バレンタインデーに適当にチョコを渡したら、いつの間にか彼氏ができてた話

「あれ、今日は美甘くんと一緒に帰らない日?」

 放課後。谷センが出ていった教室内で、八ツ屋が振り向きざまにそう言った。

「てか、午後からなんか真琴変じゃない?」
「…………」
「おーい、オレの声聞こえてる?」

 目の前でひらひらと振ってくる手がウザい。

「やめろ。聞こえてる」
「あっ、なんだ。真琴が帰り支度もしないでぼーっと天井見上げてるから、ついにいかれたのかと」
「何にだよ」
「そりゃ糖分の摂りすぎで?」

 なくはないけど、コイツが言うと無性に腹立つな。
 でも実際、俺は今日午後から何も食べてないし、もらったチョコもポケットの中の飴も、何一つ食う気が起きなかった。

「その様子だと違うか。……んー、じゃあ美甘くんとなんかあった? 真琴一人で帰ってきたよね?」

 猫みたいな焦げ茶の瞳が探るように俺を見る。
 珍しく心配そうに浮かない顔をする八ツ屋は、もしかすると最初から怪しんでいたのかもしれない。でもそれにすら気づかなかった俺は、よっぽど昼の出来事に気を取られてたってことだ。

「……俺、今日美甘にキスされた」
「はいはい、キスね。美甘くんにされちゃってね――って、えええ!?」
「そんでバレンタインデーの日から、美甘と俺は付き合ってたらしい」
「あっ……あー、なるほど。なるほどなるほど。完全に理解。完全に把握した」

 真顔で何度も頷く八ツ屋はキョロキョロと周りを見渡した。俺のリュックを机のフックから取って、外の窓を指さす。

「――とりあえず、ここじゃ話しづらいから学校出よう」


***


 校門を抜け、あてもなくお互い黙ったまま歩いていると、俺は通学路の途中にある小さな公園で足を止めた。いつも数人の子供たちで賑わっている遊具には、今日に限って誰もいない。

「ああ、ここでいいか」

 同じように立ち止まった八ツ屋はそう言うと、スタスタと公園の中に入っていった。薄寂れたブランコに腰かけ、俺を手招きしながら呼び寄せる。

「真琴も早くー!」
「……分かったよ」

 俺は通り際に見慣れたベンチを見て、毎日のようにこの公園で美甘としょうもない話をしていたことを思い出す。
 そういえば手を握ってきたのもここが最初だった。俺は特に深く考えなかったけど、美甘にとっては好きな人と繋ぐんだから、そりゃあんなに手だって震えるよな。ハグされたときに感じた心臓の音とかも、ただのスキンシップ激しいやつで済ますにはありえない速さしてたし。
 ……これ、実は美甘じゃなくて、俺が無頓着すぎたのが悪かったのか? ここまで長引いたのってもしかして俺のせい?

「それで……真琴はもう美甘くんの気持ちに、はっきり気がついたってことで合ってる?」
「うん。まさか自分がここまで無神経な人間だとは思わなかった」

 俺は隣のブランコの鎖を握り、色褪せた赤い座板に座りながら呟いた。軽く体を揺らすと、キーッと甲高い音が鳴る。

「うーん、真琴はたしかに細かいことを気にしない性格だけどね~」
「八ツ屋は美甘のこと気づいてた?」
「まあ、明らかに真琴を見る目が違ったし。彼女できたって噂だったのに、実際は真琴にべったりで、オレが近づくと露骨に顔が険しくなるからさあ」
「……ああ、彼女ってのは俺のことだったのか」

 これからよろしく的なメッセージをもらったのも、甘党仲間じゃなくて、恋人としてってことだったわけだ。

「てか知ってたなら言えよ。無駄にアイツ傷つけただけじゃん」
「……や、それはごめん。でもオレにも一応考えがあってさ」
「考え?」
「うん、真琴って嫌なことは絶対嫌って言うだろ? だから最初は美甘くんの勘違いだったとしても、真琴ならなんかあればやめろってちゃんと言うと思ったんだよ。そしたらすぐ終わるし、放っといても大丈夫かなって。……まあオレも、多少楽しんでたのは否定しないけどね」

 八ツ屋が地面を蹴った。ブランコの振動が伝わってきて、肌寒い風が俺の頬を撫でる。リュックみたいに背負ったスクバの真ん中では、ゆるキャラっぽいぬいぐるみが揺れていた。

