バレンタインデーに適当にチョコを渡したら、いつの間にか彼氏ができていた話

「……や、柳くんは?」

 そう言われたから、俺はポケットにあるそれを渡しただけだった。


***


 今日は2月14日。いわゆる世間でいうところのバレンタインデー。
 やたら男どもがソワソワし出して、普段気にしない髪型を整えたりだとか、いらねえ優しさを見せつけてワンチャン狙ったりだとか、脳が甘ったるいチョコで埋め尽くされるみたいな一日。
 なにが楽しくて毎年毎年祭りみたいにはしゃげるのか分からないけど、タダで上手いチョコもらえるって考えたら悪くねえよな。俺は毎月の小遣いで、やっすい菓子の詰め合わせを大量に買って食うだけだから。一つでも貰える奴の気持ちがうらやましいのは分かる。
 俺だってチョコ食いてえし。なんなら飴とかでもいいけど。てか甘けりゃなんだって嬉しいか。

「――あのっ、すみません! 結ノ坂の方ですよね!?」

 ポケットにつっこんだ菓子の数を数えながら、通学路の上り坂に苛立ち始めた時だった。俺の通ってる高校名が聞こえて、思わず振り返る。

「これ、美甘(みかも)くんに渡しておいてくれませんか!?」
「うわっ……え、なに?」
「私からは緊張して絶対渡せないので……! すみませんけどお願いします!」

 そう言って俺の胸に小さな紙袋を押し付けてくる彼女は、白いワンピース型の制服に身を包んでいる。おそらく、いや絶対近くの桜鈴女学院の子だ。

「いや、そういうの俺受け付けてないんで」
「そこをなんとかお願いできませんか!?」

 なんで一回断ったのに食い下がってくるんだよ。こんな嫌そうな雰囲気出してる上に、俺まだポケットに両手つっこんだままだぞ。受け取る気ないの分かるだろ。

「じゃ、じゃあ……っ、これ、これあげるので!」

 彼女のスクバから二本のお洒落な棒付きキャンディーと、なんか高そうな包装袋に入ったクッキーが出てきた。

「――あ、いいですよ。これ美甘(みかも)に渡しときます」
「本当ですか!? ありがとうございます!」

 すぐさま両手を出して紙袋と菓子を受け取った俺。その子は笑顔でお礼を言うと、何度かお辞儀をして去っていった。

「おおー、うまそう」
 
 美甘宛てのチョコなんてクソほどどうでもいいけど、キャンディーとクッキーが手に入ったのはラッキーだ。しかも桜鈴の子はお嬢様が多いし、見たことねえパッケージはブランドものっぽい。
 男だらけの男子校でわざわざチョコ持ってくる奴とかいねえから、バレンタインなんてどうでもいいイベントの一つにしか過ぎなかったけど……、こういうおこぼれもまあ悪くない。

 やたらと長い坂を上りながら、俺は澄んだ空を視界の端に入れて、いつもより少し機嫌よく学校へと向かった。


***



「――なあ、美甘(みかも)っている?」

 二階の廊下で、俺は一番端にある『二年一組』と書かれたプレートの下で足を止めると、開いた窓からちょうど見えた知り合いの男に声をかけた。野球部の朝練終わりらしいそいつ――矢崎健二郎(やざきけんじろう)が、重そうなエナメルバッグを机に置きながら教えてくれる。
 
「美甘ならまだ来てないぞ」
「あーマジ? アイツ来るの遅えな。もうあと五分でチャイム鳴るじゃん」
「いやあ、多分引っかかってるだけじゃないか?」
「引っかかる?」

 信号にか? と俺が首を傾げると、今度は矢崎の隣の席からデカい声がかかる。

「お、マコっちゃんだ! 三組のお前がこっちまで来るなんて珍しくね?」

 俺をバカみたいなあだ名で呼ぶのは、いかにも野球部ですと言わんばかりの坊主頭。男前の矢崎とは対照的に、ガラの悪そうな鋭い目つきをした山越昇(やまごえのぼる)が窓際まで近づいてくる。二人とも一年のときに同じクラスで、今探している美甘もそうだった。

