「俺、別にそんな優しい人間じゃねえけど」
美甘の話を静かに聞き終えた俺は、最後の一枚になったチョコクッキーを噛み砕くと、お茶と一緒に流し込んだ。
「普通に面倒なことは無視するし、キャンディーとかで釣られて頼み聞くくらいだけど」
コイツは一体、俺のどこを見てそんな風に思ったのか。優しいなんて言葉、あまりにも言われ慣れてなさすぎて、妙にこっぱずかしい。
「そんなことないよ。少なくともオレにとっては、柳くんはすごく優しい人なんだ」
「……だから、なんで? 俺お前になんかした?」
「ふふ、柳くんは覚えてないよね」
隣に座る美甘は、立てた片膝に横顔を乗せて、俺のことをじっと見つめていた。
「一年の時、5月の体育祭で、オレがリレーのアンカーだったのに派手に転んじゃったときのこと」
「……一年の体育祭?」
――今年のやつももうあんま覚えてねえのに、去年の話?
「うん。あの時ね、誰も怒る人はいなかったんだけど、昇とかみんな爆笑してて。オレも、これは笑うのが正解なんだろうなって思って、痛いの我慢してふざけようと思ったんだけど……」
あ、そうだ。思い出した。たしかリレーのゴール直前で、靴紐かなんかに引っかかったっぽい美甘が、ずざーッて感じで滑るように転んだんだった。
「オレがテント戻った時、柳くん、治療くらいしてこいよって声かけてくれたでしょ?」
「は? そんなの別に普通だろ」
「ううん。あの茶化すような空気に染まったテントの中で、オレをまっすぐ見てそう言ってくれたのは柳くんだけだった。絶対言いづらいだろうに、あの時の柳くんはそんなの微塵も気にしてない様子で、正直すごくその……カ、カッコいいなって」
美甘の目が照れるように、横に逸れた。
「……俺はただ思ったこと言っただけだけど」
「でも言わなきゃ伝わらないよ。言ってくれた柳くんが、すごいんだよ。オレは常に人の顔色を窺ってばかりだから、もし同じ立場に立たされたとしても言えなかったかもしれない。周りに同調して、冷やかしてたかもしれない」
膝に置いた俺の左手が美甘に取られる。手のひらをなぞって、指の間を割るように入り込んできた右手にきつく握りしめられる。
ここは寒くないから、別にあっためなくてもいいって、俺は言わないといけないのに。何故か今は、そう言えない。
「あのね、どんな状況でも自分に正直でいられる柳くんは、思ってる以上にカッコいいんだ。それに柳くんは自分で気づいてないだけで、すごく思いやりがある人なんだよ。無頓着な一面は確かにあるかもしれないけど、オレは体育祭の後からずっと柳くんのこと目で追ってて、その無関心さが逆に、周りの人への優しさに繋がってるんだって気が付いた」
「……なんだそれ。買い被りすぎだろ」
「そんなことない。柳くんはオレみたいな保身から来てる親切心じゃなくて、自然と手を差し伸べられる人だよ。それは絶対オレが保証する。みんなに宣言できる」
保証ってなんだ。宣言って、お前は俺のなんなんだ。
「オレは柳くんのそういうところを尊敬してる。……そ、その……っすごく、すっ、すっ……好きだな……って」
「なら美甘は、自分のこと優しくないとか言うけど、俺は全然そうは思わない」
「えっ?」
繋いだ美甘の右手がビクリと震えた。
「だって、さっきも自分のことは二の次にして俺にタオルとカイロをくれた。風呂だって、先に入らせてくれたし」
「そっ、それは柳くんだから……っ」
「あとファンの子たちにも嫌な顔一つ見せないで対応してあげて、あの子たち、すげえ嬉しそうに帰ってったじゃん。バレンタインだって、結局全部ちゃんと受け取ったみたいだしさ」
逆に俺だったらそれはできない。内心どう思ってても、全員に笑顔で等しく接するとか、絶対無理。
「優しさってさ、そもそも受け取る側がどう思うかだろ。親切にしてるつもりでも、それが相手に伝わってなきゃ意味ないし。だからみんなを喜ばせて、みんなから好かれるっていうのは、やっぱ美甘のすげえところだと思う。がっかりされたくないっていうのが根幹にあるんだとしても、お前のおかげで幸せな気持ちになれるならいいじゃん。少なくとも俺は一度も不快になったことないし、そういう気遣いとか優しさを見せてくれる美甘が俺は好きだよ」
「ッ、す……すき?」