「真琴はさ、美甘くんにキスされてどう思った?」
「どうって……なんで急にそんなことすんだって驚いた」
「ふーん。じゃあ別に、嫌じゃなかったわけ?」
「――え?」

 八ツ屋のその一言に、グルグルと渦巻いてた頭の中が急停止する。まるで、ピタッと何かがハマったみたいだった。

「嫌では……なかったな」

 不思議なことに嫌悪だとか気持ち悪いだとか、そういうマイナスな感情は何も湧かなかった。ただただ本当にビックリしただけで、美甘に対する純粋な好感も変わらないままだった。

「手握られたりハグされたりもするって聞いたけど、それも平気だったんでしょ」
「……うん」
「オレとキスできる?」
「は? 無理。気色悪いこと言うな」
「えっ急に辛辣……」

 八ツ屋とそういう想像しただけで、腕に鳥肌が立った。俺はコイツとキスするくらいなら、一生甘いものが食えなくなったっていい。……いや、流石に一生は言いすぎか?

「まあ……とりあえずそれはさておいて、オレがなに言いたいかって言うとさ、真琴の中で、実はもう答え出てるんじゃないかと思ってるんだよね」
「答え?」
「うん、真琴は無頓着だけど鈍感な人ではないから。無意識に美甘くんの好意は感じてたはずだし、それを素直に受け入れてたはず。でも今まで一度も離れたいと思わなかったのは、つまりそういう意味で、考えると一つしかないじゃん?」

 そういう意味? そういう意味って――。

「……なに、俺も好きってこと?」
「そうそう!」

 夕焼けの中で、八ツ屋は屈託のない笑みを浮かべた。――同性同士とか、そういうのは微塵も気にしてないって感じの笑顔だった。

「俺は男に興味ねえ」
「えー、オレもその辺の性的指向は分かんねえけどさあ。……でもほら、体から始まる恋とかあるじゃん。もう試しに、一発ヤってみて判断するっていうのは――へぶしッ!?」
「ふざけんな」

 俺は八ツ屋の頭に一発強烈なのを叩き込んだ。
 他人事だと思ってお気楽に構えやがって。真面目に相談聞いてくれてるかと思ったらすぐこれだ。

「いったあ……!」
「まあでも、一理くらいはあるか」
「――えっ?」

 俺はまだ自分の気持ちに確信を持てない。今までいいなって思った子は全員女の子だし。
 ただ、美甘といると妙に心臓が高鳴ったり、緩みきった笑顔を見て胸の奥がムズムズしたりするのは事実で。悲しんでる顔も、できればもうあんまり見たくないし。
 これが恋かどうかなんて分からない。でも全部を否定するには、正直心当たりがありすぎる。
 だからこのままあやふやな感情でいるくらいなら、さっさと確かめたほうがいいってのは八ツ屋の言う通りだと思った。


***


「今日は美甘いる?」
「柳か。……悪いが、今日も休みみたいなんだ」
「また?」

 あれから三日。俺は毎日1組の教室を訪ねたけど、美甘は一回も学校に来なかった。メッセージ送っても返事はないし、矢崎とか山越の連絡にも返してないみたいで、現状かなりのお手上げ状態だった。
 明日と明後日の土日を挟めば、もう数日後に春休みが始まる。
 アイツ、進級するまで学校来ない気かよ。

「なあ、もしかして海寧となんかあったのか?」
 
 矢崎の心配そうな眼差しが俺に向く。

「……まあ少し。でもいないならいい。また来週出直すわ」
「あ、いやっちょっと待て」
「……え、なに?」

 俺を引き留めた矢崎は、壁に掛けられた時計をチラ見すると、自分の席を離れて廊下に出てきた。

「まだホームルームまで15分くらいあるから、俺に少しだけ時間くれないか」
 
 そう言う矢崎の表情は硬く、いやに真剣な目つきをしていた。
 

 そのまま急くように連れられて校舎裏に来た俺は、白いコンクリートの壁に背を預け、両手をポケットに突っ込んだ。ここで一ヶ月前、美甘にチョコを渡してから変な勘違いが始まったのかと思うと、内心複雑な心境だ。

「悪いな。急にこんなところまで」
「や、話があるんだろ?」
「ああ……まあ話というか、聞きたいことなんだが」

 矢崎は話しづらそうに耳を掻いた。

「いいよ。話せることなら話すから、単刀直入に聞いてくれ」
「……柳は相変わらず物怖じしないな」

 そりゃクヨクヨしてるより堂々としてたほうがいいだろ。

「じゃあ余計な前置きはやめるが」
「うん」
「――柳は、海寧と別れたのか?」

 風で近くの木がザアーッと揺れる音がした。俺は咄嗟に何を言われたのか理解できず、通り過ぎてった矢崎の言葉を戻して、飲み込むのに時間が掛かった。

「別れ……?」
「二人は付き合ってただろ」
「は、矢崎も知ってたの?」
「俺は知ってたというか、もともと海寧の気持ちにはうっすら気づいてたんだ。その上で好きな人と付き合えることになったって聞いたから、柳とようやく関係が進展したんだと思って」

