バレンタインデーに適当にチョコを渡したら、いつの間にか彼氏ができていた話

 昼休み。学食から帰ってきた俺は、もう一度紙袋を手に、一組の教室を訪れていた。

「――うわっ、すげえこれ! 口の中ですぐ溶けたんだけど!?」

 山越のアホっぽい声が聞こえて廊下から中を覗き込む。矢崎と寄せた机の上にあったのは、大量のラッピングされた箱と袋。そして散乱したそれを囲む二人の姿と、こっちに背を向けて座る、美甘の白に近いブロンド頭が見えた。
 わらわらと寄ってくる周りの男たちにも分け与えているそれは、どこからどう見てもチョコレート。おそらく美甘がもらってきた物を皆で共有しているらしく、室内はチョコ特有の華やかな甘さに包まれていた。

「お、柳!」

 俺の視線に気づいた矢崎が顔を上げて片手を振る。

「えッ!?」

 ――そして、なぜか勢いよく振り向いてきた美甘と目が合った。薄い碧の混じったグレーの瞳が大きく見開かれて、そのままパッと逸らされる。
 ……なんか、見ちゃいけねえものでも見たみたいな反応。俺は幽霊かなんかか?
 でも、実は俺も美甘とあんまり話したこともなければ、たいして仲良くもないので、さっさと紙袋を渡してしまおうと教室の敷居をまたいだ。

「おおー、マコっちゃんもなんか食う?」

 山越が俺に気づき、広げたチョコレートの箱を指差しながら聞いてくる。

「え、いいの?」
「もちもち。ほら、これとかどうよ」

 美甘になんの確認も取らず箱を差し出してくるけど、誘惑に負けた俺もつい手を伸ばした。ストロベリーっぽいピンクの球体に、赤色がところどころ混ざりこんでるチョコがうまそう。

「っ、待って!」

 でもそれを受け取る前に、箱は美甘に奪われて、俺の手も空を切った。

「や、柳くん……うちのクラスになにか用でもあったの?」

 柔和な笑顔を張り付けた美甘が座ったまま見上げてくる。よっぽど俺に食われたくなかったのか、自分の膝上に箱を置き、チョコを隠すように片手で覆っている。
 普段察しが悪い俺も、さすがに美甘の意図には気が付いた。微妙な沈黙の間を縫って、山越の謝罪が挟まる。

「ごっめん海寧~! もしかしてそれお気に入りの子からだった!? 俺知らずに食っちまったよ!」
「いやっ、全然気にしないで。なにも言わなかったオレが悪いんだし」
「ええっ、マジ? 俺なら好きな子から貰ったチョコ食われたらブチ切れるけど!?」
「あはは、じゃあそこまで好きじゃなかったのかも」
「うわっ、今の聞いた? ねえ聞いた? さっすが、女を泣かせるプレイボーイの言うことは一味違うねえ~!」

 隣の矢崎にウザ絡みしながら、酔っぱらったおっさんみたいに唸る山越はシンプルに面倒くさそうだった。嫌な顔一つ見せない美甘は軽く笑うだけで、俺から取り上げたチョコの箱を机の上に戻している。
 山越に食われても嫌じゃないなら俺に一つくらいくれてもいいのに――とは思わないでもなかったが、あれは元々美甘が貰ったものなので、口にはしなかった。俺もそこまで傲慢じゃないし卑しくない。貰えたらそりゃ嬉しいけど、物乞いするのはなんか違うよな。

「そういや柳は? 海寧に用があったんじゃないのか?」

 矢崎の穏やかに垂れた黒い瞳と目が合った。

「ああ……そういやこれ渡しに来たんだった」

 うまそうなチョコに気を取られて忘れてたけど、俺は本来の目的である、左手に吊り下がった紙袋を持ち上げる。皆の視線が一か所に集中して、山越の細い目がハッと大きくなった。

「ッあー! そうじゃんそうじゃん! 海寧にはまだこれがあるじゃん!」
「え……オレ?」
「そうそう、海寧君。ここが男子校だからって気を抜いてはいけませんぞ」

 またもやからかうようにニヤニヤと笑う山越。矢崎が注意してるけど、全く聞く耳を持たず。たぶん桜鈴の子に話しかけられた俺への腹いせなのか、無駄な勘違いを起こさせようとしているのがなんとなく分かった。

