたらしい。両手を上げて廊下の窓際まで飛び退いた。

「ごめん……っ」

 手のひらで覆った顔が、隠しても意味ないくらい真っ赤に染まっている。

「全然気にしてねえから謝るなって」
「で、でもでもっ……ふ、二日目でこんな……!」

 二日目? ああ、俺たちが仲良くなり始めてからってことか。

「別に日数とか関係ねえだろ」
「え、そ、そうなの……?」
「ああ。近づき方とか、人それぞれじゃね」
「っ、そ、そっか……そうなんだ……。じゃあオレは、オレのやり方でいいってこと……?」

 なにやら元気を取り戻し始めたっぽい美甘が、心臓の辺りを強く握りしめて息を吸う。

「ややっ、柳くん! それなら今日オレと一緒に帰りませんか!?」
「うん、いいよ」
「もちろん予定とかあったら明日でも――へえッ!?」
「……? 帰るんだろ? 行かねえの?」

 変な声を上げたまま、呆然と美甘が突っ立っている。

「い、行く! 柳くんと帰る!」
「じゃあ早く帰ろうぜ」

 歩き始めた俺の隣に美甘が駆け足で並んだ。
 なんかやけに周りから生温かい目で見られてるような気がしたけど、俺はさっきの美甘の奇声が原因かと思って、たいして疑問も持たずに下駄箱へと向かった。


***
 

 学校を出た俺たちは、横並びに住宅街の狭い道路を歩いていた。

「そういえば美甘って家どの辺にあるの」

 マフラー越しに当たる風は冷たいけど、夕日に照らされた空はまだ明るい。

「あ、オレは……柳くんの家より先に行ったところ……かな」
「へえ。じゃあ意外と近い?」
「いやっ、けっこう歩いたところにあるから……」
「遠いんだ」
「う、うん。歩いて、30分くらいとか?」
「うわ、俺なら毎日それは無理。いけて15分だな」

 ちなみに俺の家から学校までは片道10分。ギリギリまで寝ててもワンチャン間に合う最高の立地。

「柳くんは、朝起きるの苦手だもんね」
「うん。目覚まし時計が俺の天敵」
「今のは何個目のなの?」
「あー、先月1個壊したから、高校入ってこれで4個目――」

 俺は言いながら、ふと頭の中に違和感を覚えた。なんかコイツ、やけに俺のことに詳しくないか?

「……これ、美甘に喋ったことあったっけ」
「えッ!? あ、い、一年の時に、八ツ屋くんと話してるのが聞こえて……それで……」
「ああそうなんだ。アイツもけっこう声でかいしな」
「ご、ごめんね。こんな、盗み聞きみたいなことしちゃって」
「いや、聞こえたんならしょうがねえだろ。わざと聞き耳立ててた訳でもないだろうし」
「うっ、うぐぅ……っ」
 
 胸を押さえた美甘が急に立ち止まった。

「どうした? どっか痛えの?」
「う、ううん……純粋な柳くんを、オレの汚い下心が裏切ってるみたいで……胸が……」
「どういう意味?」

 顔をしかめる美甘は、「気にしないで……」と小さな声で言うと、またゆっくりと足を進め始めた。
 なんか分かるようで分からない、変な奴だ。でも不思議と居心地は悪くなくて、俺も茶色いマフラーに顔を埋めながら、美甘の歩幅に合わせて硬いコンクリートの上を歩いた。


「――あ、ちょ、ちょっとここ寄っていかない?」

 俺の家までもう少しというところで、美甘が通りがかった近所の小さな公園を指さした。小学校高学年くらいの子たちが、ブランコに乗りながら靴を投げ飛ばし合って遊んでいる。

「うーん。でも寒くね」
「じゃっ、じゃあちょっと待ってて!」
「え、ちょっ美甘?」

 俺が渋れば、美甘は入り口近くのベンチ脇にある、自販機の方へと走っていった。制服のズボンからスマホを出しつつ、何かを探している。

「なにやってんの」

 俺もしかたなく近づいた。ガタンッという音と共に膝を折り曲げて缶を取り出した美甘が、それを俺に渡してくる。

「あつっ……おしるこ?」
「う、うん。それ、あげるから……もう少し柳くんと、一緒に話したいなって」

 白いマフラーをつけているせいか、鼻先の赤がよりいっそう際立って見えた。

「……ありがとう。でも、こんなことしてくれなくても、時間くらい作ってやれるから」
「あっ、迷惑だったらごめ――」
「美甘は? なに飲む?」

 頭を下げようとする美甘の横を通って俺も自販機の前に立った。寒いから、やっぱ温かいものがいいかな。

「え、えっ、や……柳くんもオレに?」
「うん。俺だけ飲むのはおかしいだろ。ほら早く、選べよ」
「あっ、えっと、じゃあ……この、コーヒーで……」
「え、コーヒー飲めんの?」
「……? う、うん。柳くんは苦いの嫌いだよね」
「俺には絶対無理。なんでこんなん好きになれるのか分かんねえ」

 砂糖ぶっかけたら多少マシだけど、無糖なんて飲めたものじゃない。美甘は甘いもの好きなくせにコーヒーは無糖派なんだな。甘党は全員コーヒー無理なのかと思ってた。

「はい、これ」
「あ、ああありがとう!!」

 俺はいまだに電子決済のやり方を知らないので、財布に入ってるお金で買った缶コーヒーを美甘に渡した。

「ここのベンチでいい?」
「うん! ――や、やった! 柳くんに買ってもらった、宝物だ……っ」
 
 俺がリュックを前に持ってきながらベンチに腰を下ろすと、美甘は缶コーヒーを両手に何かを呟いていた。目がキラキラと輝いて、ふわふわと揺れる金の綿あめみたいな髪の毛が、夕焼け色に染まった空の下で映えていた。

