放課後、俺は隆也の部屋に来ていた。
隆也の部屋は、いつ来てもミントのようないい香りがする。女子ウケのためにいくつも香水を集めている俺とは大違いだ。
「すげえ、また増えた?」
「ああ、一本。先輩に譲ってもらった」
「へえ、可愛がられてんじゃん」
壁際にはベースが何本も立てかけてあって、床にはCDが積まれている。一目で、音楽オタクの部屋だと分かる。
隆也は軽音部でベースを弾いていて、部員の中でもかなりの腕前らしい。
わざわざ本人には聞かないけど、隆也がベースを始めたのは、多分、俺がやれって言ったからだ。
※※※
遡ること二年前。
中学の時、俺はバスケ部に所属していた。
一方の隆也は、野球部のエースだった。背番号1。
ちなみに俺がバスケ部を選んだのは、ひとつ上の学年に可愛い女子マネージャーがいたから。そんな不純な動機でスポーツがうまくなるはずもなく、万年補欠だったのだけど。
「いちにー、さんしー!」
「一年声ちいせえぞー!」
野球部は外周で体育館裏を通る。ゴツい掛け声と大人数の足音が聞こえてきては、遠ざかっていく。
うちの中学の野球部は厳しいことで有名で、練習は見ているだけでもキツそうだった。
そんな中で、隆也はいつも余裕の顔で走っていた。
体育館の隅で、サボりという名の休憩中をとっている俺のところに隆也が来ては、どうでもいい話をした。
だから、俺の中でのバスケ部の思い出といえば、キツい練習でもベンチで見ていた試合でもなく、トレーニング姿の隆也だ。
あれはそう、隆也から引退の話を聞いた日。
最高気温を記録するくらいの暑い夏の日だった。その日も、水色のラベルがついた炭酸ジュースを飲んでいた。
「…この前の予選が、最後だった」
そう言って俯く隆也の右足には、包帯が巻かれていた。見ているだけで痛々しい。
バスケ部の試合ではベンチで応援しているだけの俺が、本気で野球に打ち込んでいた隆也に、なんと言えばいいのか分からなくて。
黙ったまま、ふと思った。
――ああ、これでもう、部活中の隆也と話せなくなるんだ。
体育館の床に、バッシュのこすれる音が聞こえた。それが、やけに寂しく思えたのを覚えている。
だから、俺が言ったひと言に、深い意味はなかった。
「じゃあ、音楽やれば?」
「…え?」
その頃俺は、邦ロックにハマっていた。毎週音楽番組を録画して、好きなバンドの新しいCDは限定版を予約するといった具合に。
「高校入ったら、一緒にバンド組もうぜ。俺がギターやるからさ、隆也はベースな」
「……分かった」
軽い口約束だった。
生来の飽き性の俺だ。高校に入る前には、俺の興味関心はとっくに移り変わっていた。
小遣いをお年玉を前借りして買ったギターは、今はクローゼットの奥で息を潜めている。
でも、隆也は違った。夏に約束したことをちゃんと覚えていて、受験が終わって早々にベースを始めた。
「え、お前もう一曲弾けるの? 早くね?」
「受験終わって暇だしな。思ったより楽しい」
隆也は努力を積み重ねられる男だった。さすが野球部でもエースだっただけある。
どんどん上達する隆也の演奏に、俺は夢中になっていた。
初めて隆也のスラップを間近で見た時の感動は忘れられない。
「すっげ~!天才じゃん!!」
隆也の努力と上達を間近で見ていると、最初に誘ったのは俺なのに、なんて嫉妬する気も起きないくらいだった。
そして高一の春。隆也のベースは、軽音部の先輩達から、メンバーにスカウトされるような腕前になっていた。
※※※
「やっぱ、隆也のベースいいよな。聴いてるとなんか落ち着く」
先輩から譲り受けたというベースで一曲弾いてもらった後、俺はベッドに寝転がる。
「……そうか」
「俺ベース全然分かんないけどさ、隆也が弾いてるの見るのはすげー好き」
「…………そうか」
「あ!てか、今日はあれ見るんだった。絶対ハマるやつ」