 ……つまり矢崎は、八ツ屋と違って本気で俺と美甘が恋人同士だと思ってたのか。

「海寧が休み続けてるのも、それが原因だよな?」
「あー、最初に訂正しておくけど……俺と美甘は付き合ってない。……というより、美甘のほうだけ付き合ってると思ってたってのが正しい」
「……ん? どういうことだ?」

 俺はかいつまみながら、これまでのことを矢崎に説明した。なんでそんな勘違いが発生したのか、そして今どういう状態にあるのかってことを。

「……なるほど。だからアイツ、あんなに泣き腫らした顔してたのか」
「美甘に会ったの?」
「いや、火曜日……お前たちが二人で昼食取った時のことだけど、俺その後たまたま海寧と昇降口で出くわしたんだ。でも鞄も持たずに靴履き替えようとしてるから、どうしたんだと思って声掛けたんだけど、すげえ目真っ赤で顔もぐしゃぐしゃになっててさ。とりあえず鞄取りいって帰らせたはいいものの、それ以降一回も連絡つかないし、柳は毎朝海寧のこと尋ねに来るしで、いったいどういう別れ方したんだと思って」

 ああ……たしかあの日、美甘は早退したんだっけ。

「でも柳の話聞いて納得した。まさか付き合ってること自体最初からなかったことだって知ったら、ずっと片思いしてた海寧もああなるよな」
「……矢崎っていつから美甘の気持ち知ってたんだ?」
「あーそれは……、いつ……いつだったかな」

 矢崎は思い出すように宙を見上げる。空は清々しいほど満天の青空だった。

「明確にここ、って時はないんだが……しいて言えば一年の頃、柳が近くに来るたび、よく海寧の返事が適当になってさ。なんか別のことに集中してるっていうか、気を取られてるっていうか。あと授業中も休み時間もやたら柳のほう見てるし、話しかけるのに失敗して机に項垂れてる時もあったし、八ツ屋になりたいだとか意味不明なこと呟いてるときもあったな」

 八ツ屋に……? もしかして美甘って、もとから挙動不審な言動がデフォだったのか?

「たぶん昇と八ツ屋はそういう思考が全くないから気付いてなかったと思うけど、俺以外にも察してた奴はいると思う」
「は? 嘘だろ」
「けど海寧が本気すぎて、意外と皆そっと見守ってたよ。俺も、なんとか上手いこといってくれねえかなって心の中で応援してたし」

 そう言って微笑む矢崎は、なんだか寂しそうな色を口元に含ませていた。両手を頭の後ろに添えて、残念そうに呟く。

「あーあ、そしたら今度海寧に失恋パーティーでも開いてやるかあ」

 ――失恋?

「なんで?」
「え、だって海寧はフラれたんだろ?」
「いや俺はフったつもりないけど」
「……ん? え、フってない?」

 俺たちの間にシーンとした沈黙が流れる。

「俺は確かに美甘から好きって言われたけど、まだなんも返事してないから」
「そっ、それは……気持ちを受け入れる可能性があるってことか?」
「うん。むしろ確かめるために、今日まで毎朝美甘に会いに来てたんだろ」

 矢崎がパチパチと瞬きを繰り返す。
 美甘は完全に美形の顔立ちをしてるけど、矢崎は種類の違う落ち着いた男前だよな。俺はどっちかっていうと矢崎みたいな顔になってみたい。高校生ながらに貫禄もあるし、普通に恰好いい。

「えっと……つまり柳は、海寧のことが……好き?」
「や、それはまだ分かんねえ。でもたぶん好き寄り」
「寄り? 寄りっていうのは……」
「俺は男を好きになったことないから。戸惑う部分はやっぱあるし、まだちゃんと確証持てない状態でむやみやたらに好きとは言えねえだろ」

 それに真剣な想いをくれてる美甘に対して、適当な返事だけはしたくないし。この先付き合おうが、友達のままでいようが、俺はここで一回自分の気持ちにしっかり向き合わないと。

「だから今度は俺が頑張るターン。美甘が逃げるなら俺は追うし、この気持ちにはっきり名前がつくまでちゃんと考えるから」

 そんで春休み入るまでに学校来なかったら家に突撃してやる。

「……そうか。はははっ、そうかそうか」

 矢崎は晴れやかな笑顔を浮かべ、嬉しそうに目尻の水滴を拭った。

「なんだよ」
「いやっ、海寧の審美眼は確かだと思ってな」
「……お前、月曜に美甘が来たら捕まえとけよ」
「もちろんだ。柳が突撃してくるってことは言わないでおく」