「うん。だから今日、美甘のことたくさん知れてよかった。なんか前より、もっとずっと仲良くなれた気がする」
俺はいわゆる親友ってやつができたことはないけど、美甘とだったらもしかしたらなれるかもな。同じ甘味好きっていう共通点もあるし、なにより今日一日一緒に遊んで、すげえ楽しかった。
「美甘との縁は、俺、ずっと大切にしていきたいと思っ――」
「抱きしめてもいいッ!?」
「……え?」
横を見ると、眉を下げながら泣きそうな顔で唇を結ぶ美甘がいた。
「柳くんのこと、今すぐ抱きしめたくてしょうがない」
握られた左手を外されて、美甘の右手が俺の腰に回る。引き寄せられて、やけに熱っぽい眼差しに目を奪われる。
「……お願い。だめ?」
抱きしめるって、ハグのことか? それってよく海外の挨拶とかで見かけるやつだよな? 美甘のスキンシップが多いのも、やっぱ海外の血が混ざってるからなのか。
「やなぎくん」
「……あー、いいよ」
ハグくらいなら、って言おうとしたのに、美甘の腕の中に入れられるのは一瞬だった。囲うみたいに閉じ込められて、首筋に熱い息が当たる。意味が分からないくらい力が強くて、美甘に抱き潰されそう。
「ちょっと痛い」
「……うん、ごめん」
「緩めねえのかよ」
「うん、できない」
手を繋ぐのもそうだけど、いちいちコイツは馬鹿力だな。
でも触れ合う胸の辺りから伝わってくる鼓動が恐ろしいくらいに速すぎて、なんだか俺も変な気分になってくる。緊張とか、滅多にしないんだけど、熱すぎる腕の中で額と背中に汗が滲んだ。
「なあ……美甘って、いまは母さんと仲良いんだよな」
「……うん」
「父さんとはどうなの」
「ふ、ふつう」
「お前が女装させられてるときに助けてくれなかったわけ?」
「……父さんは、母さんのことが、大好き……だから」
「ふーん。じゃあ言いなりだったんだ」
俺は美甘の母さんとまだ数分程度も話してないけど、子供に理想を押し付けるような人には全く見えなかった。たぶん二人なりに今まで向き合ってきたからこそ、さっきみたいななんでも言い合える関係を作り出せるようになったのかもな。
でも父さんがカメラマンって聞いて、美甘が俺のこと撮りたがってたのもちょっと納得。
「隣の市からわざわざ男子校通ってんのはなんで?」
「どっ、同性のほうが、気が、楽……だから」
「ああ、女の子はみんなお前のこと好きになっちゃうもんな。お前のその性格なら、断るのも大変だっただろ」
「……オレは、好きな人としか付き合わないよ。……は、初恋だって……今、だし」
そういやコイツ、彼女いるって言ってたっけ。その割には全然そんな素振り見たことないけど……。てかなんか、だんだん羽交い締めにされてるくらい、息苦しくなってきてる気が――。
「はあッ、もう無理……ッ! どうにかなる! 死にそう!!」
そして、美甘は唐突にそう叫んで立ち上がった。
「せっ、せっ洗濯機見てくる……!」
そのまま慌てて扉までダッシュすると、振り返らずに今度は、「ちょっと落ち着いてくるから待ってて!」と言い、部屋から出ていった。美甘の心地良い匂いが残る空間で、俺はまた一人取り残される。
「洗濯物見てくるのか落ち着いてくるのかどっちだよ」
心なしか周りの室温が上がったような気がしていた。美甘の心臓の音が伝播したみたいに、俺の耳の奥では、素早い重低音ばかりが鳴り響いていた。
美甘の話を静かに聞き終えた俺は、最後の一枚になったチョコクッキーを噛み砕くと、お茶と一緒に流し込んだ。
「普通に面倒なことは無視するし、キャンディーとかで釣られて頼み聞くくらいだけど」
コイツは一体、俺のどこを見てそんな風に思ったのか。優しいなんて言葉、あまりにも言われ慣れてなさすぎて、妙にこっぱずかしい。
「そんなことないよ。少なくともオレにとっては、柳くんはすごく優しい人なんだ」
「……だから、なんで? 俺お前になんかした?」
「ふふ、柳くんは覚えてないよね」
隣に座る美甘は、立てた片膝に横顔を乗せて、俺のことをじっと見つめていた。
「一年の時、5月の体育祭で、オレがリレーのアンカーだったのに派手に転んじゃったときのこと」
「……一年の体育祭?」
――今年のやつももうあんま覚えてねえのに、去年の話?
