それから美甘のいない金曜日を終え、なにも変わり映えしない土日を過ごした俺は、月曜日――。いつもより早く登校したおかげか、まだ人の少ない廊下を歩きながら、1組の教室を覗き込んだ。
「……あ」
美甘がすらっとした立ち姿で、廊下側の席に座る矢崎と話している。表情は意外と落ち着いてて、気になるのは目が少し腫れぼったいくらいか。
「美甘!」
俺は迷うことなく二人に近づいた。
「おー、柳」
矢崎が片手を上げて挨拶する。美甘は肩を大きく震わせると、机の木目に視線をやったまま、制服の裾を握りしめていた。
「なあ美甘――」
「あっ、お、おはっ……おっ、おはよ……っ」
「……はよう。あのさ、ちょっと話したい事あるんだけど、今いい?」
「……っ!」
見開いたグレーの瞳が俺を見た。けどそれも一瞬で、俺が腕を掴もうとすると、美甘は体を翻し脱兎のごとく逃げ出した。
「お、海寧じゃん。久しぶ――どわあッ!」
ちょうど後ろの扉から入ってきた山越とぶつかる。
「山越邪魔……!」
「え、マコっちゃんも――ぐほあッ!」
そんで追いかけた俺も思いっきり突き飛ばした。なんか壁にすげえ勢いで突っ込んでった音したけど大丈夫だよな?
「おい美甘待て……っ!」
教室を出ると、ちょうど階段を下ろうとする美甘の背を捕らえる。でも足が速すぎて、全然追いつける気がしない。
「クソっ! ちょっとは加減してくれよ!」
――俺は万年帰宅部の運動音痴だぞ!
そのまま一階に降りて、一年の廊下走ってるところを追いかける。けど、突き当たりを曲がった先の渡り廊下には誰もいなかった。
「はあっ、どこ行った?」
美甘の髪は目立つから、いたらすぐ分かるのに。アイツどこまで行ったんだよ。そんなに俺と話したくないってか?
「クソ、そっちがその気なら絶対見つけてやる」
幸い、朝のホームルームまではまだ時間がある。昼休みまで待つつもりもない俺は、そう意気込むと特別教室棟に足を踏み出した。
美術室、コンピューター室、放送室――。そして、端まで行くと化学室と実験準備室。
この通りにいないなら、二階に上がったのか?
「あ? この階段……」
そういえば、前に美甘から手を引っ張られて走らされた時、ここの奥の階段下で抱きしめられたんだっけ。それ以降も、度々美甘が不安になってはここに連れてこられてハグをされた。
「…………」
まさか、同じ場所にいるわけない。そう思いつつも、俺はその場所に惹かれるように歩き始めていた。
「美甘――」
あ、いた。日の当たらない暗がりで、体育座りになって丸まりながら、頭を膝に押し付けて縮こまる美甘の姿が。
俺はわざと足音を立てて、そいつの前で足を止める。しゃがみこんで、ブロンドの頭を見つめた。
「なあ、こっち向いて」
髪の毛が左右に揺れた。
「俺、お前に確認したいことがあるんだけど」
体がさらに小さくなって、美甘のつま先が遠ざかっていく。
「おーい、みかもー」
しびれを切らした俺は手を伸ばした。さらさらとこぼれる髪の毛を梳きながら、真っ赤な耳朶を撫でる。震えあがった美甘の頭がバッと上がった。涙にまみれた瞳と目が合った。
「やっ、やなぎく――!」
俺は目の前の唇に自分のものを押し当てた。首を寄せて、ゆっくりと味わうように口づける。
……ブワッと、頭の奥で熱が広がった。トクトクと、高鳴る心臓の音が心地良い。触れた唇からじわじわと伝わる温かさに、離れがたいと感じるのは自分でも予想外だ。
「美甘」
顔を離すと、熟しきった林檎のようにグズグズになった美甘がいる。思わず笑みがこぼれた。
「なんだ。俺、やっぱお前のこと――」
最後まで言いきることはできなかった。思いっきり後頭部を引き寄せられて、噛みつくように唇を塞がれたからだ。