「コーヒーって、どうやったら保存できるかな!?」
「いや飲めよ。せっかく買ったんだから」
「え!? 飲むの!?」

 逆に保存ってなんなんだよ。

「ど、どうしようかな。でも柳くんが言うなら、飲んだ方が……」

 さっきとは打って変わって悩むように眉を寄せた美甘が、スクバを端に置いて俺の隣に座る。拳一つ分も空いていない隣は、肩が触れ合いそうなほど近かった。

「あ、うまい」
「コーヒーは飲んで、缶だけ洗って保管しておけばいいか……」

 まだぶつぶつ言ってる美甘の横で、俺はおしるこを口に含ませた。 
 小豆のつぶつぶがちょうどいい柔らかさで、染みるようなおしるこの甘さが冷えた俺の体をほかほかにしてくれる。寒さにすくんだ肩から力が抜けて、口元が緩んだ。初めて飲んだけど、ぜひリピートしたい味だ。

「美甘は? 飲まねえの?」

 缶を握ったまま微動だにしない美甘を見ると、バチンッと音が出そうなほど目が合った。

「あッ、飲む、飲むよ」
「え、俺のこと見てた?」
「み、見てたような、見てなかったような」
「いやどっち」

 しどろもどろに答えた美甘が缶コーヒーを開けて思い切り呷る。あ、熱すぎてむせてる。

「そんな一気に飲むなよ」

 まるで昼の八ツ屋みたいだな。時間ないわけじゃねえんだから、もっと落ち着いて飲めばいいのに。
 背中を擦ってやれば、美甘の咳き込みが一段と激しくなった。

「大丈夫か?」
「ごっ、ごめっ」
「いいよ。治るまで擦っといてやるから」
「うッ、ぐッ」

 なんかむせてるってより呻いてる?
 
 ――そんなことをしていると、公園にある街路灯が一斉に明かりを灯した。さっきまで遊んでいた子供たちはいつの間にかいなくなっていて、吐いた息は煙みたいに空気を白くさせた。

「もうすぐ春だけど、まだまだ寒いな」

 ようやく落ち着きを取り戻した美甘の背から手を外して、俺はまたおしるこを啜る。もらった時は熱々だったけど、さすがにちょっと冷めてきた。

「や、柳くんは門限ある?」
「いや、俺の親共働きだから。19時くらいにならないと帰ってこねえし、基本自由」
「……それまで一人でって寂しくない?」
「なに言ってんだ、俺もう高校生だぞ。それに小せえ頃からずっとそうだし、寂しいってよりかは慣れの方が先だった。母さんたちも仕事人間ってだけで、別に俺のこと放ったらかしにしてるわけじゃないし」
「……そ、そっか、それならよかった。……柳くんのこと大切に育ててくれたご両親なら、きっと優しい人たちなんだろうな」

 穏やかな笑みを桃色の頬に乗せて、美甘が俺を見ていた。優しいって言うお前の方が優しいよって言いたくなるような、慈愛に満ちた眼差しだった。

「……美甘は? 兄弟いる?」
「ううん。オレも一人っ子だよ」
「じゃあ親かじいちゃんかばあちゃんの中に海外の人いる?」
「えっ? オ、オレのお母さんは北欧の人だけど……?」
「やっぱり! お前の綺麗な目と髪、どう見ても日本人離れしてるからハーフかクォーターだと思ったんだよ」

 想像通りの回答に俺は小豆を噛み潰しながら頷く。
 
「き、綺麗?」
「ん? ああ、目と髪の色な。俺はすげえ好きな色だから」
「好……ッ!?」

 美甘の顔色がボボボッと燃え上がるのが、公園のライトだけでもはっきりと分かった。

「な、ならオレもっ……柳くんのやる気なさそうなボーっとした表情とか、ちょっと目尻が上がった一重の黒い瞳とか、寝癖がいつもちょっと残って跳ねてる黒髪とか全部好き……ッッ!!」
「おー……」

 一気に捲し立てられたけど、熱量がすごい。美甘って早口得意なのかな。

「あと手をつなぎたい……ッ!」
「え、それはなに」
「はアッ!? 本音が!?」

 一人で赤くなったり青くなったり、美甘って思ったより面白い。

「手握りたいの?」
「あ、か、缶も冷えてきたし、さ、寒いならオレの手で、あっためてあげようかと」
「美甘の体温高いんだっけ」
「そ、そう! だから!」

 すっかり星が瞬き出した夜空をバッグに、碧を深くしたグレーの瞳が俺を捕らえる。

「――いいよ。寒くなってきたし、あっためてよ」

 右の手のひらを上にして差し出したら、すぐに美甘の左手が被さってきた。俺の指の間に細長い美甘の指が入り込んできて、骨が軋むほど強く握られる。

「確かに……あったかいな」
「う、ううっ、うん!」

 本当は力が強すぎて痛かったけど、なんとなく俺は言えなかった。小刻みに震えた美甘の左手と、じっとりと汗が滲むような手のひらの熱さに、胸の中がむずむずとソワソワして。誰かに擽られてるみたいなそれは、居心地が良いのか悪いのかもよく分からない。
 でもしばらくこのままでもいいかなと思うくらいには、見上げた星空がいつもより澄んでいて、俺は少し熱くなった息を押し出すように空に向かって吐いていた。