その日の昼休み。
僕は最悪な気分で机に突っ伏していた。
寝坊して朝コンビニに寄る時間がなかったせいで
胃の中が空っぽだ。
今さら購買に行っても
残っているのは不人気なパンの残骸くらいだろう。
それならいっそ
一分でも長く寝て空腹を誤魔化したほうがマシだ。
諦めて机に突っ伏して寝ようとしたら
「宇佐見」
……まただ。
最近、一日の中で一番よく聞いている声。
見なくたって、誰かわかる。
ガサリとビニールが擦れる音が
僕のすぐ耳元でする。
「……なに」
顔を上げずに応じると
机の隙間に何かが滑り込んでくる。
「昼、食ってないでしょ」
決めつけるみたいに言って
袋を少し押し付けてくる。
仕方なく顔を上げると、目の前には菓子パンが二つ。
チョコチップメロンパンと、ミルクフランス。
……僕がいつも
購買やコンビニで無意識に選んでるやつだ。
「……これ」
「ん?」
糸井は「何でもない」と言いたげに、涼しい顔で笑っている。
「……なんでこれ」
たまたまにしては、出来すぎてる。
「なんとなく」
——なんとなく、で当てるか普通。
「食えよ。午後の授業、また寝るんだろ。腹減ってたら寝付けないぞ」
糸井は僕の返事も待たずにパンを置くと
椅子を引いて座った。
断る理由を探そうとしたけれど
僕の腹の虫は驚くほど正直だった。
……ぐぅ
と、小さく鳴った音を
糸井は聞き逃さなかったらしい。
ふっと、満足げに目を細める。
「ありがと。……これ、返してって言っても返さないからな」
「言わねぇよ」
恥ずかしさを紛らわすように
雑に袋を破ってパンに齧りつく。
その様子を
糸井は自分の弁当も食べずにじっと見つめていた。
視線が、熱い。
もぐもぐと口を動かしていると
ふいに頭の上に大きな手のひらが乗った。
「ちゃんと食べて、えらいえらい」
「っ、な……!」
くしゃっと髪をかき混ぜられる。
完全に子供扱いだ。
睨みつけると
糸井は声を出して笑いながら前を向いた。
なんなんだ、こいつ。
僕が食ってる姿を見て
なんでそんなに嬉しそうにしてるんだ。
残り数口で食べ終わるころ
山岸が僕の席に来た。
ニヤニヤとしたその表情を見る限り
絶対にろくなことじゃない。
「宇佐見、これを見ろ!」
目の前に、
男子高校生が持つにはファンシーすぎる手帳を突き出される。
「……なにこれ」
「流行カルチャー、シール集め!シール交換!
これ、さっき二組の浅野さんと交換したんだ!」
山岸は自慢げにパラパラとページをめくる。
シールを交換する文化も、
その浅野さんとやらも僕は知らない。
無視して残りのパンを飲み込む。
聞いてもいないのに
「やっぱ、流行に敏感な男はモテるだろ?これで俺も彼女できるわ!」
と不純な動機まで僕に説明してくる。
そんなことでモテるなら誰も苦労はしないだろう。
この調子だと
昼休み中ずっとここで弾丸のようにしゃべり続けそうだから、
僕はパンの包装袋についていた点数シールをはがす。
少し端が破れた。
まあいいか。
「シールなら僕もある。やるよ」
山岸は僕の指先にくっついたシールを見て
盛大にズッコケた。
「それただの点数シールやんけ!集めて白い皿もらえってか⁉」
ひとりノリツッコミ。
忙しいやつ。
「贅沢だな。じゃあ捨てるわ」
山岸を無視して
シールを丸めて捨てようとした
——その時。
「え、ちょっと待って!」
横から飛んできた声に
思わず手が止まる。
気づけば、
さっきまで別の場所で弁当を食べていた女子たちが
いつの間にか席を囲んでいた。
「それ、ほしい」
「え、わかる、なんかかわいい」
「宇佐見くんちょうだい!」
……は?
……女子の感性はどうなっているんだ。
ただの点数シールだぞ。
皿をもらいたいのか?
それとも今の女子高生の間ではこういうのが流行っているのか?
困惑して「いや、これ――」と言いかけた
その瞬間。
すっと前から
大きな手が伸びてきた。
「それ、俺がもらう」
……糸井だ。
糸井は迷いのない動作で、
僕の指先に触れてシールをつまみ取った。
指先が触れた瞬間、
さっきの「えらいえらい」の時よりもずっと強い熱を感じて
心臓が跳ねる。
「なんでお前が」
「欲しかったから」
「皿?」
僕がそう尋ねたら、糸井は少し不満そうな顔。
なんで?
