バレンタインデーに適当にチョコを渡したら、いつの間にか彼氏ができてた話

 届いたピザを開けると、一気にジャンキーな匂いが広がる。冷蔵庫にあったオレンジジュースを注ぎ、みんなで乾杯した後、それぞれ思い思いに食べたいピザの方向へ手を伸ばした。

「うんめえ~っ!」
「あっ、おい昇! チーズ垂れてるって!」
「えっマジ? うわやべっ」

 向かい側でチーズを掬いながら食べてる山越と、ティッシュを用意してテーブルに引く矢崎が見える。

「ほ、本当にいいの? オレたちだけで、こんなにたくさん……」

 隣に座る美甘は、母さんの金で出前を取ったことに気が引けてるのか、さっきから何も取らずにずっとそわそわしていた。

「大丈夫だって言ってるだろ。母さんがこれでみんなと食べてって言ったんだから」
「そ、そう?」

 それでも落ち着かない様子の美甘に、俺は前にあったマルゲリータを1ピース取って、無理やり口に押し付けた。

「や、柳く……!?」
「いいから黙って食えよ。そもそもお前はプリンもくれたんだし、ここにいる誰よりも正当に受け取る権利があるだろ」
「っ……わ、分かった! 分かったから自分で食べるよ!」

 ぐいぐいと押し込むのに合わせて、美甘の頬がケチャップみたいに赤くなっていく。
 さっきドキッとした微笑みが嘘みたいだ。やっぱ仕事柄、いろんな表情見せんのが得意なのかな。

「……柳。そこらへんにしておいてやったらどうだ?」
「え? あ……ごめん美甘」

 上の空でいたら、俺の腕を掴んだ美甘が顔を背けてプルプルと震えていた。

「うっ、ううん……ふ、二人っきりだったら、オレは全然、その……」

 なにかぼそぼそと小さな声で言う美甘の前に、ピザを置いてやる。
 俺も腹が減ったから、取ってあった自分の分を手に持って一口齧った。山越の二の舞にはならないよう、伸びたチーズを歯で噛みちぎる。
 ……うん。久しぶりに食べるピザは、やっぱ安定にウマイ。甘いものは俺の中で不動の一位だけど、ジャンキーフードもそれなりに好きなんだよな。
 俺はもう一口いく前にジュースを飲もうとして、グラスが既に空だったことに気がついた。

「八ツ屋」
「ん~? はい」

 ジュースが八ツ屋側にあったので声を掛けたら、そのまま注いでくれた。お礼を言って、俺はグラスに手を伸ばす。

「え、すごくね? 今の意志疎通。夫婦みてえ」
「――ゲホゲホッ……!!」

 けど八ツ屋がむせた。

「ふ、夫婦……? だ、だれと、だれが……?」

 右からは呆然と呟く弱々しい声に、なにかが落ちる音。見ると、美甘のピザが指からすり抜けて皿に着地している。俺は両隣で起きる奇妙な事態に首を傾げながら、とりあえず八ツ屋の背中を擦っといた。

「馬鹿ッ! 真琴はこっちじゃないだろ!?」

 は? なんで俺キレられてんの?

「二人とも急にどうした?」
「……昇。発言には気をつけろ」
「えッ!? これ俺が悪い感じ!?」

 山越が意見を求めるようにこっちを見てくるけど、俺にも原因は分からない。むしろその横にいる、矢崎の妙にかしこまった顔つきはなんなんだ。

「――そっ、そういえばさあ!」

 咳き込みから回復した八ツ屋が、急に声を張り上げた。

「美甘くん、昨日発売されたこの雑誌に特集組まれてたね!」

 視線は美甘を向いてるのに、何故かコイツはぐいぐいと俺の目元にスマホの画面を押し付けてきた。近すぎて何も見えない。ブルーライトの明かりが直で俺を刺す。一度ならず二度までも俺を怒らせる八ツ屋に、握りしめた拳が飛び出していきそうだ。

「おい八ツ――」
「柳くんに触らないで八ツ屋くん。嫌がってるし、離れてよ」

 俺の拳が放たれることはなかった。右の美甘から引き寄せるように肩を掴まれて、腕の中に囲われたからだ。

「あっ、ごめん……!」
「ヒュ~ッ! 海寧君カッコイイ~!」

 サッとスマホをどかした八ツ屋に、口笛を吹きながら茶化す山越。

「ありがとう、美甘」
「……ううん。柳くん、目、痛くない?」
「大丈夫。ただ、八ツ屋は一発殴る」
「――へッ!?」

 俺は気を抜いていた八ツ屋の腕を引っ張り、拳を見せながら、栗色の前髪で覆われた額にデコピンをお見舞いした。

「いってえ!?」
「あんなにスマホ近づけてくる奴がいるかアホ」
「それはごめんっ! オレもつい無意識で……!」

 無意識でやってくるのもヤバいだろ。

「あははははッ! ヒロくんおもろ! てか何気に海寧が怒ってんのも初めて見たし!」
「柳のこと、大切にしてるんだな」
 
 爆笑する山越はいいとして、矢崎は生暖かい目でこっちに微笑んでくるのをやめてくれ。その視線になんかムズムズするから。あと美甘は美甘でさりげなく俺の腰引き込んで、八ツ屋から離そうと躍起になるな。

