バレンタインデーに適当にチョコを渡したら、いつの間にか彼氏ができてた話

 3月に入り、期末試験は1週間かけてようやく終わりを告げた。
 俺はなんとか赤点回避。八ツ屋と山越は案の定数学でバツを喰らい、これから待ち受ける放課後の補習に頭を抱えて呻いていた。いくら校則は緩くても、こういうところはきっちりしてるんだよな、この学校。
 ちなみに美甘は普通に頭が良いらしく、こっそり見せてもらった成績はどれも90点近くあった。平均点低い教科もあったのに、それを意に介さないなんて化けもんだろアイツ。俺に今度コツ教えてくれ――って言おうとしたけど、勉強会のときにチラッと聞いた美甘の説明はあまりにも抽象的過ぎて、分かったものじゃなかった。
 アレは完全に、自分の感覚だけで理解してる典型的なタイプ。まだ俺と同レベルくらいの矢崎のほうが分かりやすかった。


 そんなこんなで季節は冬を越えて春。寒さが和らぎ出し、昼間は穏やかな日差しに包まれるようになった今日この頃。美甘に呼び出された俺は、誰もいない屋上に二人で座りこんで、いつもとは違う昼食の時間を迎えていた。

「……重箱?」
「う、うん……っ。いろいろ作ってたら、これにしか入らなくなっちゃって……」

 美甘の下げてたでかいトートバッグから、正月に見るような四角い重箱が出てくる。今日は作ってきた弁当を食べてほしいと言うからついてきただけなのに、これほど立派なものが用意されてるとは思わなかった。

「なんでこんなの急に?」
「だ、だって、今日は……い、1ヶ月記念日、だから」

 ――1ヶ月?

「今日って……三月、十四日?」
「うん……! ホワイトデーだよ」

 ああ、そういやたしか、バレンタインの日から俺と美甘は喋るようになったんだっけ。もうけっこう時間経った気してたけど、まだ1ヶ月しか過ぎてなかったのか。

「わざわざマメだな」
「っ、そうかな? で、できればオレは、この先もずっと、お祝いしていきたいけど……」

 この先もずっと? たかが友達になったって記念だけで?
 俺はほんのりと抱いた違和感に、そんな疑問が頭をもたげる。でも目の前で開けられた重箱を見て、意識は瞬く間にそっちのほうに持っていかれた。

「すげえ……これ全部美甘の手作り?」
「うん、気合入りすぎて、詰め詰めになっちゃった」
「俺のためにこんな作ってくれたの?」
「それはもちろん! 柳くんに食べてもらいたくて、準備するのも楽しかったよ」

 そう言ってニコニコと笑う美甘に、俺はまた少し落ち着かない気分になる。わけもなく首を掻いて、逸らすように重箱の中を確認する。
 綺麗に巻かれた玉子焼きからゴロッと大きい唐揚げ。一口サイズのハンバーグやエビフライといった主役たちはもちろんのこと、他にも煮物やきんぴらごぼう、ほうれん草の和え物。それから点在したプチトマトやブロッコリーが彩りを豊かにして、なんとも華やかな装いになっていた。

「二段目は……おにぎり?」
「そう。食べやすいように、俵巻きにして海苔で巻いてみたんだ。おかずが多いから、半分は白米のままで、あとはゴマとか鰹節で味付けしてあるよ」
「すご……。手、込んでるな」
「あっ、お、重く思わないでね!? これは柳くんへの大好きって気持ちと、オレと出会ってくれてありがとうっていう感謝を込めたら、ここまでになっちゃっただけだから――」
「俺、こんな凝った弁当作ってもらったの初めてかも」
「えっ?」

 驚く美甘を尻目に、俺は昔のなんでもない日常を思い出していた。
 俺の両親は二人とも優しい。でも小学校の頃は、授業参観も、運動会も、学芸会も、まともに見に来てもらったことはなかった。いつも申し訳なさそうな顔で謝ってきて、俺は忙しいなら仕方ないと子供ながらに割り切る小学生だった。別に寂しいと感じたことはなかったし、その代わりみたいに、毎回ケーキを買ってきてくれる両親の心遣いが好きだったから。
 だけど今思えば、俺が甘いもの好きになったのはその影響もあるのかもしれない。周りの子たちが親と一緒に食ってる愛情満載の弁当と、俺が帰った後にもらえるケーキの価値――そこに同等の愛情を見出していたから。俺は自分で握ったおにぎりに、夕食の残り物と冷凍食品を自分で詰めた弁当が、なんだかんだ寂しかったんだ。