「シール」
そう言って、糸井は端の破れたシールを
自分の透明なスマホケースの真ん中に張り付けた。
そして
長い指でその表面を愛おしそうに一度なぞる。
不満そうな顔はもうしていない。
「パン、俺がやったし。
だから、それ俺の。もらってもいいでしょ?」
軽く肩をすくめてそう言うと
糸井は何事もなかったみたいに前を向いた。
なぜか、
妙に納得してしまって
僕はそれ以上何も言えなくなった。
さっきまで騒いでいた女子たちは
「えーっ!いいなそれ、超オシャレ!」
「わかる、あえてパンのシールっていうのがセンスあるよね」
「私も真似しようかな!」
と一気にそっちへ流れていったので
僕はとりあえず面倒が去ってホッとした。
イケメンはパンのシールをスマホに貼るだけで
流行を創り出すらしい。
山岸がぽかんと口を開けたまま、
絞り出すように言った。
「……なあ、俺も明日からパンのシール持ってきたら、
あんな風にチヤホヤされるかな?」
「無理だろ」
即答した。
流行とかセンスとかじゃない。
結局のところ、顔の問題だと思う。
それなのに
心臓がさっきからうるさい。
糸井に指先を掠め取られた時の
あの感覚が消えない。
奪い取られたシールなんてどうでもいいはずなのに
あいつが僕の指に触れた瞬間の
刺すような熱。
ただ、指先が触れ合っただけだ。
プリントを回す時と同じはずなのに
どうしてあんなに乱暴で
それでいてひどく甘い熱を感じてしまったのか。
スマホケースに貼られた僕のパンのシール。
それを見つめて満足そうに笑う糸井の背中を
僕は直視できずにいた。
「……意味わかんねえ」
小さく毒づいて
自分の熱くなった指先を掌の中に隠す。
イケメンだから
とか。
そういう理屈で片付けたいのに
身体の奥がじんじんと痺れて、
自分の心拍音が耳に届く。
これじゃ、あの女子たちと同じじゃん。
あいつに触れられて、
熱を感じて、
心臓を跳ねさせてる。
……無意識に糸井の背中を目で追ってしまう自分に
僕はひどく苛立ちを感じていた。
僕は最悪な気分で机に突っ伏していた。
寝坊して朝コンビニに寄る時間がなかったせいで
胃の中が空っぽだ。
今さら購買に行っても
残っているのは不人気なパンの残骸くらいだろう。
それならいっそ
一分でも長く寝て空腹を誤魔化したほうがマシだ。
諦めて机に突っ伏して寝ようとしたら
「宇佐見」
……まただ。
最近、一日の中で一番よく聞いている声。
見なくたって、誰かわかる。
ガサリとビニールが擦れる音が
僕のすぐ耳元でする。
「……なに」
顔を上げずに応じると
机の隙間に何かが滑り込んでくる。
「昼、食ってないでしょ」
決めつけるみたいに言って
袋を少し押し付けてくる。
仕方なく顔を上げると、目の前には菓子パンが二つ。
チョコチップメロンパンと、ミルクフランス。
……僕がいつも
購買やコンビニで無意識に選んでるやつだ。
「……これ」
「ん?」
糸井は「何でもない」と言いたげに、涼しい顔で笑っている。
「……なんでこれ」
たまたまにしては、出来すぎてる。
「なんとなく」
——なんとなく、で当てるか普通。
「食えよ。午後の授業、また寝るんだろ。腹減ってたら寝付けないぞ」
糸井は僕の返事も待たずにパンを置くと
椅子を引いて座った。
断る理由を探そうとしたけれど
僕の腹の虫は驚くほど正直だった。
……ぐぅ
と、小さく鳴った音を
糸井は聞き逃さなかったらしい。
ふっと、満足げに目を細める。
「ありがと。……これ、返してって言っても返さないからな」
「言わねぇよ」
恥ずかしさを紛らわすように
雑に袋を破ってパンに齧りつく。
その様子を
糸井は自分の弁当も食べずにじっと見つめていた。
視線が、熱い。
もぐもぐと口を動かしていると
ふいに頭の上に大きな手のひらが乗った。
「ちゃんと食べて、えらいえらい」
「っ、な……!」
くしゃっと髪をかき混ぜられる。
完全に子供扱いだ。
睨みつけると
糸井は声を出して笑いながら前を向いた。
なんなんだ、こいつ。
僕が食ってる姿を見て
なんでそんなに嬉しそうにしてるんだ。
残り数口で食べ終わるころ
山岸が僕の席に来た。
ニヤニヤとしたその表情を見る限り
絶対にろくなことじゃない。
「宇佐見、これを見ろ!」
目の前に、
男子高校生が持つにはファンシーすぎる手帳を突き出される。
「……なにこれ」
「流行カルチャー、シール集め!シール交換!