「はあ……そんで結局、八ツ屋はなにが言いたかったんだ?」

 俺は美甘の熱を傍で感じつつも、問いかけた。あれだけ押し付けてきたんだから、よっぽど俺に見てもらいたかったんだよな? コイツは。

「ああ……そうそうこれ。これを真琴に見てほしくてさ」

 若干赤くなった額を擦りながら八ツ屋がスマホをテーブルに置く。俺はこっち側にして向けられたその画面を覗き込んだ。

「……大人気高校生モデル、美甘海寧に……独占インタビュー?」
「うん。すごくね? オレなんか最初見たとき誰かと思っちゃったよ」
「えー! 俺も見てえ!」
「あっ、ちょっと待って。真琴にいったん全部見せてから」

 対面の山越がテーブル越しに覗いて来ようとする気配を感じたけど、俺はしばらく画面から目を離せなかった。
 雑誌の1ページにドアップで撮影された美甘の表情。前髪をかき上げて、こっちを射貫いてくるグレーの瞳に背筋がゾクリとする。薄く開いた唇は赤く、妖艶さも感じ取れるのに、洗練された美しさが段違い。――まるで見た人全員の心臓を喰らいつくすかのような、圧倒的な存在感だ。
 それに単純な格好良さだけじゃない。これはいわゆる色気……って言うんだろうか。とにかく一度見たら脳に焼き付いて、思考の大部分を美甘に埋め尽くされる。

「他にもさ、インタビュー記事もあるけど、こんな風にいろんなポージングで掲載されてて。やっぱ歴長いだけあって美甘くんってプロだよね」
 
 電子の雑誌をパラパラと捲りながら、数ページにわたり、俺の知らない美甘はそこにいた。
 明るく元気にはしゃいで太陽のように眩しく笑う姿。静かに微笑んで目を伏せる、可憐な百合のような姿。凪いだ海のように透明な煌めきを放つ、儚い青年みたいな姿――。

「これで最後か。はい、じゃあ次山越ね」
「おお、サンキュー」

 俺の前から美甘はいなくなった。

「どうだった? 真琴」

 八ツ屋が首を傾げて聞いてくるけど、俺は衝動のまま横にいる美甘のほうを振り向いた。雑誌には載ってない、不安と期待が織り交ぜになった視線と目が合う。

「お前……すごいな」
「えっ――」
「なんていうか、全部おんなじ人なんだけど、全部別の人みたいに見えたっていうか……。それくらい表情一つ一つが自然で、飾らない生き生きとした感情にあふれてて、どれもこれも魅力的で、こう……心臓がグワッってなった。すげえ惹き込まれた」

 たぶん俺は、俺の知らない美甘の姿を見るのが怖かった。美甘の家に行ったとき、雑誌がすぐ側にあったのに、手を伸ばせなかったのもそんな理由。
 なぜか分からないけど、俺はただ、まだ知らないコイツの顔を見るのが嫌だったんだ。

「あ、や、柳くん……っ」
「俺は今目の前にいる美甘も好きだけど、モデルやってる美甘も同じくらい好きだな。今までこういう雑誌には興味なかったんだけど、これからはちょっと見てみたいかも」

 なあ、他にはどんなのがあるんだ?――と八ツ屋に尋ねようとして、俺はふと、周りがやけに静かなことに気が付いた。

「あ? みんなどうし……」
「オレッ、ちょ、ちょっとお手洗い借りるね……!」

 突然立ち上がった美甘がそう言って慌ただしくリビングを出ていく。……あ、閉じてる扉に頭つっこんだ。すげえ痛そうな音したけど大丈夫か? アイツ。

「真琴ってさあ……」

 美甘の姿が完全に消えると、八ツ屋が呆れ混じりの視線を俺に向けてきた。

「なんだよ。俺変なことでも言ったか?」
「変っていうか、ただただ直球すぎるっていうか……」
「うん、マコっちゃんってほんとストレートだよな。俺でもあんなん言われたら照れちゃいそ~」
「ははは、でもそれが柳のいいところじゃないか?」
「オレは美甘くんに同情するよ。マジ可哀そう。ちゃんと最後まで責任取れ」

 なんだ、この俺だけ取り残したような空気は。俺っていまそこまで照れくさいこと言ったか?
 