「……ありがとう、美甘。俺、実はこういう弁当に憧れがあったみたいだ。なんか、すげえ嬉しいよ」

 胸の中心にじんわりとあたたかいものが広がる。それは自然と伝播して、俺の口角も緩めさせた。

「っ!! た、たくさんあるからいっぱい食べて! なんなら今日だけじゃなくて、明日も明後日も、その先だってオレは毎日作るし!」
「いや、毎日これは大変だろ」
「そんなことないよ! 柳くんのこと考えたらオレはなんでもできるから!」
「じゃあ空も飛べる?」
「それはもちろ――って、え? そ、空!?」

 ちょうど真上を通る飛行機に美甘が唖然と見上げる。
 
「ははっ、冗談だって」

 俺は差し出された箸を手に持つと、玉子焼きを掴んで一口頬張った。
 玉子焼きは家庭ごとに味が違うって聞くけど、美甘が作ってくれたやつはほんのり甘さが感じられる優しい味。完全に俺好みだ。

「美甘って料理上手なんだな。すげえうまい」
「ほっ、ほんと!? 柳くんの口に合ってる!?」
「うん。これは冗談じゃないよ。ちゃんと美味しい」
「~~ッ! もっもう柳くんが食べたいだけ食べていいからね! あっ、お茶もあるから!」

 慌ただしく水筒を取り出しながら、プラスチックのコップに注いでくれる美甘。俺はその薄紅色に染まった頬に、気づけば左手を伸ばしていた。

「はアッ!?」
「……あ、ごめん。嫌だった?」
「や、嫌じゃない嫌じゃない! むしろもっと触って……!」
「え、それは別にいい。てか美甘も早く食べようぜ」

 俺が促すと、美甘は何故か落ち込んだように肩を下げた。ぼそぼそと呟く口からは、「さ、触ってほしかった……」っていう意味の分からない嘆きが漏れている。
 俺は唐揚げをつまんだ。一口じゃ食いきれないそれにかぶり付きながら、スキンシップが多いやつって、こういう変な癖でもあんのかと推察する。
 でも美甘と違い、普段から人とベタベタしないはずの俺は、なんでさっきコイツの頬に触ろうと手を伸ばしたんだろうな。



 それからしばらくすると、あれだけあった重箱の中身はあっという間に空になった。いつも昼食は控えめなメニューしか選ばない俺だけど、どれもこれも箸の止まらないウマさをしてたせいで、思いのほかペロッと食いきれてしまった。
 美甘の料理の腕はさることながら、俺はうまいものならいくらでも入ってしまう自分の胃が恐ろしい。

「これ毎日作ってこられたら、俺太りそう……」
「えっ、ぽっちゃりしてる柳くんも絶対かわいいよね」
「は?」
 
 隣で重箱に蓋をして片づける美甘の発言に、思わずドスのきいた声が出た。

「かわいいわけねえだろ。お前目、大丈夫か?」
「ええっ、オレの目は両目とも2.0だよ」

 嘘だろ、こいつコンタクトでもないのかよ。

「というか柳くんの魅力は、ただの外見の良し悪しで決められることじゃないんだ。――例えば、表情は一見無関心そうなんだけど、甘いもの食べると和らぐ口元とか、たまーに笑ってくれるときの目尻が垂れるところとか、寒いのが苦手ですぐ鼻の頭が赤くなっちゃうところとか、よく見てないと気づけないギャップがかわいくてしょうがない。それにこっちをまっすぐ見つめてくれる芯の強い瞳とか、包み隠さず思ったことを言ってくれるところとか、サバサバしてるのに裏表のない優しさを持ってるところとか、オレにはない男前な性格がすごくカッコいい」
「……なあ、お前すげえこと言ってるけど恥ずかしくねえの?」
「全然! むしろもっと言いたいけど、早くしないと昼休みが終わっちゃうから、これでも省略してるんだよ」