「うん。あの時ね、誰も怒る人はいなかったんだけど、昇とかみんな爆笑してて。オレも、これは笑うのが正解なんだろうなって思って、痛いの我慢してふざけようと思ったんだけど……」
あ、そうだ。思い出した。たしかリレーのゴール直前で、靴紐かなんかに引っかかったっぽい美甘が、ずざーッて感じで滑るように転んだんだった。
「オレがテント戻った時、柳くん、治療くらいしてこいよって声かけてくれたでしょ?」
「は? そんなの別に普通だろ」
「ううん。あの茶化すような空気に染まったテントの中で、オレをまっすぐ見てそう言ってくれたのは柳くんだけだった。絶対言いづらいだろうに、あの時の柳くんはそんなの微塵も気にしてない様子で、正直すごくその……カ、カッコいいなって」
美甘の目が照れるように、横に逸れた。
「……俺はただ思ったこと言っただけだけど」
「でも言わなきゃ伝わらないよ。言ってくれた柳くんが、すごいんだよ。オレは常に人の顔色を窺ってばかりだから、もし同じ立場に立たされたとしても言えなかったかもしれない。周りに同調して、冷やかしてたかもしれない」
膝に置いた俺の左手が美甘に取られる。手のひらをなぞって、指の間を割るように入り込んできた右手にきつく握りしめられる。
ここは寒くないから、別にあっためなくてもいいって、俺は言わないといけないのに。何故か今は、そう言えない。
「あのね、どんな状況でも自分に正直でいられる柳くんは、思ってる以上にカッコいいんだ。それに柳くんは自分で気づいてないだけで、すごく思いやりがある人なんだよ。無頓着な一面は確かにあるかもしれないけど、オレは体育祭の後からずっと柳くんのこと目で追ってて、その無関心さが逆に、周りの人への優しさに繋がってるんだって気が付いた」
「……なんだそれ。買い被りすぎだろ」
「そんなことない。柳くんはオレみたいな保身から来てる親切心じゃなくて、自然と手を差し伸べられる人だよ。それは絶対オレが保証する。みんなに宣言できる」
保証ってなんだ。宣言って、お前は俺のなんなんだ。
「オレは柳くんのそういうところを尊敬してる。……そ、その……っすごく、すっ、すっ……好きだな……って」
「なら美甘は、自分のこと優しくないとか言うけど、俺は全然そうは思わない」
「えっ?」
繋いだ美甘の右手がビクリと震えた。
「だって、さっきも自分のことは二の次にして俺にタオルとカイロをくれた。風呂だって、先に入らせてくれたし」
「そっ、それは柳くんだから……っ」
「あとファンの子たちにも嫌な顔一つ見せないで対応してあげて、あの子たち、すげえ嬉しそうに帰ってったじゃん。バレンタインだって、結局全部ちゃんと受け取ったみたいだしさ」
逆に俺だったらそれはできない。内心どう思ってても、全員に笑顔で等しく接するとか、絶対無理。
「優しさってさ、そもそも受け取る側がどう思うかだろ。親切にしてるつもりでも、それが相手に伝わってなきゃ意味ないし。だからみんなを喜ばせて、みんなから好かれるっていうのは、やっぱ美甘のすげえところだと思う。がっかりされたくないっていうのが根幹にあるんだとしても、お前のおかげで幸せな気持ちになれるならいいじゃん。少なくとも俺は一度も不快になったことないし、そういう気遣いとか優しさを見せてくれる美甘が俺は好きだよ」
「ッ、す……すき?」