***


 それからしばらくして戻ってきた美甘は、かなり挙動不審のまま様子がおかしかった。けど、昼ご飯を食べ終えて勉強に戻った俺たちは、皆で分からないところを教え合ったりしながら黙々とテスト勉強にいそしんでいた。
 対面で頭を抱えながら唸る山越から、突然スマホがブブッと鳴る。

「あ……? おつかい?」
「どうした?」
「や、なんか母ちゃんが夕飯作るのに醤油足りないから買って来いって」
 
 そういえば日差しも夕暮れ色を帯びてきつつある。時計の針が指し示すのは、もうすぐで16時。

「ああ、俺もそろそろ帰らないとな」
「ケンも?」
「今日は家族で外食するらしいんだ。17時までには帰ってこいって言われてるからさ」

 矢崎の家の場所は知らないけど、たしかにもう解散してもいい頃合いだ。俺たちにしちゃよく頑張っただろ。これで来週からの期末試験もなんとか乗り切って、赤点回避できることを祈るしかない。

「二人が帰るならオレも帰ろ~」

 八ツ屋は我先に後片付けを始めた。

「お前三角関数理解できたの?」
「えー? ……まあまあ、そんな野暮なこと言わずにさ。世の中には理解できることとできないことがあるよね」

 それただ諦めただけじゃねえか。

「や、柳くん」
「ん?」
「あの……オレはもうちょっと残りたいんだけど……い、いいかな」

 美甘は控えめな声で俺に尋ねた。机に乗せた指先に力が入ってるのか、手元の教科書には破れそうなほど皺が寄っていた。
 
「ああ、全然いいけど、その教科書すげえくしゃってなってるぞ」
「えっ!? あ、ほ、ほんとだ……!」

 慌てて皺を伸ばす美甘を横目に、筆記用具とかも全部鞄にしまい終えた八ツ屋たちの姿が目に入る。出す時はあんなに嫌がってたのに、帰るってなったら早いなコイツら。

「じゃあ真琴、また月曜日」
「あー、まじ疲れた。マコっちゃんと海寧もほどほどにすんだぜ~」
「柳、グラスとかキッチンに持ってった方がいいか?」
「あ、いやいいよ。後でまとめて片づけるからそこ置いといて」
「おお……そうか。悪いな、ありがとう」

 八ツ屋と山越はさっさと玄関に向かい、矢崎がテーブル上の食い終わった菓子とかを指さして聞いてくれる。前の二人に彼女ができないのは、絶対こういうところが原因だろうな。せっかく近くに手本がいるんだから、矢崎のこの気遣いを少しでも学んでくれ。

「お邪魔しましたー!」

 三人は山越の元気な挨拶を最後に帰っていった。
 騒がしい奴がいなくなって、リビングには途端に静けさが訪れる。俺は美甘の隣に戻った瞬間、口からふわ~っとあくびが漏れた。

「柳くん、眠たいの?」
「ん……なんか急に眠気きた」
「……オレが起こすから、少し横になる?」
「え、いいの?」
「うん。……じゅ、十五分後くらいでいいかな」
「助かる。じゃあ俺ソファで寝てるから、美甘は勉強してて」

 分かった、という返事を聞きながら、俺はソファの背を正面にして横たわった。目を閉じて、抗えない眠気に身を預ける。
 背後から鼓膜を揺らす、カリカリとシャーペンを走らせる音が心地良い。俺が夢の世界へ旅立つのは一瞬だった。



「……柳くん、もう寝ちゃった?」

 あ、なんか近くで柔らかい声がする。

「さ、さっき……オレのこと褒めてくれて、すごく嬉しかった。今までもらったどんな言葉よりも柳くんのものが響いて、泣きそうになった。やっててよかったって一番強く思えた」

 髪、撫でられてるのが気持ちいいな。手つきも優しくて、俺のこと、大事にされてるみたいで……。

「他に人いなかったら、オレ、なにしてたか分かんなかったよ。ずっと好きだったのに、付き合えてからはどんどん柳くんに落ちる一方で、もう好きすぎてどうにかなりそう……」

 前髪を掻き分けるように、額に当たる指先がくすっぐたい。

「好き……好きだよ。柳くんのこと、世界で一番大好き」

 柔らかくて温かいものが額に触れる。それは数秒間俺の額に留まったあと、ゆっくりと静かに離れた。

「唇にするのは、また今度、起きてるときにしたいな。…………それじゃあおやすみ……柳くん」

 もう一度頭を撫でられ、全身に染み渡るような甘やかな声は遠ざかった。微睡みに揺蕩う俺は、再び深い眠りの底へと沈んでいった。