 そう言う美甘は、トートバッグから慎重に何かを取り出すと、両手で持ちながら俺に差し出した。

「本当は、こっちが本命。ずっと何にしようか迷ってて、でもお返しっていったらやっぱこれかなって」

 シンプルな焦げ茶色の四角い箱に、巻かれた赤いリボンが中央に装飾されている。

「受け取って……くれる?」

 箱を持つ美甘の手のひらが微かに震えていた。何をそんなに緊張してるんだろうってくらい、俺のことを不安そうな表情で見つめていた。

「俺にくれるものなら、もちろんもらう。けどお返しって?」
「あ……っ、それはバレンタインに、柳くんがオレにチョコくれたから」
「え、あんなのどこにでも売ってる安物だぞ。こんなお返しをもらうことのほどじゃ――」
「ううん。違う。あれはオレにとって、特別で唯一のチョコレートなんだ」

 特別で唯一? 俺のあげた、透明なフィルムにくるまれただけのチョコレートが?

「……柳くん。開けてみて」

 隣から囁くような声で促され、俺は赤いリボンを解いてみる。蓋を取って、中の仕切りに入っていたのは、丸い形をしたチョコレートが6つ。

「これも、手作り?」
「うん。トリュフチョコだよ。こっちはココアパウダーで、こっちは粉砂糖でコーティングしてあるんだ」
「へえー……すご。美甘って菓子も作れるんだな」
「……じ、実を言うと、これは初めて作ったから、何回も練習したんだけどね。柳くんの喜ぶ顔が見たいと思ったら全然手が抜けなくて、納得いくまで作ってたら家の冷蔵庫がチョコまみれになっちゃった」
「……家の人からいい加減にしろって怒られなかったか?」
「ううん、うちは母さんが甘いもの好きだからむしろ喜んでた。たぶん今あるのもすぐ無くなっちゃうよ」
「ふーん。それならよかった」

 でもチョコまみれの冷蔵庫か。想像するとけっこう羨ましいかも。

「そっそんなことより、早く食べてみて」

 左の視界端に、やたらそわそわした美甘の気配を感じた。
 俺はまた妙に胸が擽られながら、箱の中のチョコレートを一つ掴む。飴玉より二回りくらい大きいそれを、一気に口の中に入れた。

「ん……!」

 目が覚めるような、一瞬で広がるチョコの風味に声を上げる。
 外側はパリッとしっかりしてるのに、内側のチョコはとろけるほど柔らかい。濃厚な甘さと滑らかなくちどけが重なって、これ以上にないってほど最高だった。もうシンプルにウマすぎて、俺は頬が緩むのを抑えられない。

「……や、やなぎくん」
「美甘、これすげえウマい。ありえないくらいウマい。俺が今まで食べてきた中でも、トップクラスにこれが一番――」

 俺は顔を上げてこの興奮を伝えようとした。けど、唇に触れた柔な感触に言葉が止まる。
 長い睫毛を伏せた美甘の顔面が近い。近すぎるどころの話じゃなく近い。なんか当たった。俺の唇に、コイツの唇が当たった……!
 
「っ、な、なにしてんの?」

 俺はもう一度合わさりそうになる唇の前に、右手を差し込んだ。見開いた美甘の瞳と視線が合う。

「あッ、は、早かった!? やっぱ早かったかな!? でっ、でっでもっ、もう1ヶ月経ったし、オレはずっと、したいなって思ってて……!」

 ……え? したい?

「意味、分かんねえんだけど。なんでお前が、俺に、キス……なんかすんの」
「あ、だ、だってオレたち、付き合ってるし……」
「……は?」
「――え?」

 数秒の沈黙があった。俺は理解しきれなくて、美甘は血の気が引いたように真っ青になって。

「あれ……オレたち、付き合ってる、よね? 恋人同士……だよね?」
「……え、なに。お前それ本気で言ってんの? 俺はずっと、お前のこと友達だと思ってたんだけど……」
「っ……あ、え?」

 美甘の口の端がヒクリとわななく。でも俺だって同じだった。コイツの言ってる意味が、全く分からなかった。

「……う、うそ……なっななっ、なんで? 好きだって、オレに好きだって言ってくれたのに……!?」
「は……? あんなの友達としてって意味に決まってるだろ?」
「と、ともだち……?」
「……そもそも、いつから美甘はそんな訳分かんねえ勘違いしてたんだ。俺はお前とそんな会話した記憶もないんだけど」

 俺が立て続けに言うと、美甘の愕然と瞠ったグレーの瞳から透明な雫がこぼれ落ちた。そのまま生気を失ったかのような真っ白な頬につーっと伝い、顎下で止まる。震えた唇から吐き出される息が、あまりにもか細い。
 俺は、この世の絶望を詰め込んだと言ってもいいほど悲痛な表情を浮かべる美甘に、みぞおちの辺りが重くズキッと痛んだ。
 
「おい……泣くなって」
「じゃ、じゃあっ、バレンタインデーに、オレにチョコくれたのは? あの時、柳くんはオレの気持ちに気づいてるって、そう言ってくれたよね? その上でオレにあのチョコをくれたから、オレはてっきり……!」

 バレンタインデー? もしかして、あそこから美甘の勘違いは始まってたのか?