「ん……っ!」
俺なんかの比じゃないくらい荒々しいキスに、力が抜けて床に尻をつく。勢いの良さにずるずると後ろに追いやられて、背中に壁が当たる。板挟みになった俺は、美甘のブレザーにしがみつきながら、息も奪われるほど唇を貪り取られるしかない。
「はあ……っ、み、みか」
――ヤバい、これ、どうやって息吸ったらいいんだ。離れたと思ったらすぐひっつかれるし、後ろ壁だから逃げられねえし。
大体コイツ、力が強すぎる。さっきから引っ張ってんのにビクともしねえじゃん。
「っ……!?」
は? てかなんか今舐められた。おもっきし唇舐められた。ビックリして口閉じたら、熱くてぬるっとしたものが、俺の唇割って、入ろうとして――。
「ッ! もう終わり! ストップ!」
俺は美甘の頬を両手で挟んで顔を逸らした。酸素を肺に取り込んで、息を荒く吐き出し、ぼやけた視界を鮮明にさせていく。
「やなぎくん……」
前を見ると、不安定に瞳を揺らす美甘の姿が。ボロボロと涙をこぼし、顔を押さえる俺の手のひらにも流れてくる。
軽く親指で拭ってやれば、その手を掴まれ、涙に濡れた部分に口づけられた。慈しむように何度も唇を寄せられ、こそばゆい。俺のこと好きだ、って全力で告げられてるみたいだ。
「美甘、いったん止めて」
「…………」
「おい。俺の気持ち、聞きたくねえの」
ピタッ、と手のひらへのキスが止む。恐る恐る瞬きしながら、期待と恐怖が綯い交ぜになった視線が俺に送られる。
「――き、聞きたい。な、なんでオレに……キス、してくれたの」
声は弱弱しかったけど、指先に絡んでくる美甘の指はきつく、囲うように壁についた手はそのまま、俺を逃さないようにしていた。
さっきされた熱烈なキスと言い、これまで受けてきた言動と言い、臆病な性格してる割には俺を求める欲望に忠実。いつも一生懸命なのは俺を喜ばせたいからだし、いつも顔を赤くして頬を緩めてるのは俺が隣にいるから。それがただの気のせいじゃないことももう分かってる。
俺は美甘の、そういうまっすぐで、心を丸ごとくれるようなでっかい愛情に、無意識に惹かれたんだろうな。
「俺も好きだから。美甘のことが」
「……っ!」
「キスしたのも、自分の気持ちにしっかり確証を得たかったから。でも実際してみたら、心臓すげえ速くなって、ドキドキした。それが緊張とか、不安からくるネガティブなものじゃなくて、心がこう……あったまるような、心地良く満ち足りるものだったんだ」
そして今もまだ、俺の中で主張する心臓の音は、柔らかく耳の奥で鳴り響いている。
同性なのに、とか。俺って男も好きになれるんだ、とか。そんな余計な考えするよりも先に、俺の心臓が訴えてる。――コイツのことが、好きだって。
「この一ヶ月、すげえ楽しかったよ。美甘のいいところにたくさん気づけたし、自分が思ってる以上にお前のこと好きになった。もし最初からキス迫られてたりとかしたら、無理だって断ってたかもしれないけど、お前はゆっくり俺と距離縮めてくれたから。あったかくて優しい笑顔を見せてくれるところも、俺のことたくさん考えてくれるところも、時々変な挙動取るところも、けっこう全部含めて好き。……あ、あと、自分の脆い部分を、俺に話したいって思ってくれたところもな」
改めて思い返すと、妙に胸が擽られたり、そわそわと落ち着かない気分になってたのは、その時美甘の愛を感じてどうしたらいいか分かんなくなってたからか。あんなに真っ向勝負で好意向けてくる奴、今まで俺の周りにはいなかったから、密かに嬉しかったんだ。
「なあ、美甘。今度は勘違いじゃなく、ちゃんと俺からの告白だよ。……惚けてるけど、聞こえてたか?」