俺が今ハマってるのは、バスケでもギターでもなく、恋愛リアリティショー。所謂恋リアってやつだ。
最初はモテるための研究で見始めたけど、気づけば普通に楽しんでいる。
恋リアにもいろいろあるけど、やっぱり一番面白いのは、俺らと同じくらいの高校生が出てるやつ。
「このシリーズ、絶対泣けると思うんだよな~」
隆也のパソコンで俺のサブスクにログインして、第一話を再生する。
明るい女性ボーカルの曲が流れて、男女が順番に教会に入ってくる。「真実の愛を見つけにきました」ってやつが、初回の定番シーン。
しばらく経って、黙って見ていた隆也が言う。
「なあ、樹」
「んー?」
「これ、いつ血みどろのシーンになるんだ?」
真面目な顔で言う。
「いや恋リアだから!そんなシーンないから!」
忘れてた。隆也は音楽オタクだけど、ホラー映画も好きなんだった
それでも俺が薦めたシリーズをちゃんと見てくれてるみたいで、あっという間に四話にさしかかった頃。
ひとりの男子メンバーが、女子メンバーに告白した。
『……ありがとう。でも、友達でいたい』
決心して、勇気を出して告白して、ひとりの男が失恋に至るまでを、カメラが丁寧に追う。
涙であふれるスタジオ。俺もつられて泣いていた。
「あー、今シーズンもめっちゃ良かったな。特にあの告白シーン!」
告白されることには慣れているけど、他人の告白シーンを見るのも、やっぱりいい。胸が熱くなる。
「振られてたけど、まじ良かったわ。隆也もそう思うだろ?」
隣を見ると、いつも通りの無表情のまま画面をじっと見ていた。
「……そうかな」
少し間があって、視線を画面から外す。
「言って、今みたいなのになるくらいなら」
一度言葉を切る。
「……言わない方がいいだろ」
意外だった。隆也のそういう話って、あんまり聞いたことなかったから。そんな風に考えることもあるんだな…。
「……ふーん、そういう考えもあるのか」
それ以上、何も言わない。
そこには、俺の知らない隆也がいるみたいだった。
隆也の部屋は、いつ来てもミントのようないい香りがする。女子ウケのためにいくつも香水を集めている俺とは大違いだ。
「すげえ、また増えた?」
「ああ、一本。先輩に譲ってもらった」
「へえ、可愛がられてんじゃん」
壁際にはベースが何本も立てかけてあって、床にはCDが積まれている。一目で、音楽オタクの部屋だと分かる。
隆也は軽音部でベースを弾いていて、部員の中でもかなりの腕前らしい。
わざわざ本人には聞かないけど、隆也がベースを始めたのは、多分、俺がやれって言ったからだ。
※※※
遡ること二年前。
中学の時、俺はバスケ部に所属していた。
一方の隆也は、野球部のエースだった。背番号1。
ちなみに俺がバスケ部を選んだのは、ひとつ上の学年に可愛い女子マネージャーがいたから。そんな不純な動機でスポーツがうまくなるはずもなく、万年補欠だったのだけど。
「いちにー、さんしー!」
「一年声ちいせえぞー!」
野球部は外周で体育館裏を通る。ゴツい掛け声と大人数の足音が聞こえてきては、遠ざかっていく。
うちの中学の野球部は厳しいことで有名で、練習は見ているだけでもキツそうだった。
そんな中で、隆也はいつも余裕の顔で走っていた。
体育館の隅で、サボりという名の休憩中をとっている俺のところに隆也が来ては、どうでもいい話をした。
だから、俺の中でのバスケ部の思い出といえば、キツい練習でもベンチで見ていた試合でもなく、トレーニング姿の隆也だ。
あれはそう、隆也から引退の話を聞いた日。
最高気温を記録するくらいの暑い夏の日だった。その日も、水色のラベルがついた炭酸ジュースを飲んでいた。
「…この前の予選が、最後だった」
そう言って俯く隆也の右足には、包帯が巻かれていた。見ているだけで痛々しい。
バスケ部の試合ではベンチで応援しているだけの俺が、本気で野球に打ち込んでいた隆也に、なんと言えばいいのか分からなくて。