「気持ちっていうのは、お前が実は甘いもの好きだってことだろ? チョコ渡したらすげえ喜んでくれたし、お前もずっと隠してたって言ってたじゃねえか」
「え? オ、オレ……甘いものは、そんなに好きじゃないよ。喜んだのは柳くんがくれたからだし、隠してたのは柳くんへの好きって気持ち……。オレは一年の頃からずっと、柳くんのことが好きだったから」

 美甘が弁解するように告げる。
 俺は呆然として、しばらくなにも言えなかった。どうやらとんでもない思い違いをしていたことに気づいたけど、今さらそれをどう修正すればいいのか分からなくて。好きだと言われて、じゃあごめんなさいと返して、それで全部が元通りになるような簡単な関係じゃなかったから。
 美甘は両の眼からボロボロと涙をこぼし、引き攣る唇を無理やり釣り上げた。

「あ……あれ、なんだ、今まで全部、オレの早とちり? 付き合えたと思ったのも、両想いになれたと思ったのも、全部勘違い……?」
「……美甘、それは――」
「やめて。聞きたくない」

 美甘は耳を塞いで俯いた。屋上のコンクリートに点々と染みがついて、そこだけどしゃ降りの雨が降ってるみたいに色が濃くなっていく。

「ずっと、夢みたいだと思ってたんだ。こんなに幸せでいいのかなって、あとで不幸なことが一気に押し寄せてきたりしないかなって。でも柳くんがオレのことを好きでいてくれて、オレのことをまっすぐ見つめてくれて、オレの隣で笑ってくれるなら、どんな不幸が訪れたって平気だった。柳くんさえいれば、オレはなんでもよかった」

 震える声で紡ぐ静かな慟哭が、俺の胸に深く突き刺さる。

「な、なんでもよかったのに……柳くんがいなくなったら、どうすればいいの? もう柳くんが隣にいない未来なんて、考えられない。考えたくもないのに……っ。柳くんがオレ以外の誰かのものになるって、そんな可能性が残されてるって考えるだけでも、吐き気する。本当に気が狂ってどうにかなりそう……」
「美甘、」
「ごめん、ごめんなさい。こんなこと言われても困るって分かってる。柳くんはオレのこと好きじゃないんだから、さっさと諦めるべきだって分かってる。わ、分かってるんだけど」

 美甘は小さく丸まるように俯いていた。耳を押さえる手と、強ばった肩が尋常じゃなく震えている。
 でも俺は、それをただ眺めてることしかできなかった。
 美甘が手を地面につくと、ふらりと立ち上がる。眩しいほどの逆光が、濡れそぼった表情を隠す。

「す、好き……柳くんのこと、本当に大好き。別れたくなくて、ずっと隠してたけど、本当はオレから逃げられないように腕に囲って独り占めしたいし、他の誰も目に入れないように柳くんをどこかに閉じ込めちゃいたい。それくらい好きで好きで、しょうがない。誰かに笑いかけないで、隣を譲らないで、オレのことだけ永遠に見ててほしい」
「…………」
「……でも柳くんに、迷惑もかけたくない。嫌われたくないし、気持ち悪いって思われたくない……っ」

 不安定だけど、胸を抉られるほど切実な声。

「そうなるくらいなら、まだ笑い合える友達で、いたい……から。き、気持ち我慢できるように頑張るから……っ。――だからお願い、嫌いにならないで。オレのこと、見捨てないで。……今までみたいな関係に戻れるようにする。絶対なんとかしてみせるから! ……少し整理する時間だけ、ごめんね。オレにください」

 美甘はそう言い残すと、屋上を後にした。俺はなにも言葉を挟めなかった。膝の上に乗ったチョコレートがやけに重たくて、口の中を埋め尽くす甘ったるさが不快だと感じたのは、初めてだった。