「おい、そんなんしてもすぐバレる――」
「柳くん……っ!」

 ガタッと椅子が大きく引かれる音がした。立ち上がった美甘のブレザーから、上品な甘さの良い匂いがした。

「こ、ここじゃあれだし、外行こっか」

 は? てかすげえ勘違いしてんじゃん。


***


 
 あれよあれよと山越に乗せられた美甘によって、俺はなぜか校舎裏にまで連れてこられていた。矢崎は深いため息を吐いて顔を押さえてたけど、別に助けてくれるわけじゃなくて、心配そうな眼差しを送ってくるだけだった。
 ああいう時のアイツなら気を利かせて一言くらい言ってくれるかと思ったのに。結局は山越と同じ穴の狢ってことかよ。

「それで、あの、えっと……」

 そんでなんでコイツはこんなに挙動不審なんだ? 本当に俺が美甘にチョコを渡しに来たと思ってるのか?

「はい、これ」

 俺は半ば押し付けるように紙袋を差し出した。

「桜鈴の女の子からお前に渡してって」

 もちろんチョコの出元もはっきりと告げた。変な誤解されたままとか、普通に嫌だから。

「あ……えっ、柳くんからじゃ、ないの?」
「は? なんで俺がお前に」

 つっけんどんに言い返すと、美甘はこぼれ落ちそうなほど薄いグレーの瞳を見開いて、赤い唇から震える息を漏らした。グッと握りしめるクリーム色のセーターが、ブレザーの下でよれて伸びそうなほどの勢いだった。

「そっ……だよね。そりゃ……柳くんがオレにくれるわけ……ない、よね」
「……? 早く受け取れよ」
「あっ、ごめん」

 やけに呆然としている美甘に俺は首を傾げた。俺の手に触れないよう、紙袋の紐を端っこから掴んで美甘は受け取る。そしてそのままそれを顔の前まで持っていくと、急に力が抜けたように座り込んで、俺に聞こえないくらいの声でぼそぼそと呟き始めた。

「うわ、期待した……。期待した期待した期待した……」
「美甘?」
「そりゃそうだ。柳くんがオレにくれるわけない。緊張して碌に喋れないオレにくれるわけない。一年の時も話せるチャンスはいくらでもあったのに頭が真っ白になって一言も声掛けられなかったオレなんかにくれるわけない。挙句二年はクラスが分かれて遠目から見ることしかできなくて苦しい一年間だったのに。今日久しぶりに会話できたと思ったらチョコもらえるかもなんて浮かれて付き合えることになったらどうしようとか妄想までして……。痛すぎる。オレってほんとに馬鹿で阿保で恥ずかしい愚図野郎だ」

 ……なんだこれ、呪詛? 早口すぎてなにも聞き取れなかったけど。

「おい美甘。急に座り込んでどうした? 体調悪いのか?」

 いまだに俯いたまま紙袋で顔を隠して動かない美甘に、俺も腰を落として尋ねた。

「や、優しくしないで……」
「はあ? 何言ってんだ」
「もうしんどいくらい好きなのに、もっと好きになっちゃうから……」

 好きになる? 一体なにが?
 俺は脳内にハテナを浮かべていると、からっとした冬の風が吹き抜けてきて体が縮こんだ。
 こんな寒いなか外にわざわざ出て、ポケットに両手を突っ込む俺はいったい何をしてんのか。でもうずくまる美甘を放っておけねえし。

「おーい、みかもー」
 
 しゃがんだまま目の前の男に声をかける。そろそろと紙袋を下げながら現れる柔らかそうな髪の毛が、ふわふわと風に揺れて、まるで金の綿あめみたいだと思った。

「なっ、なにしてるの……?」
「え? なんかお前の髪の毛がうまそうだったから」
「だ、だからって、こ、こっこんな……っ」

 思わず手を伸ばして髪の触り心地を確かめる俺に、美甘の透き通った白い肌が熟した林檎みたいに赤く染まり始める。

「お前熱でもあるの?」
「なっ、ないけど、出そう……」
「ふーん、保健室行く?」
「や……っ、もう少しこのまま……!」

 潤んだ瞳が俺を映した。こんなに近くでコイツの顔を見るのは初めてだけど、確かに女の子たちが殺到するのも頷けるくらい綺麗な顔立ちをしている。西洋の血が混ざってんのかな。日本人にはない碧が混じったグレーの瞳は神秘的で、高く通った鼻筋も、薄い形の良い唇も、有名な画家が描いた絵みたいだ。ついでに白金の髪も、見た目どおり触り心地が良くて気持ちいい。

