無関心な僕が、お前だけは例外

 翌日から奇妙なことが起こった。

 バイトの疲れが取れないまま、
 ホームルームが始まるギリギリに教室に滑り込む。

 「おはよう」

 席に着いたとたんに、
 前の席の糸井が振り返って挨拶をした。

 「おはよう、宇佐見」

 爽やかな笑顔で、もう一回。名前付き。

 「はよ」

 気のない返事だけ返すと、
 糸井は前を向いた。挨拶を返したのは、
 単なる反射だ。

 今まで二ヶ月間、
 席が前後でも
 一度も会話なんてしたことがなかったのに。

 糸井は昨日の放課後と同じ

 ……いや、
 どこか昨日よりも
 柔らかさを湛えた笑顔をしていたような気がする。

 すぐにチャイムが鳴って僕は考えるのをやめた。

 どうせ、ただの気まぐれだ。


 でも、どうやらそうではないらしい。

 ホームルームが終わって一限が始まる前、
 糸井はまた振り返った。

 「昨日のバイト、間に合った?結構急いでたみたいだけど」

 「……まあ、なんとか。なんで知ってんの」

 「山岸に聞いた。宇佐見、いつも忙しそうだよな」

 糸井が他愛ない話で僕を繋ぎ止めてくる。

 始業のチャイムが鳴ればまた前を向く。


 一限の授業が終わり、
 一〇分の休み時間。

 「なあ」

 糸井はまた振り返って話しかけてきた。

 なんだよ。
 今から寝ようとしてたのに。

 「なに」

 「登校中にさ、変な形の雲見たんだ。ほら」

 そう言ってスマホの画面を向けてくる。
 正直、
 どうでもいい。

 「……ただの入道雲だろ」

 「冷たいなあ。あ、昨日のあの番組みた?芸人のやつ」

 「テレビみない」

 「そっか、じゃあ今度面白いシーン教えるよ」

 僕がどんなに雑に返しても糸井は飽きもせず、
 自分から喋り続けてくる。

 糸井がこんなに自分から喋り続けるところを、
 僕は初めて見た。

 いつも誰かに話しかけられても、
 あしらっているこいつが、
 なぜ僕にこんなに
 とりとめのない話を向けてくるのか。

 ——気まぐれにしては、しつこい。


 次の休み時間も同じだった。
 チャイムと同時に振り返り話しかけてくる。

 「宇佐見」

 今度は無視しようかと思ったけど、

 名前を呼ばれるのが思ったより気に障って、
 結局顔を上げる。

 次は自販機のジュースが不味かった話。

 「自販機にあった梅コーラ知ってる?」

 「知らん」

 不愛想に答える。
 もう寝たい。

 さっきの授業で先生に注意されて寝れなかったから。
 一分でも多く目を閉じていたい。

 「あれ、めっちゃ不味い」

 けれど、糸井は僕の眠気を気にする様子もなく、
 楽しそうに言葉を続けてくる。

 机に突っ伏して
 寝る体制に入ろうとしたのに

 「うさみぃ~」ってまた邪魔が入る。

 山岸だ。

 「数学の課題、写させて」

 「むり」

 「冷たいこというなよ。俺たちマブダチだろ」

 始まった。

 「僕、もう寝るから」

 「お前さ、寝に学校来てんのか?授業中も休み時間もすぐ寝るじゃん。」

 「眠いんだからしかたないだろ」

 「はいはい。おねむな赤ちゃんでちゅもんね~」

 やっぱり、こいつとはマブダチではない。

 なおもからかってくる山岸を

 「うるせぇよ」

 って心の中で毒づいて机に突っ伏して眠った。


 ……はずだった。


 「宇佐見」

 低い声が、
 すぐ近くで落ちた。

 顔を上げると、

 目の前に糸井の顔があった。
 近い。

 「なに」

 「寝るの?」

 「見たらわかるだろ」

 「そっか」

 それだけ言って、
 糸井は前を向いた。

 なんなんだ、さっきから。

 わざわざ話しかけてくる内容でもないし、
 用事があるわけでもなさそうなのに。


 そのうち飽きるだろ。

 僕の反応は悪いし、
 共通の話題だってないんだから。

 そう思っていたのに、


 その日から、糸井の態度は目に見えて変わった。

 授業の合間の休み時間、
 チャイムが鳴るたびに
 あいつは僕の方へ向き直る。


 相変わらずイケメンだな、

 なんて男の僕でも思うような
 整った唇が、
 僕の名前を呼ぶ。

 話す内容は、くだらないことばかり。

 昨日のテレビの話。
 最近気になってるバンド。
 登校中に見たねこ。


 そんな話
 古川にすればいいだろ。


 いつもなら、

 古川たちに話しかけられても
 聞いているのかいないのか分からない気のない返事をして
 スマホゲームに没頭しているはずの糸井が、
 なぜかスマホも出さずに僕の方を向いている。

 古川は、糸井と同じグループのやつだ。

 誰とでも距離が近くて、
 いつも中心にいるタイプ。
 正直
 うるさい。

 なのに、
 あの日から授業の合間の休み時間になるたび、
 僕の方を向いて話しかけてくる。

 今もそうだ。

 「なあ糸井、これさ——」

 「あとでいい?」

 古川の言葉を、途中で切る。

 そのまま視線を挙げて、僕を見る。

 「宇佐見」

 ……またかよ。

 「なに」

 「さっきの続きだけど」

 別に、続きなんて聞きたくない。

 というか、
 さっきの話もほとんど聞いてなかった。

 それでも、
 糸井は気にした様子もなく話し続ける。

 横で古川が
 「おい、俺の話は?」
 って笑ってるのに、
 糸井は「あとで聞くって」
 って軽くあしらうだけ。

 ——ああ、やっぱり。

 古川には適当なのに、僕にはちゃんと話す。

 意味がわからない。


 そのくせ、
 僕がまともに返事をしなくても、
 糸井は気にしない。

 「へえ」
 「そう」
 「知らん」

 それだけ返しても、
 また次の休み時間には同じように話しかけてくる。

 どうせすぐ飽きる。

 今までだって、
 そういうやつはいた。

 勝手に話しかけてきて、
 勝手に離れていく。


 ……糸井も、きっとそうだ。


 そう思っていたのに、
 事態は少しずつ
 おかしな方向へ向かい始めていた。