「もっ、もう一回言って……」
「え?」
「もう一回、オレのこと好きって言って……。夢じゃないって、確かめたい」
熱で浮かれたグレーの瞳は、充血してても透き通ったまま綺麗だった。肌に焼き付くほど強烈な眼差しと、握った手に頬ずりしてくる美甘の表情が心底俺を渇望してるみたいで、ゾクゾクと胸の奥が昂った。
「やなぎくん」
「……好き。美甘のこと、好きだよ」
言った瞬間、思い切り腰を抱き寄せられ、美甘の甘い匂いの中に閉じ込められる。俺も背中に腕を回すと、耳元でチュッ、とリップ音が鳴り、震えた吐息が堪えきれない愛を紡ぎ出した。
「オレも好き。何回言っても足りないくらい好き。好きなのをやめられなくて、諦めるのを諦めるくらい好き。……柳くんが隣にいてくれないと、寂しすぎて死んじゃうくらい好き」
「ふはっ……お前はウサギかよ」
「ウサギでもいい。柳くんが飼ってくれるなら、なんにでもなりたい」
「悪いけど俺はペットの面倒見れないから無理」
「じゃあオレが柳くんのこと飼ってもいい?」
「……は? 意味分かんないこと言うな」
オレは本気なのに、と呟く美甘は、一切のためらいも躊躇も感じられなかった。再びチュ、チュ……と耳朶からこめかみ、瞼、といたるところにキスをかましてくる。
「嬉しい。オレのこと好きになってくれてすごく嬉しい。ありがとう、柳くん」
「別に、お礼言われるようなことじゃないから」
「……照れてるの? 柳くんのほっぺ、すごく赤くなってるよ……」
「そりゃこんだけキスされたら誰でも――」
「可愛すぎる。たべてもいい?」
「え? うわっ!」
嘘だろコイツ! 舐めやがった!
「待て待て! いったん落ち着け!」
「へへへ……なんかしょっぱい」
「お前の涙の味だろうなそれは……!」
「柳くん、首に跡つけていい?」
「だから待てって……は? 今なんて?」
もぞもぞと制服のシャツを引っ張って、顔を潜り込ませようとする美甘に、俺は意識が一瞬、宇宙の彼方まで行きかけた。
もしかしてだけどコイツ、いろいろ吹っ切れたせいでなんか大胆になってないか?
「いい加減にしろ美甘」
俺は首筋に当たる唇の感触に思考が止まりかけながら、目の前の背中を引っ張り上げた。思いのほかすんなりと言うことを聞いた美甘は、ゆるゆるとだらしない笑みを浮かべていた。
「どうしたの柳くん?」
「まだ大事な話あるからちゃんと聞け」
「うん、分かった」
素直に頷いたことに息をつくのも束の間、俺は膝を折って座り込んだ美甘の太ももの上に乗せられる。
「なんだこの体勢……?」
「話があるんでしょ? 座った方が落ち着くかなと思って」
そう言って胸の辺りにすりすりと頬を寄せられるけど、これ絶対美甘がしたかっただけだ。余計な言い訳するんじゃねえ――と思わず口に出かかった。
でも今は、言わなくても分かることに時間割いてる場合じゃない。遠くのほうから聞こえる喧騒に、そろそろチャイムが鳴りそうな予感を感じていたから。
「とりあえず……俺が伝えたかったのは、付き合い始めるのは今日からにしようってことだ」
「今日から?」
「うん。お前は一ヶ月付き合ってたつもりだろうけど、俺はそうじゃないから。改めて、また一から美甘とやり直したいんだ」
見上げてくる美甘の細長い睫毛が、パチパチと縦に揺れ動く。
「そっそんなの……うれしすぎる。柳くんって、オレの願いを叶えてくれる神様なの?」
「――なんだって?」
「オレのこと好きになってくれるし、オレと付き合ってくれるし、オレの痛い勘違いやり直させてくれるし、オレが柳くんのこと危うく監禁しちゃうかもしれなかったの止めてくれるし!」
……なんか今、変なの混じってなかったか?