黙ったまま、ふと思った。
――ああ、これでもう、部活中の隆也と話せなくなるんだ。
体育館の床に、バッシュのこすれる音が聞こえた。それが、やけに寂しく思えたのを覚えている。
だから、俺が言ったひと言に、深い意味はなかった。
「じゃあ、音楽やれば?」
「…え?」
その頃俺は、邦ロックにハマっていた。毎週音楽番組を録画して、好きなバンドの新しいCDは限定版を予約するといった具合に。
「高校入ったら、一緒にバンド組もうぜ。俺がギターやるからさ、隆也はベースな」
「……分かった」
軽い口約束だった。
生来の飽き性の俺だ。高校に入る前には、俺の興味関心はとっくに移り変わっていた。
小遣いをお年玉を前借りして買ったギターは、今はクローゼットの奥で息を潜めている。
でも、隆也は違った。夏に約束したことをちゃんと覚えていて、受験が終わって早々にベースを始めた。
「え、お前もう一曲弾けるの? 早くね?」
「受験終わって暇だしな。思ったより楽しい」
隆也は努力を積み重ねられる男だった。さすが野球部でもエースだっただけある。
どんどん上達する隆也の演奏に、俺は夢中になっていた。
初めて隆也のスラップを間近で見た時の感動は忘れられない。
「すっげ~!天才じゃん!!」
隆也の努力と上達を間近で見ていると、最初に誘ったのは俺なのに、なんて嫉妬する気も起きないくらいだった。
そして高一の春。隆也のベースは、軽音部の先輩達から、メンバーにスカウトされるような腕前になっていた。
※※※
「やっぱ、隆也のベースいいよな。聴いてるとなんか落ち着く」
先輩から譲り受けたというベースで一曲弾いてもらった後、俺はベッドに寝転がる。
「……そうか」
「俺ベース全然分かんないけどさ、隆也が弾いてるの見るのはすげー好き」
「…………そうか」
「あ!てか、今日はあれ見るんだった。絶対ハマるやつ」
俺が今ハマってるのは、バスケでもギターでもなく、恋愛リアリティショー。所謂恋リアってやつだ。
最初はモテるための研究で見始めたけど、気づけば普通に楽しんでいる。
恋リアにもいろいろあるけど、やっぱり一番面白いのは、俺らと同じくらいの高校生が出てるやつ。
「このシリーズ、絶対泣けると思うんだよな~」
隆也のパソコンで俺のサブスクにログインして、第一話を再生する。
明るい女性ボーカルの曲が流れて、男女が順番に教会に入ってくる。「真実の愛を見つけにきました」ってやつが、初回の定番シーン。
しばらく経って、黙って見ていた隆也が言う。
「なあ、樹」
「んー?」
「これ、いつ血みどろのシーンになるんだ?」
真面目な顔で言う。
「いや恋リアだから!そんなシーンないから!」
忘れてた。隆也は音楽オタクだけど、ホラー映画も好きなんだった
それでも俺が薦めたシリーズをちゃんと見てくれてるみたいで、あっという間に四話にさしかかった頃。
ひとりの男子メンバーが、女子メンバーに告白した。
『……ありがとう。でも、友達でいたい』
決心して、勇気を出して告白して、ひとりの男が失恋に至るまでを、カメラが丁寧に追う。
涙であふれるスタジオ。俺もつられて泣いていた。
「あー、今シーズンもめっちゃ良かったな。特にあの告白シーン!」
告白されることには慣れているけど、他人の告白シーンを見るのも、やっぱりいい。胸が熱くなる。
「振られてたけど、まじ良かったわ。隆也もそう思うだろ?」
隣を見ると、いつも通りの無表情のまま画面をじっと見ていた。
「……そうかな」
少し間があって、視線を画面から外す。
「言って、今みたいなのになるくらいなら」
一度言葉を切る。
「……言わない方がいいだろ」
意外だった。隆也のそういう話って、あんまり聞いたことなかったから。そんな風に考えることもあるんだな…。
「……ふーん、そういう考えもあるのか」
それ以上、何も言わない。
そこには、俺の知らない隆也がいるみたいだった。