これ、さっき二組の浅野さんと交換したんだ!」
山岸は自慢げにパラパラとページをめくる。
シールを交換する文化も、
その浅野さんとやらも僕は知らない。
無視して残りのパンを飲み込む。
聞いてもいないのに
「やっぱ、流行に敏感な男はモテるだろ?これで俺も彼女できるわ!」
と不純な動機まで僕に説明してくる。
そんなことでモテるなら誰も苦労はしないだろう。
この調子だと
昼休み中ずっとここで弾丸のようにしゃべり続けそうだから、
僕はパンの包装袋についていた点数シールをはがす。
少し端が破れた。
まあいいか。
「シールなら僕もある。やるよ」
山岸は僕の指先にくっついたシールを見て
盛大にズッコケた。
「それただの点数シールやんけ!集めて白い皿もらえってか⁉」
ひとりノリツッコミ。
忙しいやつ。
「贅沢だな。じゃあ捨てるわ」
山岸を無視して
シールを丸めて捨てようとした
——その時。
「え、ちょっと待って!」
横から飛んできた声に
思わず手が止まる。
気づけば、
さっきまで別の場所で弁当を食べていた女子たちが
いつの間にか席を囲んでいた。
「それ、ほしい」
「え、わかる、なんかかわいい」
「宇佐見くんちょうだい!」
……は?
……女子の感性はどうなっているんだ。
ただの点数シールだぞ。
皿をもらいたいのか?
それとも今の女子高生の間ではこういうのが流行っているのか?
困惑して「いや、これ――」と言いかけた
その瞬間。
すっと前から
大きな手が伸びてきた。
「それ、俺がもらう」
……糸井だ。
糸井は迷いのない動作で、
僕の指先に触れてシールをつまみ取った。
指先が触れた瞬間、
さっきの「えらいえらい」の時よりもずっと強い熱を感じて
心臓が跳ねる。
「なんでお前が」
「欲しかったから」
「皿?」
僕がそう尋ねたら、糸井は少し不満そうな顔。
なんで?
「シール」
そう言って、糸井は端の破れたシールを
自分の透明なスマホケースの真ん中に張り付けた。
そして
長い指でその表面を愛おしそうに一度なぞる。
不満そうな顔はもうしていない。
「パン、俺がやったし。
だから、それ俺の。もらってもいいでしょ?」
軽く肩をすくめてそう言うと
糸井は何事もなかったみたいに前を向いた。
なぜか、
妙に納得してしまって
僕はそれ以上何も言えなくなった。
さっきまで騒いでいた女子たちは
「えーっ!いいなそれ、超オシャレ!」
「わかる、あえてパンのシールっていうのがセンスあるよね」
「私も真似しようかな!」
と一気にそっちへ流れていったので
僕はとりあえず面倒が去ってホッとした。
イケメンはパンのシールをスマホに貼るだけで
流行を創り出すらしい。
山岸がぽかんと口を開けたまま、
絞り出すように言った。
「……なあ、俺も明日からパンのシール持ってきたら、
あんな風にチヤホヤされるかな?」
「無理だろ」
即答した。
流行とかセンスとかじゃない。
結局のところ、顔の問題だと思う。
それなのに
心臓がさっきからうるさい。
糸井に指先を掠め取られた時の
あの感覚が消えない。
奪い取られたシールなんてどうでもいいはずなのに
あいつが僕の指に触れた瞬間の
刺すような熱。
ただ、指先が触れ合っただけだ。
プリントを回す時と同じはずなのに
どうしてあんなに乱暴で
それでいてひどく甘い熱を感じてしまったのか。
スマホケースに貼られた僕のパンのシール。
それを見つめて満足そうに笑う糸井の背中を
僕は直視できずにいた。
「……意味わかんねえ」
小さく毒づいて
自分の熱くなった指先を掌の中に隠す。
イケメンだから
とか。
そういう理屈で片付けたいのに
身体の奥がじんじんと痺れて、
自分の心拍音が耳に届く。
これじゃ、あの女子たちと同じじゃん。
あいつに触れられて、
熱を感じて、
心臓を跳ねさせてる。
……無意識に糸井の背中を目で追ってしまう自分に
僕はひどく苛立ちを感じていた。