「じゃあ一ヶ月記念日ももう一回できるんだね……! ああっ今度はなにしよう? 休日だったらお出かけするのもいいな。ゆ、指輪とか渡したら柳くんつけてくれる?」
「……いや、それはまだ早くね。てか普通に重いし――」
「指につけるのが嫌なら、首から下げてくれるだけでもいいから!」
なんでコイツ押し通してこようとするんだよ。俺に聞いてきた意味ねえじゃん。
「あ、あと、柳くんにオレの選んだ服着てもらいたい。オレの香水もつけてほしい。外で手つないでデートもしたいし、みんなにオレの恋人ですって言いふらしたいし、だれも柳くんに近づかないように牽制したい。甘いものも毎日オレがあげて、柳くんの健やかな甘党ライフをサポートするのが夢なんだ。それで、お昼とかもゆくゆくはオレが毎日作って、柳くんの胃袋を完全に掴んで――」
美甘の絶え間ない願望が続いていた。涙のせいでキラキラと光を放つ瞳が、宝石みたいに綺麗だった。
俺は俺だけを映すその瞳に、思わず見惚れる。適度に相槌しながら聞いていると、朝の予鈴が鳴った。
「あ……、そろそろ戻らねえと」
「え、もう……?」
「チャイム聞こえただろ」
動こうとする俺の下で、美甘が呆然と悲壮感を漂わせている。何をそんなにがっかりしてんのか、コイツの手が背中から離れないせいで、俺も立ち上がれない。
「おい美甘」
「キ、キスしたい。最後にキスしたい」
「は……?」
「それだけしたら行くから」
たかが教室に戻るくらいで、口をギュッとつぐんで懇願してくる美甘は大げさだ。別にこれが永遠の別れになるわけでもないし。
でもそれを見て、胸がキュッと反応する俺もどうかしてる。吸い込まれるように頭が寄るのを感じながら、目の前の引き結んだ唇に軽く口づけた。
「はい、もういいだろ。早くしないと本鈴鳴る――」
あれ、なんだこれ。デジャヴか?
綺麗に生え揃った睫毛が間近にあって、美甘の閉じた瞼から淡いグレー色が現れる。蕩けたように細まるそれは、俺の唇を離すつもりはないと言っているみたいだった。後頭部を押さえ込まれ、執拗に繰り返されるキスから俺は逃れられない。
「んんん゛ー!!」
――ふざけんなコイツ! 俺が甘やかせば調子に乗りやがって!
美甘の頭に手刀が落ちるのは、それからわずか3秒後のことだった。
「……あ」
美甘がすらっとした立ち姿で、廊下側の席に座る矢崎と話している。表情は意外と落ち着いてて、気になるのは目が少し腫れぼったいくらいか。
「美甘!」
俺は迷うことなく二人に近づいた。
「おー、柳」
矢崎が片手を上げて挨拶する。美甘は肩を大きく震わせると、机の木目に視線をやったまま、制服の裾を握りしめていた。
「なあ美甘――」
「あっ、お、おはっ……おっ、おはよ……っ」
「……はよう。あのさ、ちょっと話したい事あるんだけど、今いい?」
「……っ!」
見開いたグレーの瞳が俺を見た。けどそれも一瞬で、俺が腕を掴もうとすると、美甘は体を翻し脱兎のごとく逃げ出した。
「お、海寧じゃん。久しぶ――どわあッ!」
ちょうど後ろの扉から入ってきた山越とぶつかる。
「山越邪魔……!」
「え、マコっちゃんも――ぐほあッ!」
そんで追いかけた俺も思いっきり突き飛ばした。なんか壁にすげえ勢いで突っ込んでった音したけど大丈夫だよな?
「おい美甘待て……っ!」
教室を出ると、ちょうど階段を下ろうとする美甘の背を捕らえる。でも足が速すぎて、全然追いつける気がしない。
「クソっ! ちょっとは加減してくれよ!」
――俺は万年帰宅部の運動音痴だぞ!
そのまま一階に降りて、一年の廊下走ってるところを追いかける。けど、突き当たりを曲がった先の渡り廊下には誰もいなかった。
「はあっ、どこ行った?」
美甘の髪は目立つから、いたらすぐ分かるのに。アイツどこまで行ったんだよ。そんなに俺と話したくないってか?
「クソ、そっちがその気なら絶対見つけてやる」
幸い、朝のホームルームまではまだ時間がある。昼休みまで待つつもりもない俺は、そう意気込むと特別教室棟に足を踏み出した。
美術室、コンピューター室、放送室――。そして、端まで行くと化学室と実験準備室。
この通りにいないなら、二階に上がったのか?
