バレンタインデーに適当にチョコを渡したら、いつの間にか彼氏ができてた話

「あらあ~、いらっしゃい!」
「……お邪魔します」

 明るい洋風の玄関先で、俺は美甘とよく似ている綺麗な女性に出迎えられていた。

「母さんただいま。今日柳く……彼と出掛けてたんだけど、雨で服と体が濡れちゃったから、お風呂とか洗濯機貸してあげてもいいかな」
「もちろんいいわよ~。急にどしゃ降りになっちゃって大変だったわねえ」
 
 美甘と同じ白金の髪を肩まで伸ばす美甘の母さんは、ニコニコと嬉しそうに笑い、薄いグレーの瞳を細めた。
 体格と声は全然違うけど、穏やかな雰囲気を持つ美人ってところが美甘にそっくりだ。たしか北欧出身ってこの前言ってたっけ。
 
「でもアマネがお友達連れてくるなんて久しぶりだわ。中学の時以来かしら」
「そうだね。高校の友達連れてくるには少し遠いから」

 俺は二人の会話を聞きながら靴を脱ぎ、玄関を上がらせてもらった。美甘の母さんは正面に立つと、思ったより小柄な人だった。

「ふふ、よかったらあなたのお名前を聞いてもいい?」

 美甘より色素の薄い瞳と目が合う。
 
「あ……俺は柳真琴です」
「マコトくん? まあっ、カッコイイ名前ね! 漢字は一体どんなの書くのかし――」
「ちょっ、母さんやめて! 柳くんに絡まないで! オレだってまだ名前呼んだことないのに……!」
「あらあらいいじゃない。私だって息子のお友達となかよくしたいわ」
「オレが先に仲良くなるからダメ!」

 美甘に腕を引っ張られた。やっぱ美甘も親に友達紹介すんのとか恥ずかしいのかな。
 そのまま廊下を歩かされて、後ろからクスクスと楽しそうな美甘母の笑い声が聞こえてくる。
 美甘は普段甘党であることを隠してるから、もしかしたら両親が厳しいのかと思ってたけど、見た感じはすごく優しそうな人だった。もしかして父さんの方が厳格な人だったりするのか?

「ご、ごめんね柳くん。変なとこ見せちゃって」
「いや、仲良いんだな。母さんと」
「う……うん。そう、だね」

 あれ、なんだ? なんかやけに、歯切れが悪いような――。

「あ、ここが洗面所だよ。奥にお風呂場があるから、シャンプーとかもよかったら自由に使って。ドライヤーもここにあるよ」

 俺が尋ねるよりも先に、美甘はテキパキと指差ししながら説明した。俺の家にあるものより広いこの洗面所は、毎日磨かれているのかどこもかしこもピカピカだった。

「着替えはオレの方で用意しとくから、上がったらそれ着てね。脱いだやつはカゴに入れておいてくれたら、後で洗濯しておくよ」
「この黄色いやつ?」
「うん。……あっ、でも、し、下着だけは替えがないから、その……」
「ああ。それは自分の履くけど」
「あ、ありがとう。……えっと、それじゃあ、オ、オレ着替えだけ持ってくるから! 柳くんはお風呂入っててね!」

 美甘はなぜか目を合わせないまま洗面所の扉を閉めると、ドタバタと足音を立てながらいなくなった。最初は普通だったのに、途中から何か思い出したかのように挙動不審になって、声が上擦っていた。

「てか、こんな至れり尽くせりでいいのか?」

 俺はただ、服が乾くまで居させてくれたらそれで良かっただけなんだけど。

 

 少し大きめのスウェットを着て洗面所から出た俺は、二階の美甘の部屋に案内されるとすぐ一人にされた。やたらと視線を右往左往させて早口になった美甘が、「オレも風呂行ってくる……!」と慌てて出ていったからだった。
 
「アイツ、よく自分の部屋に人残していけるよな。見られたくないものとかねえのか?」

 俺は整えられたシングルベッドを背にして座っていた。ふかふかのラグのおかげで尻は痛くない。目の前にはガラスのテーブルがあって、その奥には勉強机とクローゼット。ふんわり香る上品で優しい甘い匂いは、アロマってやつだろうか。香水もそうだけど、美甘の匂いのセンスはけっこう俺の好みと近いかも。
 
「あ、雑誌」

 俺はテーブルに置かれた麦茶を飲みながら、横の本棚を視界に入れた。表紙が見えるタイプの木のラックに、ファッション誌っぽいのがいろいろ立て掛けられてる。

「美甘も載ってんのかな」

 今日はファンに話しかけられてる美甘を初めて見て、俺も少しアイツの仕事に興味が湧いていた。
 モデルやってるときの美甘ってどんな表情してんだろうとか、俺の知らない顔がまだあんのかな、とか。