「しかも海寧(あまね)に用?」

 海寧(あまね)は美甘の名前だ。

「まあな。でもいないならまた後で来るわ」
「え、いやいや待てよ。マコっちゃんが持ってるその袋ってさ……もしかしてもしかしちゃう感じ!?」

 山越が俺の手元をチラチラ見ながら、ニヤニヤと抑えられない笑みを堪えようとしている。――シンプルにウザくてむかついた。
 
「お前どんな勘違いしてんの。俺のじゃねえから」
「ええ~、そんな誤魔化さんくても。思いっきり『美甘海寧くんへ』って書いてあるじゃねえかよ」
「あっ、おい昇! 柳が隠したがってるんだから無理に聞くなって」
「はあ? んなこと言ってケンも気になってるだろ?」
「いや、気になるとかじゃなくてさ。普通聞いてもいいやつと駄目なやつってのがあるだろうが」

 昇と呼ばれた山越と、ケンと呼ばれた矢崎がなにやら言い合っている。山越はまだしも矢崎は一年のときから空気の読める良い奴だったが、ここでそんな風に庇われると余計ガチっぽくなるからやめてほしい。誰が好きで男に本命チョコなんか渡すかよ。

「もうやめろ。これは桜鈴の子に渡してほしいって言われたから受け取ったんだよ」

 変に勘違いされるくらいなら最初から伝えとけばよかった。でも桜鈴って言えば、絶対山越が騒ぎ出すから――。

「えええっ! 桜鈴!? 桜鈴の女子!? 話しかけられたのか!? なんだそれうらやましすぎるだろおおおお!!」
「うるさっ」
「ちょっ、落ち着け昇!」

 窓枠を掴みながら上向いて叫ぶ山越に、俺は耳を塞いで顔をしかめ、矢崎が窘める。

「ケンはいいよなケンはよお! お前は桜鈴に彼女がいるもんなああ!?」
「いや、今それ関係な――」
「関係ねえわけねえだろッッ! この裏切り者野郎が!!」

 なにやら喧嘩が始まったようなのでさっさと退散することにした。女に飢えてる山越がああなったらしばらくはとまらない。美甘がいれば一緒に慰められてるだろうが、あいにく今は不在。矢崎に合掌だけして俺はその場を離れた。
 それにしても、美甘の奴はいつ来るんだろうな。


 ***

 始業のチャイムが鳴る直前で、俺は三組の教室に着いた。後ろの扉から開けてすぐ近くの机に紙袋を掛ける。
 
「おっはよー真琴!」
「……はよ」
「谷センちょっと遅れてくるらしい……ってあれ、なんか疲れた顔してんね。糖分切れ?」

 俺が机にリュックを置いた途端、前の席に座る八ツ屋千紘(やつやちひろ)が振り返ってくせ毛の茶髪を揺らした。本人曰く毎日気合を入れてセットしているらしい髪型は、なんとなく今日は一段と張り切っているような感じがする。山越ほどではねえけど、こいつもこいつでツラがいい割にはモテたくて必死なんだよな。

「てかなにそれ。チョコ? もらったの?」
「いや、美甘に渡してくれって頼まれた」
「へえー、あ、ほんとだ名前書いてある。でも珍しいね? 真琴がそーゆーの聞き入れるなんてさ」

 机の横にかけた紙袋をジロジロと興味深そうに眺めながら、八ツ屋が尋ねてくる。

「しかも超本命チョコ。よく受け取ったなあこんなの」
「俺だって最初は断った。でもすげえしつこかったし、あと……これもらったから」
「ん? 飴とクッキー? うわ、おしゃれでかわいい! しかも高いとこのじゃんこれ!」