「あ? この階段……」
そういえば、前に美甘から手を引っ張られて走らされた時、ここの奥の階段下で抱きしめられたんだっけ。それ以降も、度々美甘が不安になってはここに連れてこられてハグをされた。
「…………」
まさか、同じ場所にいるわけない。そう思いつつも、俺はその場所に惹かれるように歩き始めていた。
「美甘――」
あ、いた。日の当たらない暗がりで、体育座りになって丸まりながら、頭を膝に押し付けて縮こまる美甘の姿が。
俺はわざと足音を立てて、そいつの前で足を止める。しゃがみこんで、ブロンドの頭を見つめた。
「なあ、こっち向いて」
髪の毛が左右に揺れた。
「俺、お前に確認したいことがあるんだけど」
体がさらに小さくなって、美甘のつま先が遠ざかっていく。
「おーい、みかもー」
しびれを切らした俺は手を伸ばした。さらさらとこぼれる髪の毛を梳きながら、真っ赤な耳朶を撫でる。震えあがった美甘の頭がバッと上がった。涙にまみれた瞳と目が合った。
「やっ、やなぎく――!」
俺は目の前の唇に自分のものを押し当てた。首を寄せて、ゆっくりと味わうように口づける。
……ブワッと、頭の奥で熱が広がった。トクトクと、高鳴る心臓の音が心地良い。触れた唇からじわじわと伝わる温かさに、離れがたいと感じるのは自分でも予想外だ。
「美甘」
顔を離すと、熟しきった林檎のようにグズグズになった美甘がいる。思わず笑みがこぼれた。
「なんだ。俺、やっぱお前のこと――」
最後まで言いきることはできなかった。思いっきり後頭部を引き寄せられて、噛みつくように唇を塞がれたからだ。
「ん……っ!」
俺なんかの比じゃないくらい荒々しいキスに、力が抜けて床に尻をつく。勢いの良さにずるずると後ろに追いやられて、背中に壁が当たる。板挟みになった俺は、美甘のブレザーにしがみつきながら、息も奪われるほど唇を貪り取られるしかない。
「はあ……っ、み、みか」
――ヤバい、これ、どうやって息吸ったらいいんだ。離れたと思ったらすぐひっつかれるし、後ろ壁だから逃げられねえし。
大体コイツ、力が強すぎる。さっきから引っ張ってんのにビクともしねえじゃん。
「っ……!?」
は? てかなんか今舐められた。おもっきし唇舐められた。ビックリして口閉じたら、熱くてぬるっとしたものが、俺の唇割って、入ろうとして――。
「ッ! もう終わり! ストップ!」
俺は美甘の頬を両手で挟んで顔を逸らした。酸素を肺に取り込んで、息を荒く吐き出し、ぼやけた視界を鮮明にさせていく。
「やなぎくん……」
前を見ると、不安定に瞳を揺らす美甘の姿が。ボロボロと涙をこぼし、顔を押さえる俺の手のひらにも流れてくる。
軽く親指で拭ってやれば、その手を掴まれ、涙に濡れた部分に口づけられた。慈しむように何度も唇を寄せられ、こそばゆい。俺のこと好きだ、って全力で告げられてるみたいだ。
「美甘、いったん止めて」
「…………」
「おい。俺の気持ち、聞きたくねえの」
ピタッ、と手のひらへのキスが止む。恐る恐る瞬きしながら、期待と恐怖が綯い交ぜになった視線が俺に送られる。
「――き、聞きたい。な、なんでオレに……キス、してくれたの」
声は弱弱しかったけど、指先に絡んでくる美甘の指はきつく、囲うように壁についた手はそのまま、俺を逃さないようにしていた。
さっきされた熱烈なキスと言い、これまで受けてきた言動と言い、臆病な性格してる割には俺を求める欲望に忠実。いつも一生懸命なのは俺を喜ばせたいからだし、いつも顔を赤くして頬を緩めてるのは俺が隣にいるから。それがただの気のせいじゃないことももう分かってる。
俺は美甘の、そういうまっすぐで、心を丸ごとくれるようなでっかい愛情に、無意識に惹かれたんだろうな。