「うーん」

 勝手に見ても怒られることはないだろうけど、なんかちょっとだけ、見るのが怖い、ような――。

「一人にしちゃってごめんね柳くん!!」
「うわっ、ビックリした」

 突然現れた美甘に、俺は手に持ったコップを落としそうになった。

「だ、だ、大丈夫!?」
「たぶん……こぼれてはないと思う」
 
 下のラグを手当たり次第触ってみたけど、濡れてるところは一応ない。こんなふかふかの素材にこぼしたら、乾かすのに相当時間かかっただろうな。

「あ……柳くんにはかかってない?」
「俺? 俺は全然」
「そう……それならよかった」
 
 安心したように美甘が微笑んだ。そして焦ってこっちまで寄ってきたのか、開けっ放しだった扉を閉めると、俺からちょうど机一つ分くらい離れたところに座った。

「なんか、遠くね? てかなんでそんなしっかりした服着てんの?」
「エッ? あッ、こ、これはオレの心の問題というか、まっ、ま、万が一にも手を出さないようにっていう、じ、自制のためっていうか」
「……なんかよく分かんねえけど、もっとこっち来いよ。話しづらい」
「むッ無理! オレの服着てる柳くん直視したら心臓が破裂する……ッ!!」

 美甘が体育座りのまま膝に顔を押し付けている。乾かしたての髪の毛が天使の輪を作って、赤い耳の横で小刻みに揺られている。デカい図体の男が、自分の部屋で小さく丸まってるのが素直におかしかった。

「じゃあオレからそっち行く」
「ひいッ!! だっ、だっ駄目! こっち来たら柳くんの貞操があ!!」
「だから変なこと言ってないで普通に話して――」

 俺は美甘の金糸みたいな髪に触れた。サラサラですぐに指からこぼれ落ちる。

「あ、や、やなぎく……」

 驚いた美甘が顔を上げる。澄んだ瞳に俺が映っている。美甘の右手がゆっくりと持ち上がって、こっちに伸ばそうとしているのが分かった。

「……? みか――」
「アマネ~! マコトくーん! クッキー食べる~?」
「あああッッ!!」

 ベッドのシーツの中に、美甘が頭を勢いよく突っ込んだ。

「あらっ? なにしてるのかしらこの子」
「えっと……俺にも分かりません」

 美甘の母さんと二人で顔を見合わせた。部屋の主だけがベッドに顔を伏せて、プルプルと肩を震わせていた。

「アマネ? クッキー置いてくわよ?」
「わ、分かった。分かったからもう出てってよ……」
「あ、俺が貰っときます」

 美甘が声だけでなかなか動こうとしないので、代わりに俺が立ち上がって皿を受け取る。……髪の毛を触ったのはこれで2回目だけど、本当はこんなになるくらい嫌だったのか?

「じゃあマコトくんにお願いするわね」
「はい。ありがとうございます」
「ふふっ、おかわりがほしかったらいつでも言うのよ」
「え、ほんとですか?」
「もちろんよ~。うちの子ったら、甘いものは全然――」
「ねえ母さんいつまでいるの!? オレの柳くん取らないでよ!」

 美甘が割り込んできた。美甘の母さんがグイグイと肩を押されて部屋の外まではじき出される。

「もうっ、強引ね」
「次入るときは絶対ノックして」
「あら? してなかったかしら?」
「してなかった。でも、できればもうこっち来ないで」

 それじゃ、と美甘は言い残すと、強制的に扉を閉めた。向こうから不満のような声が上がった気がしたけど、軽い足音はすぐに遠ざかっていった。

「ああもう、まさか母さんが入ってくるなんて思わなかった……」

 うなだれた美甘が振り返りながら呟く。

「落ち着いたか?」
「えっ? あ、ああ……うん。おかげで頭が冴えたよ」
「ならいい。一緒にクッキー食べようぜ」

 俺は皿を片手にテーブルの前まで戻った。
 
「……そうだね。オレも、柳くんに話したい事あるし」

 美甘が薄く笑う。そして深呼吸を一回挟むと、勉強机の中から何かを取り出し、俺の隣に腰を下ろした。――今度はガラスのテーブルに、二人分の両足が収まるくらいの近さで。

「話って?」

 俺はもらったチョコクッキーを一口齧りながら尋ねる。

「あの……さっき、柳くんに噓ついてることはもうないってオレ言ったでしょ? けど、隠してることはまだ一つあるんだ」

 美甘の睫毛が何か憂いを帯びるように伏せられていた。

「……俺、秘密を全部言えって意味で言ったんじゃないけど」
「うん。でもこれは、オレが柳くんに話しておきたいことだから」

 そう言うと、握りしめていた紙っぽいものが裏返される。――それは写真だった。ブロンドの髪を肩下まで伸ばして、こっちに向かって微笑を浮かべる、白いワンピースを着た小さな女の子の。

「……かわいい子だな。お前の妹? あ、いや、兄妹はいないんだっけ」
「これ、オレだよ。昔のオレの写真」
「――え」

 言われてまじまじと写真を見る。たしかに顔は美甘にそっくりだ。美甘の母さんの小さい頃の写真と言われても納得できるほど、可愛らしい女の子にしか見えない。

「柳くん。よかったらオレの昔話、聞いてくれる?」