 ピンクの花柄に包装された棒付きキャンディーが八ツ屋のもとへと渡る。奴はクルクルと棒を回しながら、猫みたいなブラウンの瞳を輝かせていた。普段からよく雑誌を見漁ってるから、こういう洒落たものには目がないんだろう。
 俺はそれを横目に、教科書を取り出し終えた黒いリュックを机のフックへ掛けた。……一応、紙袋が掛かった方とは反対の左側に。潰しちゃったら流石に可哀そうだし。ただあんまり長く俺の手元には置いておきたくないから、早く美甘に渡せるといいんだけど。

「美甘くん、今日学校来れてんのかな」
「は? なんで」

 俺がズボンのポケットからスマホを取り出していると、八ツ屋がそんなことを呟いた。

「だって今日バレンタインデーじゃん? 校門のとこにも女の子たくさんいるの見なかった?」
「……え、いたっけ」
「まあ無関心無頓着男の真琴は気づかないか」
 
 なんだ、俺の悪口か?
 やれやれとでも言いたげに首を竦める八ツ屋は、手に持ったキャンディーを勝手に開けると、俺の唇に無理やり押し込んできた。

「ふぁにふんだよ!」

 デカい飴玉のせいで碌に喋れねえ。レモンのようなさわやかな柑橘の風味が口いっぱいに広がって、鼻からすっと抜けていく。
 急に突っ込まれて腹が立ったが、なんかいつもの二倍、いや三倍増しくらいでウマいような気がするキャンディーのおかげで、怒りがだんだん収まってきた。
 棒から手を離した八ツ屋が、人差し指をピンと立てて俺に言ってくる。

「いい? 今日は女の子にとって戦争なワケ。美甘くんにチョコ渡したい女子で溢れかえってる、超うらやましい一日なワケ!」

 なんかすげえ私情挟まってんな。

「だから美甘くんは学校来るまでに大量の女の子に捕まってるはず。今頃彼、必死で捌いてるよ。遅刻しそうなら断ればいいのに、無駄に優しいんだからさあ」

 肘をついた手の上に顎を乗せたまま、尖らす八ツ屋の唇から、「オレも試験さえ落ちてなければ、今ごろ共学でキャッキャウフフしてたはずなのに……」と醜い嘆きが漏れている。
 でも言われてみれば確かに、校門には着飾った女の子がちらほらいた気がするし、去年もそんなようなことを言ってうなだれていた八ツ屋を見た気もする。他にも大量のチョコを見た山越が発狂して校庭を走り回り、それに付き合わされた矢崎と他の奴らがバカ騒ぎしていたのを思い出した。

「はあ……俺がこんなに落ち込んでても真琴くんはゲームですか」
「だって谷センまだこねえし」

 キャンディーを片手に俺が操作するスマホからは、最近ハマっているリズムゲーの起動音が鳴る。周りはずっとガヤガヤうるせえし、音出してゲームしてても文句言うやつは誰もいない。
 俺は単純に家から一番近いという理由だけで結ノ坂を選んだけど、金さえ出せばある程度の偏差値で入れる私立の男子校は校則も緩かった。髪を染めてるやつも多いし、八ツ屋なんか制服を気崩しすぎて紺のブレザー姿を一度も見たことがない。いつもダボっとした白のセーターだ。俺も寒がりなのでシャツの上からセーターを着て、さらにその上から薄手の黒いジップパーカーを羽織っている。
 唯一懸念点を上げるとするなら、登校の時に上り坂が多いくらいか。

「――みんな遅れてごめんなあ。ホームルーム始めるぞー」

 ガラッと扉が開いて担任の谷センが入ってくる。丸いシルエットに、窓から差した柔らかい太陽光がすっからかんの頭部を照らす。
 俺はゲームを閉じ、八ツ屋は前を向いた。キャンディーはまだまだ舐めていたいので、口の中で転がしておく。俺はゆったりとした谷センの言葉に意識が落ちそうになりながら、欠伸をくわっと噛み殺した。