「俺も好きだから。美甘のことが」
「……っ!」
「キスしたのも、自分の気持ちにしっかり確証を得たかったから。でも実際してみたら、心臓すげえ速くなって、ドキドキした。それが緊張とか、不安からくるネガティブなものじゃなくて、心がこう……あったまるような、心地良く満ち足りるものだったんだ」
そして今もまだ、俺の中で主張する心臓の音は、柔らかく耳の奥で鳴り響いている。
同性なのに、とか。俺って男も好きになれるんだ、とか。そんな余計な考えするよりも先に、俺の心臓が訴えてる。――コイツのことが、好きだって。
「この一ヶ月、すげえ楽しかったよ。美甘のいいところにたくさん気づけたし、自分が思ってる以上にお前のこと好きになった。もし最初からキス迫られてたりとかしたら、無理だって断ってたかもしれないけど、お前はゆっくり俺と距離縮めてくれたから。あったかくて優しい笑顔を見せてくれるところも、俺のことたくさん考えてくれるところも、時々変な挙動取るところも、けっこう全部含めて好き。……あ、あと、自分の脆い部分を、俺に話したいって思ってくれたところもな」
改めて思い返すと、妙に胸が擽られたり、そわそわと落ち着かない気分になってたのは、その時美甘の愛を感じてどうしたらいいか分かんなくなってたからか。あんなに真っ向勝負で好意向けてくる奴、今まで俺の周りにはいなかったから、密かに嬉しかったんだ。
「なあ、美甘。今度は勘違いじゃなく、ちゃんと俺からの告白だよ。……惚けてるけど、聞こえてたか?」
「もっ、もう一回言って……」
「え?」
「もう一回、オレのこと好きって言って……。夢じゃないって、確かめたい」
熱で浮かれたグレーの瞳は、充血してても透き通ったまま綺麗だった。肌に焼き付くほど強烈な眼差しと、握った手に頬ずりしてくる美甘の表情が心底俺を渇望してるみたいで、ゾクゾクと胸の奥が昂った。
「やなぎくん」
「……好き。美甘のこと、好きだよ」
言った瞬間、思い切り腰を抱き寄せられ、美甘の甘い匂いの中に閉じ込められる。俺も背中に腕を回すと、耳元でチュッ、とリップ音が鳴り、震えた吐息が堪えきれない愛を紡ぎ出した。
「オレも好き。何回言っても足りないくらい好き。好きなのをやめられなくて、諦めるのを諦めるくらい好き。……柳くんが隣にいてくれないと、寂しすぎて死んじゃうくらい好き」
「ふはっ……お前はウサギかよ」
「ウサギでもいい。柳くんが飼ってくれるなら、なんにでもなりたい」
「悪いけど俺はペットの面倒見れないから無理」
「じゃあオレが柳くんのこと飼ってもいい?」
「……は? 意味分かんないこと言うな」
オレは本気なのに、と呟く美甘は、一切のためらいも躊躇も感じられなかった。再びチュ、チュ……と耳朶からこめかみ、瞼、といたるところにキスをかましてくる。
「嬉しい。オレのこと好きになってくれてすごく嬉しい。ありがとう、柳くん」
「別に、お礼言われるようなことじゃないから」
「……照れてるの? 柳くんのほっぺ、すごく赤くなってるよ……」
「そりゃこんだけキスされたら誰でも――」
「可愛すぎる。たべてもいい?」
「え? うわっ!」
嘘だろコイツ! 舐めやがった!
「待て待て! いったん落ち着け!」
「へへへ……なんかしょっぱい」
「お前の涙の味だろうなそれは……!」
「柳くん、首に跡つけていい?」
「だから待てって……は? 今なんて?」
もぞもぞと制服のシャツを引っ張って、顔を潜り込ませようとする美甘に、俺は意識が一瞬、宇宙の彼方まで行きかけた。
もしかしてだけどコイツ、いろいろ吹っ切れたせいでなんか大胆になってないか?