「うん。だから今日、美甘のことたくさん知れてよかった。なんか前より、もっとずっと仲良くなれた気がする」
俺はいわゆる親友ってやつができたことはないけど、美甘とだったらもしかしたらなれるかもな。同じ甘味好きっていう共通点もあるし、なにより今日一日一緒に遊んで、すげえ楽しかった。
「美甘との縁は、俺、ずっと大切にしていきたいと思っ――」
「抱きしめてもいいッ!?」
「……え?」
横を見ると、眉を下げながら泣きそうな顔で唇を結ぶ美甘がいた。
「柳くんのこと、今すぐ抱きしめたくてしょうがない」
握られた左手を外されて、美甘の右手が俺の腰に回る。引き寄せられて、やけに熱っぽい眼差しに目を奪われる。
「……お願い。だめ?」
抱きしめるって、ハグのことか? それってよく海外の挨拶とかで見かけるやつだよな? 美甘のスキンシップが多いのも、やっぱ海外の血が混ざってるからなのか。
「やなぎくん」
「……あー、いいよ」
ハグくらいなら、って言おうとしたのに、美甘の腕の中に入れられるのは一瞬だった。囲うみたいに閉じ込められて、首筋に熱い息が当たる。意味が分からないくらい力が強くて、美甘に抱き潰されそう。
「ちょっと痛い」
「……うん、ごめん」
「緩めねえのかよ」
「うん、できない」
手を繋ぐのもそうだけど、いちいちコイツは馬鹿力だな。
でも触れ合う胸の辺りから伝わってくる鼓動が恐ろしいくらいに速すぎて、なんだか俺も変な気分になってくる。緊張とか、滅多にしないんだけど、熱すぎる腕の中で額と背中に汗が滲んだ。
「なあ……美甘って、いまは母さんと仲良いんだよな」
「……うん」
「父さんとはどうなの」
「ふ、ふつう」
「お前が女装させられてるときに助けてくれなかったわけ?」
「……父さんは、母さんのことが、大好き……だから」
「ふーん。じゃあ言いなりだったんだ」
俺は美甘の母さんとまだ数分程度も話してないけど、子供に理想を押し付けるような人には全く見えなかった。たぶん二人なりに今まで向き合ってきたからこそ、さっきみたいななんでも言い合える関係を作り出せるようになったのかもな。
でも父さんがカメラマンって聞いて、美甘が俺のこと撮りたがってたのもちょっと納得。
「隣の市からわざわざ男子校通ってんのはなんで?」
「どっ、同性のほうが、気が、楽……だから」
「ああ、女の子はみんなお前のこと好きになっちゃうもんな。お前のその性格なら、断るのも大変だっただろ」
「……オレは、好きな人としか付き合わないよ。……は、初恋だって……今、だし」
そういやコイツ、彼女いるって言ってたっけ。その割には全然そんな素振り見たことないけど……。てかなんか、だんだん羽交い締めにされてるくらい、息苦しくなってきてる気が――。
「はあッ、もう無理……ッ! どうにかなる! 死にそう!!」
そして、美甘は唐突にそう叫んで立ち上がった。
「せっ、せっ洗濯機見てくる……!」
そのまま慌てて扉までダッシュすると、振り返らずに今度は、「ちょっと落ち着いてくるから待ってて!」と言い、部屋から出ていった。美甘の心地良い匂いが残る空間で、俺はまた一人取り残される。
「洗濯物見てくるのか落ち着いてくるのかどっちだよ」
心なしか周りの室温が上がったような気がしていた。美甘の心臓の音が伝播したみたいに、俺の耳の奥では、素早い重低音ばかりが鳴り響いていた。