「美甘は今日いくつチョコもらった?」
「え、えっと……どうだろ。数えてないから、正確な数は分からないや……」
「へえ、すげえ。今日だけで一年分くらいのチョコ貰ったんじゃね」
「う、うん。そうかも」
「帰る時も大変そうだな」
「あ……帰りはマネージャーがスタジオまで送ってくれるから、多分大丈夫だと思う」

 マネージャー。そういやモデルもしてるって八ツ屋が言ってたっけ。

「や、柳くんは?」
「ん?」
「や、柳くんは……その……だ、誰か、から……」

 まだ俺が美甘の髪の毛で遊んでいると、睫毛を震わせながらゴニョゴニョと言葉尻を濁らせて、窺うような視線が向けられた。
 ……まさかとは思うけど、もしかしてコイツ、俺からもチョコをねだろうとしてるのか? 女の子だけじゃ飽き足らず、俺みたいな男からも? いやでも待てよ、俺と同じただの甘党の説もあるっちゃあるか。

「あー、じゃあこれやるよ」

 俺はポケットに常備してある菓子から適当に触れたものをひっつかむと、美甘に向かって差し出した。今朝俺がもらったような洒落た菓子じゃなくて、どこにでも売ってるような包み紙にくるまれたチョコだけど。

「え、え、えっ……な、なんで!?」
「だって好きなんじゃねえの?」

 良かれと思ってしたことだけど、美甘はなんでか紅潮させた頬を一転させて、何かを恐れるように顔を青ざめさせた。

「えっ、好き!? バッ、バレ……!?」
「それともこんなのはいらないか?」
「いやッ、もらうけど!!」

 物凄いスピードでぶんどられた。やっぱ美甘も甘党なんじゃねえか。
 
「で、で、でも! オ、オオオレの気持ち、しっ、知ってたの!?」
「いや知らねえよ。ただなんとなく今、そうなんじゃないかと思っただけ」

 俺の気持ちってところに少し引っかかりはしたものの、溶けそうなくらいチョコを握りしめる美甘を見て確信に変わった。――コイツは俺以上に甘いものが好きなのかもしれない、と。

「じゃっ、じゃあ……その上でオレにチョコくれるってことは……そ、その、や、柳くんも……好き、ってこと?」
「ああ、そりゃもちろん。俺も好きだよ」
「へえッ!?」

 美甘がずっこけた。正確に言えば尻餅をついたが正しいけど、紙袋を落とした代わりに俺のあげたチョコレートだけが必死に手の中で守られていて、なかなかに滑稽だった。

「なにやってんの? 大丈夫?」

 俺が起こそうと手を出せば、耳と首の下まで一気に赤く染め上げた美甘が泣きそうな顔で叫ぶ。

「オ、オレも好き!! ずっと好きだった……っ!!」
「え? そうなんだ……」

 すげえな。そんなに感極まることなのか? これって。

「あー、もしかしてずっと隠してたとか?」
「うっ、うん。だ、だって、がっかりされたらどうしようとか、嫌われたり、気持ち悪いと思われるのがすごく怖かったから……っ」
「いや、それだけでお前を否定するやつなんかいねえだろ。それにもしそうなら、俺の好きって気持ちはどうなるんだ? 俺だってずっと好きだったんだけど」

 俺は小さい頃から甘味にハマって今ここまできている。一昔前なら菓子とかスイーツって女性のイメージが強かったかもしれないけど、今のこの時代に男が甘いものばっか食べるのを変だって思うのは違うだろ。
 いったいどんな家庭で育ってきたんだ? コイツは。モデルとかやってるけど、実はすげえ時代錯誤の激しい親がいるとか?

「~~ッ! 柳くんっっ!!」
「――あ、チャイム鳴った」
 
 予鈴のベルに合わせて俺が動けば、後ろからドサリと人の倒れる音が聞こえた。

「……え、本当に大丈夫?」

 空気を抱きしめるように腕を交差させた美甘が横に倒れている。地面は一応、砂利だから痛くないだろうが。

「へへへ……。オレいま、絶対世界一の幸せ者だ……」

 でもだらしなく唇を緩める美甘は、言葉通り天にも昇っていきそうなほど逆上せた顔色をしていた。