「いい加減にしろ美甘」
俺は首筋に当たる唇の感触に思考が止まりかけながら、目の前の背中を引っ張り上げた。思いのほかすんなりと言うことを聞いた美甘は、ゆるゆるとだらしない笑みを浮かべていた。
「どうしたの柳くん?」
「まだ大事な話あるからちゃんと聞け」
「うん、分かった」
素直に頷いたことに息をつくのも束の間、俺は膝を折って座り込んだ美甘の太ももの上に乗せられる。
「なんだこの体勢……?」
「話があるんでしょ? 座った方が落ち着くかなと思って」
そう言って胸の辺りにすりすりと頬を寄せられるけど、これ絶対美甘がしたかっただけだ。余計な言い訳するんじゃねえ――と思わず口に出かかった。
でも今は、言わなくても分かることに時間割いてる場合じゃない。遠くのほうから聞こえる喧騒に、そろそろチャイムが鳴りそうな予感を感じていたから。
「とりあえず……俺が伝えたかったのは、付き合い始めるのは今日からにしようってことだ」
「今日から?」
「うん。お前は一ヶ月付き合ってたつもりだろうけど、俺はそうじゃないから。改めて、また一から美甘とやり直したいんだ」
見上げてくる美甘の細長い睫毛が、パチパチと縦に揺れ動く。
「そっそんなの……うれしすぎる。柳くんって、オレの願いを叶えてくれる神様なの?」
「――なんだって?」
「オレのこと好きになってくれるし、オレと付き合ってくれるし、オレの痛い勘違いやり直させてくれるし、オレが柳くんのこと危うく監禁しちゃうかもしれなかったの止めてくれるし!」
……なんか今、変なの混じってなかったか?
「じゃあ一ヶ月記念日ももう一回できるんだね……! ああっ今度はなにしよう? 休日だったらお出かけするのもいいな。ゆ、指輪とか渡したら柳くんつけてくれる?」
「……いや、それはまだ早くね。てか普通に重いし――」
「指につけるのが嫌なら、首から下げてくれるだけでもいいから!」
なんでコイツ押し通してこようとするんだよ。俺に聞いてきた意味ねえじゃん。
「あ、あと、柳くんにオレの選んだ服着てもらいたい。オレの香水もつけてほしい。外で手つないでデートもしたいし、みんなにオレの恋人ですって言いふらしたいし、だれも柳くんに近づかないように牽制したい。甘いものも毎日オレがあげて、柳くんの健やかな甘党ライフをサポートするのが夢なんだ。それで、お昼とかもゆくゆくはオレが毎日作って、柳くんの胃袋を完全に掴んで――」
美甘の絶え間ない願望が続いていた。涙のせいでキラキラと光を放つ瞳が、宝石みたいに綺麗だった。
俺は俺だけを映すその瞳に、思わず見惚れる。適度に相槌しながら聞いていると、朝の予鈴が鳴った。
「あ……、そろそろ戻らねえと」
「え、もう……?」
「チャイム聞こえただろ」
動こうとする俺の下で、美甘が呆然と悲壮感を漂わせている。何をそんなにがっかりしてんのか、コイツの手が背中から離れないせいで、俺も立ち上がれない。
「おい美甘」
「キ、キスしたい。最後にキスしたい」
「は……?」
「それだけしたら行くから」
たかが教室に戻るくらいで、口をギュッとつぐんで懇願してくる美甘は大げさだ。別にこれが永遠の別れになるわけでもないし。
でもそれを見て、胸がキュッと反応する俺もどうかしてる。吸い込まれるように頭が寄るのを感じながら、目の前の引き結んだ唇に軽く口づけた。
「はい、もういいだろ。早くしないと本鈴鳴る――」
あれ、なんだこれ。デジャヴか?
綺麗に生え揃った睫毛が間近にあって、美甘の閉じた瞼から淡いグレー色が現れる。蕩けたように細まるそれは、俺の唇を離すつもりはないと言っているみたいだった。後頭部を押さえ込まれ、執拗に繰り返されるキスから俺は逃れられない。
「んんん゛ー!!」
――ふざけんなコイツ! 俺が甘やかせば調子に乗りやがって!
美甘の頭に手刀が落ちるのは、それからわずか3秒後のことだった。
